妖怪奇譚【一話完結短編集】

だんぞう

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マスク推奨

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「あのバス停使うなら、マスクした方がいいぜ」
 親切のつもりだった。
 だが友人――だと思っていたそいつは、烈火の如く激怒した。
 もう明けたんだとか、政府に騙されているとか、陰謀がどうのとか、人が変わってしまったみたいに頑なにマスクをディスり続ける。
 あー、そういう意味で言ったんじゃないんだけどな。面倒くせぇ。
 そいつの怒りの矛先が全てのマスク使用者まで及んだので、もう付き合いきれなくなってその場を離れた。

 しばらくすると、道の向こうからそいつの絶叫が聞こえた。
 きっとあの場所で叫んだのだろうから、ここまで聞こえるなんて凄まじい声量だ。
 さっきのまくし立てで喉が開いて血行も良くなってたんだろうな。知らんけど。
 おー。走って戻ってきやがる。
「なっ、なんだよアレっ! お前の仕業かっ!」
 凄まじい剣幕。
 こりゃ言っても信じないんだろうな。
 自分の求めている答え以外は何を言われたとしても。
 でも一応、元友人だし?
「遭遇したのは一人だけか? それとも老婆も居たか?」
「知ってるってことはやっぱりお前のせいかっ! これだからマスクの連中はよぉぉぉっ!」
 話を聞く気、全くないだろ。
 いやもう本当にこいつがどうなろうと知ったこっちゃなくなった。



 あのバス停の場所にはかつて古い屋敷があった、というのを聞いたのはバイト先で。
 それもお客さんから。
 そんなに大きくない居酒屋なんだが、初代店長の頃から通い詰めているご年配の常連さんというのが少なくなく、おじいちゃん子で育った俺からするとそんな常連さんたちというのはとても話しやすくって、いろんな話を聞かせてもらっている。
 バス停の古屋敷も、そうして聞いた話の一つ。

 常連さんたちが子どもだった頃、そこは「妖怪屋敷」と呼ばれていた。
 本当に妖怪が出たらしい。
 朱で塗ったような真っ赤な顔に針のような髪の毛、大きな一本角があって、口が耳まで裂けている坊主姿の「朱の盆しゅのぼん」という妖怪。
 話に聞くだけでも恐ろしげな姿だが、実物はさらに怖いらしい。
 なんというか迫力というか「喰われるかも」という圧を感じるのだとか。
「感想がやけにリアルっすね」
 と言ったら、伝説とか言い伝えとかじゃなく本当に居るのだと常連さんたちは口を揃えた。
 朱の盆に出遭ったら、決して大声を出したりせず、急いで口を押さえろとも言われた。
 叫び声自体がマズイわけじゃなく、大きく口を開けると白いモヤのようなものが飛び出してしまうのだそうだ。自分の口から。
 その白いモヤのようなものは魂で、それが飛び出たあとすぐに拾って飲み込めなかったら、数ヶ月で死んでしまうとのこと。
 実際、常連さんの何人かは出遭ったことがあるらしく、嘔吐感はないのに何かがこみ上げてきていったん口の中に生暖かさが溜まる、とかいうやけにリアルな体験談まで聞かせてもらった。
 常連さんの幼馴染の中には、それで本当に亡くなっちゃった方もいたんだと。
 沖縄のマブイと一緒って感じた。
 俺の母親は沖縄出身で、驚いた拍子にマブイを落としてしまう、みたいなことをよく言う。

 そしてもう一つ聞かされたのは、「舌長姥したながうば」という妖怪のこと。
 舌長姥は、ときどき朱の盆と一緒に出てくる老婆で、二人の関係性は夫婦だとか姉弟とか好き勝手言われているけど、真相は誰にもわからないっぽい。 
 わかっているのは、朱の盆が魂を落とさせて、舌長姥がカメレオンみたいに長い舌で巻き取って持って行くという分業スタイルだってことだ。
 妖怪屋敷はもう現在は取り壊されて、どこぞの会社の保養所になっているが、その保養所の真ん前にある屋根付きのバス停待合小屋にはいまだに朱の盆や舌長姥が出没するのだと脅された。
 この辺では熊と朱の盆と舌長姥に注意だよ、と笑う常連さんたち。
 うっかり魂を落としてしまっても、舌長姥に奪われる前に拾って飲み込めば助かるんだよ、と強く念押しされた。
 面白い話を聞いたな、くらいにしか思っていなかった。
 当時は、というより自分が実際に遭遇するまでは。

 あれはバイトを早上がりして、彼女の家へ向かおうとした夜のこと。
 生憎の雨だったので、バイクではなくバスを使うことにした。
 バス停待合小屋に到着すると、先客が一人いた。
 向かいに街灯があるのだが、電球が切れているのか暗くて、先客がどういう人なのかはよく見えなかった。
 傘をたたんで小屋の中へ足を踏み入れた途端、先客がこちらを向いた。
 それが話に聞いていた朱の盆そっくりだった。
 驚き過ぎて声も出なかったが、ふと口の中に生暖かい何かを感じて、直感的にそれを飲み込んだ。
 朱の盆は舌打ちして消えた。
 本当に消えたんだ。
 今、俺が見たモノが幻だったかのように。
 バスが来て、運転手さんに「乗らないの?」と尋ねられてようやく我に返った俺は、バスを見送り、慌てて周囲を探した。
 自分の魂が落ちてないかと。
 結局「白いモヤのようなもの」は見つからなかったし、舌長姥も見かけなかったので、俺は助かったんだと思う。
 あのとき口の中に感じた生暖かい何かは、今思えば俺の魂だったんだろうな。
 飲み込んでからもしばらく放心状態だったし。
 そして口から出ていかなかったのは、マスクで止まったからだと思うんだ。
 そう。その夜、俺はマスクをしていたから。
「魂ってウイルスよりデカいんだな」
 バイト先ではしばらくそのネタで持ち切りだった。
 常連さんも言っていた。そういや子どもの頃、風邪をひいてマスクをしていた子は魂が出なかったって。
 だから「あのバス停使うなら、マスクした方がいいな」ってことになったんだ。



 数ヶ月後、例のマスク激烈否定君は残念ながら死んじまった。
 それが原因なのかはわからないが、この地域のマスク率は今でも異常に高い。
 たかだかマスクごときで友人を失くして亡くした俺から言えることは、マスク率がやたらと高い地域を通りかかっても、慌てず騒がず怒って陰謀とか言い出さず、口をぎゅっと閉じようぜってこと。



<終>
朱の盆、舌長姥
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