1 / 1
おめでとうが言えなくて
しおりを挟む帰宅早々、ぬるい風呂にゆっくり浸かって疲れを癒す。湯上がり口に含んだ冷たいビールが体に染み込んだ。
つまみに買った惣菜を食べながらテレビをぼんやり眺めていると、スマホが震える。
『松沢翔吾』
表示された名前に鼓動が早まった。
呼吸を整え、汗ばむ手で画面をタップする。開かれたメッセージウィンドウには可愛らしいスタンプ。そして一言。
『俺、結婚したよ!』
風呂上がりで暑いはずなのに、体の芯がすっと冷えていく。力が入らない。
ゆっくり画面から目を背けた。テレビの笑い声が聞こえるのに、遠くで響いていて現実感が薄れていく。
リモコンを手に取りテレビの電源を切ると、途端に部屋は静まり返った。
もう寝てしまおう、と思った。
残っているビールを一気に飲みほし、食べかけの食事を冷蔵庫に突っ込む。寝るために部屋の電気を消した。
パチリ、乾いた音が響く。
振り向くと、ベランダから月明かりが洩れている。
俺はなんでここに一人でいるんだろうか。
翔吾の笑顔がチラついた。遠い日のまだあどけなさが残る顔。
地元に残れば良かった。そうしたら、少しでも長く一緒に居れたのに。友達として、隣に居れたというのに。
どんな人が相手なんだ。また髪の長い人なんだろうか。きっと俺には見せない優しい眼差しをして、その手を取っているんだろう。
無理だ。
俺がどんなに望んでも一生手に入らない場所。そこで微笑む人間がいるなんて知りたくない。
テーブルにおきっぱなしのスマホをもう一度タップする。
翔吾から来た内容がまた表示された。
俺がこんなことを考えているなんて、思いもしないだろう。きっと俺なら心から祝ってくれると信じてるんだ。
その気持ちを裏切ってもいいのか。
俺は、翔吾が幸せな時に、祝いの言葉一つ言えない人間になっても本当にいいのか。
返信しなければ。せめて最後に祝って、もうお終いにしよう。
でも、なんて書けばいい?
震える指先で『良かったな』と、打とうとして取り消した。
そうじゃない。
わかっているのに、ちゃんと『おめでとう』と書かなければいけないのに、そんな些細なことができなかった。
書いては消してを繰り返し、やっと打った文面。今度は送る勇気がなくて、送信せずにスマホを消した。
疲れていたはずなのに、布団に潜り込んでも頭が冴えて眠れない。ぐるぐると同じ事ばかりがループする。時計を見るとまだ20時だった。
散歩でもしてこよう。もっと疲れたら多分眠れる。
のそりと重たい体持ち上げて、スウェットのまま貴重品だけ持って部屋を出た。
扉の外は生温い空気と、鈴虫の音だけが静かに響いている。薄暗い階段を降りると、人気のない歩道にぽっぽっと鈍い光の街灯が灯っていた。
街路樹を歩きながら、たまに通り過ぎる車のヘッドライトに何度も目を細める。ただ当てもなく道なりに歩いて少しでも遠くへ。
気がつくと、普段来ない場所まできていた。
水の匂いがする。そのまま足を進めると、住宅街を横断する川にたどり着いた。月が水面に揺らめいている。
橋に寄りかかって月を眺めていると、遠くで花火の音が聞こえた。見上げて見たけれど、ここからは何一つ見えない。
河川敷で友達みんなで見た花火大会。翔吾とは最初で最後の一緒の花火。狭いシートで肩がぶつかるほどの距離にいて、俺だけ一人でドキドキしてた。
ずっとこうしていられたらいいのに。
思い出すだけで息が詰まる。
俺は、翔吾の隣に俺以外の誰かがいることが嫌だった。そして今でも目を逸らし続けている。
スマホをもう一度立ち上げた。
『おめでとう!幸せになれよ!』
先程打って送れずに残った文面。
画面が滲んだ。
共にすごしたあの日々を、あの場所を、俺は今でも手放したくないくせに、なんでこんなにズルいんだろう。
震える指先が触れ、相手に送信された。
スマホの電源を落とす。
これでいい。これでいいんだ。うずくまって、何度も何度も繰り返す。
零れ落ちた雫が地面に吸い込まれて消えていった。
18
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
先輩のことが好きなのに、
未希かずは(Miki)
BL
生徒会長・鷹取要(たかとりかなめ)に憧れる上川陽汰(かみかわはるた)。密かに募る想いが通じて無事、恋人に。二人だけの秘密の恋は甘くて幸せ。だけど、少しずつ要との距離が開いていく。
何で? 先輩は僕のこと嫌いになったの?
切なさと純粋さが交錯する、青春の恋物語。
《美形✕平凡》のすれ違いの恋になります。
要(高3)生徒会長。スパダリだけど……。
陽汰(高2)書記。泣き虫だけど一生懸命。
夏目秋良(高2)副会長。陽汰の幼馴染。
5/30日に少しだけ順番を変えたりしました。内容は変わっていませんが、読み途中の方にはご迷惑をおかけしました。
【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜
キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。
モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。
このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。
「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」
恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。
甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。
全8話。
クズ彼氏にサヨナラして一途な攻めに告白される話
雨宮里玖
BL
密かに好きだった一条と成り行きで恋人同士になった真下。恋人になったはいいが、一条の態度は冷ややかで、真下は耐えきれずにこのことを塔矢に相談する。真下の事を一途に想っていた塔矢は一条に腹を立て、復讐を開始する——。
塔矢(21)攻。大学生&俳優業。一途に真下が好き。
真下(21)受。大学生。一条と恋人同士になるが早くも後悔。
一条廉(21)大学生。モテる。イケメン。真下のクズ彼氏。
僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ/Ⅱ
MITARASI_
BL
I
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。
「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。
揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。
不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。
すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。
切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。
Ⅱ
高校を卒業し、同じ大学へ進学した陸と颯馬。
別々の学部に進みながらも支え合い、やがて同棲を始めた二人は、通学の疲れや家事の分担といった小さな現実に向き合いながら、少しずつ【これから】を形にしていく。
未来の旅行を計画し、バイトを始め、日常を重ねていく日々。
恋人として選び合った関係は、穏やかに、けれど確かに深まっていく。
そんな中、陸の前に思いがけない再会をする。
過去と現在が交差するその瞬間が、二人の日常に小さな影を落としていく。
不安も、すれ違いも、言葉にできない想いも抱えながら。
それでも陸と颯馬は、互いの手を離さずに進もうとする。
高校編のその先を描く大学生活編。
選び続けることの意味を問いかける、二人の新たな物語。
続編執筆中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる