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第4部 グランダ魔道学院対抗戦
第84話 翔べ!ラウレス
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ラウレスは決心した。必ず、「神竜の息吹」で予約のお客さまの前で鉄板焼きを供せねばならぬと、決意した。ラウレスには学校対抗戦の重要さなどがわからぬ。ラウレスは、古竜である。人に交じり、人間の女の子と遊んで暮して来た。けれども料理に対しては、人一倍に味に敏感であった。ラウレスはランゴバルドを出発し、野を越え山越え、人の足なら十日はかかるこのグランダの王都にやって来た。ラウレスには地位も、財産も無い。番もいない。根は根暗な一人暮しだ。友人と言えるのはルトという少年だけである。今は彼とともに此のグランダの王都にきている。だが、どうも話がかわってきている。
学校対抗戦には、もう既に勝ち目もなさそうで、みなの顔色が暗いのは当りまえだが、けれども、そのせいばかりでは無く、ルトがなにやら悩んでいるようなのだ。のんきなラウレスも、だんだん不安になって来た。宿であった若い衆をつかまえて、何かあったのか、このまえに打ち合わせたときは、たとえ負けても、学校名がひろまれば、それでよいとみなは賑やかであったはずだが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いてロウにあい、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。ロウは答えなかった。ラウレスは両手でロウのからだをゆすぶって質問を重ねた。ロウは、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「ルトは、魔道院チームを闇討ちする気らしい。」
「なぜそんな無茶を。」
「このままだと全敗する、というのだけど、別にそれでもかまわない気もするんだけど。」
「全員やるつもりなのか。」
「そうだな、はじめは前王の后さまを。それから、あいつにとっては義母となるはずのアウデリアを。それから、妹のような存在だったヨウィスを。」
「おどろいた。ルトは乱心か。」
「いや乱心ではないさ。ほかに方法がない、というんだよ。」
聞いて、ラウレスは激怒した。
「あきれたな。」
そのままラウレスは、ルトのもとをたずねた。
「このまま、ランゴバルドに帰らせてください。」
ラウレスは悪びれずに言った。
「なんで。」
ルトは憐れむように笑った。
「だって、もうわたしはいなくていいじゃないですか。」とラウレスは、いきり立って反論した。
「魔王宮の古竜にはどうあがいたって勝てそうもないし。」
「それについては、ちょっと考えがあるんだ。」
「ああ、ルトは頭がいい。わたしはたとえ敵わなくても、ちゃんと戦う覚悟はあるのに。逃げるわけではない。」と言いかけて、ラウレスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、わたしに情をかけたいつもりなら、一時ランゴバルドに帰してほしい。予約をいただいたお客さまに、鉄板焼きを食べさせたい。必ず、試合までにここへ帰って来ます。」
「やめといたら。」と少年は、低く笑った。「逃げた蜥蜴が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」ラウレスは必死で言い張った。「わたしは約束を守ります。メイリュウとリンクスがわたしが鉄板焼きをしに戻ってくるのを待っているんです。」
ルトはそれを聞いて、頭をかかえた。かんべんしてくれ。
竜にとってはひととびの距離でもアクシデントはありうる。万が一にも不戦敗などあってはならない。
「はは。まさか、戦うのが怖いから、わざとおくれて戻ってこようとか。」
ラスレスは口惜しく、歯噛みした。ものも言いたくなくなった。
ラウレスは、すぐに出発した。通いなれた道である。雲を眺めながらラウレスは飛んだ。
着いたころには、店はすでに、夕刻の仕込みをはじめていた。メイリュウもリンクスも忙しく働いていた。ラウレスの、顔色がよくないのに驚いた。そうして、うるさくラウレスに質問を浴びせた。
「なんでも無い。」ラウレスは無理に笑おうと努めた。「グランダに用事を残して来た。またすぐ王都に行かなければなりません。あす、鉄板焼きの予約は予定通りに。なにも問題ありません。」
メイリュウは怪訝そうな顔をした。
予約の客は、予定通りにやってきた。途中の口直しのスフレを焼いている最中に黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。
鉄板焼きを楽しんでいたお客たちは、これは困ったなとは言ったが、なに泊まっていけばよかろうと、店の中で、陽気に歌をうたい、手を打った。ラウレスも楽しみお客の姿に喜色をたたえ、しばらくは、ルトとのあの約束をさえ忘れていた。鉄板焼きのフルコースは、メインディッシュの肉料理に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。ラウレスは、一生このままここにいたい、と思った。この「神竜の息吹」で生涯料理人として暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。ラウレスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの試合開始までには、まだ十分の時が在る。
仮眠から眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。ラウレスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、試合開始の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、ルトに、育ち過ぎの蜥蜴にも誇りも気概もあるところを見せてやろう。そうして笑って対戦相手の前で散ってやる。ラウレスは、悠々と身仕度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。ランゴバルドから十分離れるとぶるんと両腕を大きく振って、雨中、雄叫びをあげて飛びたった。
わたしは、今日、殺される。殺される為に飛ぶのだ。飛ばねばならぬ。そうして、わたしは殺される。名誉はとっくに失われた。さらば、ランゴバルド。黒竜ラウレスは、つらかった。飛ぶのをやめたくなるのを叫びをあげて身を叱りながら走った。丘を越え、野を横切り、森をくぐり抜け、山を超える頃には、雨はやんで、日は高く昇って。ラウレスはここまで来れば大丈夫、もはやグランダまではもう一息だ。鉄板焼きのレシピは、リンクスに渡してある。メイリュウは、きっと立派な女将になるだろう。わたしには、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに試合会場に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり飛ぼうか、と持ちまえのいい加減さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。クロム山脈を越えた頃、降ってわいた災難、ラウレスは、はたと、とまった。見よ、前方の黒雲を。雨はとっくに止んだはずなのに、渦をまく黒雲のなかに紫の雷鳴が光っている。嵐竜だ。ついに知性を獲得しないままに年を経た竜は、単純な戦闘力ならば古竜をも上回る。
「待て。」
そう言ったが、言葉など通じるものではない。
雷雲の中から、紫電のブレスが発射された。ラウレスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く黒雲の中に飛び込むと、嵐竜の本体をみつけ、「気の毒だがわたしのためだ!」と猛然一撃、たちまち、嵐竜を尻尾ではたきおとし、ひるんだすきに、さっさと飛んで山を超えた。流石にに疲労し、速度が落ちたところを後方から紫電のブレスがまともに、かっと照って来て、ラウレスの身体を打ち据えた。これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三里飛んでついに、地表に落ちた。起き上がる事が出来ぬのだ。上空で勝利の雄叫びをあげる嵐竜を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、翼を裂かれ、聖竜騎士団顧問は解任、人間の女の子の雷撃で失神し、リウのワンパンでのたうち回り、それでもここまでなんとか生きてきたラウレスよ。黒竜ラウレスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。でもまあ、知り合いはみんなそんなものか、やっぱりと納得はしてくれるだろう。だが友は、おまえを信じたばかりに、不戦敗という不名誉をえることになる。やっぱり蜥蜴はだめだなあ、思われる。
自分を叱ってみるのだが、体中に力がはいらない、もはや蜥蜴ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと竜の姿のまま寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、彼にお似合いの不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。わたしは、一応は努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神竜リアモンドさまも照覧、わたしは精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで飛んできた。けれどもわたしは、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。わたしは、よくよく不幸な男だ。わたしは、きっと笑われる。というか、もう笑われている。ルトよ、ゆるしてくれ。君は、いちおうわたしを信じた。わたしたちは、いちおう友だち・・・でいいよな?
いまだって、きみはわたしを半笑いで待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、ルト。よくも私を信じてくれた。
ああ、でももうどうでもいいや。
四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。
ふと、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。近くに人の影がある。よろよろ首を起こしてみると、リアモンドさまがとてもいい笑顔でこちらを見つめていた。
「まあ、おまえにしてはよく頑張った。」地面が裂けて清水が湧き出て池をつくっている。ラウレスは池に頭を突っ込んで水を貪りのんだ。夢からたような気がした。飛べる。行こう。わずかながら希望が生れた。リアモンドさまが口利きをしてくれる希望である。日はまだ、午前の時間だ。試合開始にはだ間がある。わたしにはまっている人があるのだ。半笑いでとりあえず期待してくれているひとがいるのだ。わたしは、信じられている。命はむちゃくちゃ惜しいけれども、あいつらを怒らせたら死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。わたしは、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。飛べ!ラウレス。
わたしは古竜だ。黒竜ラウレスだ。先日からのボロ負け記録、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。ラウレス、おまえのせいではない。やはり、おまえは人間よりはるかに優れた存在、古竜だ。再び翼を広げて飛べるようになったではないか。ありがたい!
リアモンドさま。わたしはたしかに性癖が歪んだ馬鹿蜥蜴です。馬鹿な蜥蜴のままにして死なせて下さい。
雲を切り裂き、ラウレスは黒い風のように飛んだ。さすがに市街地へは人の姿になって入ったが、不吉な会話を小耳にはさんだ。「対戦相手が昨日から戻ってないらしいんだよ。」ああ、その試合のために私は、いまこんなに走っているのだ。その試合は流すわけにはいかぬ。急げ、ラウレス。おくれてはならぬ。風態なんかは、どうでもいい。ラウレスは、いまは、ほとんどボロボロであった。嵐竜のブレスでつけられた傷は人化したあとも呼吸も出来ないほど痛む。二度、三度、口から血が噴き出た。
「やあ、ラウレス。」楽しげな声が、風と共に聞えた。
「誰だ。」ラウレスは走りながら尋ねた。
「ロウだよ。ずいぶんとやられてるじゃないか。」美貌の真祖はメロスの脇を走りながら言った。
「そんな状態で戦うなんてもう、駄目だよ。あとはルトがなんか策を考えるから会場に行くのはもう辞めたら?」
「いや、まだ試合は始まらぬ。」
「そりりゃあ、きみがこないと始まらないからね。」
ロウは走りながら肩をすくめた。
「じつは、きみが飛び立ったあとの試合で、エミリアが勝ったんだよ。だからもうルトが怖がってた『全敗』はなくなったわけ。
無理にきみが来なくてもなんとかなる。」
「いや、これはわたしの試合だから。」ラウレスは胸の張り裂ける思いで、高く上がった太陽を見つめていた。走るより他は無い。
まさにそろそろ、グランダ魔道院の不戦勝が宣言されようとしたとき、ラウレスは疾風の如く試合会場にに突入した。間に合った。
「待て。いま、帰って来た。」と大声で会場の観客にむかって叫んだつもりであったが、のどがつぶれてしわがれた声がかすかに出たばかり、観客は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。ラウレスは観客をを掻きわけ、掻きわけ、やっと闘技場に降り立った。
ウィルニアと何やら相談中のルトの足元に土下座する。
「ルト。」ラウレスは眼に涙を浮べて言った。「わたしを殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。わたしは、途中で一度、悪い夢を見た。殴れ。」
ルトは、すべてを察した様子で頷き、軽くラウレスの腹にパンチを入れた。体の中に、竜鱗の防御の効かない振動が駆け巡り、ラウレスは七転八倒した。ルトは殴ってから優しく微笑み、
「ラウレスが無事到着したのなら、不戦敗を受け入れる必要はないですね。やりましょう。」と言った。
「しかし、その状態で戦うなど」さすがのウィルニアも眉を顰めた。「なんか、きみがとどめ刺してるし。うちのラスティって物凄く強いよ。」
「試合はこっちで決めてよかったですよね。」
「まあ、そういう約束だから。」
「なら、対抗戦第三試合は」
ルトは、全員の観客からの視線を浴びて楽しげに宣言した。
「料理対決です!」
学校対抗戦には、もう既に勝ち目もなさそうで、みなの顔色が暗いのは当りまえだが、けれども、そのせいばかりでは無く、ルトがなにやら悩んでいるようなのだ。のんきなラウレスも、だんだん不安になって来た。宿であった若い衆をつかまえて、何かあったのか、このまえに打ち合わせたときは、たとえ負けても、学校名がひろまれば、それでよいとみなは賑やかであったはずだが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いてロウにあい、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。ロウは答えなかった。ラウレスは両手でロウのからだをゆすぶって質問を重ねた。ロウは、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「ルトは、魔道院チームを闇討ちする気らしい。」
「なぜそんな無茶を。」
「このままだと全敗する、というのだけど、別にそれでもかまわない気もするんだけど。」
「全員やるつもりなのか。」
「そうだな、はじめは前王の后さまを。それから、あいつにとっては義母となるはずのアウデリアを。それから、妹のような存在だったヨウィスを。」
「おどろいた。ルトは乱心か。」
「いや乱心ではないさ。ほかに方法がない、というんだよ。」
聞いて、ラウレスは激怒した。
「あきれたな。」
そのままラウレスは、ルトのもとをたずねた。
「このまま、ランゴバルドに帰らせてください。」
ラウレスは悪びれずに言った。
「なんで。」
ルトは憐れむように笑った。
「だって、もうわたしはいなくていいじゃないですか。」とラウレスは、いきり立って反論した。
「魔王宮の古竜にはどうあがいたって勝てそうもないし。」
「それについては、ちょっと考えがあるんだ。」
「ああ、ルトは頭がいい。わたしはたとえ敵わなくても、ちゃんと戦う覚悟はあるのに。逃げるわけではない。」と言いかけて、ラウレスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、わたしに情をかけたいつもりなら、一時ランゴバルドに帰してほしい。予約をいただいたお客さまに、鉄板焼きを食べさせたい。必ず、試合までにここへ帰って来ます。」
「やめといたら。」と少年は、低く笑った。「逃げた蜥蜴が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」ラウレスは必死で言い張った。「わたしは約束を守ります。メイリュウとリンクスがわたしが鉄板焼きをしに戻ってくるのを待っているんです。」
ルトはそれを聞いて、頭をかかえた。かんべんしてくれ。
竜にとってはひととびの距離でもアクシデントはありうる。万が一にも不戦敗などあってはならない。
「はは。まさか、戦うのが怖いから、わざとおくれて戻ってこようとか。」
ラスレスは口惜しく、歯噛みした。ものも言いたくなくなった。
ラウレスは、すぐに出発した。通いなれた道である。雲を眺めながらラウレスは飛んだ。
着いたころには、店はすでに、夕刻の仕込みをはじめていた。メイリュウもリンクスも忙しく働いていた。ラウレスの、顔色がよくないのに驚いた。そうして、うるさくラウレスに質問を浴びせた。
「なんでも無い。」ラウレスは無理に笑おうと努めた。「グランダに用事を残して来た。またすぐ王都に行かなければなりません。あす、鉄板焼きの予約は予定通りに。なにも問題ありません。」
メイリュウは怪訝そうな顔をした。
予約の客は、予定通りにやってきた。途中の口直しのスフレを焼いている最中に黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。
鉄板焼きを楽しんでいたお客たちは、これは困ったなとは言ったが、なに泊まっていけばよかろうと、店の中で、陽気に歌をうたい、手を打った。ラウレスも楽しみお客の姿に喜色をたたえ、しばらくは、ルトとのあの約束をさえ忘れていた。鉄板焼きのフルコースは、メインディッシュの肉料理に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。ラウレスは、一生このままここにいたい、と思った。この「神竜の息吹」で生涯料理人として暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。ラウレスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの試合開始までには、まだ十分の時が在る。
仮眠から眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。ラウレスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、試合開始の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、ルトに、育ち過ぎの蜥蜴にも誇りも気概もあるところを見せてやろう。そうして笑って対戦相手の前で散ってやる。ラウレスは、悠々と身仕度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。ランゴバルドから十分離れるとぶるんと両腕を大きく振って、雨中、雄叫びをあげて飛びたった。
わたしは、今日、殺される。殺される為に飛ぶのだ。飛ばねばならぬ。そうして、わたしは殺される。名誉はとっくに失われた。さらば、ランゴバルド。黒竜ラウレスは、つらかった。飛ぶのをやめたくなるのを叫びをあげて身を叱りながら走った。丘を越え、野を横切り、森をくぐり抜け、山を超える頃には、雨はやんで、日は高く昇って。ラウレスはここまで来れば大丈夫、もはやグランダまではもう一息だ。鉄板焼きのレシピは、リンクスに渡してある。メイリュウは、きっと立派な女将になるだろう。わたしには、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに試合会場に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり飛ぼうか、と持ちまえのいい加減さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。クロム山脈を越えた頃、降ってわいた災難、ラウレスは、はたと、とまった。見よ、前方の黒雲を。雨はとっくに止んだはずなのに、渦をまく黒雲のなかに紫の雷鳴が光っている。嵐竜だ。ついに知性を獲得しないままに年を経た竜は、単純な戦闘力ならば古竜をも上回る。
「待て。」
そう言ったが、言葉など通じるものではない。
雷雲の中から、紫電のブレスが発射された。ラウレスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く黒雲の中に飛び込むと、嵐竜の本体をみつけ、「気の毒だがわたしのためだ!」と猛然一撃、たちまち、嵐竜を尻尾ではたきおとし、ひるんだすきに、さっさと飛んで山を超えた。流石にに疲労し、速度が落ちたところを後方から紫電のブレスがまともに、かっと照って来て、ラウレスの身体を打ち据えた。これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三里飛んでついに、地表に落ちた。起き上がる事が出来ぬのだ。上空で勝利の雄叫びをあげる嵐竜を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、翼を裂かれ、聖竜騎士団顧問は解任、人間の女の子の雷撃で失神し、リウのワンパンでのたうち回り、それでもここまでなんとか生きてきたラウレスよ。黒竜ラウレスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。でもまあ、知り合いはみんなそんなものか、やっぱりと納得はしてくれるだろう。だが友は、おまえを信じたばかりに、不戦敗という不名誉をえることになる。やっぱり蜥蜴はだめだなあ、思われる。
自分を叱ってみるのだが、体中に力がはいらない、もはや蜥蜴ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと竜の姿のまま寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、彼にお似合いの不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。わたしは、一応は努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神竜リアモンドさまも照覧、わたしは精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで飛んできた。けれどもわたしは、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。わたしは、よくよく不幸な男だ。わたしは、きっと笑われる。というか、もう笑われている。ルトよ、ゆるしてくれ。君は、いちおうわたしを信じた。わたしたちは、いちおう友だち・・・でいいよな?
いまだって、きみはわたしを半笑いで待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、ルト。よくも私を信じてくれた。
ああ、でももうどうでもいいや。
四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。
ふと、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。近くに人の影がある。よろよろ首を起こしてみると、リアモンドさまがとてもいい笑顔でこちらを見つめていた。
「まあ、おまえにしてはよく頑張った。」地面が裂けて清水が湧き出て池をつくっている。ラウレスは池に頭を突っ込んで水を貪りのんだ。夢からたような気がした。飛べる。行こう。わずかながら希望が生れた。リアモンドさまが口利きをしてくれる希望である。日はまだ、午前の時間だ。試合開始にはだ間がある。わたしにはまっている人があるのだ。半笑いでとりあえず期待してくれているひとがいるのだ。わたしは、信じられている。命はむちゃくちゃ惜しいけれども、あいつらを怒らせたら死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。わたしは、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。飛べ!ラウレス。
わたしは古竜だ。黒竜ラウレスだ。先日からのボロ負け記録、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。ラウレス、おまえのせいではない。やはり、おまえは人間よりはるかに優れた存在、古竜だ。再び翼を広げて飛べるようになったではないか。ありがたい!
リアモンドさま。わたしはたしかに性癖が歪んだ馬鹿蜥蜴です。馬鹿な蜥蜴のままにして死なせて下さい。
雲を切り裂き、ラウレスは黒い風のように飛んだ。さすがに市街地へは人の姿になって入ったが、不吉な会話を小耳にはさんだ。「対戦相手が昨日から戻ってないらしいんだよ。」ああ、その試合のために私は、いまこんなに走っているのだ。その試合は流すわけにはいかぬ。急げ、ラウレス。おくれてはならぬ。風態なんかは、どうでもいい。ラウレスは、いまは、ほとんどボロボロであった。嵐竜のブレスでつけられた傷は人化したあとも呼吸も出来ないほど痛む。二度、三度、口から血が噴き出た。
「やあ、ラウレス。」楽しげな声が、風と共に聞えた。
「誰だ。」ラウレスは走りながら尋ねた。
「ロウだよ。ずいぶんとやられてるじゃないか。」美貌の真祖はメロスの脇を走りながら言った。
「そんな状態で戦うなんてもう、駄目だよ。あとはルトがなんか策を考えるから会場に行くのはもう辞めたら?」
「いや、まだ試合は始まらぬ。」
「そりりゃあ、きみがこないと始まらないからね。」
ロウは走りながら肩をすくめた。
「じつは、きみが飛び立ったあとの試合で、エミリアが勝ったんだよ。だからもうルトが怖がってた『全敗』はなくなったわけ。
無理にきみが来なくてもなんとかなる。」
「いや、これはわたしの試合だから。」ラウレスは胸の張り裂ける思いで、高く上がった太陽を見つめていた。走るより他は無い。
まさにそろそろ、グランダ魔道院の不戦勝が宣言されようとしたとき、ラウレスは疾風の如く試合会場にに突入した。間に合った。
「待て。いま、帰って来た。」と大声で会場の観客にむかって叫んだつもりであったが、のどがつぶれてしわがれた声がかすかに出たばかり、観客は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。ラウレスは観客をを掻きわけ、掻きわけ、やっと闘技場に降り立った。
ウィルニアと何やら相談中のルトの足元に土下座する。
「ルト。」ラウレスは眼に涙を浮べて言った。「わたしを殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。わたしは、途中で一度、悪い夢を見た。殴れ。」
ルトは、すべてを察した様子で頷き、軽くラウレスの腹にパンチを入れた。体の中に、竜鱗の防御の効かない振動が駆け巡り、ラウレスは七転八倒した。ルトは殴ってから優しく微笑み、
「ラウレスが無事到着したのなら、不戦敗を受け入れる必要はないですね。やりましょう。」と言った。
「しかし、その状態で戦うなど」さすがのウィルニアも眉を顰めた。「なんか、きみがとどめ刺してるし。うちのラスティって物凄く強いよ。」
「試合はこっちで決めてよかったですよね。」
「まあ、そういう約束だから。」
「なら、対抗戦第三試合は」
ルトは、全員の観客からの視線を浴びて楽しげに宣言した。
「料理対決です!」
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