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8章
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いつものブックカフェの奥のテーブル席。午後の柔らかい日差しが大きなガラス窓から差し込み、カフェの店内を優しく照らしている。店の中には数組のお客さんがいるものの、皆静かに読書や会話を楽しんでいて、落ち着いた雰囲気が漂っていた。
そんな穏やかな空間で、天野さんは珍しく困惑した表情を浮かべていた。眉間に縦じわを寄せ、時折首をかしげながら、じっと僕を見つめている。その様子があまりにも真剣で、僕は思わず口元が緩みそうになるのを必死に堪えていた。
天野さんがこんなに困った顔をするなんて、とても珍しい。普段はいつも余裕のある笑顔を浮かべているのに、今日は本当に戸惑っているようだ。その表情が少しおかしくて、でも同時に愛おしくて、僕の胸の奥が温かくなった。
「ねえ、黒澤くん」
天野さんがゆっくりと口を開いた。
「昨日の君の行動は、一体何だったの?」
僕はコーヒーカップを両手で包みながら、小さく首をかしげてみせた。
「……驚きましたか?」
「当然だよ!」
天野さんが声を上げて答えた。その勢いに、近くの席にいたお客さんがちらりとこちらを見る。天野さんは慌てて声のトーンを落とした。
「まさかあの場所に、君が来るなんて思わなかったよ」
昨日のことを思い返すと、確かに天野さんの驚きようは相当なものだった。
昨日、天野さんは某所でCDリリース記念の握手会を開催していた。それは予約限定版のCDを購入した人だけが応募できる抽選制のイベントで、倍率は数十倍とも言われるプレミアムなものだった。僕は天野さんには何も言わずに応募し、運良く当選したのだ。
握手会の会場は都心の大きなイベントホールで、何百人ものファンが詰めかけていた。スタッフの誘導で整然と列が作られ、会場全体が興奮と緊張に包まれている。天野さんは舞台上の特設ブースに座り、一人一人と握手を交わしていた。人気俳優らしく、プロフェッショナルな笑顔でファンと接している姿は、まさにスターそのものだった。
しかし、そんな彼のプロフェッショナルな顔は、僕の番が来た時に一瞬で失われた。目を見開き、口を半開きにして、彼は完全に固まってしまった。
『え……黒澤くん? 』
彼の困惑した声が、今でも耳に残っている。
「君にだったら、握手でもサインでも、なんだったらそれ以上のファンサービスだっていくらでもしてあげるのに。わざわざあんなところに来なくても……」
天野さんが少し拗ねたような表情で言った。
僕は静かに微笑んだ。
「だって、僕は貴方の恋人になっても、貴方のファンですから」
天野さんの目が丸くなった。
僕は深呼吸をした。もう逃げるのはやめよう。彼との関係を恐れて距離を置くのではなく、堂々と彼を応援したい。
「貴方を応援するのは……僕の権利です」
その言葉を聞いた瞬間、天野さんはカフェのテーブルに突っ伏してしまった。両手で顔を覆い、小さくうめき声のようなものを上げている。
「……ああ、オレの推しってば、めちゃくちゃカッコいい」
テーブルに顔を伏せたまま、天野さんが呟いた。
「好き……ますます好きになっちゃうでしょ、こんなの……」
僕は思わず小さく笑ってしまった。天野さんのこんな反応を見るのは初めてだった。いつもは僕の方が照れて困ってしまうのに、今日は立場が逆転している。
これからも僕は、こうやって彼のことを静かに応援し続けるのだろう。コンビニで働いていた時のように、握手会の列に並んだ時のように、そして今この瞬間のように。
ただ違うのは、もう遠くから見つめるだけじゃないということ。彼の隣にいて、彼の笑顔を一番近くで見ることができる。彼の困った顔も、照れた顔も、全部を間近で眺めることができる。
そんな信じられないような幸せな現実に、僕の心は満たされていた。
そんな穏やかな空間で、天野さんは珍しく困惑した表情を浮かべていた。眉間に縦じわを寄せ、時折首をかしげながら、じっと僕を見つめている。その様子があまりにも真剣で、僕は思わず口元が緩みそうになるのを必死に堪えていた。
天野さんがこんなに困った顔をするなんて、とても珍しい。普段はいつも余裕のある笑顔を浮かべているのに、今日は本当に戸惑っているようだ。その表情が少しおかしくて、でも同時に愛おしくて、僕の胸の奥が温かくなった。
「ねえ、黒澤くん」
天野さんがゆっくりと口を開いた。
「昨日の君の行動は、一体何だったの?」
僕はコーヒーカップを両手で包みながら、小さく首をかしげてみせた。
「……驚きましたか?」
「当然だよ!」
天野さんが声を上げて答えた。その勢いに、近くの席にいたお客さんがちらりとこちらを見る。天野さんは慌てて声のトーンを落とした。
「まさかあの場所に、君が来るなんて思わなかったよ」
昨日のことを思い返すと、確かに天野さんの驚きようは相当なものだった。
昨日、天野さんは某所でCDリリース記念の握手会を開催していた。それは予約限定版のCDを購入した人だけが応募できる抽選制のイベントで、倍率は数十倍とも言われるプレミアムなものだった。僕は天野さんには何も言わずに応募し、運良く当選したのだ。
握手会の会場は都心の大きなイベントホールで、何百人ものファンが詰めかけていた。スタッフの誘導で整然と列が作られ、会場全体が興奮と緊張に包まれている。天野さんは舞台上の特設ブースに座り、一人一人と握手を交わしていた。人気俳優らしく、プロフェッショナルな笑顔でファンと接している姿は、まさにスターそのものだった。
しかし、そんな彼のプロフェッショナルな顔は、僕の番が来た時に一瞬で失われた。目を見開き、口を半開きにして、彼は完全に固まってしまった。
『え……黒澤くん? 』
彼の困惑した声が、今でも耳に残っている。
「君にだったら、握手でもサインでも、なんだったらそれ以上のファンサービスだっていくらでもしてあげるのに。わざわざあんなところに来なくても……」
天野さんが少し拗ねたような表情で言った。
僕は静かに微笑んだ。
「だって、僕は貴方の恋人になっても、貴方のファンですから」
天野さんの目が丸くなった。
僕は深呼吸をした。もう逃げるのはやめよう。彼との関係を恐れて距離を置くのではなく、堂々と彼を応援したい。
「貴方を応援するのは……僕の権利です」
その言葉を聞いた瞬間、天野さんはカフェのテーブルに突っ伏してしまった。両手で顔を覆い、小さくうめき声のようなものを上げている。
「……ああ、オレの推しってば、めちゃくちゃカッコいい」
テーブルに顔を伏せたまま、天野さんが呟いた。
「好き……ますます好きになっちゃうでしょ、こんなの……」
僕は思わず小さく笑ってしまった。天野さんのこんな反応を見るのは初めてだった。いつもは僕の方が照れて困ってしまうのに、今日は立場が逆転している。
これからも僕は、こうやって彼のことを静かに応援し続けるのだろう。コンビニで働いていた時のように、握手会の列に並んだ時のように、そして今この瞬間のように。
ただ違うのは、もう遠くから見つめるだけじゃないということ。彼の隣にいて、彼の笑顔を一番近くで見ることができる。彼の困った顔も、照れた顔も、全部を間近で眺めることができる。
そんな信じられないような幸せな現実に、僕の心は満たされていた。
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