社畜の異世界再出発

U65

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第22話 恐れを越えて

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夜の村は、驚くほど静かだった。
昼間の騒がしさも、訓練の掛け声も、子どもたちの笑い声もすべてが嘘みたいに消えていて、聞こえるのは自分の足音と、風が草をなでる音だけ。

月明かりを頼りに、人気のない道を走る。誰にも見つからないよう、靴の音を抑えて、息すら小さく吐いた。

(……あの子たち、本当に森に入ったのか?)

確証はない。けど、リノアが見つけたという足跡の話、それに昼間の広場のことを思い返すと、どうしても不安がぬぐえなかった。
あの三人――ハルト、ティオ、ミアちゃん。どの子も、そんなに軽はずみに森へ入るようなタイプじゃない。でも、もし“誰かを探しに行った”としたら?
たとえば、ルッカが先に迷い込んでいて、それを助けに行こうとして……。

(ありえる。あの三人なら、きっとそうする)

スリーヴの森――そこは子どもたちが絶対に近づくなと言われている場所だ。
けど、リノアが見つけた足跡は、確かにそこへ向かっていた。

だから俺は、行くことにした。誰に言われたわけでもなく。ただ、そうしないと、自分を許せなかった。

あの子たちが無事に戻ってくる保証なんて、どこにもない。でも、何もせずに家で震えてるだけなんて、もっと無理だった。

(俺は、今度こそ――)


森の入り口に差しかかると、空気が変わった。
草木のにおいが一気に濃くなり、しんとした音のない世界が広がる。もっと奥のほうでは、自警団が捜索を進めているはずだ――けれど、このあたりにはまだ誰の気配もない。俺は、ただ一人でこの暗がりに踏み込んでいく。

ひと呼吸、ふた呼吸。

(この先は、もう誰も子ども扱いなんてしてくれない。踏み込んだ瞬間から、一歩ごとに命がけだ。間違えば、もう二度と戻れないかもしれない――でも、それでも俺は行く)

息を詰めるような静寂の中、胸の奥に火が灯るような感覚だけを頼りに、俺は足を前に出した。

月の明かりを頼りに、一歩ずつ森へと入っていく。

背中に冷たい汗が伝った。肩にかけたケープは母さんの手縫いのやつ。暖かいけど、今はそれよりも手の震えが気になった。

(こんなに怖いの、久しぶりだ)

小枝を踏みしめる音にすら心臓が跳ねる。
それがどんなに危ない場所でも、俺はもう引き返すつもりなんてなかった。

どれくらい歩いただろう。

森の奥、木々の隙間から月光が差し込む場所で、俺は“それ”と出会った。

ガサ……ッ。

草むらが揺れて、獣の唸るような声が響いた。

現れたのは、黒く毛羽だった獣――
肩ほどの高さで、犬よりも大きい体。
背中には黒曜石のようなトゲ。黄色く光る目 が、こっちをじっと見据えていた。

(魔獣――!)

頭が真っ白になった。

目の前の魔獣が一歩、地面を踏みしめるたびに、俺の足は後ずさる。腰が引けそうになる。手が震えて、膝が笑いそうだ。

(だめだ……これは、逃げ――)

そう思った瞬間、脳裏に過ぎったのは、前の人生の“最後の瞬間”だった。

蛍光灯の明かりがちらつくオフィス。
静まり返った夜のフロアで、誰もいないはずの会議室にひとり、資料を抱えて崩れ落ちた。

寝る間も惜しんで働いた。食事も、休みも、全部後回しにして。
やるべきことを、やれるだけやった――その結果が、あれだった。

(……あのときの俺は、頑張っていた。けど、何も残せなかった)

だからこそ、今は違う。

目の前に守りたい何かがあって、それに手を伸ばすことができる。ハルトの悪ふざけ。ティオの真面目な顔。ミアちゃんの笑い声。ルッカのやんちゃなはしゃぎっぷり。
あの子たちが、どこかで怯えてるかもしれない――そう思ったら、自然と体が動いた。

自分の意思で、一歩を踏み出せる場所に立っている。

(あのときは――ただ、終わるのを受け入れるしかなかった)

(だからこそ、今度は、自分の手で変えたいんだ)

俺は、足を止めた。

心臓はバクバク言ってる。体もまだ震えてる。
だけど、さっきより少しだけ、ちゃんと立てた気がした。

(訓練だってしてきた。みんなを守りたいって、思ってきた)

(その思いが本物なら――今、逃げるわけにはいかない)

「やってやるよ……!」

声が震えてた。でも、それでもいい。

俺は、腰に差していた木剣を引き抜いた。
村の訓練用に使っていた、粗削りの剣。でも、握り慣れたこの感触は、俺の心を少しだけ落ち着かせてくれる。

構えたのは、蒼雷流の型。
俺は、ロイに“初伝”と認められた剣士だ。
まだまだ未熟だし、魔獣に通じる保証なんてない。それでも――この剣は、逃げずに立つための剣だ。

「やってやるよ……!」

魔獣が低くうなり、突っ込んできた――!

飛びかかってきた魔獣に対し、息を飲んで体を横に捻る。
地面が抉られ、砂が視界に舞った。
ほんの一歩の差。それでも、それで十分だった。

体が自然と動く。何度も叩き込んできた動きだ。
足を踏み込むと同時に、木剣を腰の位置に構える。

(一撃で決める……!)

魔獣がこちらを振り返ろうとした刹那――

「雷閃っ!!」

腰から絞り出すような回転とともに、木剣を一直線に突き出す。
雷光のごとき剣閃が、魔獣の首元を駆け抜けた。

一瞬の剣閃――雷撃のような勢いで振り抜かれた刃が、魔獣の首元に深々と走った。
 それはまさに“雷閃”。蒼雷流の剣士であれば誰もが習得する、鋭く速い剣閃を基礎にした、もっとも実用的な一撃だ。

「――ぐっ……あっ……」

魔獣は呻くような低い唸り声を漏らし、その場でがくりと膝をついた。
そして、どさり――という重い音を立てて、完全に崩れ落ちる。

動かない。息もない。

(……仕留めた)

鋭さと速さを極めた剣閃が、一瞬で魔獣の命を奪った。

自分でも、信じられないくらい静かな気持ちだった。
震えることも、叫ぶこともなかった。ただ確かに――魔獣を倒したという実感だけが、胸に残っていた。

俺は、息を詰めるようにして動きを見守ったが――それ以上、立ち上がることはなかった。

……ようやく、固くなっていた肩の力が抜けた。

「――ふぅ……っ」

短く息を吐いて、手にしていた木剣を見やる。
訓練用の木剣――けれど、雷閃の一撃は、確かにあの魔獣を倒した。

柄の部分には細かな傷が刻まれ、打ち込んだ衝撃で少しだけひびも入っている。
よく折れなかったもんだ、と自分でも思う。

(……勝った。俺の手で、ちゃんと)

鼓動がようやく落ち着いてきたころ、遅れて汗がじわりと滲み出す。
緊張で張りつめていた時間が、今になって重くのしかかってきた。

でも――そのすべてが、俺の中で確かなものとして残っていた。

けど――

(まだ終わりじゃない)

(あの子たちは、どこかにいる)

(守るって決めたんだ)

夜の森は深く、静かだけど――もう、さっきほど怖くはなかった。

(俺は、もう逃げない)

そして俺は、また一歩を踏み出した。
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