診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ

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第4章 菜の花、未来を味わう

69話 川瀬のときめき

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 翌日。院長室で書類を整理していると、ノックもそこそこに川瀬が入ってきた。

「おい、北原! 昨日の寮の夕飯な、最高だったぞ!」

いきなり満面の笑みで言うものだから、俺はペンを止めて顔を上げた。

「……なんだよ、朝から大声出して」

「いや、聞けよ。スープがあってな、みんなで“いただきます”って声をそろえるんだぞ? 

俺、感動して鳥肌立ったんだから!」

「……はあ?」思わずため息が漏れる。

「お前、それくらいで感動するのか?」

「だってさ、あんなふうにみんなで食卓を囲むの、何年ぶりだと思う? 

いや、下手したら学生時代以来かもしれない。ずっと朝飯もなかったんだ。

前の奥さん、もう俺と口きくのも嫌って感じで……」

川瀬はふっと笑ったが、その目は少し寂しそうだった。

「朝は食べずに病院直行。夜も帰れば冷蔵庫にコンビニ弁当。

そんなのばっかりだったんだぞ。

だから昨日、あったかいスープとおかずが並んでさ。

みんなで笑いながら食べるって……ああ、こういうのが“幸せ”なんだなって思った」

「……」俺は言葉に詰まった。

けれど、すぐにいつもの調子で返す。

「お前なあ……味噌汁くらい、自分で作れるだろ」

「作れるわけないだろ! 俺、料理なんてやったことないし」

「……バカボンめ」

俺が呆れると、川瀬は子供みたいに机に身を乗り出した。

「それでな、西村主任がすごいんだ。

大鍋のスープを温めて、お皿をどんどん並べて、みんなに声かけて……あの人、ほんとに家庭的で、優しくて。

俺、あのマリネ食べたとき、感激して泣きそうになったんだから!」

「……お前、泣くほどか?」

「泣くほどだよ! あんなに美味いもの、久しぶりだったんだ。いや、初めてかもしれない」

俺は笑いながらも、胸のどこかで思った。

――こりゃもう、西村主任との距離が縮まるのも時間の問題だな。

「まあ、よかったな。これからは寮でちゃんと飯食えよ」

「もちろん! あんな食卓が毎晩あるなんて、俺、ここに来てほんとに良かった!」

川瀬は子供みたいに笑っていた。

ぼんぼんの甘ったれが、温かい夕食一つでここまで感激するなんて……しょうがない奴だ。

でも西村主任は離婚したばかりだから、手間のかかる男はどうかなあ?

いらんと思われ可能性はあるよね? 俺は知らんぞ。

俺は心の中で、ため息まじりにそう呟いた。

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