敵国に嫁いだ姫騎士は王弟の愛に溶かされる

今泉 香耶

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4.国境を越えるエレイン

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 遠い異国。遠い記憶。隣国とは言え、国外に初めて出る12歳のアルフォンスにとって、それは驚きと憧れ、失望と諦め、多くの感情が心の中で渦巻く旅だった。

 その頃、アルフォンスの実父であるマリエン王国国王は「まだ」正常だった。10年ぶりに、隣国である小国ガリアナ王国に訪れ、国王同士で「今後もより一層よき隣人であるように」と語り、多くの土産を断りつつ受け取る。そんな振る舞いが出来る程度は。

「しまったぞ……どっちから来たのか、わからなくなってしまった……」

 国王同士の会談を終えるまで、静かにしていなさい、王城を案内してもらいなさい、と言われたが、彼は他国の城であっても生来の気ままさか、ひょいひょいと勝手に出歩いてしまった。護衛騎士の目をかいくぐって、たった一人で、だ。

 小国だからなのか、あまり見張り兵も多くないものの、清潔で静かなガリアナ王国の王城を彼は気に入った。白を基調とした調度品の美しさを彼は解さなかったが、余計な声や音が聞こえず、けれども人が生きていることは感じられる、その王城の佇まいを「良い」と思う。

 ぐるりと一階を一回りして戻ろう、と思ったところ、庭園に向かう渡り廊下に差し掛かり、彼はついそちらに足を向けてしまった。まいったな、と思いながらぐるぐる庭園を歩くものの、庭師一人もそこにはいない。

 庭園に出る渡り廊下は三か所もあって、一体自分はどちらから来たのかを彼は失念してしまったのだ。庭園を歩いて戻ろうと思っても、どうも自分が来た渡り廊下ではない気がする……そして、他の渡り廊下に向かえば、また違う気がして、彼は困惑をした。そんな彼の前に、彼よりも身長が低い、小さな騎士見習いのような者が現れた。

「お困りか」

 燃えるような赤毛を後ろでひとつに縛って、その美しい少年はすらりと立っている。不遜な言葉遣いだったが、アルフォンスは別にそれを咎めなかった。彼はきっと自分が誰なのかを知らないのだと思ったし、きっと、名のある高名な貴族子息なのだろうと踏んだからだ。

「ああ、困っている」

「どちらに戻ろうと」

「白亜の間、という部屋だ」

「そうか。ついてくるといい」

 そう言うと、彼はアルフォンスの前を歩き出した。どうやら、一番離れた場所にある渡り廊下だったようだ。

「そっちだったか……?」

「もしかしたら、あちらの渡り廊下から出たのかもしれないが、こちらの方が近い」

 涼し気な声。2,3歳は年が下なのだろうとアルフォンスは思う。明らかに剣を学んでいる者の姿勢だ、とも。

 その少年の赤毛は、アルフォンスの国にはほとんど存在しない色だった。赤毛と言っても、本当に紅に近い色。それに目を奪われながらついていく。逆に、黒髪に赤い瞳という彼の風貌はこの国では珍しいと聞いたが、少年は特に何も問わなかった。

 むせかえるような花木の香りに包まれ、彼は揺れる赤毛の背を負った。これが運命の出会いだったと、この時の彼はまだ知らない。

 

 王城を出たエレインは、自国から付き人を誰一人として連れて行かなかった。ガリアナ国にもう戻れないだろうと考え、誰であろうと自分のせいで同じような目に合わせるわけにはいかない、と決めたからだ。こればかりは譲らない、とがんとして首を縦に振らなかった彼女に父王も根負けをして、彼女の言う通りにした。

 国境を越えて、マリエン王国の辺境伯の元までは、彼女と共に前線から王城に戻った2人を含む護衛騎士5名が送り届ける。それが、せめてもの餞だと言われ、辺境伯の地から5人がガリアナ王国に戻るならばそれでよい、とエレインは受け入れた。

 国境近くの前線にはまだ兵士が残っていたが、そこにはほとんど足を止めず、エレインは馬に乗って駆け抜けた。そう。馬に乗って。馬車などに乗ってではなく。彼女がマリエン王国に持ち込むものといえば、あまり着る機会がなかったドレスを3着ほど、そのほか身に着けるものばかりで、それらは護衛騎士の馬に分割して積んだ。おかげで、馬車は必要ないというわけだ。

 マリエン王国の国境を越え、約束の場所にたどり着いて馬を休めていると、クレーブ辺境伯の騎士たちがやって来た。当然のように馬車が用意されているようで、エレインと共にやってきた騎士たちは苦笑いを浮かべた。

「ガリアナ王国第一王女一行とお見受けいたしますが、間違いはないでしょうか」

「はい。ガリアナ王国第一王女エレイン・ミレイ・ガリアナです」

 馬上同士での会話。クレーブ辺境伯の騎士たちはぎょっとする。彼らは、エレインが馬車に乗っていると思っていたからだ。だが、確かに見れば馬車はどこにもない。

「失礼」

 そう言ってエレインはフードをとった。中から、ふわりと零れ落ちる赤毛、利発そうな琥珀の瞳が姿を現す。彼女のその美しさに、クレーブ辺境伯の騎士たちは声のないどよめきを挙げた。

「こちらから辺境伯邸まではどれほどに?」

「一時間程度です」

「わかりました。申し訳ないのですが、供の者たちも一緒に泊めていただき、一晩休ませることは可能でしょうか」

「かしこまりました」

 感触は悪くない、とエレインは思う。自分に対してあからさまに嫌悪の態度はとらない。だが、それはそうだ。辺境伯の騎士たちは、戦が始まってからは国境を守っていたため、そこから先に攻め入る前線にはそう多くは出ていない。故に、エレインとはそう戦ったことがないはずだ。

(問題は、その先だな……)

 まるで、少し前まで敵国だった国に入ったとは思えないやりとり。それに心が慣れてはいけない、とエレインは思う。ただ、少なくとも自分と共にここまでやってきた5人が、そう悪い思いをせずに国に戻るのだろうと思えば、それは感謝をしようと思った。



 クレーブ辺境伯は30代の男性で、柔和な印象を抱く相手だった。彼は快くエレインを迎え入れる「振り」をした。少なくとも、本音ではあまり歓迎をしていないのだろうとエレインは感じた。ただ、それを出来るだけ感じ取らせないようにと努めていることは評価をしなければいけないと思う。

 上から下まで彼女を眺めた辺境伯は、申し訳なさそうに「明日からは馬車で移動をいたしますので、ドレスを着用していただきたいのです」と、彼女の出で立ちに対して口にする。

「わかりました。申し訳ありませんが、朝、侍女の手をお借りしてもよろしいでしょうか。誰も連れて来なかったので、手伝っていただければと思います。わたしはこちらの国のならわしや身づくろいには未だ明るくないので」

「もちろんです」

「ありがとうございます。また、わたしの付き人に対しても一宿一飯の恩義、感謝しております」

「お気になさらずに。彼らは明日には、ガリアナ王国に戻っていただくことになりますが。そして、あなたには明日にはここからカルポカの町に向かっていただきます。そこで、王城の騎士団にお役目を引き継ぎます」

「そうですか。わかりました」

 淡々と告げるクレーブ辺境伯。エレインもまた、淡々と彼の言葉にうなずき、与えられた客室にとさっさと逃げた。カルポカの町だとか言われても、一体それがどこなのかも当然彼女はわからない。そして、クレーブ辺境伯は別段それをどうとも思っていないし、エレインもそれ以上は尋ねなかった。それらはただの符号のようなもの。

 知らぬ国のベッドは自国のものとそう変わりがなかった。ただ、部屋の作りや装飾はまるで違う。ああ、もう異国なのだ……そう思いながら、エレインは深い眠りについたのだった。
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