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終章 最高の出会い
終章 2
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「そういえば、キールって……」
毬瑠子は思い出す。
初めてこの店に来た時に、毬瑠子にはノンアルコールの「偽キール」を作ってまで、マルセルは二人で「キール」で乾杯することに拘っていた。
それには、こんな理由があったのだ。
マルセルは薄く笑みを浮かべながら毬瑠子に視線を送り、話を続ける。
「それから理子は、ここの常連客になりました」
二人が付き合うようになるまでに、それほど時間はかからなかった。
一年半ほど経った頃、理子は新しい命を宿しているとマルセルに告げた。
バーの二階にあるマルセルの部屋で打ち明けられた時、マルセルは喜びと、そして焦燥感が芽生えた。
吸血鬼であることを、また理子に伝えていなかったのだ。
「わたしは、理子に隠していたことがあります」
「やだ、浮気でもしてた?」
理子は苦笑する。
告白が浮気だったなら、理子は水に流していたことだろう。
「わたしは……」
マルセルは言葉に詰まった。今までも何度も打ち明けようとして、こうして言い出せずにきたのだ。
「わたしは人間ではありません」
吸血鬼ですと、やっとの思いで理子に伝えた。いやな汗が全身から吹き出すようだった。
「なにをバカなことを言ってるの」
理子は本気にしなかった。当然だろう。
マルセルはその場で姿をコウモリに変じるなど、人外であることを可視化した。
呆然としていた理子は、状況がのみこめてきたようだ。
「私のお腹に、吸血鬼の子供がいるというのね」
しばらく黙っていたが、やがて理子はポツリとつぶやいた。
「わたしたちの子供です。わたしが何者であるかは関係ありません」
「それはあなたの言うべき言葉ではないわ」
理子の声は震えていた。芯の強さを表すような瞳は、戸惑いの色で塗りつぶされていた。
「私をだましていたのね」
「違います」
ただ、どうしても言葉にできなかったのだ。理子に嫌われるのが怖かった。
「理子は、わたしが人でなければ愛してくれないのですか」
マルセルはすがるような気持だった。理子の端正な顔が歪んだ。
「少し、考えさせて」
「理子……」
どこかで、すんなり受け入れてもらえるのではないかという甘い期待があった。しかし、現実はそう上手くは運ばなかった。
理子は帰ってしまった。
数日後、理子から店に電話が入った。
自分と生まれてくる子供に関わらないように。父親は死んだことにして、子供は人として育てていく。人あらざるものだと知れば子供が不幸になる。自分や子供を少しでも愛する気持ちがあるのなら、二度と近づかないでほしい。
子育ての援助もすべて断られ、携帯電話もつながらなくなってしまった。
マルセルは絶望した。数日前までは理子と愛し合っていたはずだ。違った選択をしていたら、理子や生まれてくる子供と生活する未来があったかもしれないのに。
マルセルは激しく後悔した。
それからマルセルは、こっそりと母子を見守っていた。生まれてきたのが可愛らしい女の子であることも、その子に理子が毬瑠子と名付けたことも知っていた。父親を恋しがる幼い毬瑠子に、駆けつけて抱きしめたくなるのをなんとか堪えた。
理子が事故で亡くなり、毬瑠子が天涯孤独となってしまったとき、父だと名乗り出るか悩み、結局は理子の意思を尊重した。人の子として生きたほうが、毬瑠子は幸せなのだと。
しかし、二十歳を前に吸血鬼として覚醒した毬瑠子を見て、マルセルは娘の前に姿を現した。毬瑠子に父だと名乗りを上げる口実ができたと喜びながら――。
「これが経緯のすべてです」
マルセルはそう締めくくった。
「あなたにも、つらい思いをさせてしまいました。申し訳ありません」
毬瑠子はゆっくりと首を横に振った。
確かに幼いころは父親が欲しいと思っていた。しかし理子は毬瑠子によく尽くしてくれたので、淋しい思いをしたことはなかった。
「母に父のことを尋ねると、素敵な人で、今でも大好きだと言っていたんです」
マルセルの瞳が大きく見開かれる。
「まさか……。それはきっと、自分の父親に悪いイメージを持たせないようにするための、理子の優しさだったのでしょう」
「いいえ、子供でもわかります。すごく愛おしそうに言っていたんです。母はマルセルさんのことが好きだったんだと思います」
マルセルは動揺している。
毬瑠子は思い出す。
初めてこの店に来た時に、毬瑠子にはノンアルコールの「偽キール」を作ってまで、マルセルは二人で「キール」で乾杯することに拘っていた。
それには、こんな理由があったのだ。
マルセルは薄く笑みを浮かべながら毬瑠子に視線を送り、話を続ける。
「それから理子は、ここの常連客になりました」
二人が付き合うようになるまでに、それほど時間はかからなかった。
一年半ほど経った頃、理子は新しい命を宿しているとマルセルに告げた。
バーの二階にあるマルセルの部屋で打ち明けられた時、マルセルは喜びと、そして焦燥感が芽生えた。
吸血鬼であることを、また理子に伝えていなかったのだ。
「わたしは、理子に隠していたことがあります」
「やだ、浮気でもしてた?」
理子は苦笑する。
告白が浮気だったなら、理子は水に流していたことだろう。
「わたしは……」
マルセルは言葉に詰まった。今までも何度も打ち明けようとして、こうして言い出せずにきたのだ。
「わたしは人間ではありません」
吸血鬼ですと、やっとの思いで理子に伝えた。いやな汗が全身から吹き出すようだった。
「なにをバカなことを言ってるの」
理子は本気にしなかった。当然だろう。
マルセルはその場で姿をコウモリに変じるなど、人外であることを可視化した。
呆然としていた理子は、状況がのみこめてきたようだ。
「私のお腹に、吸血鬼の子供がいるというのね」
しばらく黙っていたが、やがて理子はポツリとつぶやいた。
「わたしたちの子供です。わたしが何者であるかは関係ありません」
「それはあなたの言うべき言葉ではないわ」
理子の声は震えていた。芯の強さを表すような瞳は、戸惑いの色で塗りつぶされていた。
「私をだましていたのね」
「違います」
ただ、どうしても言葉にできなかったのだ。理子に嫌われるのが怖かった。
「理子は、わたしが人でなければ愛してくれないのですか」
マルセルはすがるような気持だった。理子の端正な顔が歪んだ。
「少し、考えさせて」
「理子……」
どこかで、すんなり受け入れてもらえるのではないかという甘い期待があった。しかし、現実はそう上手くは運ばなかった。
理子は帰ってしまった。
数日後、理子から店に電話が入った。
自分と生まれてくる子供に関わらないように。父親は死んだことにして、子供は人として育てていく。人あらざるものだと知れば子供が不幸になる。自分や子供を少しでも愛する気持ちがあるのなら、二度と近づかないでほしい。
子育ての援助もすべて断られ、携帯電話もつながらなくなってしまった。
マルセルは絶望した。数日前までは理子と愛し合っていたはずだ。違った選択をしていたら、理子や生まれてくる子供と生活する未来があったかもしれないのに。
マルセルは激しく後悔した。
それからマルセルは、こっそりと母子を見守っていた。生まれてきたのが可愛らしい女の子であることも、その子に理子が毬瑠子と名付けたことも知っていた。父親を恋しがる幼い毬瑠子に、駆けつけて抱きしめたくなるのをなんとか堪えた。
理子が事故で亡くなり、毬瑠子が天涯孤独となってしまったとき、父だと名乗り出るか悩み、結局は理子の意思を尊重した。人の子として生きたほうが、毬瑠子は幸せなのだと。
しかし、二十歳を前に吸血鬼として覚醒した毬瑠子を見て、マルセルは娘の前に姿を現した。毬瑠子に父だと名乗りを上げる口実ができたと喜びながら――。
「これが経緯のすべてです」
マルセルはそう締めくくった。
「あなたにも、つらい思いをさせてしまいました。申し訳ありません」
毬瑠子はゆっくりと首を横に振った。
確かに幼いころは父親が欲しいと思っていた。しかし理子は毬瑠子によく尽くしてくれたので、淋しい思いをしたことはなかった。
「母に父のことを尋ねると、素敵な人で、今でも大好きだと言っていたんです」
マルセルの瞳が大きく見開かれる。
「まさか……。それはきっと、自分の父親に悪いイメージを持たせないようにするための、理子の優しさだったのでしょう」
「いいえ、子供でもわかります。すごく愛おしそうに言っていたんです。母はマルセルさんのことが好きだったんだと思います」
マルセルは動揺している。
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