奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

文字の大きさ
18 / 57
『家督相続』 享禄元年(一五二八年)

第18話 挨拶回りは大変

しおりを挟む
 季節は過ぎ寒い冬へと移った。
 師走を迎えると城内では、箒やはたきを持った人たちが、あっちにこっちにと動き回り非常に慌ただしい。

 外はパラパラと雪の舞う日も出てきて火鉢が大活躍している。
 城下では毎日のように炭焼きの煙が山の麓から上がっており、遠江の各地から炭の買い付けに商人が訪れている。

 ただどの建物も木造建築である。この時期最も注意すべきは『火の用心』。


 亡き兄に代わり二俣の主となった五郎八郎だったが、ここまでそれほどやる事は無かった。
 特に稲が不作という事も無かったし、大きく天竜川が氾濫を起こしたという事もなかった。流行り病が流行る兆しも無い。
 せいぜい天野家の二人が遊びにやって来るくらいだろうか。

 平穏。
 まさにそんな日々であった。


 だが年が明けるとそんな平穏は一気に過去のものへと変わった。

 まず年越し。
 大晦日の夜は天龍院に行き皆で鐘を突くという大仕事がある。

 そして年が明けると、家中の者が集まり城主へ挨拶を行う。
 挨拶をした後はどんちゃん騒ぎである。
 家中の者たちはさっさとどんちゃん騒ぎで良い。だが五郎八郎は、城主として、領主として、村人からの挨拶もある。結局一日誰彼かが訪れ、おめでとうございますと挨拶をしていった。


 新年二日目。
 今度は馬に乗り駿府へ年賀の評定に向かう。

 到着したからとてのんびりはできず、すぐに今川家中の方々に挨拶をして回る。
 これが非常に面倒なのだ。

 なにせ五日には年賀の挨拶を兼ねた評定がある。実質一日半で主要な方々へ挨拶を済ませないとならないのだ。当然挨拶が漏れれば要らぬ誤解を招く事もある。
 その辺の事はよくわからないため、五郎八郎は、まるで兵庫助の従者のように付いて挨拶に回った。

 まず真っ先に挨拶に伺ったのは、お館様である今川上総介の御母堂、寿桂尼様。
次に筆頭家老で横山城主の三浦上野介こうずけのすけ
次いでお館様の弟で徧照光寺の恵探えたん和尚。
その後、瀬名せな睡足軒すいそくけんの嫡男の瀬名陸奥守、朝比奈備中守、朝日山あさひやま城の岡部左京進さきょうのじょうと挨拶に回った。

 翌日、朝一番で堀越治部少輔に挨拶に伺う。
その後、曳馬城の飯尾いのお豊前守ぶぜんのかみ、土方城の福島上総介、宇津山城の朝比奈下野守、馬伏塚まむしづか城の小笠原おがさわら信濃守しなののかみと回った。


 最後に父兵庫助は久野殿に、五郎八郎は井伊殿に挨拶に向かった。

「初の登城は疲れたであろう。見知らぬ者ばかりへの挨拶回りは大変よな」

 井伊宮内少輔は人の良さそうな顔で烏帽子子を労った。

「粗相をしてはならぬと思うと、余計な緊張をしてしまいますね」

 五郎八郎が弱り顔を見せると、宮内少輔は、さもありなんと気遣わし気な顔をする。

「思い出すなあ。それがしも、最初はそんな感じであった。父の後を付いて、あっちの家こっちの家とな。あれが本当に肩が張るのだ」

 誰しも最初はそう。すぐに慣れる。
 宮内少輔は、そう五郎八郎を慰めた。

「その……山城の事は残念であった。よもや、あの後でかような事になろうとはな……」

 まさかあの酒宴が今生の別れの酒宴になろうとは。
 宮内少輔は遠い目をして唇を噛んだ。

 宮内少輔と兄山城守はかなり気が合ったらしい。
 歳は宮内少輔の方が上ではあった。だが、山城守はあまり物怖じしない性格であったため、遠江の国人の中でも、匂坂六右衛門や、朝比奈備中守の父丹波守など無骨な者たちに可愛がられていたのだそうだ。

 ただ同じ遠江の武骨派の中でも、福島上総介はあまり快く思っていなかったらしい。
 福島上総介は堀越治部少輔と非常に懇意にしている。恐らく讒言などもされていたのだろう。堀越治部少輔は、酒宴に呼んでは山城守に嫌味ばかり言っていたのだそうだ。

「あの、一つ伺いたい事があるのですが。葛山中務少輔殿というのはどのようなお方なのでしょうか? その……人となりとか」

 突然予想だにしていない名が出て、宮内少輔は腕を組んでしばし考えた。

「それなりの齢の人物だよ。そなたの父兵庫殿よりも上だ。世継ぎがおらんでな、確か甥子を養子になされたと聞いたな。武よりも智に明るい人物で、そういうところは父に似たのであろうな」

 そこまで話を聞く限りでは、いわゆる『古狸』という感じの印象を受ける。

「中務少輔殿の御父上は、そんなに智に明るい方だったのですか?」

 五郎八郎の問いに、「古今比類無き智将だ」と宮内少輔は笑い出した。

「葛山殿の父上は、先代のお館様の母君『桃源院』様の弟御だよ。今の小田原殿、左京大夫の父君『宗瑞入道』だ」

 宮内少輔の説明に五郎八郎は吃驚仰天だった。

 『宗瑞入道』
 この名前は宗太の知識としてよく知っている。戦国期でもトップクラスの有名人で通称『北条早雲』。
 美濃の斎藤道三、大和の松永久秀と並んで『下剋上の代名詞』として有名な人物である。
 実は早雲は最後まで伊勢姓を名乗っており、北条姓を名乗り始めるのは二代目の氏綱かららしい。

 考えてみれば、今川家の現当主上総介様からしたら、宗瑞入道は大叔父に当たる人物なのだ。
 北条姓を名乗っている現当主の左京大夫は、上総介様の父治部大輔様からしたら従弟という事になる。当然、弟の葛山中務少輔も同様。

 恐らくは北から武田が攻めてきた際、そのような人物に葛山城を与えておけば、北条の援軍が望めるという計算なのだろう。

 だが、だとしたらそんな人物が兄山城守に一体何の用事があったというのだろう?

「その……何だ、色々あって戸惑っている事とは思うが、決して思い切った行動に出てはならんぞ。今川の家だって、決して捨てたものではないからな。その……困った事があったら、それがしに相談にくれば良いから」

 宮内少輔が何を言い出したのか、五郎八郎は一瞬わからなかった。
 だがその少し引きつった作り笑顔で、北条家への内応や出奔を疑われたのだという事に気付いた。

「嫌だなあ。私は兄上から二俣の城と松井家を頼まれたのです。遠江衆の一員として、兄上の顔に泥を塗るような真似はいたしませんよ」

 五郎八郎は大笑いした。
 宮内少輔も笑いはしたが、明らかに乾いた笑いだった。


 しかし、義姉上といい宮内少輔殿といい、そんなに私は謀反人面をしているのだろうか?
 心外だなあ……
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

強いられる賭け~脇坂安治軍記~

恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。 こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。 しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

生残の秀吉

Dr. CUTE
歴史・時代
秀吉が本能寺の変の知らせを受ける。秀吉は身の危険を感じ、急ぎ光秀を討つことを決意する。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

処理中です...