社畜の異世界再出発

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第27話 ただいまの場所

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目の前に広がっていたのは、見慣れたオフィスの天井だった。

(……うわ、蛍光灯。ひさしぶり)

灰色のデスク。コーヒーと汗が染みついた書類の山。コピー機の音と電話の着信音が入り混じった、あの戦場。

――そう。俺の、前世の職場。

あまりの懐かしさに、胸の奥がきゅうっと締めつけられるような感覚に襲われた。何もかもがつらかったはずの場所なのに、思い出の中ではやけに温かく見えるのが不思議で――思わず、少し泣きそうになった。
……けれど、それもほんの束の間だった。

「おい新人! また寝てんのか!」

 耳元で怒鳴り声が響いた。

「すみませんッ! いま起きました!」

――って、返事しちゃったよ俺!?夢だぞこれ!完全に夢なのに、なんで俺、反射で応答してんの!?しかもあの声、たぶん前世の上司のやつだろ……!?うわあ、反射で服従するようになってるとか、どんだけブラック脳なんだよ俺!!

それと同時に、バンッと机が叩かれる音がして、デジャヴが全身を駆け巡る。ああ、この怒られ方、マジでよくされてた……。

「クライアントに渡す資料まだか? 5分で出せって言ったよな!? 何分経ってると思ってる!」

(ひぃぃぃ……理不尽の権化! 無理だよこの人間風ブラックホール!)

しかも妙にリアル。怒鳴り声のクセとか、資料の束の匂いとか。おまけに机の引き出しにカロリーメイトもある。再現度、すごい。

(あれ? ていうか俺、魔獣と戦って……倒して……?)

ふと、左腕に違和感を覚えた瞬間。

――ズキンッ。

「ッ……いっ……!!」

現実に引き戻された。



目を開けると、そこは見慣れない天井だった。木じゃない。しっかりした石材で、清潔な白い壁。鼻に刺さるのは薬草系のツンとした匂い。

(あ、現代じゃない。異世界だ)

自分の左腕には包帯がびっしり巻かれていて、右手には細い管みたいなものが刺さっていた。おそらく回復薬の点滴的な何か。

そして、何より――

「……ユーリ!」

声がしたかと思ったら、母さんが勢いよく泣きついてきた。

胸に顔をうずめながら、ぼろぼろと涙をこぼしている。そんなに泣かれたら俺まで泣いちゃうじゃん。

「よ、よかったぁ……ほんとに、よかったぁ……!」

「……母さん、俺、生きてる……?」

「生きてる! ちゃんと息してる……!」

そのすぐ後ろから、父さんの大きな手が、そっと俺の額に触れた。

「……熱はもう下がってるみたいだな。寝汗もひいてる」

「……あ、父さん。心配かけて……」

「バカヤロー」

その声は、思ったより優しかった。

顔をしかめながらも、額の手はそのままだった。たぶん、それなりに本気で心配してたんだと思う。いや、絶対。

「ようやく目が覚めたか」

ベッドの横に立っていたのは、ガルドだった。相変わらずガタイが良くて、でもどこかほっとしたような顔をしている。

「お前、ほんっとに……! あんな危険なことをよく……!」

「ガルドさん、怒鳴っちゃダメ。いま起きたばっかりなんだから」

と、すぐ隣からミレイナの声が入る。控えめなようで、こういうときはびしっと言ってくれる。

さらにその横には、書き物をしていたっぽいカイが、小さく頷いた。

「目覚めた……よかった……。三日間も眠ってたから、正直……心配で」

「三日……?」

「うん。森から担ぎ出して、町の診療院に運んで……丸三日間、ずっと寝てたんだよ」

(そ、そんなに!?)

どうやら、あの戦いのあと俺はそのまま意識を失って、ガルドたちがすぐに応急処置をしてくれて、近くの町まで運んでくれたらしい。

「左腕は、骨までは無事だった。ただ、筋がかなりやられてたから、しばらく動かしちゃダメだってさ」

 そう言ったのはミレイナだった。あの冷静な目で診察内容を覚えてたっぽい。

でも、動かしちゃダメって言われても……。

「剣、しばらく振れないってことか……」

「使ってた木剣、見事に折れてたよな。あれじゃもう振れないだろ。――一応、他のは残ってるけどさ」

横から、いつの間にか現れたボリスが、苦笑いを浮かべながら言ってきた。気づけば壁際に寄りかかっていて、腕を組んだまま、俺たちの会話をずっと聞いていたらしい。その表情はどこか呆れたようでいて、でも少しだけ安心したようにも見えた。

「まあ、折れて当然だけどな。あの雷閃、俺たちのとこまで響いてきたぞ。あれは……やばかった」

「ほんとに……。あれで気づいたから、間に合ったんです」

カイは、静かに頷いている。手にはお馴染みの記録用のノートと羽ペンを持っていて、ついさっきまで何かを書き込んでいたらしい。小柄な身体をすっと起こして、ペン先を紙から離すと、そのまま俺のベッド脇に寄ってくる。いつものように控えめな態度だけど、その目は真っ直ぐにこちらを見ていて、言葉はなくとも、心配と安堵がにじみ出ていた。

「お前がぶっ放したあの一撃、雷が落ちたかと思ったんだ。でかい音と風圧で、森中の鳥が一斉に飛び立ってた」

「すご……そんなに?」

そりゃあ倒した実感はあったけど、そんなに派手だったのか。自分で出した衝撃にちょっと引く。

「で、それを聞いてすっ飛んでいったら……お前がボロボロの状態で座り込んでてさ。でっかい魔獣が、ドサッて横に倒れてたんだよ。あのときの光景、今でも忘れられないよ」

ガルドが苦笑しながら言うその声には、どこかまだ信じきれない気配が混じっていた。俺はその言葉に、ふと顔を上げる。

「……あれって、結局、なんて魔獣だったんだ?」

そう口にした瞬間、周囲が一瞬だけ静かになる。ボリスが「お、今気づいたのか」とでも言いたげな顔をしたのを横目に、カイが手元のノートを軽く開いた。

「“ナイトウルフ”。Dランクの魔獣で、この地域でも生息が確認されている。けど、今回のは明らかに大型個体だった。通常よりも攻撃力も耐久力も高い、危険なやつだよ」

「ナイトウルフ……」

その名前を聞いた瞬間、あの咆哮、鋭い牙、そして装甲のような体毛が脳裏に蘇る。俺の左腕に走ったあの激痛と、雷閃を叩き込んだときの手応え――すべてが繋がって、ようやく実感が追いついた。

「……夢じゃ、ないんだな。ほんとに、やったんだ」

思わずこぼれたその声は、自分でも驚くほどかすれていた。けれど、確かにそれは俺の声で、今この場所で響いた。

周囲にいたみんなが、静かに、けれど力強く頷いてくれる。

「夢じゃねぇよ」

そう言ったのは、ガルドだった。いつもより少しだけ低く、噛みしめるような声。

「お前が、あそこで立っててくれた。それがどれだけすごいことか、みんな、よくわかってる。……とにかく、無事でよかった」

真っ直ぐな目でそう言い切るその表情に、どこか安堵と誇らしさが混じっていた。

だけど――

「……ねぇ、ガルド団長。ルッカたちは……その、みんなは……無事、だった?」

俺はそれだけが心配で、ようやく声に出せた。あの戦いの間中、ずっと頭の片隅で引っかかっていた思いが、ようやく言葉になった。

ガルドは一瞬、目を見開き――すぐに、安心させるように頷いた。

「ああ。ルッカも、ティオも、ハルトも、ミアちゃんも、みんな無事だ。怪我も、かすり傷程度だった。ちゃんと、うちの奴らが保護してくれたよ」

それを聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。張りつめていた何かが、ふっと緩むような感覚。

「……そっか。……よかった」

自然と、息がこぼれた。

本当に、よかった――それだけで、救われた気がした。

「お前が……あの場にいてくれて、戦ってくれたからだ」

ガルドの声が、静かに続く。

「誰も命を落とさなかった。それは、紛れもなくお前の行動のおかげだ。……誇れ、ユーリ」

その言葉が、まっすぐに胸に突き刺さった。

誇りなんて――そんな大層なこと、俺にあるのかわからない。

でも、たしかに――あの時、俺は守りたかった。

その気持ちが、間違っていなかったって、今なら少しだけ、思える。

ちょっと泣きそうになった。けど、ここで泣いたら母さんがまた泣く。絶対泣く。さっきもこっそり目を拭ってたし。

だから、我慢する。

……いや、ほんとは泣いていい場面なんだろうけど。

そんな空気に包まれていた、その時。

「――で?」

ガルドの声が、唐突に低くなる。

おっと、と思って顔を上げた瞬間、真正面に団長の顔。笑ってない。いや、目がむしろ怖い。何かが始まる気配――うん、完全に“それ”だ。

「お前さ、なんで森に入ったんだ?」

「……あっ、えっと……あの、それは……」

俺の視線がぐるぐると周囲を彷徨う。誰か助けてって目で見ても、みんな目を逸らした。父さんなんか、そっぽ向いたまま頷いてるし。母さんは両手を握りしめてるし。ボリスは明らかにニヤニヤしてるし。ミレイナは「やっちまったなぁ」って顔してるし。全然味方がいない。

「ユーリ」

重ねて、ガルドの声が来る。呼び捨てなのが逆に怖い。

「お前がどうして森にいたのか、その理由を俺たちは“まだ”聞いてないんだよな。……どうする? いま、ちゃんと話すか?」

「……いや、その、だから……黙っていられなかったんだ。みんながいなくなって、大人たちも本気で探そうとしてた。でも俺、どうしてもじっとしていられなかった。だから、自分でも探しに行こうって……!」

言い訳なのか説明なのかわからない言葉が口からだばーっと溢れていく。

だけど、ガルドはそれを全部ちゃんと聞いてくれて、それから、少しだけ息を吐いた。

「……お前の気持ちは、わかる。実際、お前がいなかったらどうなってたかわからない」

「……うん」

「でも、勝手に森に入るのは、絶対に駄目だ」

その言葉には、重みがあった。俺がどれだけ頷いても足りないくらいに。

「無事だったからいいって話じゃない。もし、お前がいなくなってたら、誰がその責任を背負う? お前の父さんか? 母さんか? 俺たちか? 違う。“お前自身”だ。命の価値を軽く見ていい理由は、どこにもない」

「……っ」

言葉が、詰まった。

そうだ。わかってる。勝手に森に入ったのは、誰にどう言われても仕方ない。命懸けだったのは、俺も痛いほど実感した。あの魔獣の爪の痛みが、まだ腕に焼き付いてる。

「……行きたいって言ってたのは、ちゃんと覚えてる。だけどな――だからこそ、勝手に動いちゃダメなんだ。次からは、ちゃんと一緒に行く方法を考えろ。わかったな?」

否定する理由なんて、どこにもなかった。
思い返せば、自分の行動は危なっかしさだらけで――もし途中で倒れていたら、あの子たちも自分も助からなかったかもしれない。

「……うん、わかった」

確かにその通りだ。
俺は、ただ黙って頷いた。

ガルドの説教は、短いけれど重い。そして、ちゃんと俺のために言ってくれてるのが伝わってくる。

ちょっとだけうつむいた俺の頭を、ぽん、と誰かが優しく撫でた。

母さんだった。目が赤い。父さんも、ぎこちなく笑ってるけど、たぶんかなり怒ってたはずだ。

それでも、みんな――誰も、俺を責めるだけじゃなく、ちゃんと帰ってきたことを喜んでくれていた。

……でもまあ、きっとこの後、母さんと父さんのお説教が待ってるんだろうな。
母さんは泣きながら怒るタイプだし、父さんは無言で背中をぽんってやるくせに、目が全然笑ってない。
ああ、想像しただけで胃が痛くなってきた……。


その後、俺は医師に簡単な診察を受けた。左腕の傷は深かったものの、予想よりも回復は早いらしい。
「この年齢でこれだけの外傷から三日でここまで回復するとは……驚いたな」
なんて医師が苦笑しながら言うくらいには、順調すぎるくらいだった。

病院食的なもの――白いスープにやわらかいパンとハーブ風味の粥みたいなのが出されたんだけど、正直すごく美味しかった。

(入院食がうまいって……どんだけ異世界優秀なの!?)

ただし、箸じゃなくて木製スプーンしかなかったので、全部右手でゆっくり食べるハメになった。左手、使えないって地味に不便……。

そして、父さんは俺のベッドのすぐ横にどっかりと腰を下ろして、まるでここが定位置ですって顔でずっと座っていた。
スープを飲むたび、パンをかじるたびに、いちいち顔をのぞき込んでくる。

「それ……うまいか?」

「……うん、普通においしいよ」

そんなふうに聞いてくるのは、これで三回目。
もしかして――心配してるのか? いや、絶対そうだ。わかりやすすぎるくらい、わかりやすい。

そのたびに、近くで水差しを整えていた母さんが小さくため息をついて、

「もう、静かにして。消化に悪いでしょ」

って、やんわり――でも確実に釘を刺していた。
父さんは「へいへい」って肩をすくめてたけど、その顔はなんだかちょっと嬉しそうだった。

(……いや、なにその空気。仲良しか)

突っ込みたくなる気持ちを押さえつつ、俺はそっとスープをすすった。

そして夕方。

ベッドの脇でカイが記録帳をぱらぱらめくりながらつぶやいた。

「今回の一件、報告書どう書こうか……」

「子どもが魔獣を討伐しましたって書くの?」

「やめてください。読み返すたびに俺が震えます」

「なあカイ、記録に残すなら雷落とした少年あらわるで頼むわ」

「ボリスさん、それ何の報告になるんですか……」

ああ、この雰囲気。やっぱり、俺、帰ってきたんだなって思った。


そんなこんなで、俺の目覚めはやけににぎやかで、少し泣けて、ちょっと笑える感じだった。

もちろん、これで全部終わったわけじゃない。村の子たちの安全、魔獣の動向、魔法の謎――いろいろ残ってる。

でも、今は。

「……ただいま」

ぽつりとそう呟いた俺の言葉に、周囲からふっと優しい空気が広がった。誰かが小さく笑い、誰かが静かにうなずき、誰かが「おかえり」と返してくれる。嘘みたいに温かい、その雰囲気に包まれて、胸の奥がじんわり熱くなった。

父さんが何も言わずに背中をぽん、と叩いてくれて、母さんは目元をぬぐいながら、それでも「もう、心配かけて……」と呟く。その言葉さえ、今の俺には嬉しかった。

(ああ……帰ってこれたんだ、ちゃんと)

あの森の中で、あの一瞬の中で、何度も無理かもしれないと思った。でも――諦めなかった。その先に、ちゃんと帰れる場所があった。こんなふうに迎えてくれる人たちがいた。

(だから俺は、また強くなろう。もっと、ちゃんと守れるように)

そんな気持ちが、静かに胸の奥から湧き上がってくる。でも、それを今すぐ口にするのは――なんだか照れくさくて。

(……ま、決意表明は明日でいっか)

今は、ちゃんと休もう。

まだ体は重いし、左腕も痛む。でも、町の人たちが手配してくれたこの病院は清潔で、静かで、安心できる。しばらくはこの町で過ごすことになりそうだ。きっと明日も、明後日も、誰かが顔を見に来てくれる。
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