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第1部
1 婚約者との顔合わせを振り返る
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アラン様とわたしは、生まれた時から婚約が決められていたそうだ。
実際に婚約が結ばれたのは、アラン様が八つ、わたしが七つの年の頃だけれど。
婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。
聞いたときは、「なんだそれ」の一言だった。
アラン様のお父様と、わたしのお母様が? 恋人同士?
え?
ではアラン様のお母様とわたしのお父様はどうお考えなの? そこのところ、お二人ともどうなの? アラン様のお父様とわたしのお母様はお互いの伴侶に、なんら思うところはないの?
混乱したわたしが、次から次へと心に浮かぶ疑問を投げかける。すると、アラン様のお父様とわたしのお母様は、困ったように目を合わせた。
は?
なんですの? このお二人。
その場には、アラン様のお母さまも、わたしのお父様も居た。居たけれど、お二人は黙ったまま。その表情には何の感情も浮かんでいなかった。
下衆だわ。
こいつら、下衆ですわ。
わたしは、その瞬間。アラン様のお父様とわたしのお母様を、心底軽蔑した。
アラン様とわたしは、顔を合わせてすぐ、目で通じ合った。
アラン様もわたしも、二人のことを、こう思っていた。
「こいつらはクズだ」
そしてアラン様もわたくしも、すぐに理解した。
この二人は、自分の伴侶を愛していないばかりか、子供のことだって愛していない。
アラン様も、わたしも、愛されていない。
愛されていない子供なんだ。
愛されていない子供達は、親の叶わなかった愛を叶えるために、結び付けられた。
まるでお人形ごっこ。
アラン様のお父様と、わたしのお母様のお人形ごっこに付き合わされて、アラン様とわたしは結婚させられるのだ。
アラン様とわたし。どちらが先に歩み寄ったのか、わからない。
気がつけば抱き合い、涙を互いの頬に擦り付けあっていた。
わんわんと泣いた。
抱き合うということは。体温を分かち合うということは。こんなにも気持ちがよく、安心するものだと、その時に知った。
涙に濡れた柔らかい頬を擦り寄せ合わせると、温かくて甘やかなものが胸いっぱいにこみ上げてくること。互いの涙が混じってグチャグチャになって頬を伝い、口に入るとしょっぱいこと。
アラン様とわたしが、二人で知ったこと。
◇
「なあ、メアリー」
「なにかしら?」
「あいつら、また二人で観劇に行ったそうだ」
アラン様はつまらなそうに、目の前のケーキをフォークでつついた。
アラン様は甘い物があまり得意ではない。
わたし達の目の前に並べられた、大量のケーキは、アラン様のお母様がわたし達二人で食べるように、と持たせてくださったもの。
アラン様のお母様は、毎日のようにお菓子を作っていらっしゃる。
「あいつらが出掛けると、母上が鬼みたいな顔して日がな一日キッチンに立つんだ。勘弁してほしい」
「まぁ……。そういうときはわたしをお呼びくださればいいのに」
「毎回そういうわけにはいかないだろ」
アラン様はケーキを捏ねくり回すのを諦め、コーヒーを口にする。
「メアリーだって仕事があるだろう」
「ええ。でもお父様にお話しすれば、許してくださるわ」
「それはそうだが……」
お行儀悪くテーブルに肘をついたアラン様は空を仰ぎ、流れゆく雲を目で追っている。
わたしもアラン様の視線の先を追う。
「……こんな風に堂々と逢瀬を重ねるんなら、なんで俺達を婚約させたんだ」
ぽつりと漏らしたアラン様の言葉に、わたしの心臓がぎゅっと縮こまる。
アラン様の口ぶりは、まるで、わたしとの婚約が嫌だと、不要のものだと、そう言っているように聞こえる。
……ううん。聞こえる、のではなく。アラン様はこの婚約を心底嫌がっている。
「堂々と逢瀬を重ねるためでしょう」
「なに?」
アラン様が空に浮かぶ雲から視線を戻し、怪訝そうにわたしを見る。
わたしはまるで物わかりのいい小生意気な風を装って、やれやれ困ったわね。といった表情を作る。
「婚約者同士の親として、という大義名分が、あの人たちには必要なのよ。あの人達はクズで人でなしのくせに、そのように見られるのを嫌がるでしょう。卑怯で小心者だから」
「そんなもの。誰が見たって言い訳にもなっていないのにな」
アラン様はハッと鼻で笑った。
アラン様の言う通り、二人の関係と、そしてそれを自分の子供達に押し付けるという異様なやり口は、口さがない者達の間では恰好の餌食になっている。
少しも隠しきれていないアラン様のお父様とわたしのお母様が、社交界でなんと呼ばれているのか。
あの二人が知ったら、卒倒するのではないだろうか。
「……それでも、あの二人には自分自身を騙す口実が必要だったのよ」
そう、今のわたしのように。
アラン様が片眉を上げた。
「今日はやけにあいつらの肩を持つんだな」
「そんなことないわ」
そんなことはない。
あの二人が周囲の誰も彼もを傷つけながら、未だに悲劇の恋に酔っていることに、理解など示さない。
ただ、わたしにも口上が必要なのだ。
アラン様と共にいるために、アラン様の婚約者だという誰にも責められることのない、正当な理由。
あともう僅かしか残されていない時間だけれど。
アラン様は眉を顰めて怪訝そうな表情をわたしに向けると、肩を竦めた。
「まあいいさ。どうせあともう少しで終わることだ」
「ええ。……長かったわね」
「ほんとにな」
ティーカップを手に取り、冷えてしまった紅茶を口に含む。
ゆっくりとカップをソーサーに置くと、アラン様が真剣な瞳でわたしを見ていた。思わず手が震えそうになる。
――まだ言わないで。どうかまだ、アラン様の婚約者のままでいさせて。まだ、この茶会を味わっていたい。
まっすぐに向けられた視線から、目をそらし、何でもないかのように取り繕う。
「何かしら?」
「メアリー、これまで婚約者として振舞ってくれてありがとう」
「……そんなこと……」
ああ、どうか。残り僅かな時間を、まだ終わらせないで。
「デビュタントボールが終われば、メアリー。お前は自由だ」
アラン様はそう言って、晴れやかに笑った。
実際に婚約が結ばれたのは、アラン様が八つ、わたしが七つの年の頃だけれど。
婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。
聞いたときは、「なんだそれ」の一言だった。
アラン様のお父様と、わたしのお母様が? 恋人同士?
え?
ではアラン様のお母様とわたしのお父様はどうお考えなの? そこのところ、お二人ともどうなの? アラン様のお父様とわたしのお母様はお互いの伴侶に、なんら思うところはないの?
混乱したわたしが、次から次へと心に浮かぶ疑問を投げかける。すると、アラン様のお父様とわたしのお母様は、困ったように目を合わせた。
は?
なんですの? このお二人。
その場には、アラン様のお母さまも、わたしのお父様も居た。居たけれど、お二人は黙ったまま。その表情には何の感情も浮かんでいなかった。
下衆だわ。
こいつら、下衆ですわ。
わたしは、その瞬間。アラン様のお父様とわたしのお母様を、心底軽蔑した。
アラン様とわたしは、顔を合わせてすぐ、目で通じ合った。
アラン様もわたしも、二人のことを、こう思っていた。
「こいつらはクズだ」
そしてアラン様もわたくしも、すぐに理解した。
この二人は、自分の伴侶を愛していないばかりか、子供のことだって愛していない。
アラン様も、わたしも、愛されていない。
愛されていない子供なんだ。
愛されていない子供達は、親の叶わなかった愛を叶えるために、結び付けられた。
まるでお人形ごっこ。
アラン様のお父様と、わたしのお母様のお人形ごっこに付き合わされて、アラン様とわたしは結婚させられるのだ。
アラン様とわたし。どちらが先に歩み寄ったのか、わからない。
気がつけば抱き合い、涙を互いの頬に擦り付けあっていた。
わんわんと泣いた。
抱き合うということは。体温を分かち合うということは。こんなにも気持ちがよく、安心するものだと、その時に知った。
涙に濡れた柔らかい頬を擦り寄せ合わせると、温かくて甘やかなものが胸いっぱいにこみ上げてくること。互いの涙が混じってグチャグチャになって頬を伝い、口に入るとしょっぱいこと。
アラン様とわたしが、二人で知ったこと。
◇
「なあ、メアリー」
「なにかしら?」
「あいつら、また二人で観劇に行ったそうだ」
アラン様はつまらなそうに、目の前のケーキをフォークでつついた。
アラン様は甘い物があまり得意ではない。
わたし達の目の前に並べられた、大量のケーキは、アラン様のお母様がわたし達二人で食べるように、と持たせてくださったもの。
アラン様のお母様は、毎日のようにお菓子を作っていらっしゃる。
「あいつらが出掛けると、母上が鬼みたいな顔して日がな一日キッチンに立つんだ。勘弁してほしい」
「まぁ……。そういうときはわたしをお呼びくださればいいのに」
「毎回そういうわけにはいかないだろ」
アラン様はケーキを捏ねくり回すのを諦め、コーヒーを口にする。
「メアリーだって仕事があるだろう」
「ええ。でもお父様にお話しすれば、許してくださるわ」
「それはそうだが……」
お行儀悪くテーブルに肘をついたアラン様は空を仰ぎ、流れゆく雲を目で追っている。
わたしもアラン様の視線の先を追う。
「……こんな風に堂々と逢瀬を重ねるんなら、なんで俺達を婚約させたんだ」
ぽつりと漏らしたアラン様の言葉に、わたしの心臓がぎゅっと縮こまる。
アラン様の口ぶりは、まるで、わたしとの婚約が嫌だと、不要のものだと、そう言っているように聞こえる。
……ううん。聞こえる、のではなく。アラン様はこの婚約を心底嫌がっている。
「堂々と逢瀬を重ねるためでしょう」
「なに?」
アラン様が空に浮かぶ雲から視線を戻し、怪訝そうにわたしを見る。
わたしはまるで物わかりのいい小生意気な風を装って、やれやれ困ったわね。といった表情を作る。
「婚約者同士の親として、という大義名分が、あの人たちには必要なのよ。あの人達はクズで人でなしのくせに、そのように見られるのを嫌がるでしょう。卑怯で小心者だから」
「そんなもの。誰が見たって言い訳にもなっていないのにな」
アラン様はハッと鼻で笑った。
アラン様の言う通り、二人の関係と、そしてそれを自分の子供達に押し付けるという異様なやり口は、口さがない者達の間では恰好の餌食になっている。
少しも隠しきれていないアラン様のお父様とわたしのお母様が、社交界でなんと呼ばれているのか。
あの二人が知ったら、卒倒するのではないだろうか。
「……それでも、あの二人には自分自身を騙す口実が必要だったのよ」
そう、今のわたしのように。
アラン様が片眉を上げた。
「今日はやけにあいつらの肩を持つんだな」
「そんなことないわ」
そんなことはない。
あの二人が周囲の誰も彼もを傷つけながら、未だに悲劇の恋に酔っていることに、理解など示さない。
ただ、わたしにも口上が必要なのだ。
アラン様と共にいるために、アラン様の婚約者だという誰にも責められることのない、正当な理由。
あともう僅かしか残されていない時間だけれど。
アラン様は眉を顰めて怪訝そうな表情をわたしに向けると、肩を竦めた。
「まあいいさ。どうせあともう少しで終わることだ」
「ええ。……長かったわね」
「ほんとにな」
ティーカップを手に取り、冷えてしまった紅茶を口に含む。
ゆっくりとカップをソーサーに置くと、アラン様が真剣な瞳でわたしを見ていた。思わず手が震えそうになる。
――まだ言わないで。どうかまだ、アラン様の婚約者のままでいさせて。まだ、この茶会を味わっていたい。
まっすぐに向けられた視線から、目をそらし、何でもないかのように取り繕う。
「何かしら?」
「メアリー、これまで婚約者として振舞ってくれてありがとう」
「……そんなこと……」
ああ、どうか。残り僅かな時間を、まだ終わらせないで。
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アラン様はそう言って、晴れやかに笑った。
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