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最終話:私の愛した氷の王子と、秘密の夜食のその先
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あの死闘のようなコンペから、一年が過ぎた。
私と月詠部長――ううん、今は怜さん、と呼んでいる――が率いたチームは、見事、外資系ブランド「アリュシオン」のコンペを勝ち抜いた。
会社の祝賀会が終わった夜、二人きりになった怜さんのマンションで、私たちは約束通りヒッチコックの映画の話をした。そして、彼は今まで見たことのないくらい真剣な顔で、私にこう言ったのだ。
「君がいないと、仕事も食事も、味気ない。私の人生に、君が必要だ。御厨さん……いや、奏」
あの瞬間から、私の人生の第二章は始まった。
氷の王子は、私だけの愛しい恋人になったのだ。
そして現在。冬の夜。
「かなで」
背後から、ふわりと優しい声と共に、心地よい重みがかかる。私の腰に回された腕は、かつて数多の企画書を容赦なく切り捨ててきた、あの人のものだ。
「もう、怜さん、危ないですよ。包丁使ってるんですから」
「……奏の匂いがするから、充電しにきた」
私の肩口に顔をうずめ、すりすりと甘える姿は、もはや「氷の王子」でも「鬼軍曹」でもない。私の前でだけ見せる、甘えん坊で少しだけ寂しがり屋な、大きな犬みたいだ。
「はいはい、充電完了。今日のメニューは、怜さんのリクエスト通り、鶏肉のクリームシチューですよ」
「……味見は?」
「まだ煮込んでる途中です」
「構わない。味見だ」
そう言って、怜さんは私の手からレードルを奪うと、スプーンでシチューをすくって「あーん」と口を開けて待っている。
一年前、会社でこの人のこんな姿を想像できた人がいただろうか。
私は「しょうがないなぁ」と笑いながら、熱くないようにふーふーと冷ましたシチューを、彼の口に運んであげた。
「……ん。世界で一番、美味しい」
「大袈裟ですよ」
「大袈裟ではない。事実だ」
満足そうに目を細める彼の左手の薬指には、私とお揃いの、シンプルなプラチナの指輪が光っている。
会社ではまだ秘密の関係だけど、この部屋に帰ってくれば、私たちはただの恋人同士だ。
「ねぇ、怜さん」
「なんだ?」
「最初の頃、私のことどう思ってました? やっぱり、ただの定時で帰りたいだけの部下だって?」
「……否定はしない」
少しばつが悪そうに言う彼が可愛くて、私はくすくすと笑ってしまう。
「私は、部長のこと、本気でサイボーグだと思ってましたよ。栄養ドリンクがエネルギー源の」
「……君のせいだ」
「え?」
「君が、あんなものを毎日持ってくるから。すっかり胃袋も心も掴まれて、君がいないと、もう生きていけない身体にされた」
真剣な顔で言うから、冗談なのか本気なのかわからない。でも、その言葉が、たまらなく嬉しい。
私は振り返り、彼の頬にそっとキスをした。
「私の『秘密の夜食作戦』、大成功でしたね」
「ああ、完敗だ。……だから、責任を取って、一生、私にご飯を作ってくれ」
「もちろん。その代わり、怜さんも、一生私のそばにいてくださいね」
食卓に、出来立てのシチューと温かいパンを並べる。
特別なご馳走ではない、ありふれた日常の夕食。けれど、愛しい人と「美味しいね」と笑い合いながら食べるこの時間が、何よりも尊い宝物だ。
「「いただきます」」
二人の声が、温かいリビングに優しく響く。
かつて私が始めた、一方的なお節介。それは、氷の王子の心を溶かし、私自身の人生をも変える、最高の魔法になった。
「これからも、ずっと一緒に美味しいものを食べましょうね、怜さん」
「ああ、約束だ、奏」
見つめ合うと、彼は優しく微笑んだ。
その笑顔は、もう二度と凍ることのない、私だけの、陽だまりの笑顔だった。
私と月詠部長――ううん、今は怜さん、と呼んでいる――が率いたチームは、見事、外資系ブランド「アリュシオン」のコンペを勝ち抜いた。
会社の祝賀会が終わった夜、二人きりになった怜さんのマンションで、私たちは約束通りヒッチコックの映画の話をした。そして、彼は今まで見たことのないくらい真剣な顔で、私にこう言ったのだ。
「君がいないと、仕事も食事も、味気ない。私の人生に、君が必要だ。御厨さん……いや、奏」
あの瞬間から、私の人生の第二章は始まった。
氷の王子は、私だけの愛しい恋人になったのだ。
そして現在。冬の夜。
「かなで」
背後から、ふわりと優しい声と共に、心地よい重みがかかる。私の腰に回された腕は、かつて数多の企画書を容赦なく切り捨ててきた、あの人のものだ。
「もう、怜さん、危ないですよ。包丁使ってるんですから」
「……奏の匂いがするから、充電しにきた」
私の肩口に顔をうずめ、すりすりと甘える姿は、もはや「氷の王子」でも「鬼軍曹」でもない。私の前でだけ見せる、甘えん坊で少しだけ寂しがり屋な、大きな犬みたいだ。
「はいはい、充電完了。今日のメニューは、怜さんのリクエスト通り、鶏肉のクリームシチューですよ」
「……味見は?」
「まだ煮込んでる途中です」
「構わない。味見だ」
そう言って、怜さんは私の手からレードルを奪うと、スプーンでシチューをすくって「あーん」と口を開けて待っている。
一年前、会社でこの人のこんな姿を想像できた人がいただろうか。
私は「しょうがないなぁ」と笑いながら、熱くないようにふーふーと冷ましたシチューを、彼の口に運んであげた。
「……ん。世界で一番、美味しい」
「大袈裟ですよ」
「大袈裟ではない。事実だ」
満足そうに目を細める彼の左手の薬指には、私とお揃いの、シンプルなプラチナの指輪が光っている。
会社ではまだ秘密の関係だけど、この部屋に帰ってくれば、私たちはただの恋人同士だ。
「ねぇ、怜さん」
「なんだ?」
「最初の頃、私のことどう思ってました? やっぱり、ただの定時で帰りたいだけの部下だって?」
「……否定はしない」
少しばつが悪そうに言う彼が可愛くて、私はくすくすと笑ってしまう。
「私は、部長のこと、本気でサイボーグだと思ってましたよ。栄養ドリンクがエネルギー源の」
「……君のせいだ」
「え?」
「君が、あんなものを毎日持ってくるから。すっかり胃袋も心も掴まれて、君がいないと、もう生きていけない身体にされた」
真剣な顔で言うから、冗談なのか本気なのかわからない。でも、その言葉が、たまらなく嬉しい。
私は振り返り、彼の頬にそっとキスをした。
「私の『秘密の夜食作戦』、大成功でしたね」
「ああ、完敗だ。……だから、責任を取って、一生、私にご飯を作ってくれ」
「もちろん。その代わり、怜さんも、一生私のそばにいてくださいね」
食卓に、出来立てのシチューと温かいパンを並べる。
特別なご馳走ではない、ありふれた日常の夕食。けれど、愛しい人と「美味しいね」と笑い合いながら食べるこの時間が、何よりも尊い宝物だ。
「「いただきます」」
二人の声が、温かいリビングに優しく響く。
かつて私が始めた、一方的なお節介。それは、氷の王子の心を溶かし、私自身の人生をも変える、最高の魔法になった。
「これからも、ずっと一緒に美味しいものを食べましょうね、怜さん」
「ああ、約束だ、奏」
見つめ合うと、彼は優しく微笑んだ。
その笑顔は、もう二度と凍ることのない、私だけの、陽だまりの笑顔だった。
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フフフ🤭🤭もっと溺愛甘々イチャイチャみたいなあ〜
コメントありがとうございます(^^)♪拙作をお読みくださり、とても光栄です。溺愛甘々イチャイチャ…ご期待に添えた作品になれば良いのですが…💦のんびりとお待ちいただけたらなら幸いです💦