「おまえが泣いて嫌がっても、自由にしてやらないぜ。」~雷の絆・炎の約束 弐~

火威

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第二幕

「おまえが泣いて嫌がっても、自由にしてやらないぜ。」~雷の絆・炎の約束 弐~

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第二幕  (語り 雷火らいか

「今日は、山って字から教えるな。」
 火陽かようが、はりきって声を張り上げている。
「「「はーい。」」」
と、そろう声は、火陽のそれよりもさらに幼くて甲高い。
 ガリガリと、木の枝で地面を引っかく音。
「ほら、これが山。真ん中が高くって、本当の山みたいだろ?」
「ほんとだー!」
「すごいね、火陽おにいちゃん!」
 素直な感嘆の声に気をよくしたのか、火陽が照れくさそうに
「へへっ。」
と笑う。
「じゃあ、次は、川な。ほら、水が流れてるみたいだろー?」
「うーん、そうかなあ?」
「言われてみれば、そんな気もするー。」
 ガリガリガリガリ。ガキどもは小さい手にそれぞれ木の枝を握りしめて、地面にひたすら文字を書いていく。
 祟り神と呼ばれていた狼の化け物を倒し、この村に滞在して十日。
 火陽は、村のガキども(この村に来るきっかけになったガキもいる)に文字を教えている。そうは見えないことも多いが、あいつも一応貴族のはしくれだったから、文字は書ける。へったくそだが。
「ほら、村に世話になっているんだから、なんかお返ししたいじゃん。でも、オレができることって、あんまりないしさー。」
 と言っていた。
 確かに、あいつが他にできることは、陰陽師の術くらいだろう。そっちは、一朝一夕で身に付くものでもないから、短期間で教えて意味のあるものは文字だけだ。昨日で、かな文字は教え終わったらしく、今日から漢字を教えている。
 こんな山奥の村には、紙も筆も贅沢品だ。あいつらには寒いだろうに、外で地面に文字を書いている。
 鬼のオレの体は、人間よりもずっと頑丈で、暑さや寒さも、それほど堪えない。せまっ苦しいボロ屋にいるよりマシなので、木の上にいる。うっすらと山吹色を帯びた、冬の午後の日射しを浴びて。
 この村は、オレが見たところ、口減らしのためにガキを手にかけなきゃならねえほど貧しくはない。ガキを助けられた恩、祟り神を倒してもらった借りがあるとは言え、オレたちを一冬ここで過ごさせる余裕がある。感謝の気持ちがあったとしても、無い袖は振れない。
 今にも崩れそうなボロ屋(数年前に空き家になり、そのまま放置されていたという話だ。)とは言え、オレたちに気前よく貸せる程度には。
 まあ、それも、祟り神が消え、山に入れるようになったからだが。この山には、冬でも採れる山菜も自生しているし、木の実や薬になる草や葉も見かける。獣もそれなりにいる。
 それでも、ガキどもも、日がな一日遊びほうけているわけではなく、できる範囲で手伝いをした上で、自由になる時間で火陽に文字を習っている。
 火陽は、ガキどもになつかれて、楽しそうだ。あいつは、どこに行っても人に好かれる。京でも、きっと同じだっただろう。
「ねえねえ、火陽お兄ちゃん。じゃあ、漢字って、全部、物の形からできてるだか?」
「えっ!?ええっと…どうだったかな…?」
 得意そうに教えていた火陽の声が、急に小さくなった。どうやら、そこまでしっかり覚えていないらしい。
「うーん、えーと、えーと…。兄上に聞いたおぼえはあるんだけどなー。」
しばらくうなっていたと思ったら、火陽は、
「なあなあ雷火!」
と、オレのいる木の下まで駆け寄って来た。するするっと、器用に登り、オレの隣にちょこんと座って見上げてくる。でかい目だなといつも思う。星を浮かべた、というより、中で日輪が輝くような、うっとうしいくらいに陽の気に満ちた目だ。
「漢字ってどうやってできたんだっけー?オレ、物の形からってのしか、おぼえてないんだけどさあ。」
オレに訊いてきやがった。
「それだけじゃねえだろ。上とか下とか、形がねえのを表す字もあるだろ。二つ組み合わせるやつとか。」
 無視しても良かったが、オレも知らないと思われるのも癪だったので、そんなことも知らねえのか、と、馬鹿にした返しをしてやった。火陽は、気にした様子もなく、パッと表情を輝かせる。
「あ、そーか、そうだった!ありがとな、雷火!」
 それ以上、その無邪気な笑顔を見ているのが嫌だった。
 オレは、ひらりと跳び下りる。
「雷火!?」
 驚いた火陽が、オレに伸ばしてきた手が、空しく空を切るのが、視界の隅に映る。
「雷火!?おい、どこ行くんだよ!?」
 取り残されて、焦っている声。
「飯の調達。」
 ふり向きもしないで言う。
 村の連中は、一冬、オレたちの食い扶持も用意するつもりだったらしいが、施しを受けるつもりはない。山の獲物は、オレたち食いつなぐには十分足りている。
「あ、だったらオレも!」
「邪魔だ。」
 事実を端的に言い捨てると、
「そんなはっきり言わなくったっていいだろ!雷火の意地悪!」
 拗ねた声が背中にぶつかってくる。
 そうだな、と自分自身に醒めた目を向けた。
 こいつに優しくしてやるべきなんだろう。だが、オレは。
「ま、いーや!支度して待ってるから、気を付けて行って来いよ!」
 一瞬で機嫌を直した火陽の声に、オレは思わず振り向いていた。
 火陽は、それがよほど嬉しかったのか、満面の笑みで、大きく手を振る。
 オレが、それに何も返すことはないと、知っているだろう。どうして、おまえは。

「迅雷!」
 オレの落としたいかづちが、走る兎を直撃する。威力を最小限に搾り、炎もほとんど生じさせないようにしたので、外傷は、毛皮の一部が焼け焦げただけだ。しかし、一瞬で絶命はさせた。
 毛皮をほぼ無傷にしたのは、襟巻にでもなるかと思ったからだ。鬼のオレは平気だが、火陽には、寒さを防げるものがあった方がいいだろう。
 兎の血抜きをしようと、一歩近づき。
「誰だ。」
と、低く誰何の声を放った。木の影にひそんだ気配に向けて。
「すみません。邪魔をするつもりはなかったのです。」
 拍子抜けするほどあっさりと、気配の主は姿を現した。
 若い男だった。二十代半ばくらいか。まとっている着物は、地味な色合いの粗末な布で、抱えている籠も使い古した代物だ。麓の村の者だろうと一目でわかる。だが、今の言葉遣いは、村の者とは明らかに違う上に、訛りが全くなない。それに、ただ立っているだけで、どことなく品がある。そして、作り物かと目を疑うような美貌だった。
 抜けるように白い肌に、紅を刷いたように赤い唇。夜闇を切り取ってはめこんだかのような、黒々とした切れ長の瞳。背中にたらした髪はまっすぐで、濡れたような艶がある。それでいて、邪気とは無縁の清雅な気配だった。
 声を聞かなければ女かと思った。たおやかで線が細く、優しげというより儚げな、つまりは軟弱そうな男だった。
 外見に騙されるほど間抜けなつもりはないが、警戒を続けるのも馬鹿らしい。オレは、黙って、目の前の男を睨み据えた。
 男は、オレの視線にたじろいだように目を瞠ったが、すぐに柔らかな笑みをうかべた。
「ああ、申し訳ない。まだ、あなたの問いに答えていませんでしたね。私は、鬼灯ほおずきと申します。村に薬師として置いてもらっている者です。」
と、手にしていた籠の中身を見せてくる。ナンテンの赤い実や、ロウバイの黄色い蕾など、薬になる草や花、実が雑多に詰め込まれていた。
「置いてもらっている?」
 その物言いが引っかかった。
「はい。…とある理由で、京を追われてしまいまして。もともと典薬寮にいたのですが。」
と、目を伏せる。ということは、貴族のはしくれか。どうりで、ボロを着ていても、どっか上品なわけだ。貴族の政争なんて珍しくもない。典薬寮の役人が政治の中枢に関わっていたわけではないだろうから、大方、後ろ盾の貴族が失脚したとか、そんなところだろう。掃いて捨てるほどよくある話だ。
「藤丸を救った陰陽師の方が、村に滞在なさっているのは聞いておりました。先ほどのかみなりの術は、おそろしいほどの腕前でいらした。あなたは、京の陰陽師だったのではありませんか?」
 地方にも陰陽師はいるが、貴族なら、京の陰陽師が一番だと思うものだろう。ただ、オレは陰陽師でもなければ、人間でもないが。
「よろしければ、私の家においでいただけませんか?京が今どうなっているのかお聞かせ願いたいのです。」
 断る、とオレがはねつける前に。
「必要な薬があればお持ちください。」
と、鬼灯と名乗った男が声をすべりこませる。
 オレにそんなものは不要だ。だが。
 オレは舌打ちする。オレはいつの間に、火陽のために縛られることを是とするようになったのか。手足に、見えない枷をはめられた気分が不快だった。
 認めたくない、苦いものが口の中に広がっていくのを感じながら、男の言葉に頷いた。

 鬼灯の住む家は、村外れ…というより、ほとんど山の中と言った方がいい場所だった。
「薬草を取りにいくのに便利なので。村の人たちから避けられているというわけではありませんよ。皆様、元はよそ者の私にも、よくしてくださいます。誤解なさらないでくださいね。」
と、説明する。こっちは何も言っていないのに、思考を読まれているようで、若干不気味というか不愉快ではあるが、言葉に嘘はないだろう。薬の知識があるのだから重宝がられて当然だ。
「どうぞ。」
と差し出されたのは、干した杏に、蜂蜜をかけたものだった。火陽が大喜びしそうだなと思うが、手は出さない。
「ご遠慮なさらずに。」
と、重ねて言われ、皿を少し寄せられたが、無言で首をふる。『信頼できない相手から出された物に、その場で口をつけるのは愚かだよ。』何年も前に言われた言葉だ。あいつの言いなりになっているようで癪だが、もはや身に付いた習性だ。
 こいつから渡された薬も、少し試してみて、問題なければ使うつもりだ。
「そうですか。」
と、鬼灯は、それ以上は勧めてこない。話題を変えた。
「京はどんな様子ですか?」
「貴族はくだらない権力争いに明け暮れてる。おまえがいた頃と変わりないだろう?」
「ええ、そうですね…。」
 くくっと、鬼灯は喉の奥で嗤った。漆黒の瞳が、三日月の形に歪み、異様な光をこぼす。
(?)
 オレは、眉をひそめていた。
 何だ今のは。
 今までの善良そうな顔が嘘だったかのような。それだけ、己を追いやった相手を恨んでいるということか?
「本当に、人間などくだらない。考えることは、己の欲を満たすことばかり。平気で他者を裏切り、陥れ、踏みにじる。醜く愚かで浅ましい生き物…。」
 何かがおかしい、とオレの中で警鐘が鳴る。
 オレは、知っている。
 この底知れない憎悪を。
 オレはかつて、常に、肌で感じていた。
「あなたもそうお思いになりませんか?」
「っ!!」
 一瞬で、間合いを詰められていた。
 こんな身のこなしができるような奴には見えなかったのに。
 気が付いたら、濡れたように妖しく光る双眸が、すぐ間近に迫っている。
 まとう雰囲気が、変化していた。
 清廉さは欠片もない。ねっとりと絡みついてくるような妖艶さ。これは。
 オレは、ぎりっと奥歯をかみしめて、目の前の双眸を睨み返す。
 視線を反らさないまま、ゆっくりと立ち上がった。
 呑まれたら負けだと、本能で悟っていた。
「くだらない長話に付きあう気はない。帰る。」
「帰しません。」
 ゴウッ!!
 渦巻いたのは瘴気だった。
 深く暗い、濃い紫紺。幾重にも重なり合って吹き荒れ、どす黒いうねりと化す。
 何故人間が瘴気を、と思うより、叫ぶ方が速かった。
「爆雷!!」
 呼んだ雷が、屋根を突き破る。
 カッと蒼白い閃光。
 視界を焼く。
 いかづちが直撃し、瘴気が弾け飛ぶ。同時に、屋根の破片も四方八方に飛び散った。
 落雷の衝撃が、全てを薙ぎ倒し、木端微塵に粉砕する。
 壁が吹き飛び、小屋は崩壊した。
 一時的に目と耳が使い物にならなくなっていたが、突き刺さる風で、それくらいは容易くわかる。
 ザワザワと梢を揺らす真冬の烈風が、肌から熱をさらっていく。日が落ちる寸前。大気から日輪の温もりが失われる時間の冷たさだった。
 視界がもどると、案の定、西の空は赤銅色に燃えている。この季節特有の、限りなく赤に近い朱。ふだんは気にならないそれが、今日は不吉に見える。
 似ている。いや、あれはもっと、深く混じり気のない真紅で。
「凄まじい、素晴らしい力ですね。あなたがその気になれば、村一つ滅ぼし尽くすこともたやすいでしょうに。なぜ、これほどの力を持ちながら、たかが人間の童一匹に繋がれることを選んだのでしょうか。」
 背後から響いた声に、驚きはしなかった。
 あの程度でくたばる奴じゃないだろう。あれほどの瘴気をまき散らすなら。
「てめえ、何者だ。」
 ふり向かずに、低く問う。同時に、片方の拳を胸の前に引き寄せる。背後に立つ相手からは見えないように。
 唸り声にも、泣き声にも聞こえる風の音。それが吹き抜けるのに合わせて、「電撃」と小さく吐息だけで呟いた。拳がいかづちをまとう。
「無駄な問いですね。」
と、甘い声がささやいた。同時に、笑みの気配が伝わってくる。「知っているくせに。」と、赤い唇が官能的な弧を描くのが、見えた気がした。
 オレは、振り向きざま、「電撃」をまとった拳を叩きこめーなかった。
 まるで、オレの動きを予測していたかのように、手首がつかまれていた。
 骨が砕かれそうな力だった。見た目は細い、女みたいな指なのに、なんて力だと思う。
「痛いですか?」
 想像した通りに、唇の両端をつり上げた鬼灯が、ぎりぎりと力を込めてくる。
 だが甘い。
「電撃!!」
 左手にもいかづちを宿し、正面から顔に向かって殴りかかりーオレは舌打ちする羽目になる。
 左手首も捕えられた。
 オレを見下ろす漆黒の双眸が、ゆっくりと細められる。酷薄で嗜虐的で、それなのに熱を孕んだ眼差しだった。
 ふっと、甘い香りが漂った。たきしめた香なのか、頭の芯をしびれさせるような、滴り落ちる花蜜の匂い。
「やっとつかまえた。」
 口調が変わる。ああ、やはり、こいつは。
 オレが気づいたことに、気づいたのだろう。鬼灯と名乗った男は、笑みを深めた。吐き気がするほど艶めかしく、扇情的ですらあるのに、同時に子どものような無邪気さで笑う。
 両の手首を拘束されたまま、のしかかるように距離をつめてくる。
 ふっとかかる吐息は甘い。
「雷火。」
 名前を呼ばれた瞬間、体の芯が燃えた。
「狂雷!!」
 一瞬で、空が真っ黒になる。そこを、縦横無尽に雷が奔った。
 荒れ狂う電撃が降り注ぐ。豪雨のごとく。
 手首の拘束が緩んだ隙に、オレは男を振り払って駆け出す。
 だが、ほんの数歩の距離で追いつかれ、背後から抱きすくめられた。
 オレの体に回された腕には、ねっとりと濃い瘴気が絡みついている。
 全身に瘴気をまとい、それでオレの雷を防いだか。
 こいつなら、簡単だろう。
「迅。」
 雷を呼ぼうとした口を塞がれた。
 どんな労働もしたことがないかのような、滑らかですべらかな白い手。
 しかし、オレは怯まなかった。
 思い切り牙を突き立てる。
 肉を噛みちぎり、骨まで砕くつもりだった。一切の遠慮も手加減もしなかった。牙が折れても構わなかった。
 口の中に広がったのは、鉄臭い塩気を含んだ味ではなかった。
 何だこれは。
 甘い?
 そして、とっさに手を離すと思っていたのに、奴は全く逆の行動をとった。
 オレに食い破られた指を、オレの口の中に突っ込んでくる。
 何を。
「飲んだね、私の血を。」
 耳朶にふっと、笑みを含んだ声がかかる。
 体から力が抜けた。
 ずる、と地面に崩れ落ちる瞬間、男の腕に支えられる。
「てめえ。」
「窮地に陥っても、そんな目をする。変わらないね、雷火。」
 愉悦に蕩けるような笑みを浮かべ、男は笑う。ふふふふ、と肩を震わせて。
 その笑い声も、急速に遠のいて行く。
 地面に横たえられる感覚。手つきがひどく優しく繊細で、まるで壊れ物でも扱うかのようだった。
「次に目覚めた時、おまえは真の鬼になっている。おまえを縛るものを、おまえの手で引き裂いて、血塗れの手で、私の元に帰っておいで。これは、私がおまえにかける呪い。けして解けない永遠の呪縛。」
 謳うようにささやき、その気配が遠ざかる。オレは、力を振り絞って声を張り上げた。

「待て、待ちやがれ、酒呑童子ッ!!」

「やっと呼んでくれた。」
 口角を上げた満足そうな笑みを最後に映し、オレの視界が閉じていく。
 意識が闇に沈む寸前。
『雷火!!』
と、呼ばれた気がした。
 幼くて高い声。いつだって、日輪のように輝く瞳で、まっすぐにオレを見る。
 出会った時から。敵だった時から、ずっと。今も。
 火陽、と声にならない声で呼んだ。
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