十二輝の忍神 ーシノビガミ― 第一部

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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12 黒い影の正体

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第三話 黒い影の正体

 影が灰となって風に散ったあと、一行の周囲には奇妙な静寂が落ちた。

 戦の余韻で耳が痺れているのかと思うほど、世界が薄く、遠い。
 灰混じりの風だけが、さらさらと小さな音を立てて足元を撫でていく。

 肩で息をする家臣たちは、刀を握り締めたまま動けないでいた。
 鞘に納めるという発想すら浮かばぬほど、手の震えが止まらない。

 呼吸の度に喉へ灰が入り、咳き込みそうになるのを必死で堪えている者もいる。
 誰もが「信じられないものを見た」という興奮と怯えに、身体の芯から支配されていた。

 忠壽もまた、馬上でじっと前を見据えたまま、胸の奥に冷たい塊を抱えていた。
 武士として幾度も血の場を越えてきた。
 だが、今の“それ”は、斬り合いの理の中にない。

(……人か、獣か、それとも――)
 喉元まで出かかった言葉が、形になる前に凍りつく。

 真実がわからぬ怖さは、刃よりも鋭い。
 鉄之介は、散り残った黒い灰を乱暴に蹴り上げた。

 灰は軽く舞い、風にほどけて消えていく。
 その虚しさが、鉄之介の苛立ちを煽った。

「……ちっ。
 確かに斬ったはずなのによ。
 人間じゃねぇ、こんなの」

 吐き捨てる声は荒いのに、どこか震えていた。

 手の甲の血管が浮き、槌を握る指が無意識に力を込め直している。
 金之助は少女を背に庇ったまま、荒い呼吸をゆっくり整えようとしていた。

 短刀を握る掌が熱い。
 刃先には、まだ朱色の鈍い光が残り、心臓の鼓動のように微かに明滅している。

 さっきの一撃が“自分自身の力”だったのか、それとも珠の導きだったのか――
 金之助の頭は混乱しながらも、必死に現実へ縫い止めようとしていた。

「お侍様……
 これは、いったいどういうことですか」

 声は震えないように出したつもりだった。
 だが、わずかに揺れた語尾が、自分の恐怖を裏切る。

 忠壽は、首を小さく横に振った。
 馬の首を抑え、視線を灰の残滓に落とす。

「いや……俺にもわからん。
 あれが本当に人間だったのかすら……」

 武士として断言すべき場面で、断言できない。
 その事実が、忠壽の胸をさらに冷やした。

 その時、背後からか細い声がした。

「おとう……おかあ……」

 避難させていた少女が、恐る恐る近寄ってきていた。

 足元が覚束ない。
 涙と灰と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま、金之助にしがみつく。

 その指の力は弱々しいのに、必死で離れまいとする意志だけが強い。

 鉄之介が目を細め、しゃがみ込むように少女へ顔を近づけた。

 声は荒いが、さっきよりずっと抑えられている。

「……おい。
 あれが、お前のおとうなのか?」

 少女は涙に濡れた目を上げ、震える唇で、ただ繰り返した。

「おとう……おかあ……」

 そこに理屈はなかった。
 現実を受け入れられない幼い心が、ただ名を呼び続けている。

 鉄之介は返す言葉を見つけられず、舌打ちひとつで視線を逸らした。

「……どうなってんだよ。
 ここは地獄かよ……」

 吐き捨てるような呟きが、灰の空気に沈む。

 忠壽は馬上で目を細め、灰に覆われた館林の方角を見据えた。
 城下へ続く道の先は、薄闇と灰の帳に呑まれ、どこまでも静かだ。

 だが、この静けさは“死の静けさ”だと、肌が知っていた。

「これが藩全体に広がっていたら……」

 低い呟きが漏れる。
 想像だけで背筋が冷える。

 だが忠壽はすぐに顔を上げ、声を張った。

「急がねば」

 鉄之介が反発するように吐き捨てる。

「もう手遅れじゃねえか。
 あいつら、簡単に殺せねぇぜ……」

 忠壽の眼光が鋭くなる。
 感情は揺れない。
 ただ、指揮官の声が落ちた。

「黙れ」

 冷たく、短く、刃のような一言。

 鉄之介の喉の奥が詰まり、反射的に口を閉じる。

「進むぞ」

 家臣たちは顔を引きつらせながらも、主命に従って列を整えた。

 恐怖は消えない。
 だが、消えぬまま進むのが武士の務めだと、身が覚えている。

 金之助は少女を抱え直し、震える肩を撫でる。
 少女の体は軽すぎた。
 この地の飢えと恐怖が、そのまま重さになっているようだった。

 黒い灰がなお舞い散る街道を、
 一行は黙ったまま、館林の城下へ向けて歩みを速めた。

 背後に残るのは、散った灰と、泣き声の余韻だけ。
 前に待つものは、まだ誰にも見えていなかった。

第四話 黒屍人

 街道を進んでしばらく――灰の帳の向こうに、かろうじて形を留めた小さな集落が見えてきた。

 半ば潰れた家々の隙間に、薪を燃やす煙が細く立つ。辛うじて生き延びた者たちが身を寄せ合い、崩れた納屋の下や土蔵の影に仮の寝所を作っているのだろう。

 生きた者の気配があるだけで、胸の奥が少しだけほどけるようだった。
 金之助は少女を腕に抱いたまま、忠壽と鉄之介の後ろに続いて集落へ入った。

 村人たちは最初、武装した一団に身を固くし、警戒の眼でこちらを見た。
 この惨状の中では、盗賊も飢えた落ち武者も同じように“生きるために襲う側”になり得る。

 だからこそ、村人の目は怯えと疑念で濁っている。
 だが金之助の腕の中の少女を見た途端、数人が息を呑んだ。

「……おお、こりゃ、あんた……」

 灰まみれの老婆が、ふらつく足で近づいてくる。
 少女は金之助の胸に顔を押し付けたまま、震えていた。
 目に映したくないものを見た者の震えだ。

 金之助は低く頭を下げた。

「この子、街道で助けました。
 親御さんを探していたんですが……もう……」

 言い切れず、言葉が途切れる。
 鉄之介が後ろで舌打ちした。
 忠壽は馬から降り、村人へ静かに視線を向ける。

「しばし、この子を預けたい。
 こちらは館林城へ向かわねばならん。
 面倒を見てやってはくれぬか」

 村人たちは顔を見合わせた。

 困惑と恐怖が入り混じる沈黙が落ちる。
 こんな時に子を預かる余裕など、誰にもない。
 それでも――目の前の少女の細い腕や、涙に焼けた頬を見れば、見捨てるという選択はできなかった。

 やがて、さっきの老婆が少女の前に膝をついた。
 乾いた手が、ゆっくりと少女の髪に触れる。

「嬢ちゃん……こっちへおいで。
 ここにおれば、ひとまず安心だ」

 少女は金之助の袖をぎゅっと掴み、離れまいとした。
 金之助は屈んで、なるべく優しく言う。

「大丈夫だ。
 ここで待っててくれ。
 おとうさんとおかあさんのことは……俺たちも、城下でわかることがあるかもしれない」

 少女は小さく嗚咽を漏らし、やっと、老婆の腕へ身を預けた。
 抱きかかえられた瞬間、堪えていた涙がまた溢れ、細い肩が震える。

 それを見届けてから、金之助は村人たちに向き直った。
 顔にはまだ緊張が残っている。

「街道で……襲われました。
 あの黒い影は……いったい何なんですか」

 村人の中から、痩せた男が一歩前へ出た。

 頬はこけ、目の下は灰と疲労の影で黒い。
 だが、声は妙に乾いて、慣れ切った絶望の響きを帯びていた。

「……あんたらも見たか。
 “黒屍人(くろしびと)”だ」

「黒屍人?」
 鉄之介が眉をひそめる。

 男は唾を飲み込み、周りの村人たちも口を結んだまま頷いた。

「噴火のあとからだ。
 埋まって死んだ者が……
 夜になると、また土を割って起き上がる」

 その言葉が、焚き火の熱を一段冷たくした。

「最初はな、誰も信じちゃいなかった。
 “助かったんだ”と喜んで家に入れた者もいた。
 だが……翌朝には、その家が血まみれで、誰もいなくなってた」

 老婆が、少女の背をさすりながら低く呟く。

「死んだもんが、生き返るんじゃない。
 ……死んだまま動くんだよ。
 肌は黒ずんで、目ぇは濁って、声もなくてな。
 噛みついて、引き倒して……生きた者を襲うんじゃ」

 別の若い男が、震える声で続けた。

「刀で斬っても、止まらねえ。
 血も痛みもねえから、倒れても……また起きやがる。
 胸を割ってやって、頭を潰して……それでも、灰の中からまた別のが出てくる」

 忠壽の眉がわずかに動く。
 金之助の短刀に残る朱の光が、ふっと脈を早めたように見えた。

「……どうしてだ」

 忠壽が低く問う。

「なぜ、そんなことが起きる?」

 痩せた男は首を振った。

「わからねえ。
 ただ一つはっきりしてるのは、
 噴火の灰が降ってから、死人が増えるほど黒屍人も増えるってことだ」

 鉄之介が歯を噛み、灰の空を睨んだ。

「つまり、城下に近づくほど、もっといるってわけか……」

 村人たちが黙って頷く。

 その頷きの重さが、“覚悟しろ”という無言の警告に変わる。
 忠壽は短く息を吐き、静かに言った。

「……預けた。
 この子を頼む。
 我らは城へ向かう」

 村人はいっそう深く頭を下げた。

「どうか……どうか、城下を……」

 言葉の続きは、灰の風に呑まれた。

 金之助は少女を一度だけ振り返る。
 少女は老婆の胸で小さく丸まりながら、泣き腫らした目でこちらを見ていた。

 何も言えないまま、金之助は小さく頷き返す。
 そして一行は、
 村人たちの困惑と祈りの視線を背に受けながら、黒屍人の溢れる城下へ向けて、再び歩き出した。
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