山猿の皇妃

夏菜しの

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08:新しい生活①

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 ライヘンベルガー王国から連れてきた従者を全て解雇したと言うのに、ヘクトールは全く何も言うことは無かった。
 どうでも良いと思っているのか、それとも関心がないのか。
 あらどっちも同じ意味だったわ。


 宰相のラースが紹介した商人はすぐにやって来た。
 あの時に『男性は~』と言いかけて止めたのを聞いていたからか、やって来たのは若い女性の商人だった。ただしドレス姿ではなく、男装の麗人で髪も女性とは思えないほどに短かった。
「失礼します皇妃様。わたしは商人のエルミーラと申します」
「よろしくねエルミーラ。早速だけでいいかしら?」
「はいどうぞ」
「ここにある家具を買い取って頂戴な」
「よろしいのですか?」
 ラースから詳細を聞いていたのだろうか、驚きが一切も含まれていないとても平坦な声色だった。
「いまは家具よりもお金が必要なのよ」
 勿論この屋敷に備え付けてあった品は勝手には売れないので、ライヘンベルガー王国から持ってきた品だけを選んで売った。
 そして沢山のドレスも片手で足りる程度を残してすべて売り払うことに決めた。
 後ほど品を取りに来るときに代金も準備される予定だ。

「これから生活するにあたって、パンと安くて栄養のある食材が欲しいのだけどあるかしら?」
「そうですね。安さで言うなら材料を買い、調理をするのが一番安いでしょうね。
 しかしそれらの材料があったとして……
 失礼ですが皇妃様は調理ができますか?」
「昔レタスを千切ってサラダを作った事があるわ。お父様は美味しいと言って食べて下さったわよ」
「左様ですか。
 ところで皇妃様はお湯を沸かすことは出来ますか?」
「あっごめんなさい。そう言えばお茶も出していなかったわね」
「いいえそれは構いません。
 そうですね。恐れながら、まずは人を雇われるのが良いかと感じました」
「やっぱりそうよね……」

 彼女たちを解雇して一日。
 真っ先に困ったのは着替えだ。
 そもそも私はドレス以外を持っていない。一人で着られるドレスの数には限りがあり、今日着た分を引くと後一日分しかない。ついでに言うと洗い方を知らないので、その数が回復しないと言うおまけ付きだ。

 続いて食事。
 昨日は作りおいてくれた料理を食べたが、火が熾せず、つまり温めるすべがなくどれも冷たかった。いつも焼き立てでふかふかだったパンも翌日には硬くなりパサパサだ。
 それでも昨日はまだマシだったのだと今日気付いた。
 今日のパンはさらに硬く、とても顎が疲れた……
 しかし空腹に耐えかねて苦労して食べた。
 だがそれさえもマシだったようで、食べ終えた後は食べる物が無くなり、今日のお昼は抜いている。
 先ほどは強がりを言ってみたけれど、そもそも火が熾せないからお湯も沸かせない。だからいまは汲み置いてあった井戸水を大切に飲んで渇きを紛らわせている。
 この汲み置きが無くなると、まずは井戸を探す所から初めて、その後の事はまた考えるつもりだった。


「でも人を雇う余裕がないのよね」
 これから持久戦に入るからお金はあまり使いたくない。
「皇妃様は食事と寝る場所を提供することで、手に入る労働力があると言うのはご存知でしょうか?」
「どういう事?」
「ここイスターツ帝国はつい先ほどまで戦争がありましたね」
「ええ」
「戦争が起きると人が死にます」
「そうね」
「死ぬ人は色々ですが、死ににくい種類の人と言うのは少なからず居ます」
「どういう事?」
「戦争に行く男性や父親は死にますが、戦争に行かない妻や女子供は残ります。ではその残った者はどこに行くと思いますか?」
「修道院ね」
 ライヘンベルガー王国に居た頃に、慰安を目的に修道院には何度か足を運んだことがあった。だからすぐにピンと来たのだ。

「はい。生活に困って修道院に入った者の身請けをなされば労働力になりましょう」
「労働力の為なんて、そんな理由で身請けして良い訳がないでしょう!」
 エルミーラの言い草に苛立ちを覚えて声色が荒くなった。
 孤児の為ではなく自分の為に身請けするなど、その様な事が許される訳がない。
「そうでしょうか? もしも身請けされなければ今後ずっと修道院で過ごすかもしれません。しかし皇妃様に身請けされれば、この邸宅に住めて食事も食べられます。
 修道院で過ごすよりは良い待遇ではないんでしょうか」
「どうかしらね?」
 これからの生活を思えば修道院との差はいい勝負しそうな気がした。

 しかし侍女を雇えば、賃金が高いばかりか、紹介してくれた伝手に私の情報が漏れる恐れもある。それにビクビクと怯えるのでは前と一緒ではないかしら?
 伝手のない人物が雇えるか、ふむ確かに良い案の様な気がするわね。



 エルミーラと別れると私はすぐに城に赴いてヘクトールの元を訪ねた。
 しかし彼の部屋の扉を護る兵士は、皇妃の私を見てもヘクトールに用件を伝えようとしなかった。
 中に聞こえるまでここで騒いでやろうかと思ったが、別にヘクトールにどうしても逢いたいわけでもない。
 いいえ。どちらかと言えば会いたくないかも?
「私が来たことはヘクトール様にお伝えするように、良いわね」
「畏まりました皇妃様!」
 心の籠っていない返事。間違いなく伝わらないわね。
 まあいいわ。
 私はその足でラースの元を訪ねた。
「今日はどうされました?」
「ヘクトール様に会いに行ったら門前払いを喰らったわ」
「それは……、大変失礼しました」
「愚痴じゃなくて呆れてるだけよ。
 それよりもさっそくエルミーラを遣わしてくれてありがとう、助かったわ」
「それは良かったです」
「まずは緊急の用件よ。
 これから修道院に慰安に行きたいのだけど、その許可を貰っても?」
「構いませんがこちらの護衛を付けさせて頂きますよ」
「ふふっ私がさらわれたら大変ですものね」
「そう思われるのでしたら外出は控えて頂きたいですな」
「あら慰安くらいは良いじゃない」
「ですから許可しておりますが?」
「そうだったわね、ありがとう。準備が出来たら呼んで頂戴」
「すぐにさせます。こちらでお待ちください。
 それで? 緊急ではない用件と言うのはなんでございましょうか」
「屋敷の中でやることが無いのよ。城にある書物を届けてくれないかしら?」
「構いませんが女性が好む物語の類はほとんどございませんよ」
「大丈夫よ、そう言うのはいらないの。
 そうね、まずはこの国の民衆の暮らしとか、庶民の知恵の様な物が知りたいわね」
 なんせ一人ではお湯も沸かせなかったのだもの、まずは初歩の初歩から知っておくべきよね。
 そんな事を話している間に街に出る準備が終わったようで、私はラースに見送られて修道院に向かった。
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