【完結】愛してるなんて言うから

空原海

文字の大きさ
4 / 96
第1部

3 切り出された婚約破棄

しおりを挟む
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」

 そんな風にアラン様が切り出したのは、わたし達の婚約が決まって、三年が経とうかという頃だった。
 定例の月一度のお茶会の最中のこと。その日の茶会は、わたしの住まう、ウォールンデン家分家屋敷で催されていた。

 分家屋敷は叔父様が当主を務めるウォールデン家本家邸宅の隣りにある。
 アラン様の住まうカドガン伯爵邸からは、馬車で数十分。

 それなりに旧家である、コールリッジ=カドガン家のタウンハウスがあるのは、王城に近い上級貴族邸宅街。
 一方、大商家であるウォールデン家の家々は、上級貴族邸宅街に比べて王城から離れた、下級貴族や富裕層、高級店の立ち並ぶ区域にある。

「どうして? アラン様はわたしが嫌いなの?」

 それなりに仲良くやっていると思っていたわたしは、アラン様の突然の意思表示に驚いた。
 ぱちくりと瞬いてアラン様を見ると、アラン様は形のいい秀麗な眉を寄せ、きゅっとお口を引き結んだ。とても真剣な面持ち。
 だから、ああこれは覆せないな、とすぐに悟った。

「そうじゃない。俺は、あいつらの思う通りになることを許せない」
「あいつらって……カドガン伯爵とわたしのお母様のこと?」
「そうだ。母上は俺達の婚約が決まってから、床に伏している日が多くなった」
「そうだったの……」

 お茶会でわたしがアラン様のお屋敷に伺うと、いつも優しく微笑んで出迎えてくださる。けれど、どこか儚げなご様子だったことには、気が付いていた。

「……本当は、母上にはあの男と離縁して、心穏やかにお過ごしいただきたい。だけど、母上がそれを望んでいないから」

 アラン様のお母様のご生家であるオルグレン=アスコット家は、オルグレン=アボット家の傍系で、オルグレン家当主のアボット侯爵は王家の血を引く。
 遡れば降嫁した公女様がいらして、その公女様は当時の国王陛下の姪だ。
 だからオルグレン=アスコット家は王家の血を引く由緒正しい名家ではあるけれど、現状とても貧しい。

 アスコット子爵領はカドガン伯爵領と川を挟んで隣合い、昔は双方ともに大層富んだ地であったらしい。
 けれどアラン様の曾御祖父様の代で、それまでにない長雨で川の氾濫が起こったそうだ。
 そしてアスコット子爵領側の堤防がそれに耐え切れず、崩れ落ちた。

 アスコット子爵領はコールリッジ家がカドガン伯爵領を治め始めるより旧くからあり、築かれた堤防もまた旧かった。
 強度の違いだったのだろう。運もあったのかもしれない。

 溢れ返った川は勢いよく水流を増し、アスコット子爵領を蹂躙した。
 そして飢饉が起こる。
 アスコット子爵は民のために手を尽くした。
 元通りとはいかずとも、飢饉を脱し、なんとか土地に住まう民が栄養失調の悪化に伴う病気、飢餓、餓死から免れるようになった。
 他の土地へ逃れようとする人口の流亡も収まるようになった。

 けれども、未だその傷痕は深い。

 そしてそんな危機に瀕したアスコット子爵だったけれど、オルグレン家当主のアボット侯爵は寄子であるアスコット子爵を見放した。
 そこへ手を貸し、支えたのが隣の領地を治めるカドガン伯爵だったのだ。

 つまり、アスコット子爵にとってコールリッジ家は厚恩を抱く相手であり、アラン様のお母様は恩に報いるべくカドガン伯爵に嫁いだのだ。

 コールリッジ=カドガン家にとって、オルグレン=アスコット家に流れる王家の血筋は魅力的だった。
 そんな使命を背負わされたアラン様のお母様が、カドガン伯爵と離縁して、ご実家であるオルグレン=アスコット家へお戻りになることは出来なかった。

 当時のアスコット子爵だったアラン様のお祖父様がまずお許しにならなかっただろうし、アラン様のお母様も、そのようなことをご自分にお認めにならなかった。
 オルグレン=アスコット家はコールリッジ=カドガン家への恩誼を仇で返すわけにはいかないのだ。

 アスコット子爵がアラン様の叔父様に代替わりした今ならば、オルグレン=アスコット家はアラン様のお母様を受け入れるだろう。
 現アスコット子爵は、ご自身の姉であるアラン様のお母様への、カドガン伯爵の仕打ちに、長年臍を噛んでいたのだから。

 けれど、アスコット子爵がそれを許したとて、オルグレン=アスコット家は未だ貧しく、コールリッジ=カドガン家の援助なしでは立ちいかない。
 オルグレン家一族は、オルグレン=アスコット家を既に見放していた。

 アスコット子爵領の民のこと。それからアスコット子爵の夫人やその子供のこと。
 アラン様のお母様は憂いただろう。
 それがためにアラン様のお母様は、カドガン伯爵と離縁して、オルグレン家へ逃げ帰るわけにはいかなかった。

「だから俺が爵位を継ぎ、あの男を領地に追いやって、母上を安心させてさしあげたい。そのとき俺があの二人に押し付けられた婚姻を受け入れていたら、母上は心休まらないだろう」

 それはそうだと思う。

 わたしがアラン様の元に嫁げば、アラン様のお母様はわたしの顔を嫌でも見なくてはならない。
 わたしはお母様クズと容姿がとてもよく似ている。
 幼い頃から真珠姫と呼ばれていたらしい、それはそれはお美しいお母様クズ
 その真珠姫の脳みそは、大鋸屑おがくずしか詰まっていないのだけど。

「つまり、アラン様が伯爵位を継ぐまでは大人しく言うことを聞いているように振舞って、婚約を継続。そしてアラン様が正式にカドガン伯爵になった暁に、晴れて婚約解消する、と。そういうことかしら?」

 先日お父様に買っていただいたばかりの淡い桃色の扇子で口を覆い、挑戦的な眼差しを投げてアラン様に問う。
 アラン様は俯いて、膝の上で拳を握った。
しおりを挟む
感想 23

あなたにおすすめの小説

花言葉は「私のものになって」

岬 空弥
恋愛
(婚約者様との会話など必要ありません。) そうして今日もまた、見目麗しい婚約者様を前に、まるで人形のように微笑み、私は自分の世界に入ってゆくのでした。 その理由は、彼が私を利用して、私の姉を狙っているからなのです。 美しい姉を持つ思い込みの激しいユニーナと、少し考えの足りない美男子アレイドの拗れた恋愛。 青春ならではのちょっぴり恥ずかしい二人の言動を「気持ち悪い!」と吐き捨てる姉の婚約者にもご注目ください。

【完結】彼を幸せにする十の方法

玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。 フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。 婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。 しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。 婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。 婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

【完結】シロツメ草の花冠

彩華(あやはな)
恋愛
夏休みを開けにあったミリアは別人となって「聖女」の隣に立っていた・・・。  彼女の身に何があったのか・・・。  *ミリア視点は最初のみ、主に聖女サシャ、婚約者アルト視点侍女マヤ視点で書かれています。  後半・・・切ない・・・。タオルまたはティッシュをご用意ください。

すれ違う心 解ける氷

柴田はつみ
恋愛
幼い頃の優しさを失い、無口で冷徹となった御曹司とその冷たい態度に心を閉ざした許嫁の複雑な関係の物語

【完結】 婚約破棄間近の婚約者が、記憶をなくしました

瀬里@SMARTOON8/31公開予定
恋愛
 その日、砂漠の国マレから留学に来ていた第13皇女バステトは、とうとうやらかしてしまった。  婚約者である王子ルークが好意を寄せているという子爵令嬢を、池に突き落とそうとしたのだ。  しかし、池には彼女をかばった王子が落ちることになってしまい、更に王子は、頭に怪我を負ってしまった。  ――そして、ケイリッヒ王国の第一王子にして王太子、国民に絶大な人気を誇る、朱金の髪と浅葱色の瞳を持つ美貌の王子ルークは、あろうことか記憶喪失になってしまったのである。(第一部)  ケイリッヒで王子ルークに甘やかされながら平穏な学生生活を送るバステト。  しかし、祖国マレではクーデターが起こり、バステトの周囲には争乱の嵐が吹き荒れようとしていた。  今、為すべき事は何か?バステトは、ルークは、それぞれの想いを胸に、嵐に立ち向かう!(第二部) 全33話+番外編です  小説家になろうで600ブックマーク、総合評価5000ptほどいただいた作品です。 拍子挿絵を描いてくださったのは、ゆゆの様です。 挿絵の拡大は、第8話にあります。 https://www.pixiv.net/users/30628019 https://skima.jp/profile?id=90999

処理中です...