敵国に嫁いだ姫騎士は王弟の愛に溶かされる

今泉 香耶

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12.わずかな小休止

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 それから数日間、エレインは言われたように部屋で療養を続けた。案外とカーナの毒が体から抜けるには時間がかかるらしく、一日中ベッドの上でうとうととしていた。ぼんやりと目覚めれば「ああ、起きて鍛錬をしなければ」と思い、また「いや、それはもう必要がない」と思い、だが、その後に「しかし、このままでは休戦の前提が崩れるから、自分はもしかしたらガリアナ王国に戻るのかも……」などとぐるぐると考え、またゆっくりと眠りの淵につく。

「お食事をお持ちしました」

 スープとパンという一見貧相な組み合わせのものが運ばれたが、なんにせよ毒を飲んで胃の調子が悪いので、ゆっくりとならした方がよいという医者の言葉を信じる。それに、そのスープはいろいろな野菜を茹でたものを濾していて、体に良いポタージュになっていることがわかる。パンも、柔らかいものを選んでくれているようだった。

 侍女はアルフォンスが言った通り、全員が入れ替わっていた。そこには、彼女を淡々と見ていた最初に離れに来た時の視線はなく、とはいえ、そこまでエレインに干渉もしすぎない、ちょうどよい距離感の者たちがそろっていた。

(少しだけ、ほっとする……)

 どれほど、ここまで自分が緊張をしていたのかに気づいて、エレインは苦笑いを浮かべた。受け入れてもらえていない、という感覚は自分の神経を逆撫でしていたし、それに抗おうと心に壁を作っていた。そのまま過ごしていかなければいけない、と思えば、気を張らずにはいられなかった。だが、今は少し楽になったと思う。

「すまない。変な時間で申し訳ないが、湯あみをしたい」

「かしこまりました。ご用意いたしますね」

 その侍女の声は柔和だった。それにも相当ほっとする。なんとかスープとパンを半分ほど腹に収め、数日間眠ってばかりだった体を洗おうと湯あみを所望する。用意はすぐにされて、侍女二人がついて、湯あみを行った。

「あっ……そうだ……」

 手首につけたブレスレットに気付いて、そうだ、鍵を探さなければと思う。侍女たちに「これは取れないのでこのままで」と言えば、みなは首を軽く傾げつつ「わかりました」と答える。

「ああ……」

 湯船に入れば、つい声が出てしまった。気付いて恥ずかしそうに口をつぐむ。それを侍女は「湯あみ出来るほど回復なさって、ようございました」と小さく微笑んだ。「そうだな」と返事をして、体を湯船に預けると、髪を丁寧に洗ってくれる。

「マリエン王国は、先に香油を髪に塗るんだな」

「はい。数回に一度、髪を守ってから洗うようにしております」

「そうか」

 それに、特に文句はない。ああ、いい香りだ……と香油の匂いを吸い込む。鼻孔をくすぐる柔らかな甘い香りに満たされた。そうだ。ここ最近、ずっと自分は毒の匂いを嗅ぎ分けようとそれだけに必死だったな……エレインは瞳を閉じる。

(大分、わたしも気が張り詰めていたのだろうな……前線に出たころは、一日も気を緩めることが出来ずにいた。その当時を思えば、この程度の日数で、こんなにまいってしまうとは)

 自分はどれだけ弱くなったのか、と苦々しく思う。だが、仕方がない。ここはもう自分の国ではないのだし。そう言い訳をしながら、彼女は久しぶりに心からゆったりとした湯あみを行った。

 ガリアナ王国を出て、ようやく彼女は心から安堵の一日を過ごしたのだった。



「まあ、まあ、お美しい」

 湯あみ後に、室内着に着替えたエレインを、侍女たちはみな褒めたたえた。いささかそれはやりすぎではないかと当人は思ったが「ありがとう」と礼を言う。人々に仕えられる立場の者が礼を言うべきではないかもしれないが、気恥ずかしさについ口にしてしまう。

(そんなたいそうなドレスに着替えたわけでもないのに)

 エレインはあまりわかっていなかったが、彼女の赤毛はマリエン王国では「戦火の炎」と呼ばれる珍しい色――ガリアナ王国では珍しくもなんともないのだが――とされており、それを後ろに結い上げて、わざと毛先を散らせば、焔が揺れているように見えて「美しい」と好まれるのだと言う。おかげで、そう口を挟まない侍女たちが、みな一様に「美しい」と彼女を褒めたというわけだ。当人は「きっちりと結われない方が楽だな」と思っているぐらいで、特に何とも思っていないが。

 まだ毒が抜けきっていない体をいたわって、少しゆったりとしたドレスを腰布で絞る。彼女は筋肉質ではあったが腰が細いため、ぱっと見た目ではゆったりしたドレスには見えない。侍女たちは口々に「お美しいです」「素敵です」と言いながら彼女の身支度を整えて「ごゆっくり」と部屋から出て行った。

(何がきっかけやらわからんが……嫌ではないな)

 マリエン王国に来てからというもの、ほとんど口を利かずに淡々と働く侍女ばかりだったので、その違いに驚く。エレインは静かな相手は嫌いではなかったが、正直なところこれぐらいがありがたい。あちらが口を開いてくれれば、こちらも何かがあれば声をかけやすくなると思う。そうだ。何事も良い方向へ考えなければ、と思いつつ、彼女はソファに座った。その直後、ドアをノックする音が響いた。

「誰だ?」

「わたしだ。アルフォンスだ」

 護衛騎士すら通さず、直接ドアを開けるアルフォンス。慌ててエレインはソファから腰をあげ、彼を迎えた。

「容態は……」

「あっ、はい。まだ少し解毒にかかるようですが、少し落ち着きました」

「……」

 なぜか彼は唇を半開きにしてエレインを見ている。何か言いたいのだろうか、と思って一瞬待ったが、彼は何も発さない。不思議に思いつつ、エレインは言葉を続けた。

「そうだ。離れの使用人を入れ替えていただき、まことにありがとうございます」

「あ、ああ、うん」

 ようやくアルフォンスは声を出す。一体どうしたのか、とエレインが引き続き彼をじっと見上げれば、彼もまた、彼女をじっと見つめる。

(見定められているのか?)

 目を合わせて、それから上から下までをじっと見られる。それは、既に死んでしまったクリスティアンと同じようであったが、嫌悪感を抱く目線ではないと思う。

「美しいな」

「えっ?」

「美しい、と言ったのだ」

「あ、ありがとうございます……」

 侍女たちに言われた時には感じなかったのに、彼に言われるとまた違う。エレインは頬を赤く染めて、困惑をした。と、廊下からドタバタと音が聞こえて

「アルフォンス様! お待ちください! もう~……!」

と、ランバルトが飛び込んでくる。相も変わらず、彼は「忙しそうだ」とこちらに思わせる。

「あっ、失礼いたします。もう、アルフォンス様、どうして待ってくださらなかったのですか。資料をご用意する間ぐらい、待っていただきたかったのですが!?」

「待ったら何か良いことがあるのか?」

「は……!? そういうことではございませんが……」

「そうだろう? エレイン嬢、少し話をしても良いかな」

「はい」

 エレインはくすっと微笑んでソファに座った。アルフォンスとランバルトも並んで向かい側のソファに座る。侍女に茶を頼もうかと思えば「不要だ」とアルフォンスがきっぱりと断る。その後に「あなたが飲みたければ、もちろんそれは自由に」と付け加えて。

 互いの間にある低いテーブルの上に、ランバルトは資料を広げて、それから顔をあげてエレインを見る。そこで、ようやく彼女の姿が彼の目にしっかりと映ったのか、ぱちぱちと瞬きをする。

「……おお、これは……」

「?」

「お美しい、いや、お美しいことは存じていましたが、いや、ええ……」

 もごもごと小声になるランバルトの足を、横に座っているアルフォンスが軽く蹴った。

「何をなさるんですか、もう……」

「言うなら言う。言わないなら言わないにしろ」

「ええ……? そのう、あれですね……少し、何と言いますか……エレイン様、少しは落ち着かれたのかな、と思います。表情が」

 と、おずおずと言うランバルトに、エレインは驚きの表情を見せた。

「そうでしょうか……ええ、そうですね……アルフォンス様には大変申し訳ないのですが、少し落ち着きました」

「何も申し訳なくない。兄上の側室になんざ、なりたいわけがないからな」

 アルフォンスはそう言って肩をすくめて見せる。それにどう反応してよいか悩んでいるエレインに、ランバルトは早速話を始めた。
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