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12 寄進をする者たち
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神託が下ったのは、まだ冬の寒さが残る頃だった。
【神殿より最も近き聖樹へと三度通い、祈りを重ねよ。
その勤め果たす者には、新しき命を授かる望みが与えられるであろう】
神殿の使いが国中を駆け抜け、王都から遠く離れた村々にまでその声が届くと、人々は我先にと聖樹を目指しはじめた。
だが、道はあまりに荒れていた。石ころだらけの山道、ぬかるんだ谷、夜になれば真の闇が落ちる。年老いた者や子供を連れてはとても進めない。町から馬車を出した者も、車輪を壊して戻ってきた。
そう、ユラリたちを悩ませた道だ。ユラリだって二度と通りたくない。
王宮ではすぐに議論が巻き起こった。
「聖女のためにも道を整備せねばなりませんな」
「そうです。聖女様のために、神殿に誠意を見せて貰いましょう」
「いや、民が聖樹に参るのは国益に直結する。ならば国費をもって道を舗装し、灯火を置くべきでありましょう」
集まった貴族たちは口々にそう主張し、予算をいかに割くかで論争を重ねた。国の財政を圧迫することは承知していたが、彼らにとって大切なのは、
「聖女の望みを叶える」という大義名分を得ることだった。
そのやりとりを、ひとりの侍女が廊下の陰で耳にした。まだ若いが、聖女ユラリに仕える勤勉な娘である。
彼女は夕餉の支度の折に何気なくその話を主へと伝えた。
「――道を整えるべきだと、皆さま仰っておりました。国の予算を使おうと。聖女様のためなら当たり前ですね」
ユラリは小首を傾げた。澄んだ瞳が窓の外の陽光を映す。
「やっぱり、違うのね」
「と、おっしゃいますと?」
「わたしのいた国ではね、道や灯りは、皆が私費で寄進したの。旅人や参拝者が困らないように、自分の懐から。そうやって敷かれた石畳や灯篭は、今も残っているわ。それに聖女のためってなにかしら。わたしはなにも願ってないのに……確かに聖樹への道は大変よ。一度行ってるからよく知ってるわ。まぁ昔のことね」
彼女の声は、静かで柔らかい。けれど不思議な重みを帯びていた。
「それでね、寄進をした人々は、神様からお礼を受けたって聞いたことがあるの。病が癒えたり、子に恵まれたり。今の世でもね。だから、わたしは山を眺めても、お日様を仰いでも、有難いと思うの。神様ありがとございますって」
侍女は深く息をのんだ。
王宮で育ち、富める者が国庫を動かすことを当然と思ってきた彼女にとって、その言葉は目から鱗のように響いた。
休みの日、控えの間で茶を飲むとき、彼女は親しい同僚にそのことを話した。
「ねえ、前にね、ユラリ様がこんなことをおっしゃったのよ」
二人は小声で語り合い、ふふと笑い合った。神様からのお礼、という響きは妙に心をくすぐる。
するとその噂は侍女仲間のあいだでたちまち広がり、やがて女官、厨房の下働き、さらに外へと流れ出していった。
そして、王都の茶会で語られるほどになった。
「聖女様は、私費で寄進するべきだと仰ったそうよ」
「寄進すれば神からお礼がある、とも」
耳聡い貴族夫人が興味を示し、商家の奥方が噂を聞きつける。人々は眉をひそめながらも、心の奥で妙な納得を覚えた。国費で賄えば「当然」だが、私財を投じれば「徳」として語り継がれる。
ある侯爵は胸を張って
「どうせ整備せねばならぬのなら、我が家が先んじて寄進しよう。世に知られれば家の誉れだ」
これを聞きつけた豪商は負けじと胸を張った。
「ならば我らも灯火を献じましょう。夜の行軍に欠かせぬものですからな」
寄進合戦のような形で、次々と資金が集まっていった。石工や大工が呼び集められ、山道には切り出された石が並べられる。川を渡るための橋は頑丈な木材で組まれ、夜道を照らす灯篭が並んだ。
聖樹のそばには聖女ユラリの苦難を記した石碑がおかれ、人々は石碑に向かって深い祈りを捧げた。
石碑にはこう書いてある。
聖女ユラリ ここに聖樹を浄め給う
身を裂き 血を流し 血を吐くとも
民の安寧を祈り 務めを果たし給えり
その至誠に応え 聖樹は葉を繁らせ
感謝のしるしを 今に示す
聖女は神殿、女神とも違う祈りの対象になって行った。
歩きやすくなったことを聞いた人々は胸を躍らせた。
「わしらも祈りに行ける」
「神様からのお礼があるかもしれない」
子を失った母は涙を拭き、農夫は希望を胸に鍬を握った。
王宮の奥で、ユラリは静かに山を見ていた。
窓辺に立つその背を見つめながら、あの侍女は心の中でつぶやく。
「お山も、お日様も、有難いこと……」
主の口真似をする自分に頬が熱くなる。そして、その言葉は不思議と温かかった。
やがて侍女同士の茶飲み話は、王都全体の口癖のようになった。
「有難いこと。今日も山は美しい」
「有難いこと。夜道に灯りがともる」
人々は祈るようにその言葉を口にし、寄進を競い合った。
国の予算をどう割くかで頭を抱えていた貴族たちも、いつの間にか自らの財を投じて威信を競い合うようになったのである。
聖女ユラリが語った一言は、誰の命令でもなく、誰の命令にも従わぬかたちで広がり、国の在り方を少しずつ変えていった。
そして、夕暮れ。
山の端に夕日に向かって、ユラリはひとり呟いた。
「ほんとうに……有難いこと」
その声を聞いた者は誰もいなかった。だが翌日もまた、王都のどこかで同じ言葉が繰り返されていた。
【神殿より最も近き聖樹へと三度通い、祈りを重ねよ。
その勤め果たす者には、新しき命を授かる望みが与えられるであろう】
神殿の使いが国中を駆け抜け、王都から遠く離れた村々にまでその声が届くと、人々は我先にと聖樹を目指しはじめた。
だが、道はあまりに荒れていた。石ころだらけの山道、ぬかるんだ谷、夜になれば真の闇が落ちる。年老いた者や子供を連れてはとても進めない。町から馬車を出した者も、車輪を壊して戻ってきた。
そう、ユラリたちを悩ませた道だ。ユラリだって二度と通りたくない。
王宮ではすぐに議論が巻き起こった。
「聖女のためにも道を整備せねばなりませんな」
「そうです。聖女様のために、神殿に誠意を見せて貰いましょう」
「いや、民が聖樹に参るのは国益に直結する。ならば国費をもって道を舗装し、灯火を置くべきでありましょう」
集まった貴族たちは口々にそう主張し、予算をいかに割くかで論争を重ねた。国の財政を圧迫することは承知していたが、彼らにとって大切なのは、
「聖女の望みを叶える」という大義名分を得ることだった。
そのやりとりを、ひとりの侍女が廊下の陰で耳にした。まだ若いが、聖女ユラリに仕える勤勉な娘である。
彼女は夕餉の支度の折に何気なくその話を主へと伝えた。
「――道を整えるべきだと、皆さま仰っておりました。国の予算を使おうと。聖女様のためなら当たり前ですね」
ユラリは小首を傾げた。澄んだ瞳が窓の外の陽光を映す。
「やっぱり、違うのね」
「と、おっしゃいますと?」
「わたしのいた国ではね、道や灯りは、皆が私費で寄進したの。旅人や参拝者が困らないように、自分の懐から。そうやって敷かれた石畳や灯篭は、今も残っているわ。それに聖女のためってなにかしら。わたしはなにも願ってないのに……確かに聖樹への道は大変よ。一度行ってるからよく知ってるわ。まぁ昔のことね」
彼女の声は、静かで柔らかい。けれど不思議な重みを帯びていた。
「それでね、寄進をした人々は、神様からお礼を受けたって聞いたことがあるの。病が癒えたり、子に恵まれたり。今の世でもね。だから、わたしは山を眺めても、お日様を仰いでも、有難いと思うの。神様ありがとございますって」
侍女は深く息をのんだ。
王宮で育ち、富める者が国庫を動かすことを当然と思ってきた彼女にとって、その言葉は目から鱗のように響いた。
休みの日、控えの間で茶を飲むとき、彼女は親しい同僚にそのことを話した。
「ねえ、前にね、ユラリ様がこんなことをおっしゃったのよ」
二人は小声で語り合い、ふふと笑い合った。神様からのお礼、という響きは妙に心をくすぐる。
するとその噂は侍女仲間のあいだでたちまち広がり、やがて女官、厨房の下働き、さらに外へと流れ出していった。
そして、王都の茶会で語られるほどになった。
「聖女様は、私費で寄進するべきだと仰ったそうよ」
「寄進すれば神からお礼がある、とも」
耳聡い貴族夫人が興味を示し、商家の奥方が噂を聞きつける。人々は眉をひそめながらも、心の奥で妙な納得を覚えた。国費で賄えば「当然」だが、私財を投じれば「徳」として語り継がれる。
ある侯爵は胸を張って
「どうせ整備せねばならぬのなら、我が家が先んじて寄進しよう。世に知られれば家の誉れだ」
これを聞きつけた豪商は負けじと胸を張った。
「ならば我らも灯火を献じましょう。夜の行軍に欠かせぬものですからな」
寄進合戦のような形で、次々と資金が集まっていった。石工や大工が呼び集められ、山道には切り出された石が並べられる。川を渡るための橋は頑丈な木材で組まれ、夜道を照らす灯篭が並んだ。
聖樹のそばには聖女ユラリの苦難を記した石碑がおかれ、人々は石碑に向かって深い祈りを捧げた。
石碑にはこう書いてある。
聖女ユラリ ここに聖樹を浄め給う
身を裂き 血を流し 血を吐くとも
民の安寧を祈り 務めを果たし給えり
その至誠に応え 聖樹は葉を繁らせ
感謝のしるしを 今に示す
聖女は神殿、女神とも違う祈りの対象になって行った。
歩きやすくなったことを聞いた人々は胸を躍らせた。
「わしらも祈りに行ける」
「神様からのお礼があるかもしれない」
子を失った母は涙を拭き、農夫は希望を胸に鍬を握った。
王宮の奥で、ユラリは静かに山を見ていた。
窓辺に立つその背を見つめながら、あの侍女は心の中でつぶやく。
「お山も、お日様も、有難いこと……」
主の口真似をする自分に頬が熱くなる。そして、その言葉は不思議と温かかった。
やがて侍女同士の茶飲み話は、王都全体の口癖のようになった。
「有難いこと。今日も山は美しい」
「有難いこと。夜道に灯りがともる」
人々は祈るようにその言葉を口にし、寄進を競い合った。
国の予算をどう割くかで頭を抱えていた貴族たちも、いつの間にか自らの財を投じて威信を競い合うようになったのである。
聖女ユラリが語った一言は、誰の命令でもなく、誰の命令にも従わぬかたちで広がり、国の在り方を少しずつ変えていった。
そして、夕暮れ。
山の端に夕日に向かって、ユラリはひとり呟いた。
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