置き去りにされた恋をもう一度

ともどーも

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18話 香澄の油断

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 香澄が奏でる優しい音色が響く会場。
 ショパン『ノクターン』
 大ホールが開場し、ウェルカムドリンクを持った招待客が続々と入ってきた。
 立食パーティーだから、皆リラックスした様子で自由に交流し心地よい空気が流れている。
 香澄の奏でるピアノの近くに来る人。
 離れた場所で談笑を楽しむ人など様々だ。
 私はといえば、香澄の演奏に合わせて楽譜をめくるサポートをしている。
 私たちの出番は客入りの開場場面と、会社側が企画したプログラム途中の一つの演目として、連弾を披露すること。そしてプログラム終了後のフリータイム時に、その場に合った演奏を行うのが仕事だ。
 
「──っ」
 離れたところに玲奈や、トイレで合った女性たちの集団を発見した。司もいた。こちらを睨んでくる50代くらいのおじさんもいた。もしかして、あれが団長だったりして……。
 こんな人が多い場所で、そんな顔して睨んでたらマズイんじゃないかしら?

 香澄が最後の1音を余韻を残しながら消すと、会場内から拍手が沸き上がった。
 当然の反応よね!
「ただいまより、四葉不動産ホールディングス株式会社、創立85周年記念パーティーを開会いたします。本日はご多忙のなかお集まりいただき、誠にありがとうございます!」
 ステージから司会者の声が響いた。
 しばらくは、プログラムが進行しないと私たちの出番はない。控え室で待機してもいいし、立食パーティーを楽しんでもよいことになっている。
 さて、どうするかな……。

「香澄」
 男性の声に振り向くと、香澄のおじさんの岸谷さんがいた。
「素晴らしい演奏だった」
「岸谷様のお役に立てて光栄です」
「実はな、北条様が今の演奏を気に入ってくれてな。君に挨拶したいと言っている。時間はあるかな?」
「もちろんです」
 嬉しそうな香澄。
 演奏を認められたのだから、当然の反応よね。
 自分のことのように嬉しいわ!
「ちょっと行ってくる」
「うん!」
 岸谷さんは他に用事があるらしく、香澄に『中央にいるブルーグレーのドレスの女性だ』と告げて、会場を出ていってしまった。
 香澄は一人中央スペースに向かって歩いて行った。
 私は使い終わった楽譜を片付けていると、会場で悲鳴が響いた。
 そちらに目を向けると、香澄が倒れている。
「香澄!」
 慌てて駆け寄ると、香澄のドレスにお酒がかかっていて、足を押さえていた。
 もしかして、転倒したときに足を痛めてしまった?
「もっ、申し訳ありません!」
 そばにはトレイをひっくり返したウエイターが、青ざめた顔でオロオロしている。
「私がぶつかったせいでこのようなことに……。本当に申し訳ありません!」

「何事だ」
 低くよく通る声が、その場の空気を一瞬で引き締めた。
 声の方を見ると、2ヶ月前私たちが『本気の連弾』を披露した、神崎拓真がいた。気品漂い、ダークスーツを完璧に着こなしている。その隣には、淡いブルーグレーのドレスを纏った美しい女性が立っていた。
 拓真はすぐに香澄の状態を確認し、視線をすっとウエイターに向けた。
「何があった」
「はい……。その……誰かがぶつかってきて、前方にいたこの方を押し倒してしまいました。申し訳ありません……」
 その言葉に、周囲の視線が一斉に動く。
 自然と、玲奈の方へ──。
「えっ!? わ、私? ち、違います! 確かによろめいて、思わず前方の彼に手が当たっちゃったけど、私、押してなんかいません」
 玲奈は両手を胸に当て、涙目になっている。
「それに……見てくださいよ、私にもワインがかかってるんです。私だって被害者なんです。こんなに濡れて……」
 そう言いながら、ドレスの裾を広げる。
 いや、でもあなたの不注意でよろめいたんでしょ?ワインで濡れたから何?
 香澄はその上に足を怪我したのよ。
 
「押したなんて人聞きの悪いこと言われても……。ちょっとぶつかった程度で倒れるウェイターさんも、どうなんですか?ねえ ?ウェイターさん?」
 巻き込まれたウェイターは、さらに青ざめて言葉を失う。
「本当に、ちょっと手が触れただけなんです。なのに、こんな騒ぎになるなんて……。私、どうしたらいいか……」
 声と肩を震わせ憔悴した様子ではある。でも、確かにちょっと手が触れるだけでこんなことになるか……?と考えていたが、私は見逃さなかった。この女の口角が一瞬、僅かに上がったのを。
 胸の奥が怒りでぐっと熱くなる。
 
 こいつ、わざとだ。
 わざとウェイターにぶつかって、香澄を狙ったんだ!

「このっ」
「美咲。こんなところで騒ぎを起こしてはダメよ」
 香澄は冷静に私を止めた。
 彼女の言う通りだ。ここで『わざと押したんだ!』と言っても意味はない。
 だけど……ムカつく……。
 悔しくて手を握り混んでいると、ブルーグレーのドレスの女性が私たちの近くに来て、手を差し出した。
「立てるかしら?」
 香澄は立ち上がろうとするが、足が痛いようでうまく立てないみたいだ。
「拓真」
「あぁ」
 ドレスの女性に促され、神崎社長が香澄を抱き上げた。
「えっ!?」
 突然のことに私も香澄も驚いた。
「医者を別室に待機させている。不快だろうがそこまで運ばせてもらおう」
「そんな!自分で歩きます」
「君の連弾を楽しみにしていたんだ。これくらいさせてくれ」
 香澄の申し出を拒否して、神崎社長はそのまま歩いて会場を出ていった。

 招待客がざわつく中、ドレスの女性は静かに手を上げ「皆様、どうぞ落ち着いてください」と言った。
 その声は柔らかく、それでいて会場全体に自然と届き、ざわつきが少しずつ収まっていく。
 彼女はゆっくりと会場を見渡し、ささやくように付け加えた。
「私は四葉不動産ホールディングス株式会社社長、神崎拓真の婚約者、北条天音と申します。ピアニストの方は、別室で処置を受けますので、ご心配には及びません」
 言葉の一つひとつが、空気を整えるように優雅に響く。
 玲奈は眉をひそめ、あからさまに不満げな視線を投げたが、北条さんはその視線に動じず、軽く微笑む。
「どうぞ、引き続きパーティーをお楽しみください」
 落ち着いた声に、会場の緊張は自然に和らぎ、誰も騒ぐことはなくなった。 
 北条さんも会場を出ていった。私は慌てて彼女の背中を追った。ドアに手を掛けたとき、視線に気がついてそちらを見ると、玲奈がこちらを睨んでいた。
 あからさまな敵意にムカムカしたが、香澄の方が心配なので気にせず、私も会場を飛び出した。


 ◇◇◇


 別室は大ホールのすぐ近くだった。
 私が駆けつけたとき、神崎社長はすれ違いで部屋を出ていった。中には医師と、足に包帯が巻かれた香澄がいた。
 
「あっ、美咲」
「香澄!足の具合はどう?他に痛いところは?」
「手を庇ったから肩が痛いけど、演奏に支障はないわ」
「支障はないって……その足じゃ、ペダルは踏めないし、肩だって万全じゃないでしょ?」
「大丈夫よ。絨毯がふかふで助かったわ。だけど、美咲の言うようにペダルは無理ね。──だから美咲、お願い。私の分のペダル操作もして欲しいの」
「えっ……」
 香澄の申し出に驚いた。
 出来ないわけではないが、かなり無茶な話だ。
 香澄のタイミングに合わせつつ、自分のタイミングも図る。二人のシンクロが必須だ。
 ぶっつけ本番でそんなこと……。
「お願い。こんなことで演奏を中止にしたくない。それに、私たちならできる。私と美咲なら。だからお願い。力を貸して」
 香澄の切実な目を見て、私も覚悟を決めた。
「──わかった。任せて!」
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