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第2話 家の事情
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今、シメオン様から結婚してほしいと言われた……ような?
まじまじと見つめると、シメオン様は首に手を当てて少し怯んだような、照れくさそうな表情を浮かべた。
「やはり素面で言うとなると気恥ずかしいな」
――あ。ああ、何だ。どこかのご令嬢に求婚するために気持ちを落ち着かせる薬を頂きたいと、おっしゃったに違いない。私に結婚を申し込んでいるとか、とんでもないことだ。妄想にも程がある。取り乱して大失態を犯すところだった。
背中に冷たい汗が伝う。
「エリーゼさん?」
「失礼いたしました。シメオン様、安定剤がご入り用でしょうか」
私を頼ってくださったのを嬉しくも、苦い思いもしながら提案する。
「私は別におかしくなったつもりはないが」
シメオン様が困ったように笑うそのお姿も麗しいと、つい見とれそうになる自分を叱咤した。
「いえ。あくまでも気持ちを落ち着かせるためのもので、精神がおかしくなったと申し上げているわけではありません」
「気持ちは固まっているし、落ち着いてもいる」
「ではなぜお薬をご所望なのですか?」
「薬はご所望していないな」
苦笑いするシメオン様に、ようやく話がかみ合っていないことに気付く。
「申し訳ございません。何か聞き違えていたようです。恐れ入りますが、先ほどは何とおっしゃいましたか?」
「私と結婚していただけませんか、と」
「ああ、そうですか。やはりそうおっしゃいまし――どういう意味ですか!?」
思わず身を乗り出して尋ねてしまう。
「つまり私はあなたに求婚している」
「きゅ、きゅうこん?」
「そう。私の妻になってほしいということだ」
言葉を理解していないと思われたのかもしれない。あるいは私がまた勘違いしないようにと思われたのかもしれない。シメオン様は畳みかけるように続けた。
「私は昔から薬が効きにくい体質でね。街での評判を聞きつけてやって来たのがあなたの店だった。評判通りあなたの薬はよく効いて、通い詰めている内にあなたの真摯な対応と、私の快復を自分のことのように喜んでくれる姿に好感を抱くようになったんだ」
真っすぐ見つめてくるシメオン様に私の頬が段々と熱くなってくる。一方で、視線を落とすと荒れた自分の指が目に入り、立場を思い知らされる。
「身に余るお言葉に恐縮いたします。お気持ちはとても――とても光栄なのですが、自分がシメオン様に釣り合う人間だとは到底思えません」
「釣り合わないなどと、とんでもない。あなたは聡明で気遣いができる優しい人間だ。所作に品格もあって、何よりもその……美しい」
最後は少し言い淀んで顎を引き、視線をそらした。
「そ、そう言っていただき、誠にありがとうございます。ですが私とシメオン様では身分差があり、ご周囲の方に認められることはないかと」
「では、あなたがエリーゼ・バリエンホルム子爵令嬢であれば?」
「っ!」
私は驚きで跳ねるように顔を上げる。
「ご存知……だったのですか?」
「申し訳ない。後ろめたさはあったが、若い身空で店を一人切り盛りする女性の事情とは何だろうと、気になった」
私が貴族の娘だと最初から認識していたわけではないらしい。かつては社交界に出席していたこともあったが、私が注目の的であるシメオン様に目を引かれても、シメオン様が私の存在に気付いたことはないということだ。
「貴族の娘が身を粉にして働く事情と言えば、家の経済状況が立ち行かなくなった時か、あるいは家から追い出された場合が考えられる。あなたの場合は後者。あなたの叔父に子爵家を乗っ取られたからだろう」
「……ええ。その通りです」
父が事故死し、後を追うように間もなく母が病気で亡くなった。当時、家に残されたのは十七歳の私と十三歳の弟だ。叔父は弟が成人するまでの後見人として立ってくれた。しかしすぐに叔父一家が家に押しかけてきて、弟を英才教育が受けられる寄宿学校へ追いやり、弟の学費を人質に私は資産の一部を渡されて家を出されることになったのだ。
私には領地を統治する能力も知識もなかった。両親が愛した領民と美しい領地を守るためには叔父に頼るしかなかった。弟が成人して正式に当主として立てば、家を取り返せるはずだからと。
一方、病弱の母のためにと薬学知識を身に付けていた私は、渡された資産を元に薬舗を開くことにした。しかしいざ家を出ると、弟の寄宿学校から学費が滞っているとの連絡が来た。叔父は約束を破ったのだ。なまじ高い学費の学校に入れたのはそのためだろう。当初は自分の生活を成り立たせるために始めた仕事だったが、今、私は弟の学費を賄うために追われている状況にある。
「弟さんのことも聞いている。彼が通っているランバルト学園は王族や上位貴族が通う名門だが、学費も高額だ。こう言っては失礼だが、今の経営規模では弟さんの学費を賄うのは難しいのでは? 私はあなたの力になりたい」
「とてもありがたいお申し出ですが、私どもの生活を支えていただくための結婚と言いますのは、あまりにもご無礼に当たります」
「いや。そんなことは思わないでほしい。ただ、私にも条件と言っては傲慢だが、願いがある。――この薬舗を店じまいしてもらいたいんだ」
「えっ!? 店じまいですか」
資産の中から工面して店を開き、この二年間、私と弟の生活を支えてくれた場所だ。
戸惑う私にシメオン様は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「アランブール伯爵が妻を市井で働かせていると噂されると、体面を重んじる親戚筋が口を出してくるのは間違いない。ただ、私はあなたから仕事のやりがいを奪いたくはないし、あなたの薬師としての能力を買っている。だからこれからは屋敷で私専属の……私のために薬を作ってほしいんだ」
「シメオン様のために」
その言葉はあまりにも甘美な響きに聞こえる。けれどなぜだろう。同時に危うさをはらんでいるようにも思える。
「そう。それにアランブール伯爵家が行う福祉の一環として、あなたが作った薬を、これまで高価で薬が買えなかった人たちへ提供することを約束しよう」
「薬の提供を」
確かに今は自分たちの生活を支えることで精一杯で、困っている人たちに手を差し伸べることができなかった。領民を大切にした父の志を引き継げるかもしれない……けれど。
「少しお時間を頂けますか」
「ああ。返事は急がない。ただ、前向きに考えてほしい」
真剣な表情を見せるシメオン様に、私ははいと頷いた。
まじまじと見つめると、シメオン様は首に手を当てて少し怯んだような、照れくさそうな表情を浮かべた。
「やはり素面で言うとなると気恥ずかしいな」
――あ。ああ、何だ。どこかのご令嬢に求婚するために気持ちを落ち着かせる薬を頂きたいと、おっしゃったに違いない。私に結婚を申し込んでいるとか、とんでもないことだ。妄想にも程がある。取り乱して大失態を犯すところだった。
背中に冷たい汗が伝う。
「エリーゼさん?」
「失礼いたしました。シメオン様、安定剤がご入り用でしょうか」
私を頼ってくださったのを嬉しくも、苦い思いもしながら提案する。
「私は別におかしくなったつもりはないが」
シメオン様が困ったように笑うそのお姿も麗しいと、つい見とれそうになる自分を叱咤した。
「いえ。あくまでも気持ちを落ち着かせるためのもので、精神がおかしくなったと申し上げているわけではありません」
「気持ちは固まっているし、落ち着いてもいる」
「ではなぜお薬をご所望なのですか?」
「薬はご所望していないな」
苦笑いするシメオン様に、ようやく話がかみ合っていないことに気付く。
「申し訳ございません。何か聞き違えていたようです。恐れ入りますが、先ほどは何とおっしゃいましたか?」
「私と結婚していただけませんか、と」
「ああ、そうですか。やはりそうおっしゃいまし――どういう意味ですか!?」
思わず身を乗り出して尋ねてしまう。
「つまり私はあなたに求婚している」
「きゅ、きゅうこん?」
「そう。私の妻になってほしいということだ」
言葉を理解していないと思われたのかもしれない。あるいは私がまた勘違いしないようにと思われたのかもしれない。シメオン様は畳みかけるように続けた。
「私は昔から薬が効きにくい体質でね。街での評判を聞きつけてやって来たのがあなたの店だった。評判通りあなたの薬はよく効いて、通い詰めている内にあなたの真摯な対応と、私の快復を自分のことのように喜んでくれる姿に好感を抱くようになったんだ」
真っすぐ見つめてくるシメオン様に私の頬が段々と熱くなってくる。一方で、視線を落とすと荒れた自分の指が目に入り、立場を思い知らされる。
「身に余るお言葉に恐縮いたします。お気持ちはとても――とても光栄なのですが、自分がシメオン様に釣り合う人間だとは到底思えません」
「釣り合わないなどと、とんでもない。あなたは聡明で気遣いができる優しい人間だ。所作に品格もあって、何よりもその……美しい」
最後は少し言い淀んで顎を引き、視線をそらした。
「そ、そう言っていただき、誠にありがとうございます。ですが私とシメオン様では身分差があり、ご周囲の方に認められることはないかと」
「では、あなたがエリーゼ・バリエンホルム子爵令嬢であれば?」
「っ!」
私は驚きで跳ねるように顔を上げる。
「ご存知……だったのですか?」
「申し訳ない。後ろめたさはあったが、若い身空で店を一人切り盛りする女性の事情とは何だろうと、気になった」
私が貴族の娘だと最初から認識していたわけではないらしい。かつては社交界に出席していたこともあったが、私が注目の的であるシメオン様に目を引かれても、シメオン様が私の存在に気付いたことはないということだ。
「貴族の娘が身を粉にして働く事情と言えば、家の経済状況が立ち行かなくなった時か、あるいは家から追い出された場合が考えられる。あなたの場合は後者。あなたの叔父に子爵家を乗っ取られたからだろう」
「……ええ。その通りです」
父が事故死し、後を追うように間もなく母が病気で亡くなった。当時、家に残されたのは十七歳の私と十三歳の弟だ。叔父は弟が成人するまでの後見人として立ってくれた。しかしすぐに叔父一家が家に押しかけてきて、弟を英才教育が受けられる寄宿学校へ追いやり、弟の学費を人質に私は資産の一部を渡されて家を出されることになったのだ。
私には領地を統治する能力も知識もなかった。両親が愛した領民と美しい領地を守るためには叔父に頼るしかなかった。弟が成人して正式に当主として立てば、家を取り返せるはずだからと。
一方、病弱の母のためにと薬学知識を身に付けていた私は、渡された資産を元に薬舗を開くことにした。しかしいざ家を出ると、弟の寄宿学校から学費が滞っているとの連絡が来た。叔父は約束を破ったのだ。なまじ高い学費の学校に入れたのはそのためだろう。当初は自分の生活を成り立たせるために始めた仕事だったが、今、私は弟の学費を賄うために追われている状況にある。
「弟さんのことも聞いている。彼が通っているランバルト学園は王族や上位貴族が通う名門だが、学費も高額だ。こう言っては失礼だが、今の経営規模では弟さんの学費を賄うのは難しいのでは? 私はあなたの力になりたい」
「とてもありがたいお申し出ですが、私どもの生活を支えていただくための結婚と言いますのは、あまりにもご無礼に当たります」
「いや。そんなことは思わないでほしい。ただ、私にも条件と言っては傲慢だが、願いがある。――この薬舗を店じまいしてもらいたいんだ」
「えっ!? 店じまいですか」
資産の中から工面して店を開き、この二年間、私と弟の生活を支えてくれた場所だ。
戸惑う私にシメオン様は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「アランブール伯爵が妻を市井で働かせていると噂されると、体面を重んじる親戚筋が口を出してくるのは間違いない。ただ、私はあなたから仕事のやりがいを奪いたくはないし、あなたの薬師としての能力を買っている。だからこれからは屋敷で私専属の……私のために薬を作ってほしいんだ」
「シメオン様のために」
その言葉はあまりにも甘美な響きに聞こえる。けれどなぜだろう。同時に危うさをはらんでいるようにも思える。
「そう。それにアランブール伯爵家が行う福祉の一環として、あなたが作った薬を、これまで高価で薬が買えなかった人たちへ提供することを約束しよう」
「薬の提供を」
確かに今は自分たちの生活を支えることで精一杯で、困っている人たちに手を差し伸べることができなかった。領民を大切にした父の志を引き継げるかもしれない……けれど。
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真剣な表情を見せるシメオン様に、私ははいと頷いた。
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