13 / 57
『初陣編』 享禄元年(一五二八年)
第13話 我々だけの胸の内に
しおりを挟む
勝鬨の後、五郎八郎たちは先に南領家村に行き、陣幕を張る事になった。
こういう場合は井戸のすぐ隣に張るのが良いとされていると弥次郎が教えてくれた。
兵たちも慣れたもので、場所を指定するとさっさと陣幕を張り終えてしまった。
もしかしたら一番張り方がわからないのは、五郎八郎と八郎二郎かもしれない。
床几の一つに座って待っていると、まず井伊宮内少輔たちがやってきた。
井伊宮内少輔は五郎八郎の前に立つと肩に手を置き、にこりとほほ笑んだ。
「初陣とは思えぬ見事なご活躍であった。烏帽子親として誇らしいぞ!」
その後、権八、藤四郎といった家人がやってきて、最後に総大将の山城守がやってきた。
「こちらに引き寄せる予定が、そなたの方に釘付けになっておるから肝を冷やしたよ。だが、おかげでやつらを完全に封じ込める事ができた。よくやった!」
そう言うと山城守は五郎八郎の肩をポンポンと叩いた。
山城守が中央奥の床几に腰かけると、天野安芸守が引き立てられてきた。
想像してたよりずっと若い。それが五郎八郎の第一印象だった。恐らく山城守よりも若いだろう。
「もう城も落としたのだろう。これ以上抵抗はせん。好きにするが良い」
天野安芸守は後ろ手に縛られ跪いている。
夢破れた、計画は破綻した、全ては終わった。そういう態度であった。
「狭隘な街道を封鎖し弓で射撃、それ自体も見事ながら、まさか別動隊で空になった犬居城を攻めるとは。恐れ入った。完敗だ」
天野安芸守の発言に山城守は小首を傾げ、井伊宮内少輔、次いで五郎八郎の顔を見た。
五郎八郎に小声で何の事だとたずねた。
「あの……城の前で薪を焚いただけで、城は落ちてはいませんよ。そう見えるように二か所で煙を出しただけです」
五郎八郎が言いづらそうに発言すると、天野安芸守はあんぐりと口を開け、山城守の顔を見てさらに落胆した。
「松井殿も井伊殿も剛の者で知られておるが、なかなかどうして、大した智慧者だ」
天野安芸守が呆れたような口調で言うと、井伊宮内少輔は豪快に笑い出した。
「そなたを出し抜いたのは、そこにいる昨日元服したばかりの若武者だ。我々も全てそこの五郎八郎殿の策に従ったまで。そなたは初陣の小僧に負けたのだよ」
天野安芸守は信じられんという顔で五郎八郎を見た。「真か?」と正面の山城守にたずねる。
山城守も苦笑いしこくりと頷いた。
「これは大変な事になった。気が変わった。この命、簡単に散らせるわけにはいかなくなった。我が命、そこの五郎八郎殿に預ける。今川家ではない。松井五郎八郎殿にだ」
安芸守はそれまでの疲れ切った顔ではなく、希望に満ちた顔になっている。
そんな安芸守を見て、山城守は権八に綱を解いてやれと命じた。
体が自由になった安芸守は、改めて五郎八郎の前で平伏した。
「無能非才の身ではござるが、それがしが必要な折は遠慮のうお声をかけてくだされ。貴殿の指揮の下戦える日を夢見て、兵を鍛えておきます」
心躍り興奮している安芸守に比べ、五郎八郎は極めて冷淡な態度であった。
「どうした? 五郎八郎。武士がここまで申しておるのだ。何か答えてやらぬか。それとも何か不満な事でもあるのか?」
山城守に叱責を受けても、なお五郎八郎は安芸守をじっと見つめている。
「その前に一つ聞かせてください。何故こんな事をしたのです?」
五郎八郎はかなり声のトーンを落としてたずねた。
その声に弥次郎たちも少し背をぞくりとさせた。
「此度の非礼、深くお詫びいたします。領家村については秋葉寺にお願いし菩提を弔ってもらいます。それでご容赦ください。それ以上は……」
安芸守は背後関係などについては言を避けた。
だが五郎八郎ではなく山城守から、「五郎八郎に命を預けたのでは?」と指摘されてしまった。
「……そうでしたな」
そこまで言うと安芸守は、青空を仰ぎ見てゆっくりと息を吐いた。
夏の高い空に入道雲がひと際映えている。
「堀越家の誘いに乗ったのでござる。昨今、松井家は駿府の宗家ばかりを重んじ、本来の主家である当家を軽んじておる。だから痛い目を見せてやって欲しいと」
二俣城が包囲され、そこに堀越家が援軍として駆けつける。
堀越家の裁定で当家が停戦に応じれば、松井家も堀越家をもう一度重んじるようになるであろう。
「我らはその際、領家、春野、堀之内の三村を貰える事になっておりました」
安芸守の自白に一同はシンと静まった。
木々の騒めきだけが陣幕に響いた。
その静けさの中で井伊宮内少輔が一つ咳払いをした。
「この事は我々だけの胸の内にしまっておくが良いでしょうな。天野殿も単に戦で敗れただけという事にしましょう。でないと、遠州に立たなくてもよい戦火が立つ事になる」
井伊宮内少輔の提案に、山城守、五郎八郎、天野安芸守が頷いた。
五郎八郎隊、井伊宮内少輔隊に次いで、山城守の本陣が二俣城に到着した。
戦勝の第一報は二俣城にも届いてはいる。
次いで山城守、五郎八郎が共に無事という報も届いた。
そうは言っても、兵庫助もそれなりの損害は覚悟していた。初陣の五郎八郎に至っては、最悪、初陣でそのまま討死する事も覚悟していた。
だが帰還したどの隊もほとんど兵数が減っていない事に気付き、作戦の大成功を察した。
五郎八郎と山城守は、留守居の兵庫助に戦勝を報告。
「どうやら大勝利であったようだな」
兵庫助は兵たちを見渡し満面の笑みを浮かべた。
「父上! 実に気持ちが良うございましたぞ! かように一方的な戦は、そうそう味わえるものではございません」
「留守居などさせて申し訳なかった」と、山城守は大笑いしている。
井伊宮内少輔も井伊谷に良い土産話ができたと、ほくほく顔である。
兵庫助の隣で、白い鉢巻を締め、腹巻を締め、薙刀を手にしている夕も、「それは良うございました」とニコニコしている。
山城守たちは兵たちをそのままに待機させ、まず城内にある神社に参拝した。
その後で兵たちの前に立ち、再度、勝鬨を上げた。
「今日は呑むぞ!!」
山城守が吼えると、兵たちはそれに答えるように大歓声をあげた。
戦は終わったんだ。僕たちの勝利で。
皆の嬉しそうな顔を見て、五郎八郎は改めて感動が込み上げてきた。
こういう場合は井戸のすぐ隣に張るのが良いとされていると弥次郎が教えてくれた。
兵たちも慣れたもので、場所を指定するとさっさと陣幕を張り終えてしまった。
もしかしたら一番張り方がわからないのは、五郎八郎と八郎二郎かもしれない。
床几の一つに座って待っていると、まず井伊宮内少輔たちがやってきた。
井伊宮内少輔は五郎八郎の前に立つと肩に手を置き、にこりとほほ笑んだ。
「初陣とは思えぬ見事なご活躍であった。烏帽子親として誇らしいぞ!」
その後、権八、藤四郎といった家人がやってきて、最後に総大将の山城守がやってきた。
「こちらに引き寄せる予定が、そなたの方に釘付けになっておるから肝を冷やしたよ。だが、おかげでやつらを完全に封じ込める事ができた。よくやった!」
そう言うと山城守は五郎八郎の肩をポンポンと叩いた。
山城守が中央奥の床几に腰かけると、天野安芸守が引き立てられてきた。
想像してたよりずっと若い。それが五郎八郎の第一印象だった。恐らく山城守よりも若いだろう。
「もう城も落としたのだろう。これ以上抵抗はせん。好きにするが良い」
天野安芸守は後ろ手に縛られ跪いている。
夢破れた、計画は破綻した、全ては終わった。そういう態度であった。
「狭隘な街道を封鎖し弓で射撃、それ自体も見事ながら、まさか別動隊で空になった犬居城を攻めるとは。恐れ入った。完敗だ」
天野安芸守の発言に山城守は小首を傾げ、井伊宮内少輔、次いで五郎八郎の顔を見た。
五郎八郎に小声で何の事だとたずねた。
「あの……城の前で薪を焚いただけで、城は落ちてはいませんよ。そう見えるように二か所で煙を出しただけです」
五郎八郎が言いづらそうに発言すると、天野安芸守はあんぐりと口を開け、山城守の顔を見てさらに落胆した。
「松井殿も井伊殿も剛の者で知られておるが、なかなかどうして、大した智慧者だ」
天野安芸守が呆れたような口調で言うと、井伊宮内少輔は豪快に笑い出した。
「そなたを出し抜いたのは、そこにいる昨日元服したばかりの若武者だ。我々も全てそこの五郎八郎殿の策に従ったまで。そなたは初陣の小僧に負けたのだよ」
天野安芸守は信じられんという顔で五郎八郎を見た。「真か?」と正面の山城守にたずねる。
山城守も苦笑いしこくりと頷いた。
「これは大変な事になった。気が変わった。この命、簡単に散らせるわけにはいかなくなった。我が命、そこの五郎八郎殿に預ける。今川家ではない。松井五郎八郎殿にだ」
安芸守はそれまでの疲れ切った顔ではなく、希望に満ちた顔になっている。
そんな安芸守を見て、山城守は権八に綱を解いてやれと命じた。
体が自由になった安芸守は、改めて五郎八郎の前で平伏した。
「無能非才の身ではござるが、それがしが必要な折は遠慮のうお声をかけてくだされ。貴殿の指揮の下戦える日を夢見て、兵を鍛えておきます」
心躍り興奮している安芸守に比べ、五郎八郎は極めて冷淡な態度であった。
「どうした? 五郎八郎。武士がここまで申しておるのだ。何か答えてやらぬか。それとも何か不満な事でもあるのか?」
山城守に叱責を受けても、なお五郎八郎は安芸守をじっと見つめている。
「その前に一つ聞かせてください。何故こんな事をしたのです?」
五郎八郎はかなり声のトーンを落としてたずねた。
その声に弥次郎たちも少し背をぞくりとさせた。
「此度の非礼、深くお詫びいたします。領家村については秋葉寺にお願いし菩提を弔ってもらいます。それでご容赦ください。それ以上は……」
安芸守は背後関係などについては言を避けた。
だが五郎八郎ではなく山城守から、「五郎八郎に命を預けたのでは?」と指摘されてしまった。
「……そうでしたな」
そこまで言うと安芸守は、青空を仰ぎ見てゆっくりと息を吐いた。
夏の高い空に入道雲がひと際映えている。
「堀越家の誘いに乗ったのでござる。昨今、松井家は駿府の宗家ばかりを重んじ、本来の主家である当家を軽んじておる。だから痛い目を見せてやって欲しいと」
二俣城が包囲され、そこに堀越家が援軍として駆けつける。
堀越家の裁定で当家が停戦に応じれば、松井家も堀越家をもう一度重んじるようになるであろう。
「我らはその際、領家、春野、堀之内の三村を貰える事になっておりました」
安芸守の自白に一同はシンと静まった。
木々の騒めきだけが陣幕に響いた。
その静けさの中で井伊宮内少輔が一つ咳払いをした。
「この事は我々だけの胸の内にしまっておくが良いでしょうな。天野殿も単に戦で敗れただけという事にしましょう。でないと、遠州に立たなくてもよい戦火が立つ事になる」
井伊宮内少輔の提案に、山城守、五郎八郎、天野安芸守が頷いた。
五郎八郎隊、井伊宮内少輔隊に次いで、山城守の本陣が二俣城に到着した。
戦勝の第一報は二俣城にも届いてはいる。
次いで山城守、五郎八郎が共に無事という報も届いた。
そうは言っても、兵庫助もそれなりの損害は覚悟していた。初陣の五郎八郎に至っては、最悪、初陣でそのまま討死する事も覚悟していた。
だが帰還したどの隊もほとんど兵数が減っていない事に気付き、作戦の大成功を察した。
五郎八郎と山城守は、留守居の兵庫助に戦勝を報告。
「どうやら大勝利であったようだな」
兵庫助は兵たちを見渡し満面の笑みを浮かべた。
「父上! 実に気持ちが良うございましたぞ! かように一方的な戦は、そうそう味わえるものではございません」
「留守居などさせて申し訳なかった」と、山城守は大笑いしている。
井伊宮内少輔も井伊谷に良い土産話ができたと、ほくほく顔である。
兵庫助の隣で、白い鉢巻を締め、腹巻を締め、薙刀を手にしている夕も、「それは良うございました」とニコニコしている。
山城守たちは兵たちをそのままに待機させ、まず城内にある神社に参拝した。
その後で兵たちの前に立ち、再度、勝鬨を上げた。
「今日は呑むぞ!!」
山城守が吼えると、兵たちはそれに答えるように大歓声をあげた。
戦は終わったんだ。僕たちの勝利で。
皆の嬉しそうな顔を見て、五郎八郎は改めて感動が込み上げてきた。
14
あなたにおすすめの小説
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
強いられる賭け~脇坂安治軍記~
恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。
こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。
しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
マルチバース豊臣家の人々
かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月
後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。
ーーこんなはずちゃうやろ?
それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。
果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?
そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる