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第二章 動く五月
20.デートに着ていく服を買いに行く服がない その1
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そんなこんなで、五限目と六限目の授業はほとんど頭に入ってこなかった。
代わりに頭の中にあったのは、天国のように美しい光景。そよ風に揺らぐ、得も言われぬほど美しいお花畑だ。
その状態は、放課後になっても変わらない。ともすればスキップしそうになる足と、ニヤニヤと弛んだ笑みを浮かべそうになる表情筋を必死で抑制し、無事に自宅に帰りつくことができた。
もちろん家には誰もいない。だから、玄関をくぐったあとは笑い放題だ。ついでに『歓喜の歌』を口ずさんでおく。歌詞は知らんからメロディーだけね。気分は年末だぜ。
そのままのテンションで階段を上がって、自分の部屋に入った。カバンをぽーいっと放り出して、制服を脱いでいたとき……。
とあることに気付いた俺は、ブレザーのボタンに手をかけたまま、ぴしりと硬直した。
脳内に咲き誇っていた色とりどりのお花が一瞬にして枯れ果て、絶望という名の荒野が広がっていく。
──どんな服を着ていけばいいんだ……?
あの大人っぽい先輩に釣り合うような服なんて、持ってないよ。
今日見せてもらった写真の中の先輩を思い出す。シンプルながらも、とてもオシャレな着こなしをしているように思えた。
途端、つい先日まで平気で着ていた、謎の英文字が書かれたTシャツがひどく恥ずかしくなった。昨年母ちゃんが買ってくれたものだ。
俺は、ロクに自分で服を選んだことがない。
せいぜいユニクロとかで、母ちゃんに「これはどう?」と聞かれた物の中から、色を選ぶくらいだ。しかも、無難な紺とか黒とかばっかり。
そういう無難なものを着ていけばいいんだろうけど、地味すぎて悪目立ちしないだろうか。
土曜日、待ち合わせ場所に現れた俺を見た先輩が、『ゴウくん、センスないなぁ。隣を歩くのが恥ずかしい。早く切り上げて帰ろう』なんて思ったらどうしよう。もう死ぬしかない。
優しい先輩は、そんなことおくびにも出さないだろうけど、それでもそんなこと絶対思われたくない。
『おいしいご飯を作る、しっかり者のゴウくん』のイメージを少しでも崩したくない。
さんざん迷った挙句、俺は付き合いの長い友人に助けを求めることにした。
***
「女子と出かけるときに着る服のアドバイスだと? 殺すぞ」
電話越しにとても温かい言葉をくれたのは、親友の桐ケ谷瑛士だった。
こいつとの付き合いは、小学校五年生のときからだ。同じクラスになったことが切っ掛けでよく遊ぶようになった。『お互い苗字にカタカナが入っているから』なんて、今思うとちょっと意味不明な理由で意気投合したっけかな。
「ふぇぇ。殺すなら、お出かけイベントが無事済んでからにしてくれよぅ」
情けない声で懇願すると、今度は舌打ちが聞こえた。
「……まぁいいや、とにかく俺の家に来いよ。兄貴のお下がりが余ってるから」
「おお、ありがたや瑛士様」
神仏に拝むように礼を言うと、スマホの向こうから「ったく」とまんざらでもなさそうな声がした。
「ですが瑛士様、わたくしはこれから、夕飯の買い出しに行かねばならないのです。水曜日でもよろしいでしょうか?」
「なんだそりゃ! ……相変わらずお前も主夫してんなぁ。わかった、じゃあ水曜、一緒に帰ろうぜ。で、ウチに来いよ」
「ははー、承知いたしました」
「そういうのはもういいから! じゃあな」
「うん……サンキュな」
礼を言って、俺は電話を切った。胸の中は感謝でいっぱいで、瑛士の家の方向に五体投地したい気分だ。
たぶん、事情を根掘り葉掘り聞かれるだろうけど、仕方ない。
俺はなんとしてでも、土曜日の『デート』を平穏無事に終わらせたい。先輩に、ほんの少しでもガッカリされたくないんだ。
***
瑛士は、いわゆる『お坊ちゃん』だ。なんたって、彼の親父さんは、地元企業の社長さんなのだから。
どんな会社なのかはさっぱりわからないけれど、国道沿いに『キリガヤ商事』という、なかなかオシャレな外装のビルが建っているのは知っている。
かといって瑛士は、『跡取り息子』というわけではないそうだ。超優秀な兄姉がいるから、そのどっちかが跡を継ぐんじゃね? とか言っている。
だからこそ、なのかは知らないが、フツーの公立学校に通い、俺みたいな庶民ともフツーに仲良くしている。なんだかんだ、フツーにいい奴なのだ。
同じ春山北高校に入学したはいいものの、クラスはきれいに分かれてしまった。
しかも俺は一組で奴は七組。使う男子トイレさえ別々。来年は同じクラスになれたらいいんだけれど。
「豪と一緒に帰るのも久しぶりだな」
水曜日、校門で待ち合わせて同じバスに乗る。
並んで帰ること自体は久しぶりでも、顔を合わせたのはたった数日ぶりだ。連休中の半分は、瑛士の家で遊んでいたんだから。
「そうだな、あれだけクラスが離れてると、意外とタイミングが合わないよな~」
俺はしみじみつぶやく。クラスでのぼっちは慣れたとはいえ、やっぱりちょっと人恋しかったりするのだ。
五つ目の停留所で下車し、角を二つ曲がると、ひときわ立派な家が見えてくる。高い壁にぐるりと囲まれ、庭の様子がまったく窺えない豪邸。
重厚な門扉はちょっとしたお城のようで、警備会社のシールがデデンと存在を主張している。
ここが瑛士の家。初めて遊びに来たときは、とんでもねぇ奴と友達になっちまったぜ、とビビったっけ。
門をくぐったあとも、初見ではだいぶ恐ろしい思いをする羽目になる。
二頭のゴツイ大型犬が庭に繋がれているからだ。顔なじみの俺に対しては尻尾を振ってくれるが、初対面の人間相手には殺意むき出しで吠え猛る。
懐かれているからといって迂闊に近寄ると、押し倒されて顔中をベロベロされるからとっても危険だ。
「お邪魔しま~す」
「ああ、いらっしゃい豪くん」
玄関で出迎えてくれた優しい風貌のおばさんは、瑛士のお母さんではなく、お手伝いさんだ。
……やっぱりよくよく考えると、瑛士と俺って、住む世界が違うよな。まぁいいけど。
代わりに頭の中にあったのは、天国のように美しい光景。そよ風に揺らぐ、得も言われぬほど美しいお花畑だ。
その状態は、放課後になっても変わらない。ともすればスキップしそうになる足と、ニヤニヤと弛んだ笑みを浮かべそうになる表情筋を必死で抑制し、無事に自宅に帰りつくことができた。
もちろん家には誰もいない。だから、玄関をくぐったあとは笑い放題だ。ついでに『歓喜の歌』を口ずさんでおく。歌詞は知らんからメロディーだけね。気分は年末だぜ。
そのままのテンションで階段を上がって、自分の部屋に入った。カバンをぽーいっと放り出して、制服を脱いでいたとき……。
とあることに気付いた俺は、ブレザーのボタンに手をかけたまま、ぴしりと硬直した。
脳内に咲き誇っていた色とりどりのお花が一瞬にして枯れ果て、絶望という名の荒野が広がっていく。
──どんな服を着ていけばいいんだ……?
あの大人っぽい先輩に釣り合うような服なんて、持ってないよ。
今日見せてもらった写真の中の先輩を思い出す。シンプルながらも、とてもオシャレな着こなしをしているように思えた。
途端、つい先日まで平気で着ていた、謎の英文字が書かれたTシャツがひどく恥ずかしくなった。昨年母ちゃんが買ってくれたものだ。
俺は、ロクに自分で服を選んだことがない。
せいぜいユニクロとかで、母ちゃんに「これはどう?」と聞かれた物の中から、色を選ぶくらいだ。しかも、無難な紺とか黒とかばっかり。
そういう無難なものを着ていけばいいんだろうけど、地味すぎて悪目立ちしないだろうか。
土曜日、待ち合わせ場所に現れた俺を見た先輩が、『ゴウくん、センスないなぁ。隣を歩くのが恥ずかしい。早く切り上げて帰ろう』なんて思ったらどうしよう。もう死ぬしかない。
優しい先輩は、そんなことおくびにも出さないだろうけど、それでもそんなこと絶対思われたくない。
『おいしいご飯を作る、しっかり者のゴウくん』のイメージを少しでも崩したくない。
さんざん迷った挙句、俺は付き合いの長い友人に助けを求めることにした。
***
「女子と出かけるときに着る服のアドバイスだと? 殺すぞ」
電話越しにとても温かい言葉をくれたのは、親友の桐ケ谷瑛士だった。
こいつとの付き合いは、小学校五年生のときからだ。同じクラスになったことが切っ掛けでよく遊ぶようになった。『お互い苗字にカタカナが入っているから』なんて、今思うとちょっと意味不明な理由で意気投合したっけかな。
「ふぇぇ。殺すなら、お出かけイベントが無事済んでからにしてくれよぅ」
情けない声で懇願すると、今度は舌打ちが聞こえた。
「……まぁいいや、とにかく俺の家に来いよ。兄貴のお下がりが余ってるから」
「おお、ありがたや瑛士様」
神仏に拝むように礼を言うと、スマホの向こうから「ったく」とまんざらでもなさそうな声がした。
「ですが瑛士様、わたくしはこれから、夕飯の買い出しに行かねばならないのです。水曜日でもよろしいでしょうか?」
「なんだそりゃ! ……相変わらずお前も主夫してんなぁ。わかった、じゃあ水曜、一緒に帰ろうぜ。で、ウチに来いよ」
「ははー、承知いたしました」
「そういうのはもういいから! じゃあな」
「うん……サンキュな」
礼を言って、俺は電話を切った。胸の中は感謝でいっぱいで、瑛士の家の方向に五体投地したい気分だ。
たぶん、事情を根掘り葉掘り聞かれるだろうけど、仕方ない。
俺はなんとしてでも、土曜日の『デート』を平穏無事に終わらせたい。先輩に、ほんの少しでもガッカリされたくないんだ。
***
瑛士は、いわゆる『お坊ちゃん』だ。なんたって、彼の親父さんは、地元企業の社長さんなのだから。
どんな会社なのかはさっぱりわからないけれど、国道沿いに『キリガヤ商事』という、なかなかオシャレな外装のビルが建っているのは知っている。
かといって瑛士は、『跡取り息子』というわけではないそうだ。超優秀な兄姉がいるから、そのどっちかが跡を継ぐんじゃね? とか言っている。
だからこそ、なのかは知らないが、フツーの公立学校に通い、俺みたいな庶民ともフツーに仲良くしている。なんだかんだ、フツーにいい奴なのだ。
同じ春山北高校に入学したはいいものの、クラスはきれいに分かれてしまった。
しかも俺は一組で奴は七組。使う男子トイレさえ別々。来年は同じクラスになれたらいいんだけれど。
「豪と一緒に帰るのも久しぶりだな」
水曜日、校門で待ち合わせて同じバスに乗る。
並んで帰ること自体は久しぶりでも、顔を合わせたのはたった数日ぶりだ。連休中の半分は、瑛士の家で遊んでいたんだから。
「そうだな、あれだけクラスが離れてると、意外とタイミングが合わないよな~」
俺はしみじみつぶやく。クラスでのぼっちは慣れたとはいえ、やっぱりちょっと人恋しかったりするのだ。
五つ目の停留所で下車し、角を二つ曲がると、ひときわ立派な家が見えてくる。高い壁にぐるりと囲まれ、庭の様子がまったく窺えない豪邸。
重厚な門扉はちょっとしたお城のようで、警備会社のシールがデデンと存在を主張している。
ここが瑛士の家。初めて遊びに来たときは、とんでもねぇ奴と友達になっちまったぜ、とビビったっけ。
門をくぐったあとも、初見ではだいぶ恐ろしい思いをする羽目になる。
二頭のゴツイ大型犬が庭に繋がれているからだ。顔なじみの俺に対しては尻尾を振ってくれるが、初対面の人間相手には殺意むき出しで吠え猛る。
懐かれているからといって迂闊に近寄ると、押し倒されて顔中をベロベロされるからとっても危険だ。
「お邪魔しま~す」
「ああ、いらっしゃい豪くん」
玄関で出迎えてくれた優しい風貌のおばさんは、瑛士のお母さんではなく、お手伝いさんだ。
……やっぱりよくよく考えると、瑛士と俺って、住む世界が違うよな。まぁいいけど。
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