虹のした君と手をつないで

megi

文字の大きさ
4 / 66
第2章 碧 蒼空

1 記憶のない男性

しおりを挟む

「起きて……起きて……」
「……はっ」

 頬を撫でる優しい風音のような声、男は眼を覚ます(身体が重たい……)。

 顔を横に向けると、お下げ髪の少女が、立っている。眼を細め、満面な笑みを浮かべている(今の声は、この子……?)。

「君は……?」

 男が声を掛けると、小さな身体をクルリと回し、少女は走り出し、部屋から出て行く(あの子は、誰だろう……?)。

「先生! 意識が戻りましたよ! 西野先生!」

 部屋の外から聞こえる女性の声は、甲高く悲鳴に近い。『西野』と言う人物を呼ぶ。

 男は、ベッドの上で、ゆっくりと上体を起こす。左腕の四角いカットバンと胸で、はだけた薄緑の病衣(これは……?)。

「先生、早く!」
「わかってるよ! 騒がしいな……患者さんがビックリするだろう」
「誰も、いないんだから、いいじゃ……ん」
「はいはい」
 近づいてくる女性の慌てふためいた声と対照的に男性の落ち着いた声。
「あっ、本当だ!」
「だから、言ったじゃない」

 髪を後ろで結った上下白のナースウェアの女性と、膝下まである診察衣、白色のパリッとしたシャツに桜色のネクタイを絞めた、医者らしき男性が入ってくる。

「あの……ここは……?」
「大丈夫? ここは西野診療所だよ。僕は院長の西野、彼女は看護師の小川さんだよ」
「あなた、3日間目が覚めなかったのよ!」

 男の頭の中に霧がかかったような感覚は、2人の声をぼやけさせる。話しの内容が入らない。
 自分が目覚めた場所が医療施設で、医者と看護師だと認識はできたが、頭の整理が追いつかない。

「どうして……ここに……?」
「あなたは、診療所の前で、倒れたのよ」
「えっ?」
「『えっ?』てっ、憶えてないの? こんな田舎の診療所に何の用なの?」
「おいっ……桜ぁ、そんな聞き方はないだろう……」
「先生は、いつもそうなんだから!」
「はい……すみません」

 男が、目覚めた場所は、田舎の診療所だった。

 看護師の威圧感のある物言いに、少し驚く(この人、桜さんって言うのか……)。
「失礼、このライトを見て……うん、大丈夫そうだね」

 西野と言う名の医者は、胸ポケットからペンライトを取り出すと、男の瞳を照らす。

「名前は? 今は、何年の何月」
「名前……」
(な、名前……思い出せない。僕は、誰だろう……)

 男は、自分の名前を、思い出す事ができなかったが、不思議と、恐れや不安はなかった。

 むしろ、穏やかで落ち着いていた(このままだと、面倒くさいことになりそうだな……)。

「碧……碧蒼空です。1999年の5月……かな」
「へぇ……格好いい名前ねぇ……そう、1999年5月、間違いないわ!」
「どこから来たのかい?」
「……わっ、わかりません、憶えてないです」

 『碧 蒼空』この場を乗り切るために咄嗟に思いついた名前。ベッドの左側の窓から見える青く晴れた空が、印象的だった。日付は、壁のカレンダーを見た。

「……少し、ユックリするといいよ」
「はい」
「先生、いいんですか? どこの誰か、わからない人なのに!」
「まぁ……いいじぁやない。誰もいないんだから」
「だからって、ホテルじゃないんだから」
「はいはい、わかった、わかった……」
「また、後できます!」

 2人が、部屋から出て行く。落ち着いた対応をする西野とは対照的に、刺々しく威圧感のある物言いをする看護師の桜。

 彼女にとって蒼空は、厄介な訪問者である事を実感する。

 蒼空は、ベットに横たわると天井を見上げ、今までの事を思い出そうと、記憶をめくる。

 生まれてから全てが消えている……

 普通なら、止めどなく、わき上がる不安に押し潰されそうになり、やがて、喪失感に苛まれるだろう。

「不思議だ……」

 不思議にも、蒼空の心は、静かで落ち着いていた。真っさらな自分へと、生まれ変わったような感覚に、期待すら感じてしまう

「……!?」

 蒼空は、ふと、こちらを見る視線を感じた。看護師は扉をきちんと閉めなかったのだろう。
 中途半端に閉めた引き戸の隙間から、先ほどの少女が、覗いている。

「ねぇ……どうしたの? 迷ったのかい」
「……」

 少女は、隙間に身体をねじ込むように割り込ませると、重たい引き戸をゆっくりと押し開く。
 お下げ髪にクリクリとした瞳。白いシャツと膝上丈の赤いスカート。

 小さな右手に握られた、1輪の白い花。俯きモジモジとして、その場に立ち尽くす。

「こっちにおいでよ」

 蒼空が手招きをすると、少女は頬をピンク色に染めると、ゆっくりと入ってくる。

「あぁぁ、また、勝手に入ってる!」
「……!!」

 桜の声に、少女の小さな身体が、跳ねる。いそいで、部屋から出て行こうと走り出すが、桜に腕を掴まれる。

「入ったらいけないと、言ったでしょ!」
「……」
 顔を赤くして唇を噛みしめ、桜の手を振り解こうと、小さな身体を、ばたつかせる。
「あのっ!」
「何よ!」
「僕が、入れたんです……」
「痛っ!」

 蒼空の声に一瞬、すきが生まれた。少女は、桜の腕にガブリと噛みつく。
 桜から逃れると、走ってその場を離れる。

「あなたも、止めて下さい」
「いやぁ……可愛かったから……つい……」
「あなた、小児性愛者なの? へっ!? 変態なの!?」
「いやっ、どうしてそうなるかなぁ……」
「先生、先生、助けてぇ!」
「どうした、桜? 急変したのか?」
「ちっ、違うの。この人変態よ!」
「……」

 桜は、顔を赤らめ、西野に見た事を身振り手振りで伝える(何て、突拍子もない考えをする人だ)。

「う……ん。桜ぁ……早とちりだよ」
「先生は、危機感がないのよ!」
「でも、彼を見つけたのは、あの子だよ……それに、ほらっ」
「花……」
「お見舞いに、来たんじゃないのかい。目が覚めた事を、桜に、教えたのはあの子だろ……ねっ」
「……」

 西野は、床に落ちていた白い花を拾い上げると、桜の顔の前に差し出す。瞼を何度もパチクリとする桜。

「そうでした……」
「おっちょこちょいだからなぁ……」

 目を大きく見開き、口を尖らせた顔が、一瞬で、素に戻る。今度は、羞恥で顔を赤らめ俯きモジモジとする。

「あのぉ……どういうことですか?」
「そのままだよ! 倒れてた君を見つけたのはあの子だよ」
「そうですかぁ」

 西野診療所の前に倒れていた蒼空を見つけて、桜に教えたのは、お下げ髪の少女であった。

「もう少ししたら、駐在さんが来るから……」
「えっ、駐在って、警察ですか?」
「そうよっ、決まってるじゃない!」
「うん……名前は、憶えているみたいだけど……君、記憶喪失かもね……?」
「えっ!? 記憶喪失ですか……」

 蒼空は、「実は、名前も憶えていないんです」とは、言えなかった。
 自分でも、記憶を失った事は認識している。

 ただ、警察へ連れて行かれる事は避けたかった。直感だが、ここから離れる事は、自分にとって、よくない事だと思った。

「あの……ここ、病院ですよね」
「うん、西野総合病院の分院ではあるけどね」
「そうよ! 西野先生は、街でも有名な西野総合病院の、理事長先生の息子さんよ」
「桜ぁ……そこは、いいよぉ……ややこしいから」
「要は、親子で医者って事ですよねぇ……」
「まぁ……そう言う事だよ! 父が理事長、僕は息子で医者であり山間部の集落の診療所の院長をしている。そして、おっちょこちょいの看護師がいる」
「ヒッドォイ……」
「ハハハハ……」

 蒼空と西野は、子供の様に、プッと頬を膨らませる桜を見て笑った。

「あのぉ……ここに、置いてもらえませんか?」
「何故だい?」
「ここに、着た理由があると思うんです……」
「そうだね……」

 西野は、腕を組んで考え込んでしまった。






しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。

【完】経理部の女王様が落ちた先には

Bu-cha
恋愛
エブリスタにて恋愛トレンドランキング4位 高級なスーツ、高級な腕時計を身に付け ピンヒールの音を響かせ歩く “経理部の女王様” そんな女王様が落ちた先にいたのは 虫1匹も殺せないような男だった・・・。 ベリーズカフェ総合ランキング4位 2022年上半期ベリーズカフェ総合ランキング53位 2022年下半期ベリーズカフェ総合ランキング44位 関連物語 『ソレは、脱がさないで』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高4位 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高2位 『大きなアナタと小さなわたしのちっぽけなプライド』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高13位 『初めてのベッドの上で珈琲を』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高9位 『“こだま”の森~FUJIメゾン・ビビ』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高 17位 私の物語は全てがシリーズになっておりますが、どれを先に読んでも楽しめるかと思います。 伏線のようなものを回収していく物語ばかりなので、途中まではよく分からない内容となっております。 物語が進むにつれてその意味が分かっていくかと思います。

愛するということ

緒方宗谷
恋愛
幼馴染みを想う有紀子と陸の物語

処理中です...