奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

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~思案の章~ 『花倉の乱(顛末)編』 天文五年(一五三六年)

第41話 そなたの席はそこではない

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 五郎八郎の必死の訴えも雪斎禅師には響かなかったらしい。久野家は情状酌量の余地がある、だが堀越家と井伊家は論外。そこは譲らなかった。

 承芳和尚もそこは譲れぬと頑として聞かない。同様に斎藤家も丸子城を没収する。それで納得せよと言い出したのだった。

「わかりました。それではそれがしの此度の功績全てと引き換えではいかがですか? それでもやはり両家を潰しますか?」

 今回五郎八郎の功績が多大だと言う事は岡部左京進など多くが知っている事で、その五郎八郎に功績無しとなれば、今川家中の各家から忠義が消し飛んでしまうだろう。
 「そんな取引には応じられない」と雪斎禅師は少し呆れ口調で言った。

「全ての功罪を少なく評価すれば良いだけの事ではありませんか。此度は内なる揉め事であるからと言い繕えば良いだけの話です」

 五郎八郎の提案に、これまで静かに話を聞いていた寿桂尼が口を開いた。

「五郎八郎殿。そなたの言い分もわかります。ですが、功に賞をもって当たらねば、それはそれで今後の統治に響くとは考えませぬか?」

 内乱であるから罪に温情を持って当たるというのは寿桂尼も賛同らしい。だが功績はそうはいかない。当主が吝嗇りんしょく(=ケチ、せこい)という評価をされてしまったら、後々国衆の働きに影響がでかねない。

「でしたらこうしたらいかがでしょうか。此度の件は今後の統治の参考にさせていただくと言えば」

 五郎八郎の言い方が可笑しかったらしく、寿桂尼が口元を隠してくすくすと笑う。その上品な仕草を見て、五郎八郎は改めて寿桂尼が中御門なかみかど家という公家の出自だと言う事を思い出した。

「面白いわね。冷遇されたくなければ一層忠義に励みなさいという事よね。わたくしはそれで賛同いたします。お二人はいかがですか?」

 寿桂尼から賛同を求められ、承芳和尚は素直に賛同、雪斎禅師は渋々賛同した。

****

 それからわずか五日後、今川館で上総介の家督相続が行われる事となった。
 その為に国人衆が今川館に続々と参集。

 挨拶回りに行かなければと思い父兵庫助の部屋に向かおうとしたところ、天野安芸守と小四郎が訪ねてきた。二人は口を揃えて五郎八郎に身を委ねて良かったと言い合っている。
 そこに大沢左衛門佐が挨拶にやってきた。ではこれでと天野家の二人が退出すると、部屋の外から五郎八郎殿はおられるかという複数の声が聞こえてくる。
 大沢左衛門佐の後は天方山城守、新野左京之介、勾坂六右衛門、小笠原信濃守、飯尾豊前守と立て続けに遠江衆が挨拶に訪れた。

 結局五郎八郎の方からはどこにも挨拶に伺えずに家督相続の式を迎えてしまったのだった。


 いつものように末席に座ろうとすると、いつも隣に座っている頭陀寺ずだじ館の松下源左衛門という者が、「そなたがそこに座ったら皆どこに座って良いか迷ってしまうでは無いか」と笑い出した。

 そんな事を言われてもどこに座ったら良いかわからない。とりあえず遠江衆の中では最前列の席を空けて貰い、そこに座っていた。

 すると駿河衆がやってきて五郎八郎の顔を見て、皆一様に首を傾げて席に着いていく。

「五郎八郎殿、何をそんなところに座っておるのだ? そなたの席は一番前であろう?」

 えっと驚き声の主の方を見ると、岡部左京進がニコニコ笑って最前列の席を指差す。さあ早う早うと急かされ、駿河衆の何とも言えない視線の中、最前列の席に着席。

 少し遅れてやってきた朝比奈備中守は、五郎八郎の姿を確認するとその前に座り深々と頭を下げた。

「朝比奈宗家そうけの当主として礼を述べさせていただく。此度は当家の為にご尽力いただき誠にかたじけなかった」

 五郎八郎は恐縮してしまい、そんな風にされると困りますと狼狽えてしまった。後ろの席の駿河衆から、「備中があのように頭を下げるとは」という声が漏れてくる。

「まあまあ備中殿、間もなくお館様がお見えじゃ。礼はその辺にして、そなたもさっさと席に着かれなされ」

 そう岡部左京進に指摘されて朝比奈備中守が席に着くと、ほどなく雪斎禅師が現れ、寿桂尼、次いでお館様が現れた。


 家督相続の儀式は、雪斎禅師から紙が渡され何やら書いた後で花押を著名し、かわらけが渡され酒を呑む、それだけであった。
 その後で家臣一同平伏し「おめでとうございます」と祝辞を述べた。

 儀式が終わるとお館様は一旦退出。
 少しの休憩を挟んで、いよいよ評定となった。

 評定の内容は当然先の内乱に対する賞罰の発表。だがその内容に一同は驚きを隠せなかった。

 最後まで駿河守に従った堀越、井伊の両家は減封のみ。駿河守に従ったそれ以外の家はお咎め無し。明らかに咎が軽い。
 功績著しいとされた雪斎禅師は領地を大きく加増。岡部家が土方城を拝領。庵原家、新野家にそれぞれ加増。
 風の便りに聞いた松井五郎八郎に対しては、見附周辺にそこそこの領地の加増だけであった。
 それとは別に感状が十通ほど配られた。もちろんその最初の一通は五郎八郎宛てである。

 堀越治部少輔も井伊宮内少輔もすぐに気が付いた。恐らくは松井五郎八郎が自分の功績と引き換えに嘆願してくれたのだという事に。

****

 評定が終わると、堀越治部少輔と井伊宮内少輔はすぐに五郎八郎の部屋へと挨拶にやってきた。

 治部少輔はすぐに頭を下げ、「此度の事はかたじけなかった」と礼を述べた。宮内少輔も「家が取り潰しになるのを覚悟していた」と心情を吐露した。

「此度の事は内乱です。故に罰を軽くしては後々禍根を残す事になりかねないという意見もあったのですが、それよりはお館様の度量の広さを見せるべきという事になった次第です」

 特に自分がどうのという事ではないと五郎八郎は言ったつもりであった。お館様、雪斎禅師、寿桂尼様、自分の四人の協議で決まった事だと。
 だが治部少輔はそうは受け取らなかった。

「此度の件でそなたもよくわかったであろう。そなたは遠江衆の切り崩しをしておったと聞く。そのそなたがあの程度の加増しかされなかったのだ。何故だと考える? それは遠江衆の一員だと強く認識されたからだよ」

 「それは違う」と宮内少輔がすぐに治部少輔を窘めた。恐らく五郎八郎殿が口をきいてくれて、自分の功績で我らへの温情をお願いしてくれたからだろうと。
 だが治部少輔は「何も違わない」と言い切った。

「もしこれが、駿河衆が我ら遠江衆の工作を行っていたのなら、そもそも功績と引き換えなどと言わずとも温情を与える事に納得してくれたであろう。遠江衆であるからこそ、功績を潰されたのだ」

 治部少輔の主張に宮内少輔も「それは確かにそうかもしれない」と苦い顔をして引き下がった。

 そんな治部少輔を見て、五郎八郎は、この人はもう駄目かもしれないと感じた。遠江今川家という呪縛に囚われすぎてしまっている。もはや今川家の一員として共に歩もうという気が一切無い。家中での遠江衆の地位向上などは、もはや建前になってしまっている。

「治部様がどのようにお感じでも、それがしの考えは変わりません。お館様には遠江衆を駿河衆と同様に扱っていただきます。これはそれがしが、お館様に御味方する際の最大の約束事です」

 それほどの重要な約定を反古にするようであれば今川の家は完全に終い。そう言い切る五郎八郎に、治部少輔は「そなたは甘い」と指摘した。

「甘くて結構! もう駿河守はいないのです。今は新たなお館様の下、家中が一つにまとまる事こそ肝要なのです。治部様も城に戻られたらその事を十分お考えになってください」

 まるで父に叱咤でもされたかのような顔で、治部少輔は部屋を出て行った。
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