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3.縁はなかった
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小さな希望も見い出せないまま正式な婚約を結ぶことに抵抗があった。
サイラスはいつも真っ白な薔薇を贈ってくれる。シャルロッテは知っていた。その薔薇はソフィアの好きな花だ。それとなく自分の好みも伝えてみたがサイラスには聞き流されてしまった。彼は女性に贈る花は白い薔薇以外は考えたことがないようだ。美しい花なのにくすんで見えてしまうのはどうしてだろう。
二人で街歩きをしてカフェに入った時、サイラスはシャルロッテに一言も問いかけずにクリームソーダ―を注文した。そしてサイラス自身はコーヒーを頼んでいた。「女の子はクリームソーダ―が好きだから」そう笑っていた。クリームソーダ―はソフィアが好きな飲み物だ。シャルロッテは嫌いではないがクリームとソーダ―は別々に頂きたい派で、一番好きな飲み物はミルクティーだった。何回目かに「今日はミルクティーを注文してもいいですか?」と言えば不思議そうな顔をされた。サイラスにとって女性の基準はソフィアでシャルロッテの好みに興味がないのだ。
サイラスは変化を好まない傾向がある。いつも同じカフェで同じものを注文する。新しくできたお店に入ってみたかったがサイラスは嫌がった。せめていつものお店でもまだ飲んだことのない物や新商品を試したい。でも彼に嫌われるのが怖くて言い出せなかった。シャルロッテは恋をして随分と臆病になってしまった。今までの自分なら図々しいほど自分の気持ちを主張することが出来たのに、サイラスにだけはそれが出来ない。
自分の気持ちを押し殺してもサイラスはシャルロッテを見てくれない。日に日に期待も希望も自信も失われていく。自分はこんなにうじうじした人間だったろうか。最近心から笑うことがなくなった。
「シャルロッテ。君の髪に似合いそうな髪飾りを見つけたんだ」
「ありがとうございます」
わざわざ自分の為にお店で探してくれた! 嬉しい! 品物を受け取ると綺麗な包装紙を開き取り出す。髪飾りを見て思わず息を呑んだ。サイラスが選んだのは白薔薇を模った髪飾りだった。細かい細工でとても綺麗だった。白薔薇がソフィアの好きな花だと知らなければ、はしゃいでこの場でつけたかもしれない。今の自分が笑えていたのか分からない。でもシャルロッテの動揺する様子にサイラスは気が付かない。複雑な気持ちでその髪飾りを眺めていた。
シャルロッテは次の夜会でその髪飾りをつけた。
「サイラス様。先日頂いた髪飾り、ドレスと似合っていますか?」
「ああ、似合っているよ」
サイラスは満足げに微笑む。彼はシャルロッテの髪を一束掬いうっとりと「綺麗だ」と呟いた。髪だけを見つめてシャルロッテの顔を見ない。髪に似合う髪飾りを選んだのであってシャルロッテに似合うかで選んだものではなかった。
いつだって夜会でソフィアから目を離したサイラスは、いつもシャルロッテの髪に視線を移す。髪だけを愛おしそうに見つめ微笑む。シャルロッテの顔を見ている時も、彼の意識はどこか別のところにある。気付きたくなくても気付いてしまう。
サイラスの向ける微笑みはシャルロッテのものじゃない。同じ髪色の別の女性へ向けられたものだ。彼の心がシャルロッテの上を通り過ぎていく。
ソフィアとシャルロッテの髪色や髪質はよく似ていた。長さも同じくらいで腰に届くくらいだ。身長も同じくらいなので後姿なら間違えてしまうかもしれない。彼はシャルロッテの髪をソフィアの髪に投影している。誉め言葉はシャルロッテに向けられたものではない。
お願い。私を見て――――――。
今夜も会場に着けばサイラスはいつものように会場内を見渡す。そしてソフィアと彼女の婚約者であるガルシア公爵を目にすると奥歯を噛んだ。悔しく思っているのだろう。彼の心の機微が全て分かってしまう。偶然なのか視線を感じての反応なのか、ソフィアもサイラスを見つめているように見える。目を逸らさないソフィアの気持ちは分からないが、二人がまるで引き離された恋人同士にすら見えてしまう。そう思えてしまうほどシャルロッテはサイラスだけを見つめていた。
そして自分はサイラスと目が合うことはない。今までも、きっとこれからも。この光景を見続けながら自分はこれからも彼の隣で笑みを浮かべることが出来るのだろうか。
「縁はなかった……」
ぽつりと溢した小さな呟きに隣にいるサイラスが反応することはなかった。
シャルロッテは夜会から帰宅するとそのまま父の執務室に向かった。
「シャルロッテ。夜会はどうだった? 楽しめた――」
父アルロの顔を見た瞬間、両方の瞳から涙が溢れ頬を滑り落ちる。アルロは目を瞠ったがすぐに椅子から立ち上がりシャルロッテを抱き締めてくれた。
「シャルロッテ。婚約は白紙にしようか?」
「っ……」
アルロは涙の意味を正確に理解したようだった。その声は優しい。
貴族の娘ならば自分の感情を殺し、偽りの良好な関係を装わなければならない。だけど、出来ない。これは我儘だ。クラーク侯爵家とは仕事の繋がりがある。もし自分のせいで支障をきたしたら取り返しがつかない。アルロは泣き止まないシャルロッテの背中を何度も擦り安心させるようにゆっくりと話した。
「気にしなくても大丈夫だ。お父様がクラーク侯爵様に話してこよう。シャルロッテが心配するようなことにはならないから安心しなさい」
「……ごめんなさい。お父様」
きっとアルロはシャルロッテの日々沈んでいく表情に気付いていた。シャルロッテはアルロの腕の中で大きく息を吐いた。申し訳ないと思う。でもそれ以上に苦しい気持ちから解放されるという安堵が広がる。
サイラスはシャルロッテに関心がない。自分を見ないサイラスの側にいるのは救いがなかった。シャルロッテは強欲だ。好きな人の側にいるだけで幸せになれると思っていたのになれなかった。好きになって欲しい。それが叶わないならこの恋を終わらせたい。逃げ出すことを選んでしまった。
(ああ、私の恋が終わる。違う、自分で終わらせるんだ)
泣き止むとアルロに今までのことを話した。許されるなら婚約を白紙に戻したいと。
「本当にごめんなさい。お父様」
格下の伯爵家から断りを入れるなんてクラーク侯爵様は怒ってしまわないだろうか。
「そんなことはシャルロッテが心配することじゃない。私はシャルロッテの幸せが一番大切だ。それに……心配しなくても侯爵様は怒ったりしない。はじめから婚約と事業は切り離して考えると約束していた。今は仮の婚約で口約束だけだ。正式な届けを出していないからさほど影響もない。侯爵様の方から二人の意志が伴ったら届けを出し正式な婚約にしようとおっしゃって下さった。だから今までは婚約者候補の状態だったな。候補を降りるだけだ。心配はしなくていいんだ」
事業に問題がないと聞きようやく安心できた。クラーク侯爵様は最初から仮で様子を見ようと言ってくれていた。それはシャルロッテの気持ちを優先して配慮をしてくれていたということだ。もしかして駄目になることも想定していたのかもしれない。
「ありがとう。お父様。よろしくお願いします」
鼻をすすりながらアルロに頭を下げる。
「ああ。任せておきなさい」
アルロは早速クラーク侯爵様に会い話をしてくれた。侯爵様は異論を唱えることなくすんなりと婚約の話は白紙になった。
サイラスはどう思ったのだろう。少しは残念に感じたかな。そう考え自嘲を浮かべる。そんなはずはない。きっと喜んでいるだろう。好きでもない女に気を遣わずにすむ。そう思うと胸に棘が刺さった様にチクチクと痛んだ。再び涙が零れ落ちる。
「シャルロッテ。侯爵様がお前に謝っていたよ。息子が未熟なばかりで申し訳ないと」
「そんな、私こそ……」
クラーク侯爵様の心遣いに感謝した。自分は焦り過ぎていたとも思う。時間をかけてサイラスがソフィアのことを忘れるのを待っていればよかった。でも、いつ訪れるか分からないその時まで耐え続けられそうにない。
最後までサイラスの瞳にシャルロッテは映っていなかった。
サイラスとはそれきりになった。彼から理由を問うような手紙も、もちろんシャルロッテに会いに来ることもなかった。なんて呆気ない終わりなんだろう。でもそのおかげで未練を吹っ切ることができそうだ。
そういえば彼に思いを伝えていなかった。「好きです」と一言、伝えたら何かが変わったのだろうか。ソフィアを見つめる愛おしそうな瞳を知ってしまったらどうしても言えなかった。
シャルロッテとの婚約の話が無くなってもサイラスは婚約者のいるソフィアとは一緒になれない。彼は素敵な人だからソフィア以上に愛せる人がいつか現れる。きっと素敵な縁が見つかるだろう。自分とは縁がなかったけどサイラスには幸せになって欲しいと思う。
もちろんシャルロッテだって幸せを諦めたりしない。悲しみが癒えたら今度は自分だけを見てくれる人を探そう。きっとどこかにいて会える、そう信じて。
サイラスはいつも真っ白な薔薇を贈ってくれる。シャルロッテは知っていた。その薔薇はソフィアの好きな花だ。それとなく自分の好みも伝えてみたがサイラスには聞き流されてしまった。彼は女性に贈る花は白い薔薇以外は考えたことがないようだ。美しい花なのにくすんで見えてしまうのはどうしてだろう。
二人で街歩きをしてカフェに入った時、サイラスはシャルロッテに一言も問いかけずにクリームソーダ―を注文した。そしてサイラス自身はコーヒーを頼んでいた。「女の子はクリームソーダ―が好きだから」そう笑っていた。クリームソーダ―はソフィアが好きな飲み物だ。シャルロッテは嫌いではないがクリームとソーダ―は別々に頂きたい派で、一番好きな飲み物はミルクティーだった。何回目かに「今日はミルクティーを注文してもいいですか?」と言えば不思議そうな顔をされた。サイラスにとって女性の基準はソフィアでシャルロッテの好みに興味がないのだ。
サイラスは変化を好まない傾向がある。いつも同じカフェで同じものを注文する。新しくできたお店に入ってみたかったがサイラスは嫌がった。せめていつものお店でもまだ飲んだことのない物や新商品を試したい。でも彼に嫌われるのが怖くて言い出せなかった。シャルロッテは恋をして随分と臆病になってしまった。今までの自分なら図々しいほど自分の気持ちを主張することが出来たのに、サイラスにだけはそれが出来ない。
自分の気持ちを押し殺してもサイラスはシャルロッテを見てくれない。日に日に期待も希望も自信も失われていく。自分はこんなにうじうじした人間だったろうか。最近心から笑うことがなくなった。
「シャルロッテ。君の髪に似合いそうな髪飾りを見つけたんだ」
「ありがとうございます」
わざわざ自分の為にお店で探してくれた! 嬉しい! 品物を受け取ると綺麗な包装紙を開き取り出す。髪飾りを見て思わず息を呑んだ。サイラスが選んだのは白薔薇を模った髪飾りだった。細かい細工でとても綺麗だった。白薔薇がソフィアの好きな花だと知らなければ、はしゃいでこの場でつけたかもしれない。今の自分が笑えていたのか分からない。でもシャルロッテの動揺する様子にサイラスは気が付かない。複雑な気持ちでその髪飾りを眺めていた。
シャルロッテは次の夜会でその髪飾りをつけた。
「サイラス様。先日頂いた髪飾り、ドレスと似合っていますか?」
「ああ、似合っているよ」
サイラスは満足げに微笑む。彼はシャルロッテの髪を一束掬いうっとりと「綺麗だ」と呟いた。髪だけを見つめてシャルロッテの顔を見ない。髪に似合う髪飾りを選んだのであってシャルロッテに似合うかで選んだものではなかった。
いつだって夜会でソフィアから目を離したサイラスは、いつもシャルロッテの髪に視線を移す。髪だけを愛おしそうに見つめ微笑む。シャルロッテの顔を見ている時も、彼の意識はどこか別のところにある。気付きたくなくても気付いてしまう。
サイラスの向ける微笑みはシャルロッテのものじゃない。同じ髪色の別の女性へ向けられたものだ。彼の心がシャルロッテの上を通り過ぎていく。
ソフィアとシャルロッテの髪色や髪質はよく似ていた。長さも同じくらいで腰に届くくらいだ。身長も同じくらいなので後姿なら間違えてしまうかもしれない。彼はシャルロッテの髪をソフィアの髪に投影している。誉め言葉はシャルロッテに向けられたものではない。
お願い。私を見て――――――。
今夜も会場に着けばサイラスはいつものように会場内を見渡す。そしてソフィアと彼女の婚約者であるガルシア公爵を目にすると奥歯を噛んだ。悔しく思っているのだろう。彼の心の機微が全て分かってしまう。偶然なのか視線を感じての反応なのか、ソフィアもサイラスを見つめているように見える。目を逸らさないソフィアの気持ちは分からないが、二人がまるで引き離された恋人同士にすら見えてしまう。そう思えてしまうほどシャルロッテはサイラスだけを見つめていた。
そして自分はサイラスと目が合うことはない。今までも、きっとこれからも。この光景を見続けながら自分はこれからも彼の隣で笑みを浮かべることが出来るのだろうか。
「縁はなかった……」
ぽつりと溢した小さな呟きに隣にいるサイラスが反応することはなかった。
シャルロッテは夜会から帰宅するとそのまま父の執務室に向かった。
「シャルロッテ。夜会はどうだった? 楽しめた――」
父アルロの顔を見た瞬間、両方の瞳から涙が溢れ頬を滑り落ちる。アルロは目を瞠ったがすぐに椅子から立ち上がりシャルロッテを抱き締めてくれた。
「シャルロッテ。婚約は白紙にしようか?」
「っ……」
アルロは涙の意味を正確に理解したようだった。その声は優しい。
貴族の娘ならば自分の感情を殺し、偽りの良好な関係を装わなければならない。だけど、出来ない。これは我儘だ。クラーク侯爵家とは仕事の繋がりがある。もし自分のせいで支障をきたしたら取り返しがつかない。アルロは泣き止まないシャルロッテの背中を何度も擦り安心させるようにゆっくりと話した。
「気にしなくても大丈夫だ。お父様がクラーク侯爵様に話してこよう。シャルロッテが心配するようなことにはならないから安心しなさい」
「……ごめんなさい。お父様」
きっとアルロはシャルロッテの日々沈んでいく表情に気付いていた。シャルロッテはアルロの腕の中で大きく息を吐いた。申し訳ないと思う。でもそれ以上に苦しい気持ちから解放されるという安堵が広がる。
サイラスはシャルロッテに関心がない。自分を見ないサイラスの側にいるのは救いがなかった。シャルロッテは強欲だ。好きな人の側にいるだけで幸せになれると思っていたのになれなかった。好きになって欲しい。それが叶わないならこの恋を終わらせたい。逃げ出すことを選んでしまった。
(ああ、私の恋が終わる。違う、自分で終わらせるんだ)
泣き止むとアルロに今までのことを話した。許されるなら婚約を白紙に戻したいと。
「本当にごめんなさい。お父様」
格下の伯爵家から断りを入れるなんてクラーク侯爵様は怒ってしまわないだろうか。
「そんなことはシャルロッテが心配することじゃない。私はシャルロッテの幸せが一番大切だ。それに……心配しなくても侯爵様は怒ったりしない。はじめから婚約と事業は切り離して考えると約束していた。今は仮の婚約で口約束だけだ。正式な届けを出していないからさほど影響もない。侯爵様の方から二人の意志が伴ったら届けを出し正式な婚約にしようとおっしゃって下さった。だから今までは婚約者候補の状態だったな。候補を降りるだけだ。心配はしなくていいんだ」
事業に問題がないと聞きようやく安心できた。クラーク侯爵様は最初から仮で様子を見ようと言ってくれていた。それはシャルロッテの気持ちを優先して配慮をしてくれていたということだ。もしかして駄目になることも想定していたのかもしれない。
「ありがとう。お父様。よろしくお願いします」
鼻をすすりながらアルロに頭を下げる。
「ああ。任せておきなさい」
アルロは早速クラーク侯爵様に会い話をしてくれた。侯爵様は異論を唱えることなくすんなりと婚約の話は白紙になった。
サイラスはどう思ったのだろう。少しは残念に感じたかな。そう考え自嘲を浮かべる。そんなはずはない。きっと喜んでいるだろう。好きでもない女に気を遣わずにすむ。そう思うと胸に棘が刺さった様にチクチクと痛んだ。再び涙が零れ落ちる。
「シャルロッテ。侯爵様がお前に謝っていたよ。息子が未熟なばかりで申し訳ないと」
「そんな、私こそ……」
クラーク侯爵様の心遣いに感謝した。自分は焦り過ぎていたとも思う。時間をかけてサイラスがソフィアのことを忘れるのを待っていればよかった。でも、いつ訪れるか分からないその時まで耐え続けられそうにない。
最後までサイラスの瞳にシャルロッテは映っていなかった。
サイラスとはそれきりになった。彼から理由を問うような手紙も、もちろんシャルロッテに会いに来ることもなかった。なんて呆気ない終わりなんだろう。でもそのおかげで未練を吹っ切ることができそうだ。
そういえば彼に思いを伝えていなかった。「好きです」と一言、伝えたら何かが変わったのだろうか。ソフィアを見つめる愛おしそうな瞳を知ってしまったらどうしても言えなかった。
シャルロッテとの婚約の話が無くなってもサイラスは婚約者のいるソフィアとは一緒になれない。彼は素敵な人だからソフィア以上に愛せる人がいつか現れる。きっと素敵な縁が見つかるだろう。自分とは縁がなかったけどサイラスには幸せになって欲しいと思う。
もちろんシャルロッテだって幸せを諦めたりしない。悲しみが癒えたら今度は自分だけを見てくれる人を探そう。きっとどこかにいて会える、そう信じて。
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