アルファ王子に嫌われるための十の方法

小池 月

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Ⅷ 消えた記憶

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ジャルル家の来客用大浴室にカロール殿下とリンで二人きり。リンは目を閉じたまま全てをカロール殿下に任せている。

「カロール殿下、聞いても良いですか?」
「うん。いいよ」

「僕の身体を洗うことまで、王太子殿下がしていいのでしょうか?」
「それが良いのだよ。リンの特権だ。俺はリンのためなら公務を放棄する」

「は、はぁ?」
驚いてリンは閉じていた目を開ける。すぐに大きな手がリンの目を覆う。

「リン、だーーめ。目は開けない約束」
「あの、公務は放棄しないでいただきたいです」

「あはは。分かっている。リンならそう言うよね。伯爵邸に寄って良かったよ。出会う前のリンに会えた気分だ。微笑ましくて嬉しい」
リンは洗い場の椅子に腰かけて目を閉じたまま首をかしげる。豊かな泡で全身を優しく洗われている。

「今の僕とカロール殿下の知る僕は、そんなに違いますか?」
「いや。根本は同じリンだから変わらないよ」

目を閉じているからカロール殿下の表情は分からない。でも声色で分かる。動揺を隠そうとしている。
「目を開けてはいけませんか?」
「うん。見ないで欲しい」

「何を見ないで欲しいのですか? 僕の背中には何があるのですか?」
「今は、言えない。いつかは言うから。俺のワガママかもしれない。でも、もう少しこのままではいけないだろうか?」

縋るようなカロール殿下の声にリンはそれ以上聞くことを止めた。「大丈夫です」と答えてカロール殿下に身を任せた。

 リンは目を閉じていたから入浴の全てをカロール殿下にしてもらっていても、さほど恥ずかしくは無かった。リンの身体に触れる大きな手を意識すると腰がモジモジして困った。そこも優しく慰めてもらった。見えない分、手の感覚がリアルだった。感覚が研ぎ澄まされて、カロール殿下の匂いが気持ち良かった。浴槽には抱き上げられて入った。カロール殿下の膝に乗せられると逞しい身体に包み込まれた。幸福感でそのままウトウトした。この感覚が懐かしい、そう思った。

温かい湯から出た時に夢から覚めたばかりのような浮遊感が残っていた。

 リンの身体を拭き上げて背中に塗り薬とガーゼを貼り、服を着せてくれた後、触れるだけのキスをする。このキスが『目を開けていいよ』の合図。リンが目を開けるとズボンしか着用していないカロール殿下と目が合う。

「のぼせた?」
「いえ」
「頬が少し赤い」
「それは、目の前にカロール殿下が上半身裸でいたら赤くもなります」
「少しはドキッとしてもらえたかな?」
リンの顔をカロール殿下が覗き込む。

湯上りでまだ水滴の残るカロール殿下の髪。何かを期待している顔。リンはクスクス笑ってカロール殿下の髪をタオルで拭く。
「わっ。やらなくていいよ、リン」
「いいえ。僕にもやらせてください。殿下は背がお高いですから、こちらの椅子に座ってください。今日は僕が殿下の髪を手入れします」
「へぇ、ちょっと楽しみだ」

カロール殿下が楽しそうに湯上り用のチェアに座る。リンは後ろに立って、リンがいつも使う髪オイルを少量つける。髪になじませて丁寧にタオルでパッティング。
「カロール殿下の髪の毛は金色で輝いています。カロール殿下そのものですね。もっと殿下が輝くようにオイルを使います」
「あぁ、この香りはリンの髪だ」
「当たりです。僕は黒髪がより輝くようにいつも手入れをしていますから」

「誰のために?」
「僕の記憶ではセレスのために使っていましたが、ここ一年はきっとカロール殿下のために美しくいる努力はしていたと思います」
「そうだね。リンは目標を決めて実行するのが良いところだよね」

「僕の事をよく分かっていらっしゃいます」
「そりゃ、その『実行力』にだいぶ楽しませてもらったからね」

リンは温風器でカロール殿下の髪の水分を飛ばしながらブローをする。梳かすごとにキラキラ輝く素敵な金髪。仕上がりにうっとりしてしまう。

「僕の実行力はどんなところで発揮されたのですか?」
「そうだな。城に来た頃は面白かったよ。俺に嫌われようと作戦を立てていて、隙を見て実行する真面目さが愛らしかった」
カロール殿下の発言に驚いてリンは髪を梳かす手を止める。

「はぁ? 僕はそんな失礼な事を?」
「いい。失礼ではなく楽しみだったから。次は何を考えるのだろう、何を仕掛けてくるかなってワクワクしていた。そうそう、俺のペットのフクロウとも仲良しになっているよ」

「ペットがいるのですね。ぜひ会いたいです。僕は動物が好きなのです」
「知っているよ。兎の赤ちゃんを一緒に愛でたこともあった」
「兎! わぁ、いいですね。可愛かっただろうな」

「うん。兎を恐る恐る手に乗せるリンは最高に愛らしかったよ」
「え? 僕じゃなくて兎が可愛いって話です」
「あはは。そうだね」

笑いながらカロール殿下が椅子から立ちリンの頭にキスを落とす。さらりと流れる髪が美しい。
「さて、果実水でも飲む? 明日はジャルル家から出立する予定だ。果実水は持っていこうか」
「ハチミツ入りの果実水を持っていきたいです。王都に行くのは初めてで緊張します」

「うん。でも、王都に行くのは中止しちゃおうかな。国内周遊でドーラをもてなしても良いのだけど」
「え? 王城で国王陛下と謁見していただくほうが良いのではないですか?」

「いや、そうなのだけど……。ちょっと他の不安材料が生まれてね」
「警備問題、ですか?」
「いやいや。そうじゃないのだけど……」
マリーに湯上りの果実水とカロール殿下へのワインを用意するよう依頼してリンの部屋に戻る。


 リンの部屋でソファーにくつろいで水分補給。
「カロール殿下はお酒が好きなのですね」
カロール殿下は白ワインを飲んでいる。

「いや。もともとそんなに飲まなかった。ここ半年、少し大変な事があってね。飲まずに居られなくなって」
悲しそうな顔を見てピンとくる。

「僕に関しての事ですか?」
リンの質問にワインを見つめて無言のカロール殿下。

「欲ってさ、嫌だね。権力に手を伸ばす欲が大嫌いだ。自分の手の届く範囲で幸福を掴めばいい。俺はそう思うけれど、届かないところに手を伸ばす者が多くて。そのために俺の大切にしている者を攻撃したバカがいて」

リンには分からない話に首をかしげる。

「俺が悪いのだけれど。貴族の権力争いは放っておけばいいと楽観していた俺の判断ミスだ。始めから俺が抑えておけば良かったのだ。そうすれば大切な者を苦しませずに済んだ。自分の不出来さが悔やまれて酒の量が増えた半年だな」

悲しそうに語りカロール殿下がグラスを空ける。ゆっくりグラスを空けるカロール殿下を見て切ない気持ちになる。何かリンにできる事はないのだろうか。寂しそうに空のグラスを見つめるカロール殿下から、グラスを受け取る。

「もう少し飲みますか? それとも果実水にしますか?」
「じゃ、もう一杯同じのをもらえる?」
「はい」
カロール殿下にワインを注いだグラスを渡す。するとリンがカロール殿下の膝の上に抱き込まれる。

「リン。少しだけ、こうしていて。もう二度と会えないと思った。王城に戻ったらリンが消えていて。あの時ほどの怒りを俺は知らない。あの時の絶望を、悲しみを、もう二度と味わいたくない」

苦しそうに言葉を出すカロール殿下。ワインを一気に飲み干す。ワイングラスをサイドテーブルに置く。膝の上のリンを見つめて優しく抱きしめるカロール殿下。徐々にカロール殿下の腕に力が入る。

「リン、愛している」
震える声を出すカロール殿下。大きなカロール殿下が小動物のように思える。リンは『この人を撫でて差し上げたい』と不思議な気持ちになっていた。

記憶にない一年の間にリンに何かあったのかもしれない。でもリンは大切に想われている。不安は消えないけれど『カロール殿下を抱きしめ返したい』と思うリンの気持は本物だ。リンは目の前の確かな事を信じてみようと心に決めた。

カロール殿下の腕の中でモゾモゾ動いて胴に腕を回す。よしよし、と撫でるように抱きしめ返す。密着した身体からカロール殿下がビクっと反応したのが分かる。

「今の僕にはよく分かりませんが、カロール殿下は前を向くほうが似合っています」
リンの言葉にカロール殿下が嗚咽を漏らした。すすり泣くカロール殿下を包みこむように抱きしめた。大きな人だな、としみじみ感じた。


 翌日午前。ジャルル家から出立。リンは初めての王都と国内周遊にウキウキしていた。田舎は好きだけれど伯爵領地以外を知ることが楽しみだ。
「行ってきます」
馬車近くまで送りに来てくれるリンの家族に声をかける。皆が笑顔で『行ってらっしゃい』と言ってくれると思っていたのに、思いがけず暗い顔の面々。

「リン、体調に気を付けて。リンは我が家の宝物だよ。どうか無事で」
悲しそうな顔の父がリンの頭をそっと撫でる。幼い頃のような扱いにリンは首をかしげる。

「さぁ、もう行こう」
父に声をかけようとしたけれど、カロール殿下にエスコートされて会話を遮られる。馬車に乗り、車窓を開けた時。

「リン! 我慢しなくていい! 戻ってくればいい! もうリンだけが辛く苦しいのは耐えられない! 爵位が下がってもいい! 王太子妃になどならなくても……」

悲鳴のような声を兄が上げる。リンは驚いて兄を見るが、カロール殿下が兄の声を遮るように「出立!」と指示を出す。窓から見ていると泣き叫ぶ兄を父が抑えている。母とマリーも泣いている。

「待ってください。カロール殿下、みんなが泣いています」
不安になって馬車を止めて欲しくなる。

「いや、見送りの涙だよ。大丈夫だよ」
寂しそうな笑顔を向けるカロール殿下が車窓を閉める。小さくなる兄たちをリンはガラス越しに眺める事しか出来なかった。失っている記憶に何が隠されているのか怖くなった。
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