奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

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『花倉の乱(勃発)編』 天文四年(一五三五年)

第26話 ゆっくり酒でも

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 お館様の親政が始まり三年が経過した。

 その年の夏、祖父山城入道が亡くなった。この時代にあっては年齢的には大往生といえる歳であろう。
 葬儀の為に堤城を訪れた五郎八郎は、そこで住職から改めて松井家の歴史について聞く事になった。


 ――松井家は元々、山城(京都駅周辺)の御家人であったらしい。
 恐らくだが、宗太時代によく歴史ゲームで見た松井某という関西の武将(雑魚武将なのであまりよく覚えていない……)は、宗家という事になるのだろう。

 足利の初代公方様と吉野の天子様が争った際、松井家はいち早く公方様にお味方し各地に所領を得た。だが一門でもなく足利家と縁戚も無かった松井家は、守護に取り立ててもらう事は無かった。
 当主だった松井兵庫亮は、足利一門で遠江守護だった今川五郎に従って吉野方と奮戦。
 遠江の国境にある葉梨はなし(新東名高速藤枝PA付近)の地頭職を得たのだそうだ。

 以前、父兵庫介は松井家を説明する時に堀越家の被官だと言っていた。だが恐らくそれは父が元服した頃そうだったというだけの話であろう。
 所領の関係で堀越家の被官になっていただけ。歴史ゲームで言えば、堀越家が遠江の太守でその家臣に松井家がいるという感じになるのだろうか。
 聞けば、福島家、朝比奈家、飯尾家、小笠原家も同様なのだそうだ。

 先々代の頃はそれで何の問題も発生はしなかった。問題が発生したのは何年か前の甲斐侵攻の後。お館様が遠征中の遠江衆を見捨てたというあの一件で、駿河衆と遠江衆の間に亀裂が入ってしまった。
 その結果、遠江に領地を持つ駿河衆は微妙な立場になってしまっている。

 現在、その問題に対し各家はそれぞれ異なる態度をとっている。
 飯尾家、小笠原家は完全に自分は駿河衆という立場。
 反対に福島家は遠江衆という立場。
 朝比奈家はどちらの肩も持たずに孤高を貫いている。

 当家はというと双方に良い顔をした挙句板挟みになっている。
以前、葛山中務少輔が言っていた山城守が不憫だったというのはそういう事なのだろう――


 葬儀には近隣の国衆の方々も弔問に訪れてくれた。
 先に北の懸川城主朝比奈備中守が、次いで南の舟ケ谷城主新野左京之介が、その後、西の土方城から福島上総介が訪れた。

 弔問が終わると上総介は、五郎八郎と少し話がしたいと兵庫介に申し出た。
 兵庫介は少し不安を覚えたが、まさか断るわけにもいかず、奥の部屋に案内し家人に酒と肴を運ばせた。

「お話があると伺いましたが、改まってどのようなお話でしょうか?」

 五郎八郎が上総介のかわらけに酒を注ぐ。上総介はその酒を一気に飲み干し、またかわらけを差し出す。結局、上総介は三杯の酒を矢継ぎ早に飲み干し、ふうと人心地ついた。

 相変わらず豪快な人だと五郎八郎は少し可笑しくなった。特徴的な虎髭と相まって、まるで三國志の張飛が目の前にいるかのようである。

「なに、これまですれ違いばかりで、なかなかゆっくりと話ができなんだでな。良い機会であるから話をと思ったのだ」

 上総介も五郎八郎に酒を注いだのだが、五郎八郎は飲む振りだけをし膳にかわらけを置いた。それを見て、下戸らしいと井伊宮内少輔や大沢左衛門佐から聞いていたのを上総介は思い出した。

「そなたの父君も兄も酒は上戸だというに、そなたが下戸というのは中々に面白いものだな」

 見ると上総介のかわらけは空になっており、五郎八郎は銚子を傾け何杯目かの酒を注いだ。

「上総様のお子は全員上戸なのですか?」

 上総介はがははと豪快に笑い出した。

「それがしの妻もなかなかに上戸でな。我が子は揃いも揃って上戸ばかりじゃ。特に三男の孫九郎がでな。おかげで酒の消費が激しいと家人によく叱られておる」

 確かにこの調子で一門が宴席のたびに吞みまくっていたら、酒代がいくらかかるかわかったものではないだろう。

「家人の方々はそんなに酒は嗜まれないのですか?」

 上総介は五郎八郎の問いに、少し考える素振りをする。

「家人はそこまででは無いよ。ただ縁者は皆よ。淡路守という者がおるのだがな、自分もたらふく呑むくせに、それがしには口うるさく言うのだ。いい気なものよな」

 上総介はかわらけをくっと傾けるとまた豪快に笑い出した。その豪快な態度に五郎八郎は思わず笑みをたたえ、新たに酒を注いだ。

 その表情から五郎八郎の心が十分ほぐれたと感じたのであろう、上総介は本題に入った。

「そなたの父君は堀越様を立てるような付き合いをしておる。所領が近いというのもあるだろうがな。それがしもそうだ。それがしはそなたの兄にもそういう付き合いをして欲しかった」

 上総介はかわらけを膳に置くと、昔話だと言って甲斐侵攻の時の話を始めた。
 あの時、松井家はまだ山城入道が当主であった。堤城からは山城入道の実弟が、二俣城では惣左衛門尉の兄がそれぞれ出兵していた。
 井伊軍や匂坂軍のように敵と見れば突っ込んでいく軍がおり、天野軍や大沢軍のように崩れた敵になだれ込む軍がいる。松井軍は実に冷静で、後方でじっと待機し崩れそうな部隊をみるとそこに急行し支援していた。
 遠州衆の戦は、まるで獰猛な狼が集団で得物を狩るかのように美しいものであった。

「それがしはな、あの時遠江衆と寝食を共にし、共に戦い、これが今川の軍であるべきだと感じたのだ。それに比べて駿河衆の戦はこすからくて嫌になる。誰もが漁夫の利ばかりを狙って、まともに戦おうとしない」

 上総介は膳に置いたかわらけを手に取ると、またくっと酒を飲み干した。

「ここに来て遠江だけに再検地を課しやがって、おまけに『誤魔化さずきっちりと』だと? 前回よりも検地の数字を高く出せと命じているようなものではないか!」

 上総介は怒りが溢れ出し握った拳を床板に叩きつけた。

「それがしも検地はさせていますが、家人には新田と廃田だけを調査しろと命じました。もし文句を言われたら、通常より長い物差しを見せて、まさか物差しが狂ってたなんてと言い訳しようかと」

 五郎八郎が少し照れながら舌をぺろりと出した。
 上総介は五郎八郎の顔をじっと見、「大した知恵者だ」と呟いた。

「そなたは以前、堀越様に『誇りがあるなら働きで見返せ』と申しておったな。先ほどそれがしの甲斐遠征の話を聞いて、それでもその考えは変わらぬか?」

 五郎八郎もかわらけに手を伸ばし酒をひと舐めする。相変わらず不快な味だと顔をしかめた。

「もしも功を立てても評価されぬのであらば、それはもう主従の信が崩れているのではないでしょうか? 領内が面従腹背ばかりになったら、もはやその家は終いだと思います。さすがにその前に気付くと思うのですが……」

 上総介は面倒になったのか自分でかわらけに酒を注ぐと一気に飲み干した。二人分の銚子はこれでどちらも空である。

「随分と兄とは違う事を言うのだな。そなたの兄は、それでも今川を支えていくのが忠というものだとほざきやがった。それがしは、どうにもあの男が好きになれなかった。無能な駿河衆なんぞに無駄に媚びを売りやがって」

 上総介は苛立ちながら自らの膝を叩いた。
 そんな上総介を五郎八郎はじっと睨みつける。

「兄上には兄上の考えがあっての事。それがしはそんな兄上を一人の武士もののふとして尊敬しております。兄上を侮辱しないでいただきたい!」

 五郎八郎の気迫に上総介は少し気圧された。すぐに自分の言動が行き過ぎていたと反省したらしく、「不快な思いをさせてしまい申し訳なかった」と頭を下げた。

「少し酒が過ぎたやもしれんな。実はそなたに聞きたい事があるのだ。もしもだ、もしもお館様が今以上に遠江衆への嫌がらせを強めてきたら、そなたはどうする?」

 どうすると突然言われてもすぐに回答が出る問題では無い。
 だが可能性の比較的高い問題でもあった。

「わかりません。わかりませんが、それがしにそれなりの人脈があれば、しかるべき方に諌言かんげんをしてもらうかも」

 上総介は少し俯き、「諌言か」と呟いた。

「聞き入れられなかったら? 手打ちにされるやもしれぬぞ? お館様は恐らくそれくらいの事はやってくるぞ?」

 先代のお館様は、公家の娘を正妻にしたいというだけで正妻だった従妹を妾に落とし、その子を僧籍に入れた。小鹿新五郎から家督を戻そうという頃は、あれだけ従妹と仲睦まじくしていて、当主の座に付いたら全てを過去の事にした。
 「今のお館様はそういう義も情も無い方のお子だ」と、上総介は語気を荒げた。小鹿新五郎から家督を戻すのに、福島家がどれだけ尽力したと思っているのかと。

 初めて耳する話に五郎八郎は正直驚きを隠せなかった。
 確かにここまでの経緯を聞けば上総介が怒るのも無理はないとも思う。

「……難しい問題ですね。今すぐ答えが出るような問題では無いかと」

 五郎八郎は兄への侮辱には激怒したが、お館様への侮蔑には怒りはしなかった。上総介はその態度で、五郎八郎も内心ではお館様に忠節を抱いていないのだという事を察した。

 思わぬ長居をしたと上総介は席を立った。
 あれだけ吞んだというに足取りは実にしっかりとしている。
 帰り際、振り返り五郎八郎の顔を見て微笑んだ。

「お互い大変な時代に生まれ落ちてしまったものよな」
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