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第6話 超香師
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頭が痛い。じんじんと響くその痛みは目覚ましとしては最悪だった。
のそ、とマシロは頭を持ち上げる。寝ぼけた思考でそれくらいしかできないことを悟った。手足が動かない。
どうやら自分は椅子に座った状態で縛り上げられているらしい。周囲は白いコンクリートでできた壁。窓も換気口も人がたやすく出入りできそうなほど大きい。それがかえって物々しさを醸し出していた。
「随分とぐっすり眠っていたようですね、マシロくん」
「……おはよう見知らぬ人。誰?」
「もうお昼ですよ、マシロくん」
「そう。誰?」
マシロの目の前に立って悠然と微笑む、全身を黒色で固めた男。白色の髪がいっそ浮き上がって見える。色彩が薄い割に目立ちそうなその男に、マシロは見覚えなどなかった。
「私はシグリと申します。フォリドゥースの店主を務めております。以後お見知り置きを」
「ふぅん」
嫌に丁寧な物言いがかえって気に障る。マシロは目を細めて彼、シグリを睨め上げた。フォリドゥース。聞いたことくらいはある。
「あんたがリービットを攫って、僕のことも拉致した犯人ってことでいいのかな。あの女の人もあんたの仲間?」
「ええ、彼女は私の秘書になります。手荒な真似をするつもりはなかったのですよ」
「現在進行形で手荒だと思うけどね」
「殴打で傷ついた頭の手当てはさせていただきましたし、それ以上あなたからは血も涙も汗も何もいただいておりません。十分かと」
「それ取るのが君たちの通常なの? 変態?」
「おや。匂い物質の多くは生き物から発生しているのですよ。香りを追求する者として様々な匂い物質を採取しようとするのは当たり前の行動かと」
温度の変わらない、ごく当たり前の受け答えのようだった。マシロには理解できない。したくもない。
「……言っとくけどね、僕を閉じ込めたって無駄だよ。僕の優秀な従業員なら、僕がここにいることにもすぐ気づく」
「クロウですね。ええ、ええ。もちろん。気づいてもらわねば困ります」
「……え」
ぶわ、と毛が逆立つ感覚。マシロはとっさに口を引き結んだ。まさか相手の口からクロウの名が出るとは。
おや、とシグリはわざとらしく首を傾げる。
「君はクロウのことをそれほど知らないのですね」
「何……?」
「クロウはね、かつてここで働いていたのですよ」
……それは、確かに知らなかった。しかし頷くのも癪で、マシロはただ黙る。
微笑んだシグリは手のひらサイズのモニターを取り出した。
「……カメラ?」
「ええ。この建物内の監視カメラです。見てください」
「……クロウ!」
小さなモニターに映し出されていたのは、小柄な人影。クロウだ。迷いなく足を進めている。これがこの建物内の映像ということは、自分の場所に向かってきてくれているのだろうか。
そのクロウの前に大男が立ち塞がる。香水店の従業員らしからぬ身のこなしだ。警備の者かもしれない。
音声までは聞こえてこない。しかし恐らく、侵入者め、と叫んでいるようだった。
「クロウ!」
体格差がありすぎる。あの大男に叩きのめされたらひとたまりもない。
思わず立ち上がりかけるが、縄が阻む。
「まあ、大丈夫でしょう」
「……え?」
大男の腕が伸び、クロウを掴み上げ――そのまま大男は崩れ落ちた。クロウはそれを一瞥し、また走り出す。
ほんの数秒。あっという間の出来事だった。
「例えばラベンダーやスイートマジョラムの香りには睡眠・鎮静効果があります。昂った神経を落ち着かせ、緊張を和らげるそれらの香りを嗅げば、結果的に眠気を催し睡眠の質を上げてくれることでしょう。睡眠前にハーブティーとして飲まれる方もいらっしゃいます」
「……それくらいは僕だって知っているさ」
「とはいえ、それらを嗅いだからといってすぐに眠ってしまうわけではありません――本来であれば。香水にしろアロマにしろ、そこまで直接的かつ劇的なものではありませんから」
マシロは曖昧に頷いた。それはそうだ。そんな効果があればもはや劇薬に値してしまう。
クス、とシグリは微笑む。
「しかしそれを可能にしてしまうのがクロウの調合した香りなのですよ。彼の天才的すぎるほどの嗅覚が成し得ることなのか、また別の才能なのかは本人にも定かではないようですが。調香どころか超香ですね」
「超香……」
モニターの中で、新たにクロウと対峙した男が急に固まったように動かなくなってしまう。その横をクロウはスルリとくぐり抜けていく。
「セージの類いでも使いましたかね……セージは万能薬とされるほどのハーブでしてね。しかし脳への神経刺激性を持っているため過剰に摂るのはよろしくない。またハッカのような強くて爽やかな香りだが、使い方によってはやはり刺激的に感じられるでしょう。神経が麻痺するほどに……、などということになるのはクロウくらいのものでしょうけどね」
目に見えない香りを操り、敵を薙ぎ倒して行くクロウ。まるで魔法のようだった。シグリの言う通り、自分はクロウのことをほとんど知らないのかもしれない。
そして――
ガン! と勢い任せの音。
ほぼ同時、部屋のドアが開け放たれる。
「マシロ!」
「クロウ……!」
扉に手をつき、肩で息をしたクロウがマシロの前に現れた。
スゥ、と彼は息を吸い、
「このすっとこどっこい!!」
全力でマシロに罵倒を浴びせてきた。
「ちょ」
「だから手を引け、早く帰れって言っただろーが! アホマシロ!」
「クロウが説明を放棄するからですぅー! あんな言い方されて僕が引き下がれるはずないってわかってたくせに! うっかりクロウ! でもごめんね! 来てくれてありがと!」
「どーいたしましてだよスカポンタン! でもやっぱムカつく」
「何が!?」
「オレが来ると思ってどっしり構えてやがったところが」
「信頼って言ってよ」
「怠惰だろ」
「信用ないなあ」
すっかりいつも通りの空気だ。それは二人だからこそのようでマシロにも嬉しい。こんな状況だというのに気が緩みそうになる。
と。
ぱち、ぱち、ぱち……空虚な拍手が二人の間に割り込んだ。
「ようこそ、クロウ。久しぶりですね」
のそ、とマシロは頭を持ち上げる。寝ぼけた思考でそれくらいしかできないことを悟った。手足が動かない。
どうやら自分は椅子に座った状態で縛り上げられているらしい。周囲は白いコンクリートでできた壁。窓も換気口も人がたやすく出入りできそうなほど大きい。それがかえって物々しさを醸し出していた。
「随分とぐっすり眠っていたようですね、マシロくん」
「……おはよう見知らぬ人。誰?」
「もうお昼ですよ、マシロくん」
「そう。誰?」
マシロの目の前に立って悠然と微笑む、全身を黒色で固めた男。白色の髪がいっそ浮き上がって見える。色彩が薄い割に目立ちそうなその男に、マシロは見覚えなどなかった。
「私はシグリと申します。フォリドゥースの店主を務めております。以後お見知り置きを」
「ふぅん」
嫌に丁寧な物言いがかえって気に障る。マシロは目を細めて彼、シグリを睨め上げた。フォリドゥース。聞いたことくらいはある。
「あんたがリービットを攫って、僕のことも拉致した犯人ってことでいいのかな。あの女の人もあんたの仲間?」
「ええ、彼女は私の秘書になります。手荒な真似をするつもりはなかったのですよ」
「現在進行形で手荒だと思うけどね」
「殴打で傷ついた頭の手当てはさせていただきましたし、それ以上あなたからは血も涙も汗も何もいただいておりません。十分かと」
「それ取るのが君たちの通常なの? 変態?」
「おや。匂い物質の多くは生き物から発生しているのですよ。香りを追求する者として様々な匂い物質を採取しようとするのは当たり前の行動かと」
温度の変わらない、ごく当たり前の受け答えのようだった。マシロには理解できない。したくもない。
「……言っとくけどね、僕を閉じ込めたって無駄だよ。僕の優秀な従業員なら、僕がここにいることにもすぐ気づく」
「クロウですね。ええ、ええ。もちろん。気づいてもらわねば困ります」
「……え」
ぶわ、と毛が逆立つ感覚。マシロはとっさに口を引き結んだ。まさか相手の口からクロウの名が出るとは。
おや、とシグリはわざとらしく首を傾げる。
「君はクロウのことをそれほど知らないのですね」
「何……?」
「クロウはね、かつてここで働いていたのですよ」
……それは、確かに知らなかった。しかし頷くのも癪で、マシロはただ黙る。
微笑んだシグリは手のひらサイズのモニターを取り出した。
「……カメラ?」
「ええ。この建物内の監視カメラです。見てください」
「……クロウ!」
小さなモニターに映し出されていたのは、小柄な人影。クロウだ。迷いなく足を進めている。これがこの建物内の映像ということは、自分の場所に向かってきてくれているのだろうか。
そのクロウの前に大男が立ち塞がる。香水店の従業員らしからぬ身のこなしだ。警備の者かもしれない。
音声までは聞こえてこない。しかし恐らく、侵入者め、と叫んでいるようだった。
「クロウ!」
体格差がありすぎる。あの大男に叩きのめされたらひとたまりもない。
思わず立ち上がりかけるが、縄が阻む。
「まあ、大丈夫でしょう」
「……え?」
大男の腕が伸び、クロウを掴み上げ――そのまま大男は崩れ落ちた。クロウはそれを一瞥し、また走り出す。
ほんの数秒。あっという間の出来事だった。
「例えばラベンダーやスイートマジョラムの香りには睡眠・鎮静効果があります。昂った神経を落ち着かせ、緊張を和らげるそれらの香りを嗅げば、結果的に眠気を催し睡眠の質を上げてくれることでしょう。睡眠前にハーブティーとして飲まれる方もいらっしゃいます」
「……それくらいは僕だって知っているさ」
「とはいえ、それらを嗅いだからといってすぐに眠ってしまうわけではありません――本来であれば。香水にしろアロマにしろ、そこまで直接的かつ劇的なものではありませんから」
マシロは曖昧に頷いた。それはそうだ。そんな効果があればもはや劇薬に値してしまう。
クス、とシグリは微笑む。
「しかしそれを可能にしてしまうのがクロウの調合した香りなのですよ。彼の天才的すぎるほどの嗅覚が成し得ることなのか、また別の才能なのかは本人にも定かではないようですが。調香どころか超香ですね」
「超香……」
モニターの中で、新たにクロウと対峙した男が急に固まったように動かなくなってしまう。その横をクロウはスルリとくぐり抜けていく。
「セージの類いでも使いましたかね……セージは万能薬とされるほどのハーブでしてね。しかし脳への神経刺激性を持っているため過剰に摂るのはよろしくない。またハッカのような強くて爽やかな香りだが、使い方によってはやはり刺激的に感じられるでしょう。神経が麻痺するほどに……、などということになるのはクロウくらいのものでしょうけどね」
目に見えない香りを操り、敵を薙ぎ倒して行くクロウ。まるで魔法のようだった。シグリの言う通り、自分はクロウのことをほとんど知らないのかもしれない。
そして――
ガン! と勢い任せの音。
ほぼ同時、部屋のドアが開け放たれる。
「マシロ!」
「クロウ……!」
扉に手をつき、肩で息をしたクロウがマシロの前に現れた。
スゥ、と彼は息を吸い、
「このすっとこどっこい!!」
全力でマシロに罵倒を浴びせてきた。
「ちょ」
「だから手を引け、早く帰れって言っただろーが! アホマシロ!」
「クロウが説明を放棄するからですぅー! あんな言い方されて僕が引き下がれるはずないってわかってたくせに! うっかりクロウ! でもごめんね! 来てくれてありがと!」
「どーいたしましてだよスカポンタン! でもやっぱムカつく」
「何が!?」
「オレが来ると思ってどっしり構えてやがったところが」
「信頼って言ってよ」
「怠惰だろ」
「信用ないなあ」
すっかりいつも通りの空気だ。それは二人だからこそのようでマシロにも嬉しい。こんな状況だというのに気が緩みそうになる。
と。
ぱち、ぱち、ぱち……空虚な拍手が二人の間に割り込んだ。
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