社畜の異世界再出発

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第26話 最後の一撃

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俺の呼吸は荒く、視界の端がにじんでいた。
左腕はもう使い物にならない。深く裂けた傷が、じわじわと熱を放っている。木剣にはヒビが入り、次の一撃で壊れることは確実だった。

それでも、俺は立っていた。

魔獣もまた、こちらを見据えていた。肩口から流れる血は止まらず、息は荒い。だが、その目はまだ死んでいない。狙うはただ一つ。俺の命。

風が止まったような静寂の中――俺と魔獣の視線が交差した。

「――来いっ!!」

声はかすれていたが、届いただろう。

魔獣が地を蹴る。土が跳ね上がる。重く、速い。その一撃は、確実に命を刈り取るためのもの。

――でも。

見えていた。

あの踏み込み。右脚だ。そして――左前脚が浮く。あのパターン、何度も見た。

(今だ……!)

俺は体をひねり、懐に潜り込む。

全身の力を右腕に込める。木剣の手元から、雷のような衝撃が走る。

「雷閃――っ!!」

――その瞬間だった。

体の奥から、何かが湧き上がる。

熱い。でも、燃えるような痛みじゃない。
もっと澄んでいて、でも力強い――流れが、俺の体を満たしていく。

その瞬間、雷閃が変わった。

木剣から走った光は、まるで雷そのものだった。
蒼白の光が魔獣の胸を切り裂き、その巨体を震わせる。

「グアアァァァッ!!」

咆哮とともに、魔獣の巨体がぐらついた。
その声は、これまでのような威圧に満ちたものではない。苦痛と混乱、そして焦り――そんな感情が入り混じった、濁ったうなりだった。
捕食者が、初めて明確に死を感じたのだ。
流れる血が止まらず、深く刻まれた傷が筋肉の動きを鈍らせているのが、遠目にもわかった。

俺はすぐさま飛び退いた。着地の瞬間、木剣がパキィッと乾いた音を立てて折れる。

魔獣が崩れ落ちた。

ぐらりと体勢を崩した巨体が、地面を揺らしながら倒れる。その瞬間、地面のあちこちがびりびりと震え、乾いた音とともに土が跳ね上がった。全身の力が抜けたように、魔獣の四肢はだらりと広がり、もう動く気配はない。

土煙が、もくもくと空気を濁らせていく。

その中で、俺は息をするのも忘れていた。ただ、目の前の光景が信じられなかった。

何秒経ったのか――いや、ほんの一瞬だったのかもしれない。

けれど、俺にはとても長く感じられた。

耳鳴りのような静けさが支配する中で、心臓の音だけがやけに大きく響いていた。

やがて、煙の隙間から倒れ伏す魔獣の体がはっきりと見えた。

ぴくりとも動かない。

それを見て、ようやく――本当にようやく、勝利を実感した。

俺は、やったんだ。

あの魔獣を――倒した。

「……やった、のか……?」

膝が砕けそうだった。

魔獣の体が動かないことを確認すると、俺は深く息を吐き、その場に座り込んだ。

「ユーリくん!!」

遠くから、ミアちゃんの叫び声が聞こえた。

子どもたちの足音が、慌ただしく近づいてくる。

「すごい……ほんとに倒しちゃった……!」

「うそ……うそだろ……ユーリ1人で……」

「ユーリ、ユーリ! 大丈夫!? ケガっ、ケガ……!!」

ルッカが涙目で手を握ってきて、ティオは言葉も出せずに肩を震わせていた。

俺は微笑むように言った。

「……うん、勝ったよ。ちゃんと、守った」

その言葉を紡いだとき、胸の奥にかすかな熱が灯った。

けれど、次の瞬間にはその熱すら遠のいていく。
視界が揺れ、世界がゆっくりと霞んでいった。

耳鳴りのように残るのは、雷閃を放ったあとの轟音だった。それは、まるで雷が落ちたような衝撃のような激しさで――森の奥深くまで、その音と衝撃を響かせていた。

その直前まで響いていたのは、剣戟の音、魔獣の咆哮、地を蹴る激しい足音――交錯する命のぶつかり合いの音だった。
木々が震え、幹に衝突する音が連なり、何度も何度も重い衝撃が森に刻まれていた。

そして――最後の雷閃を浴びた魔獣が、苦悶の咆哮とともに崩れ落ちたとき。

大地が震えた。巨体が倒れ込む鈍い衝突音が、地面を伝って響き、森そのものが一瞬だけ沈黙したかのようだった。

それらが合わさった瞬間、空気の流れすら変わったように思えた。

(……誰か、来てくれるかもしれない)

そんな予感が、かすかに胸の奥をよぎった。

ふと、木々の向こうから足音が聞こえた。
重く、早く、確かな歩調――それは訓練された者の動きだ。

草をかき分け、剣を抜いたままの数人の影が姿を現す。
一番前を走っていたのは、あの男だった。

「……ユーリ!!」

声が聞こえた。
目の前がぼやけて、輪郭が滲んでも――その低く力強い声は、はっきりと届いた。

「ガルド……団長……?」

その後ろには、ロイ、ミレイナ、エマ、カイ、ボリス――いつもの仲間たちがいた。

「……ユーリ!? な、なんで……ここに……!?」

肩で息をしながら、俺の姿を見つけた瞬間――その目が見開かれた。
次の瞬間、表情が一変する。困惑、驚愕、そして焦り。

「……ユーリ!」

その声には、明らかに切羽詰まった気配があった。
駆け寄ってくる足音が、地面を打つ音とともに近づく。

俺の左腕に走る血と、剣を握る右手の木剣の破片。
服は破れ、体中に泥と傷がついている。立っているのが不思議なほど――そんな姿を見て、焦らないはずがない。

「しっかりしろ、大丈夫か……!?」

支えるように腕を差し出され、俺はかすかにうなずいた。
声を出す余力はもう残っていない。けれど――意識だけは、まだ残しておきたかった。

「……こいつ、まさか……ナイトウルフを、一人で……!?」

駆け寄った自警団の誰かが、血の気が引いたような声で呟いた。

その言葉に、周囲の空気が一瞬にして凍りつく。

「嘘だろ……このサイズ……どう見ても“大型”だぞ。Dランク魔獣の中でも、上位個体だ……!」

誰かが魔獣の死骸に近づき、傷跡を確認しながらそう呟く。

「ナイトウルフだな……けど、こんなサイズ、普通じゃねぇ。森の奥にこんなのが潜んでたのか……」

驚きと混乱が入り混じった空気の中、自警団のみんなが、息を呑んだ。

「それを……ユーリが、一人で……!?」

呟く声は、震えていた。信じたくても信じられない。だが――この場に横たわる魔獣と、ぼろぼろの体で座り込んだその姿が、どれだけの戦いだったかを雄弁に物語っていた。

ロイがすぐに、周囲の状況を確認しながら子どもたちのもとへ駆け寄る。

ルッカは目を潤ませたまま、ロイの姿を見て小さく息を吐き、そっとその胸に飛び込んだ。ミアちゃんも、不安げな表情を浮かべながらも、カイに手を引かれて素直に立ち上がる。ティオとハルトは依然として警戒心を残していたが、ユーリが立ち向かう姿を間近で見ていた分、極度の怯えはすでに和らいでいた。エマとミレイナが優しく声をかけると、二人はようやく肩の力を抜く。

「大丈夫、もう怖くないよ。もう全部、終わったからね」

そう言って彼らを優しく包むように、皆が代わる代わる声をかけていた。大人の手が、子どもたちの肩を支え、傷を見て、布を巻く。怯えた小さな背中が、ようやく温もりに触れたように、少しずつ震えをおさめていくのがわかった。

その光景が、ぼやけた視界の中でもはっきりと伝わってくる。

(……よかった。ちゃんと、間に合ったんだ……)

その安堵を胸に抱いたまま、俺はそっとまぶたを閉じた。

視界が、音が、そして世界が――ゆっくりと、静かな闇に溶けていった。
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