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37 母と兄との再会
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エルランド王国の王都デライゼの外れにある小さな屋敷に、ローゼリアの母ナタリーと兄のエーヴェルトは暮らしていた。
ナタリーは生家のピオシュ家から子爵位と屋敷を譲られ、現在は女子爵となっていた。
屋敷は元々は二代前のピオシュ公爵の愛人の為に建てられたもので、石造りの建物には門番こそいなかったが、古いながらも造りはしっかりしていた。
ランゲル王国で最後に暮らしていた家は一応は屋敷と呼ばれていたが、木造ですきま風が吹き込む寂れた小屋のような小さな建物だった事を思うと、家族がエルランドへ移住してくれて良かったとローゼリアは思うのだった。
玄関の前で馬車を降りたローゼリアは、重厚なドアの前にイアンと共に立つ。兄のエーヴェルトには事前に手紙で来訪を知らせていたので、驚かれるような事はないだろう。
ピオシュ家の紋章である獅子と二本の剣が交差したデザインの金具が付いたドアノッカーを使ってノックをすると、執事服を着た使用人が二人を出迎えてくれた。
「お久し振りでございますお嬢様、こちらへどうぞ。ご当主さまとエーヴェルト様もお待ちになっていらっしゃいます」
元はピオシュ本家の執事補佐として働いていた執事は、ローゼリアとも面識があった。
「お久し振りね。こちらはオルコット伯爵令息のイアン様よ。伯爵様の代理で来て下さったの」
屋敷は先々代の公爵家当主が用意しただけあって、内装も調度品もそれなりに格調の高いものだった。フォレスターは紺色を基調にしたインテリアだったが、こちらはワインレッドを基調にしているようで、絨毯や天鵝絨のカーテンに使われていた色だった。そして飾られている花瓶や絵画には精密な花の絵が描かれていて、玄関の様子を見るだけでもこの家の主が女性という趣きが感じられた。
(お母さまらしいですわね)
武門の家系であったフォレスター公爵家には花ではなく、これまでの当主たちが集めた剣や鎧や盾などの武具が多く飾られていた。あれらの品々は家を明け渡す時に置いて行かされたのだが、今はどこかの貴族家にでも飾られているのだろうか?
執事はローゼリアとイアンを応接室へと案内する。家の様子を見る限り“母の家”だという事はよく分かったが、これまで父の影が一切見えない事が少し気になるところだった。
応接室に案内されてすぐに侍女が淹れてくれたお茶を飲み始めたところで、ドアが開けられて母のナタリーが現れた。ランゲルで別れた時とはまるで別人のように母の肌艶は良く、足取りもしっかりしていた事から健康を取り戻したのだとすぐに分かった。
母の後ろには兄のエーヴェルトもいたのだが、ナタリーは挨拶もそこそこにローゼリアの前まで来たので、ローゼリアには母の姿しか見えなかった。
母の元気な姿を見たローゼリアは、この数カ月一番気にしていた心配事が無くなり安心すると共に、母に会えた事で胸がいっぱいになるのだった。
「いらっしゃい!わたしの可愛いローゼリア、会いたかったわ!!」
母のナタリーは久し振りに会う愛娘を強く抱き締める。
「お母様っ……お母様っ」
母に抱き締められた瞬間、ローゼリアの瞳からは次から次へと涙が溢れて止まらなくなってしまった。
会ったら最初に体調の事を聞こうと思っていたのに、いざ会ってみるとローゼリアは泣きながら母を呼ぶ事しか出来なかった。
「ランゲルでは心配を掛けてしまってごめんなさいね」
「いいえっ、ローゼリアはっ、お元気なお母様とお会いできて嬉しいです」
「涙でせっかくの美人が台無しだわ」
ナタリーは自分も涙を流しているのに、先にローゼリアの涙をハンカチで優しく拭う。
「元気そうで良かった、ロゼ」
いつの間にか二人の側に来ていたエーヴェルトは、ローゼリアの肩に優しく触れる。彼もまた大きな瞳に涙を溜めていた。
一人だけ部外者であるイアンは家族の再会をそっと見守っていた。
ローゼリアを迎えに行った時は伏せっていた為、イアンはナタリーとは初対面だったが、ローゼリアもエーヴェルトも顔立ちや持っている色が母親に本当によく似ていると思った。
それにイアンの記憶にあったエーヴェルトは、畑仕事をしていた為か服が泥で汚れていたが、今は汚れがひとつもない清潔なエルランドの貴族服を着ていた。肌は少し日には焼けた様子だったが、以前とは違い髪も整えている彼は貴族らしい気品に溢れていた。
イアンはそんなエーヴェルトを華のある令息だと思った。
子爵でこれ程なのだから、公爵家時代の彼は着る物も高価なものを身に纏っていただろうから、もっと華やかだったのだろう。不当な理由で彼らを堕としたランゲルの貴族たちは罪深いとイアンは心の中で思うのだった。
ローゼリアの父親であるクレメンスに会うと思って緊張していたイアンは、クレメンスの不在が気になったが、ローゼリアからは父親については何も聞かされていなかった。
「あら、そういえばそちらは……?」
やっとイアンの存在に気付いたナタリーがイアンを見る。
「義父であるオルコット伯爵の代理で参りました、息子のイアン・オルコットと申します」
そう言ってイアンは騎士のように頭を下げた。
ランゲルの元貴族であった彼らは、ランゲルでは貴族当主が国を出る事の手続きが煩雑なのを知っているので、夫である伯爵の代わりにイアンがやって来るのはおかしな事ではないと分かっている様子だった。
「私はローゼリアとエーヴェルトの母のナタリー・ピオシュですわ。今は女子爵としてこちらにいますの」
そう言ってナタリーは優雅にカーテシーをして微笑みを浮かべる。母娘の再会を見た後では社交用の表情だと分かるが、宝石姫とまで呼ばれていたナタリーは40歳に近い年齢ではあったがとても美しかった。
「お母様、お父様はどちらにいらっしゃいますの?お兄様からのお手紙にはお父様はお元気にしていらっしゃるとしか書いて下さらないから、どうなさっているのか気になっていましたの」
最初にクレメンスの話題が出た途端、ナタリーの動きがぴたりと止まった。
「クレメンス様でしたら、お兄様の下で働いているわ。計算や文書作成はお得意ですから、今頃はピオシュ公爵領の代官のところにでもいらっしゃるのかしら?あの方も充実した日々を送っていらしてよ」
ランゲルにいた時の夫婦仲は円満で、どちらかといえば母の方が一歩引いた関係であった。子供から見ても恥ずかしくなるくらい仲が良かったはずなのに、母親の棘のある口調にローゼリアは驚いた。
「お母様、少しお変わりになられまして?」
ナタリーは手にした扇を広げると眉根を寄せた。
「クレメンス様の失態でランゲル建国の時から続いていたフォレスター家がなくなってしまったのよ。私の実家がエルランドにあったから良かったものの、生家がランゲル国内の貴族家だったらどうにもならなかったわ。実家もろとも没落させられていたでしょうね。あの方はプロポーズの時に私を幸せにする、不自由はさせないとおっしゃっていたのに、家ひとつ守る事も出来なかったのですから、私だけではなくピオシュ家当主であるお兄様もお怒りなのよ。平民となったクレメンス様が私と離縁しない条件がお兄様の元で働く事だったの。しばらく家族と離れてご自分がなさった事への自覚をしていただかないといけないわ。幸い事務仕事はお上手でしたから、お兄様も良い働き手が増えて喜んでいるわ」
ランゲルにいた時の母は静かに父に従うタイプの女性だったが、婚家が没落して無くなってしまうという経験を経たせいか、以前よりも逞しく変わったようにローゼリアには思えた。
(お母さまも変わられましたのね)
そして変わったのはローゼリアも同じで、没落して自分で何もかもしなければいけなくなり、食糧の他にも様々な物が不足する状況で、自ら兄のしている畑仕事を手伝うようになってから体力もついてきたし、気持ちも強くなったと思う。
エーヴェルトは優雅な仕草で腕を組んでソファーに座っている。没落していた時も兄だけは変わらなかった。ローゼリアを見つめる優しい笑みの奥にどんな事を考えているのかローゼリアには教えてくれなかったが、それでも兄は兄だった。
「父上は実直なところが長所だが、良く言えば王家に対しての忠義心が厚過ぎた。疑念を持たずに盲信するあまり、筆頭公爵家でありながらヴィルタのような新興貴族に足を掬われたんだ。あと数年で僕がフォレスターの全権を掌握して本格的にテコ入れをするつもりだったのだけれど、アレがあそこまで馬鹿王子だとは思わなかったからね。あの馬鹿がもう少しまともなヤツだと思っていた僕の見込み違いが今は悔やまれるよ」
再会の感傷から普段の調子を取り戻したエーヴェルトは躊躇なくヘンリックを笑いながら馬鹿と罵る。ランゲルでは家にいた時も使用人に聞かれないように気を付けていたのだが、エルランドではそういった気遣いを止めてしまったようだ。
「ローゼリア、私はピオシュの先代当主であったお父様が腹黒公爵と影で呼ばれていることがすごく嫌だったから、実直なクレメンス様のような方に嫁げて幸せだと思っていたわ。けれども今回の事で分かったの。お父様は私の知らないところでピオシュ家を守る為に戦っていらしたのだろうって。クレメンス様は領民思いの良い領主だと思うのだけれど、貴族社会で生きていくには足りないところも多かったのよ」
当主に足りないところは執務を補佐する侍従や妻が補うようにすべきだったのだが、ランゲル王国でのナタリーは外国人扱いをされていたので、エルランドとは違ってランゲルの社交界ではそれほど力を持つ事が出来なかった。そして運が悪い事に、侍従はクレメンスと同じタイプだったのだ。
そしてエーヴェルトはクレメンスとは逆のタイプだったのだが、彼の成長を待つよりも事態の進み具合が早かった。公爵令息ではあったが当時はまだ20歳になったばかりで、小さな役職に就いていただけの文官でしかなかったエーヴェルトには、あの冤罪事件をどうする事もできなかった。
「そうだわローゼリア、あなたに頼まれていた化粧品のサンプルが出来そうなの。ハンナ、用意していたあれを持ってきてくれるかしら?そうそう、長旅でお疲れでしょうから、エーヴェルトはイアン様をお部屋へ案内して差し上げて」
「承知しました、母上」
そう言ってエーヴェルトがソファーから立ちあがり、イアンを連れて応接室から出て行った。
部屋にはナタリーとローゼリアだけが残された。
体よくイアンを部屋から出したナタリーを見て、ローゼリアは母もピオシュ家の女性なのだと思うのだった。
ナタリーは生家のピオシュ家から子爵位と屋敷を譲られ、現在は女子爵となっていた。
屋敷は元々は二代前のピオシュ公爵の愛人の為に建てられたもので、石造りの建物には門番こそいなかったが、古いながらも造りはしっかりしていた。
ランゲル王国で最後に暮らしていた家は一応は屋敷と呼ばれていたが、木造ですきま風が吹き込む寂れた小屋のような小さな建物だった事を思うと、家族がエルランドへ移住してくれて良かったとローゼリアは思うのだった。
玄関の前で馬車を降りたローゼリアは、重厚なドアの前にイアンと共に立つ。兄のエーヴェルトには事前に手紙で来訪を知らせていたので、驚かれるような事はないだろう。
ピオシュ家の紋章である獅子と二本の剣が交差したデザインの金具が付いたドアノッカーを使ってノックをすると、執事服を着た使用人が二人を出迎えてくれた。
「お久し振りでございますお嬢様、こちらへどうぞ。ご当主さまとエーヴェルト様もお待ちになっていらっしゃいます」
元はピオシュ本家の執事補佐として働いていた執事は、ローゼリアとも面識があった。
「お久し振りね。こちらはオルコット伯爵令息のイアン様よ。伯爵様の代理で来て下さったの」
屋敷は先々代の公爵家当主が用意しただけあって、内装も調度品もそれなりに格調の高いものだった。フォレスターは紺色を基調にしたインテリアだったが、こちらはワインレッドを基調にしているようで、絨毯や天鵝絨のカーテンに使われていた色だった。そして飾られている花瓶や絵画には精密な花の絵が描かれていて、玄関の様子を見るだけでもこの家の主が女性という趣きが感じられた。
(お母さまらしいですわね)
武門の家系であったフォレスター公爵家には花ではなく、これまでの当主たちが集めた剣や鎧や盾などの武具が多く飾られていた。あれらの品々は家を明け渡す時に置いて行かされたのだが、今はどこかの貴族家にでも飾られているのだろうか?
執事はローゼリアとイアンを応接室へと案内する。家の様子を見る限り“母の家”だという事はよく分かったが、これまで父の影が一切見えない事が少し気になるところだった。
応接室に案内されてすぐに侍女が淹れてくれたお茶を飲み始めたところで、ドアが開けられて母のナタリーが現れた。ランゲルで別れた時とはまるで別人のように母の肌艶は良く、足取りもしっかりしていた事から健康を取り戻したのだとすぐに分かった。
母の後ろには兄のエーヴェルトもいたのだが、ナタリーは挨拶もそこそこにローゼリアの前まで来たので、ローゼリアには母の姿しか見えなかった。
母の元気な姿を見たローゼリアは、この数カ月一番気にしていた心配事が無くなり安心すると共に、母に会えた事で胸がいっぱいになるのだった。
「いらっしゃい!わたしの可愛いローゼリア、会いたかったわ!!」
母のナタリーは久し振りに会う愛娘を強く抱き締める。
「お母様っ……お母様っ」
母に抱き締められた瞬間、ローゼリアの瞳からは次から次へと涙が溢れて止まらなくなってしまった。
会ったら最初に体調の事を聞こうと思っていたのに、いざ会ってみるとローゼリアは泣きながら母を呼ぶ事しか出来なかった。
「ランゲルでは心配を掛けてしまってごめんなさいね」
「いいえっ、ローゼリアはっ、お元気なお母様とお会いできて嬉しいです」
「涙でせっかくの美人が台無しだわ」
ナタリーは自分も涙を流しているのに、先にローゼリアの涙をハンカチで優しく拭う。
「元気そうで良かった、ロゼ」
いつの間にか二人の側に来ていたエーヴェルトは、ローゼリアの肩に優しく触れる。彼もまた大きな瞳に涙を溜めていた。
一人だけ部外者であるイアンは家族の再会をそっと見守っていた。
ローゼリアを迎えに行った時は伏せっていた為、イアンはナタリーとは初対面だったが、ローゼリアもエーヴェルトも顔立ちや持っている色が母親に本当によく似ていると思った。
それにイアンの記憶にあったエーヴェルトは、畑仕事をしていた為か服が泥で汚れていたが、今は汚れがひとつもない清潔なエルランドの貴族服を着ていた。肌は少し日には焼けた様子だったが、以前とは違い髪も整えている彼は貴族らしい気品に溢れていた。
イアンはそんなエーヴェルトを華のある令息だと思った。
子爵でこれ程なのだから、公爵家時代の彼は着る物も高価なものを身に纏っていただろうから、もっと華やかだったのだろう。不当な理由で彼らを堕としたランゲルの貴族たちは罪深いとイアンは心の中で思うのだった。
ローゼリアの父親であるクレメンスに会うと思って緊張していたイアンは、クレメンスの不在が気になったが、ローゼリアからは父親については何も聞かされていなかった。
「あら、そういえばそちらは……?」
やっとイアンの存在に気付いたナタリーがイアンを見る。
「義父であるオルコット伯爵の代理で参りました、息子のイアン・オルコットと申します」
そう言ってイアンは騎士のように頭を下げた。
ランゲルの元貴族であった彼らは、ランゲルでは貴族当主が国を出る事の手続きが煩雑なのを知っているので、夫である伯爵の代わりにイアンがやって来るのはおかしな事ではないと分かっている様子だった。
「私はローゼリアとエーヴェルトの母のナタリー・ピオシュですわ。今は女子爵としてこちらにいますの」
そう言ってナタリーは優雅にカーテシーをして微笑みを浮かべる。母娘の再会を見た後では社交用の表情だと分かるが、宝石姫とまで呼ばれていたナタリーは40歳に近い年齢ではあったがとても美しかった。
「お母様、お父様はどちらにいらっしゃいますの?お兄様からのお手紙にはお父様はお元気にしていらっしゃるとしか書いて下さらないから、どうなさっているのか気になっていましたの」
最初にクレメンスの話題が出た途端、ナタリーの動きがぴたりと止まった。
「クレメンス様でしたら、お兄様の下で働いているわ。計算や文書作成はお得意ですから、今頃はピオシュ公爵領の代官のところにでもいらっしゃるのかしら?あの方も充実した日々を送っていらしてよ」
ランゲルにいた時の夫婦仲は円満で、どちらかといえば母の方が一歩引いた関係であった。子供から見ても恥ずかしくなるくらい仲が良かったはずなのに、母親の棘のある口調にローゼリアは驚いた。
「お母様、少しお変わりになられまして?」
ナタリーは手にした扇を広げると眉根を寄せた。
「クレメンス様の失態でランゲル建国の時から続いていたフォレスター家がなくなってしまったのよ。私の実家がエルランドにあったから良かったものの、生家がランゲル国内の貴族家だったらどうにもならなかったわ。実家もろとも没落させられていたでしょうね。あの方はプロポーズの時に私を幸せにする、不自由はさせないとおっしゃっていたのに、家ひとつ守る事も出来なかったのですから、私だけではなくピオシュ家当主であるお兄様もお怒りなのよ。平民となったクレメンス様が私と離縁しない条件がお兄様の元で働く事だったの。しばらく家族と離れてご自分がなさった事への自覚をしていただかないといけないわ。幸い事務仕事はお上手でしたから、お兄様も良い働き手が増えて喜んでいるわ」
ランゲルにいた時の母は静かに父に従うタイプの女性だったが、婚家が没落して無くなってしまうという経験を経たせいか、以前よりも逞しく変わったようにローゼリアには思えた。
(お母さまも変わられましたのね)
そして変わったのはローゼリアも同じで、没落して自分で何もかもしなければいけなくなり、食糧の他にも様々な物が不足する状況で、自ら兄のしている畑仕事を手伝うようになってから体力もついてきたし、気持ちも強くなったと思う。
エーヴェルトは優雅な仕草で腕を組んでソファーに座っている。没落していた時も兄だけは変わらなかった。ローゼリアを見つめる優しい笑みの奥にどんな事を考えているのかローゼリアには教えてくれなかったが、それでも兄は兄だった。
「父上は実直なところが長所だが、良く言えば王家に対しての忠義心が厚過ぎた。疑念を持たずに盲信するあまり、筆頭公爵家でありながらヴィルタのような新興貴族に足を掬われたんだ。あと数年で僕がフォレスターの全権を掌握して本格的にテコ入れをするつもりだったのだけれど、アレがあそこまで馬鹿王子だとは思わなかったからね。あの馬鹿がもう少しまともなヤツだと思っていた僕の見込み違いが今は悔やまれるよ」
再会の感傷から普段の調子を取り戻したエーヴェルトは躊躇なくヘンリックを笑いながら馬鹿と罵る。ランゲルでは家にいた時も使用人に聞かれないように気を付けていたのだが、エルランドではそういった気遣いを止めてしまったようだ。
「ローゼリア、私はピオシュの先代当主であったお父様が腹黒公爵と影で呼ばれていることがすごく嫌だったから、実直なクレメンス様のような方に嫁げて幸せだと思っていたわ。けれども今回の事で分かったの。お父様は私の知らないところでピオシュ家を守る為に戦っていらしたのだろうって。クレメンス様は領民思いの良い領主だと思うのだけれど、貴族社会で生きていくには足りないところも多かったのよ」
当主に足りないところは執務を補佐する侍従や妻が補うようにすべきだったのだが、ランゲル王国でのナタリーは外国人扱いをされていたので、エルランドとは違ってランゲルの社交界ではそれほど力を持つ事が出来なかった。そして運が悪い事に、侍従はクレメンスと同じタイプだったのだ。
そしてエーヴェルトはクレメンスとは逆のタイプだったのだが、彼の成長を待つよりも事態の進み具合が早かった。公爵令息ではあったが当時はまだ20歳になったばかりで、小さな役職に就いていただけの文官でしかなかったエーヴェルトには、あの冤罪事件をどうする事もできなかった。
「そうだわローゼリア、あなたに頼まれていた化粧品のサンプルが出来そうなの。ハンナ、用意していたあれを持ってきてくれるかしら?そうそう、長旅でお疲れでしょうから、エーヴェルトはイアン様をお部屋へ案内して差し上げて」
「承知しました、母上」
そう言ってエーヴェルトがソファーから立ちあがり、イアンを連れて応接室から出て行った。
部屋にはナタリーとローゼリアだけが残された。
体よくイアンを部屋から出したナタリーを見て、ローゼリアは母もピオシュ家の女性なのだと思うのだった。
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