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『小豆坂の戦い編』 天文十一年(一五四二年)
第56話 岡崎城を救援せよ
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数日後、駿府に朝比奈備中守以下数名が戦況の報告に訪れた。
敗戦の報告である。評定の間の空気は非常に重苦しい。
――朝比奈備中守は、軍監に朝比奈丹波守、副将に三浦左馬助と飯尾豊前守という体制で臨んだ。
最初の評定で早くも問題が発生した。朝比奈丹波守が今橋城を無視し田原城を直接突くべきだと進言したのらしいのだ。
このまま浜名湖を南下し遠州灘沖まで行き渥美半島を西に行けば、湖西連峰によって進軍は隠れ、敵に見つかる事無く田原城を直接突く事が可能。兵数の差は歴然であり、本拠地である田原城が落ちれば敵もそれ以上の抵抗はしないであろうと言うのが丹波守の見解であった。
だがそれに井伊宮内少輔が猛反対した。
田原城は海に面し水堀まである難攻の城である。むしろ平城である今橋城、小城である仁連木城を落城させ、田原城を包囲し開城を迫った方が犠牲は少なくて済むはずであると。
三浦、朝比奈下野守の両氏は丹波守の案に賛同。匂坂、飯尾は宮内少輔の案に賛同であった。今だから言うわけではないが、朝比奈備中守は宮内少輔の案に賛同だったらしい。
ところが丹波守が決定的な一言を放った。
「此度の戦はいかに今川家の威信を示せるかにかかっている。あっという間に本城を落とせば、それが最良ではないだろうか」
結局その一言から、ならば一足でも早く田原城に急行するが良いだろうという事になった。その日は宇津山城で一泊し、翌早朝に田原城に向かった。
やはりというか、田原城は山城であり城攻めはすこぶる難攻。
城門を壊すのに夢中になっていると、どこからともなく敵兵が現れ奇襲を受けるという事が幾度も発生。その結果、被害と疲労が日に日に増していったのだった。
伝令が飛んでいないのか、今橋城、仁連木城からの増援は全く来なかった。それだけが幸いだと備中守は思っていた。
だが実はそうでは無かった。彼らは田原城が容易には落ちない事を見越して待っていたのだ。
城攻めを開始し二週間。兵にかなり疲労が蓄積してしまっており、一旦引いて体制を整える方が良いのではないかと言い合っていた。そこに戸田家の増援は現れた。
さらに城内からも撃って出られ、兵たちは潰走を始めてしまった。
朝比奈備中守は朝比奈下野守に宇津山城へ誘導して欲しいと指示。
問題は殿軍であった。この状況の殿軍である。極めて危険な役回りといえる。その殿軍には井伊宮内少輔が回ってくれた。さらに匂坂六右衛門もそれを補佐するように後方に回ってくれた。
ところが逃げる朝比奈下野守たちの前に戸田軍が立ちはだかった。恐らくは仁連木城の兵。下野守は突破を試みたのだが、いかんせん疲労と士気が全然違う。何とか飯尾軍が追いついて突破はできたのだが下野守は大怪我を負ってしまう。
殿軍を引き受けた井伊宮内少輔と匂坂六右衛門であったが、宇津山城に戻って来たのは無数の傷を負い、返り血と自分の血で真っ赤に染まった匂坂六右衛門だけであった――
「気持ちはわかるが、今橋城は無視して良い規模の城ではあるまいに……」
露骨にがっかりしているお館様に五郎八郎は、今は敗戦を悔やむより次の戦の準備を整える方が重要だと説いた。この敗戦は確実に次の戦の呼び水になると勘助も進言。
次の戦が織田軍の大規模侵攻だと言う事は言わずもがなであった。
岡崎城の松平家が危ない!
****
今回比較的被害の少なかった懸川城の朝比奈備中守に再度出陣してもらって汚名を雪いでもらう事にした。
総大将は雪斎禅師が、副将として二俣城の松井五郎八郎が任ぜられた。それ以外には、朝比奈丹波守、横山城の三浦左馬助、持船城の一宮出羽守、犬居城の天野安芸守、堀江城の大沢左衛門佐。
まずは堀江城で一旦集合という事になり、雪斎禅師と五郎八郎は先に堀江城へと向かった。
前回と似たような軍の集結をさせる事で、表向きは田原城の戸田家討伐に見せかけた。
堀江城で神之郷城の鵜殿三郎に連絡を取り、迅速に岡崎城を救援したい為、軍の逗留をしたいという書状を出して返答を待つ事に。
その間に続々と部隊が堀江城に到着。
二俣城からも兵が到着した。
大将は松井兵庫助、今回が初陣となる。横見藤四郎、薮田権八、魚松弥次郎、蒜田孫二郎が従っている。どうやら若殿の初陣を全力で補佐しようと万全の体制でやってきたらしい。
「叔父上! お待たせいたしました! 此度それがしが初陣と言う事で爺たちが張り切ってしまって、予定より遅れてしまい申し訳ございませんでした」
兵庫助に『爺たち』と呼ばれ藤四郎たちもまんざらでもない顔をしている。藤四郎たちからしたら、兵庫助は目に入れても痛くない初孫のような感覚なのであろう。三人が三人とも頬が緩みきっている。
すると孫二郎が一歩進み出た。
「殿、ご覧ください! あれから訓練に訓練を重ね、皆、この通り精悍な顔つきとなっております。此度の合戦、必ずや若殿に武勲をあげさせてくれる事でしょう!」
孫二郎が胸を叩いて満足気な表情をしている。余程これまで厳しい訓練を施されてきたのだろう。孫二郎に誇られ、一部には感動で涙している者がいる。
「皆、よく来てくれた。此度の戦は兵庫助の初陣だ。申し訳ないが無事二俣に帰りつけるように気を使ってやって欲しい」
五郎八郎が声をかけると兵たちは槍を天に掲げて雄叫びをあげた。
……今からこんなに士気が高いと、いざ本番という時に疲労が蓄積していないか逆に不安になる。
全ての兵が堀江城に揃ったわずか数日後の事であった。神之郷城から書簡が届いた。
内容を見た雪斎禅師は、諸将にすぐに出立の支度をせよと命じた。
「織田軍がもう岡崎城を包囲している! なるべく早く行軍し、神之郷城で休憩する! 進路を南に取ると今橋城からの追撃を受けかねない。まずは北から伊奈城を目指す。出陣!」
****
神之郷城に辿り着き、城主の鵜殿三郎を交えて最初の軍議となった。
正直言って神之郷城はそこまで大きい城では無い。城は諸将が入城しただけで一杯で、兵たちは城外で待機している。
まずは鵜殿三郎から岡崎城周辺の地形について簡単な説明があった。
神之郷城の西は桑谷山、遠望峰山をはじめ大小さまざまな山が連なっている。そこに何本か谷があり、それを北西に抜けると広い平野が広がっている。その西側に矢作川が流れており、その上流、乙川という支流の北に岡崎城はある。
岡崎城まで近づいて敵と対峙するとなると乙川に阻まれてのにらみ合いとなり、大軍を生かすと言う点で下策に思う。となれば敵に乙川を渡河してもらって南の平野部で待ち受けるのが良いと思われる。
そこまで聞くと五郎八郎は地図の中の一点を扇子で指した。
「それがしはここ、この竜美台という二つの台地の南に敵を誘引するのが良いと考えます。この辺りで敵の視界を遮れそうな場所はここくらいです。この一帯の森の先に全軍を伏せ、一部隊を持って敵軍を誘引し、台地の先で粉砕すれば後は追撃戦となるでしょう」
五郎八郎の作戦案に多くの諸将が感嘆の声をあげた。雪斎禅師もなるほどと満足そうに頷いている。
そこにお待ちくださいと声をあげる者がいた。朝比奈丹波守である。
「どうせ誘引するのであれば、もっと南の龍泉寺まで誘引した方良いとそれがしは思います。ここは完全に敵からは見えませんから、兵を隠すのにもってこいです!」
なるほどと納得する諸将もいたが、難色を示す諸将もいた。その一人が五郎八郎であった。
「こんな場所までどうやって誘引するというのだ、岡崎城から竜美台までの倍以上の距離があるんだぞ? ここまで来る間に敵に勢いが付き、迎撃がままならなくなるか、その前に誘引部隊が全滅してしまうわ!」
五郎八郎の指摘に丹波守は、竜美台では誘引したところで、さして有利にはならないと反論。
一方で五郎八郎は龍泉寺では誘引の距離が現実的では無いと机上の空論だと反論した。
「二段、三段と誘引部隊を配置すれば、ここまで引き付けてくるのは可能に思えます。五郎八郎殿では難しいのかもしれませんが、他の諸将であれば造作も無い事かと」
その一言に朝比奈備中守が激怒した。
「五郎八郎殿は今川家中でも屈指の用兵巧者、その者を捕まえてなんたる言い草か!」
そう大声を張り上げ丹波守を叱咤。
その備中守の叱咤が決め手となり、誘引場所は五郎八郎の提案した竜美台に決まった。
敗戦の報告である。評定の間の空気は非常に重苦しい。
――朝比奈備中守は、軍監に朝比奈丹波守、副将に三浦左馬助と飯尾豊前守という体制で臨んだ。
最初の評定で早くも問題が発生した。朝比奈丹波守が今橋城を無視し田原城を直接突くべきだと進言したのらしいのだ。
このまま浜名湖を南下し遠州灘沖まで行き渥美半島を西に行けば、湖西連峰によって進軍は隠れ、敵に見つかる事無く田原城を直接突く事が可能。兵数の差は歴然であり、本拠地である田原城が落ちれば敵もそれ以上の抵抗はしないであろうと言うのが丹波守の見解であった。
だがそれに井伊宮内少輔が猛反対した。
田原城は海に面し水堀まである難攻の城である。むしろ平城である今橋城、小城である仁連木城を落城させ、田原城を包囲し開城を迫った方が犠牲は少なくて済むはずであると。
三浦、朝比奈下野守の両氏は丹波守の案に賛同。匂坂、飯尾は宮内少輔の案に賛同であった。今だから言うわけではないが、朝比奈備中守は宮内少輔の案に賛同だったらしい。
ところが丹波守が決定的な一言を放った。
「此度の戦はいかに今川家の威信を示せるかにかかっている。あっという間に本城を落とせば、それが最良ではないだろうか」
結局その一言から、ならば一足でも早く田原城に急行するが良いだろうという事になった。その日は宇津山城で一泊し、翌早朝に田原城に向かった。
やはりというか、田原城は山城であり城攻めはすこぶる難攻。
城門を壊すのに夢中になっていると、どこからともなく敵兵が現れ奇襲を受けるという事が幾度も発生。その結果、被害と疲労が日に日に増していったのだった。
伝令が飛んでいないのか、今橋城、仁連木城からの増援は全く来なかった。それだけが幸いだと備中守は思っていた。
だが実はそうでは無かった。彼らは田原城が容易には落ちない事を見越して待っていたのだ。
城攻めを開始し二週間。兵にかなり疲労が蓄積してしまっており、一旦引いて体制を整える方が良いのではないかと言い合っていた。そこに戸田家の増援は現れた。
さらに城内からも撃って出られ、兵たちは潰走を始めてしまった。
朝比奈備中守は朝比奈下野守に宇津山城へ誘導して欲しいと指示。
問題は殿軍であった。この状況の殿軍である。極めて危険な役回りといえる。その殿軍には井伊宮内少輔が回ってくれた。さらに匂坂六右衛門もそれを補佐するように後方に回ってくれた。
ところが逃げる朝比奈下野守たちの前に戸田軍が立ちはだかった。恐らくは仁連木城の兵。下野守は突破を試みたのだが、いかんせん疲労と士気が全然違う。何とか飯尾軍が追いついて突破はできたのだが下野守は大怪我を負ってしまう。
殿軍を引き受けた井伊宮内少輔と匂坂六右衛門であったが、宇津山城に戻って来たのは無数の傷を負い、返り血と自分の血で真っ赤に染まった匂坂六右衛門だけであった――
「気持ちはわかるが、今橋城は無視して良い規模の城ではあるまいに……」
露骨にがっかりしているお館様に五郎八郎は、今は敗戦を悔やむより次の戦の準備を整える方が重要だと説いた。この敗戦は確実に次の戦の呼び水になると勘助も進言。
次の戦が織田軍の大規模侵攻だと言う事は言わずもがなであった。
岡崎城の松平家が危ない!
****
今回比較的被害の少なかった懸川城の朝比奈備中守に再度出陣してもらって汚名を雪いでもらう事にした。
総大将は雪斎禅師が、副将として二俣城の松井五郎八郎が任ぜられた。それ以外には、朝比奈丹波守、横山城の三浦左馬助、持船城の一宮出羽守、犬居城の天野安芸守、堀江城の大沢左衛門佐。
まずは堀江城で一旦集合という事になり、雪斎禅師と五郎八郎は先に堀江城へと向かった。
前回と似たような軍の集結をさせる事で、表向きは田原城の戸田家討伐に見せかけた。
堀江城で神之郷城の鵜殿三郎に連絡を取り、迅速に岡崎城を救援したい為、軍の逗留をしたいという書状を出して返答を待つ事に。
その間に続々と部隊が堀江城に到着。
二俣城からも兵が到着した。
大将は松井兵庫助、今回が初陣となる。横見藤四郎、薮田権八、魚松弥次郎、蒜田孫二郎が従っている。どうやら若殿の初陣を全力で補佐しようと万全の体制でやってきたらしい。
「叔父上! お待たせいたしました! 此度それがしが初陣と言う事で爺たちが張り切ってしまって、予定より遅れてしまい申し訳ございませんでした」
兵庫助に『爺たち』と呼ばれ藤四郎たちもまんざらでもない顔をしている。藤四郎たちからしたら、兵庫助は目に入れても痛くない初孫のような感覚なのであろう。三人が三人とも頬が緩みきっている。
すると孫二郎が一歩進み出た。
「殿、ご覧ください! あれから訓練に訓練を重ね、皆、この通り精悍な顔つきとなっております。此度の合戦、必ずや若殿に武勲をあげさせてくれる事でしょう!」
孫二郎が胸を叩いて満足気な表情をしている。余程これまで厳しい訓練を施されてきたのだろう。孫二郎に誇られ、一部には感動で涙している者がいる。
「皆、よく来てくれた。此度の戦は兵庫助の初陣だ。申し訳ないが無事二俣に帰りつけるように気を使ってやって欲しい」
五郎八郎が声をかけると兵たちは槍を天に掲げて雄叫びをあげた。
……今からこんなに士気が高いと、いざ本番という時に疲労が蓄積していないか逆に不安になる。
全ての兵が堀江城に揃ったわずか数日後の事であった。神之郷城から書簡が届いた。
内容を見た雪斎禅師は、諸将にすぐに出立の支度をせよと命じた。
「織田軍がもう岡崎城を包囲している! なるべく早く行軍し、神之郷城で休憩する! 進路を南に取ると今橋城からの追撃を受けかねない。まずは北から伊奈城を目指す。出陣!」
****
神之郷城に辿り着き、城主の鵜殿三郎を交えて最初の軍議となった。
正直言って神之郷城はそこまで大きい城では無い。城は諸将が入城しただけで一杯で、兵たちは城外で待機している。
まずは鵜殿三郎から岡崎城周辺の地形について簡単な説明があった。
神之郷城の西は桑谷山、遠望峰山をはじめ大小さまざまな山が連なっている。そこに何本か谷があり、それを北西に抜けると広い平野が広がっている。その西側に矢作川が流れており、その上流、乙川という支流の北に岡崎城はある。
岡崎城まで近づいて敵と対峙するとなると乙川に阻まれてのにらみ合いとなり、大軍を生かすと言う点で下策に思う。となれば敵に乙川を渡河してもらって南の平野部で待ち受けるのが良いと思われる。
そこまで聞くと五郎八郎は地図の中の一点を扇子で指した。
「それがしはここ、この竜美台という二つの台地の南に敵を誘引するのが良いと考えます。この辺りで敵の視界を遮れそうな場所はここくらいです。この一帯の森の先に全軍を伏せ、一部隊を持って敵軍を誘引し、台地の先で粉砕すれば後は追撃戦となるでしょう」
五郎八郎の作戦案に多くの諸将が感嘆の声をあげた。雪斎禅師もなるほどと満足そうに頷いている。
そこにお待ちくださいと声をあげる者がいた。朝比奈丹波守である。
「どうせ誘引するのであれば、もっと南の龍泉寺まで誘引した方良いとそれがしは思います。ここは完全に敵からは見えませんから、兵を隠すのにもってこいです!」
なるほどと納得する諸将もいたが、難色を示す諸将もいた。その一人が五郎八郎であった。
「こんな場所までどうやって誘引するというのだ、岡崎城から竜美台までの倍以上の距離があるんだぞ? ここまで来る間に敵に勢いが付き、迎撃がままならなくなるか、その前に誘引部隊が全滅してしまうわ!」
五郎八郎の指摘に丹波守は、竜美台では誘引したところで、さして有利にはならないと反論。
一方で五郎八郎は龍泉寺では誘引の距離が現実的では無いと机上の空論だと反論した。
「二段、三段と誘引部隊を配置すれば、ここまで引き付けてくるのは可能に思えます。五郎八郎殿では難しいのかもしれませんが、他の諸将であれば造作も無い事かと」
その一言に朝比奈備中守が激怒した。
「五郎八郎殿は今川家中でも屈指の用兵巧者、その者を捕まえてなんたる言い草か!」
そう大声を張り上げ丹波守を叱咤。
その備中守の叱咤が決め手となり、誘引場所は五郎八郎の提案した竜美台に決まった。
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