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「その猶予期間は、俺にとってはつまらないな。結婚後、妃が子どもを産まぬとあれば、妾を持つことは大いに推奨される。だが、婚前の火遊びは歓迎されていない。跡継ぎ問題が複雑になる上に、『不誠実な男』として人心を失う――と。何度言われてきたことか。アメリアは、精神が退行したとはいえ、体はすでに健康なのだろう? 子どもを生めるのなら、結婚自体は予定通り進めても良いのではないか」
自室で葡萄酒の注がれたグラスを傾けながら、リチャードは不機嫌そのものの様子で言った。
椅子に座ることもなく、公爵邸で見たままのことを報告したヒースは、わずかに眉をひそめつつも平静を装って声をかける。
「心は完全に幼児です。たとえ美しい衣装や甘いお菓子で興味をひき、式を乗り切ったとしても、今のあの方と寝所を共にすることはできないでしょう。男女の営みなど知らぬ子どもをだまし討ちするようなものです。肉体年齢が伴っていて、夫婦の誓いをしていたとしても、許されることではないかと。あの方はいま、ご自身に婚約者がいることすら知らず、理解も出来ないであろう子どもなんです」
「ふん。その忠告に従うとすれば、この先十年、この国の王家は正統なる跡継ぎを得る可能性を捨て去らねばならぬことになる。国家の危機ではないのか?」
グラスをテーブルに置き、沈み込むほどに寄りかかっていたソファからリチャードは身軽に立ち上がる。
背筋を伸ばしたまま立っていたヒースの顔を、首を傾けながら下から覗き込み、目を合わせた。
「お前、騙されていないか? 記憶が都合よく飛ぶなんてことあるか? あの女、俺と結婚したくないだけじゃないのか」
「殿下、もしお疑いならご自身での確認をお願い申し上げます。あの方は殿下との出会いからその後のすべてを忘れてしまっています。今からよく気遣い、優しいお兄様のように振る舞えば、この十年間のお二人のわだかまりも消えて、良きご夫婦となられることでしょう」
激しい音に痛みが伴い、ヒースは訓練時の怪我以外で初めて目から星が飛ぶという体験を味わった。
頬を打たれた。避けるつもりもなかったが、あまりにも容赦のない一撃。
「王太子妃が嫌で、子ども時代に逃げ込む女など、用はない。見舞いには今後もお前ひとりで行け」
「しかし、婚約者は殿下です。アメリア様が心待ちにしているのは殿下なのでは」
「それは嘘だ。お前らしくもない。心にもないことをまっすぐな目をして言うな。頬はさっさと冷やせ」
いつも通りの、横暴で、鷹揚な言い様。
(悪いだけの方ではないのだ。ただ少し、何かが欠けている。それはおそらく、あの公爵のもとで育ったアメリア嬢にとっては、欠けてはいけない何かであって)
「これからは、俺の『女遊び』にも大義名分が成り立つな。その中から王太子妃候補が出てくるかもしれない」
「できればお止めしたいところです。アメリア様ほど完璧に、音を上げず妃教育に耐えられる御令嬢がどれほどいらっしゃるか」
「いい加減にしろ。あの女は耐えられなかったから、心が壊れたふりまでして逃げ出したんだ。俺は追わない」
痛む頬をおさえることもなく、ヒースはリチャードの物憂い横顔を見た。
見間違いでなければ、傷ついた顔をしていた。
* * *
自室で葡萄酒の注がれたグラスを傾けながら、リチャードは不機嫌そのものの様子で言った。
椅子に座ることもなく、公爵邸で見たままのことを報告したヒースは、わずかに眉をひそめつつも平静を装って声をかける。
「心は完全に幼児です。たとえ美しい衣装や甘いお菓子で興味をひき、式を乗り切ったとしても、今のあの方と寝所を共にすることはできないでしょう。男女の営みなど知らぬ子どもをだまし討ちするようなものです。肉体年齢が伴っていて、夫婦の誓いをしていたとしても、許されることではないかと。あの方はいま、ご自身に婚約者がいることすら知らず、理解も出来ないであろう子どもなんです」
「ふん。その忠告に従うとすれば、この先十年、この国の王家は正統なる跡継ぎを得る可能性を捨て去らねばならぬことになる。国家の危機ではないのか?」
グラスをテーブルに置き、沈み込むほどに寄りかかっていたソファからリチャードは身軽に立ち上がる。
背筋を伸ばしたまま立っていたヒースの顔を、首を傾けながら下から覗き込み、目を合わせた。
「お前、騙されていないか? 記憶が都合よく飛ぶなんてことあるか? あの女、俺と結婚したくないだけじゃないのか」
「殿下、もしお疑いならご自身での確認をお願い申し上げます。あの方は殿下との出会いからその後のすべてを忘れてしまっています。今からよく気遣い、優しいお兄様のように振る舞えば、この十年間のお二人のわだかまりも消えて、良きご夫婦となられることでしょう」
激しい音に痛みが伴い、ヒースは訓練時の怪我以外で初めて目から星が飛ぶという体験を味わった。
頬を打たれた。避けるつもりもなかったが、あまりにも容赦のない一撃。
「王太子妃が嫌で、子ども時代に逃げ込む女など、用はない。見舞いには今後もお前ひとりで行け」
「しかし、婚約者は殿下です。アメリア様が心待ちにしているのは殿下なのでは」
「それは嘘だ。お前らしくもない。心にもないことをまっすぐな目をして言うな。頬はさっさと冷やせ」
いつも通りの、横暴で、鷹揚な言い様。
(悪いだけの方ではないのだ。ただ少し、何かが欠けている。それはおそらく、あの公爵のもとで育ったアメリア嬢にとっては、欠けてはいけない何かであって)
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「いい加減にしろ。あの女は耐えられなかったから、心が壊れたふりまでして逃げ出したんだ。俺は追わない」
痛む頬をおさえることもなく、ヒースはリチャードの物憂い横顔を見た。
見間違いでなければ、傷ついた顔をしていた。
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