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第二章
76 -ルークside- ㉚
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姉さんがモルゲン侯爵家の二人とナイトレイ侯爵の4人で話している間、俺はユイから目が離せず、見つめ続けた。質のいいタキシードを着こなし、きれいに結われた黒髪と透明感のある肌は、特別招待客である彼がこの邸でもてなされた結果なのかもしれない。
ユイは俺を見ようとせず、俺を除いた4人が話を始めると黙って視線を落としていた。
あんな別れ方をしたんだ。当然だよな…。
自分に非があると分かっていても、愛する人に目を背けられるのは、やはり辛かった。だが、ユイを探そうと決めた時点で、拒絶されるのは覚悟のうえだった。それに、この夜会で会えたのは僥倖だったかもしれない。ここには、あの家族と思しき榛色の髪の親子がいない。ユイにこれまでのことを話して、この1年で家庭を持ったのかを聞く絶好の機会だ。
自分の考えに浸っているうちに、隣で話に花を咲かせていた姉さんたちの会話が終わった。
「──では、クイントス伯爵令息。また今度、貴殿が領地で研究した魔法薬について話を聞かせてくれ」
「はい、是非」
「ユイ、今夜はありがとう。機会があれば、またあなたのピアノを聴かせてちょうだいね」
「もちろんです」
モルゲン前侯爵夫人の言葉に、ユイは口元に笑みを湛えて応えていたが、その瞳はどこか上の空だった。そんなユイを気にする様子もなく、二人はサロンの方へと戻っていった。
「ユイ?あなた大丈夫?顔色が悪いわ。今朝の準備部屋に案内させるから、待ってなさい」
「だっ、大丈夫です!退室をお許しくださるのなら、一人で行けます」
ユイの異変に気付いたナイトレイ侯爵が、老執事に案内役を寄越すよう指示を出したら、彼は慌ててそれを止めた。
「クイントス伯爵令嬢、クイントス伯爵令息。申し訳ございませんが、私はこれで失礼いたします」
俺が声を掛けるより先に、ユイは俯いたまま足早に休憩室を出ていった。俺はすぐにユイの後を追おうとしたら、姉さんが呼び止めた。
「待て、ルクス。もしかしたら彼は──」
「悪い、姉さん。後にしてくれ。今は早くユイと話したいんだ」
後ろから響く「ルクス!話を聞け!」という姉さんの声にも耳を貸さず部屋を出ると、廊下の奥にユイの後ろ姿が見えた。俺は急いでその背中を追って手を伸ばしたら、ユイが曲がり角に差しかかる前に腕を掴むことができた。掴んだ腕は、心なしか1年前より細く感じる。
「ユイ!待って!」
「……いかがなさいましたか?クイントス伯爵令息」
振り向かず淡々とした口調に壁を感じて、俺は胸が締め付けられた。しかし、ユイが今どんな気持ちで俺と対峙しているのかを考えると、それを責めることはできない。
「ねぇユイ、こっちを向いて?」
努めて冷静に、そしてユイに警戒されないように声をかけた。するとユイは、俺の方に身体をゆっくり反転させた。依然俯いたままで視線を合わせようとしないが、休憩室の時より更に近い距離に立つユイを目にして、切なさよりも愛しさの方が勝った。
「…今夜は、奥様はご一緒ではないのですか?」
その言葉に、俺は胸がズンと重くなるのを感じた。ユイの中では、俺はサラと結婚していることになっているんだ。シグルド司祭と手紙のやり取りをしていたそうだが、あの時の真相について、何も聞いていないのか?
「私と一緒にいるところを見られたら、あらぬ誤解をされるかもしれ───」
ユイの言葉を遮るように、俺はユイの腕を引いて思いっきり抱きしめた。もうこれ以上、壁をつくるような口調を聞いていられなかった。聞きたいことも話したいこともたくさんあるのに、うまく言葉が出てこない。ほのかな石鹸の香りの中に混じる甘い香りに、今まで抑えていた劣情が激しく掻き立てられた。だがそれ以上に、自分の欠けた部分が満たされたような心地よさがあった。
「ユイ、あのときは、本当にごめん…。言い訳にしかならないけど、話を聞いてほしい」
抱きしめたまま懇願すると、これまで抵抗しなかったユイが、身体を震わせながら俺を押し返して顔を上げた。
「その必要はありません。どうか、奥様と末永くお幸せに。あなたの幸福を心より願っております」
『僕のことは、…もう好きじゃない?……僕じゃ…ダメだった…?』
ふいに、あの言葉が頭をよぎった。今、目の前にいるユイが、あの時と同じ顔をしていたから。
今にも泣き出しそうな笑みを浮かべるユイを見て、伝えようと思っていた言葉が頭の中から全て消え、真っ白になった。
そして、再び背を向けて去っていくユイの背中を、俺は追いかけることができなかった。
ユイは俺を見ようとせず、俺を除いた4人が話を始めると黙って視線を落としていた。
あんな別れ方をしたんだ。当然だよな…。
自分に非があると分かっていても、愛する人に目を背けられるのは、やはり辛かった。だが、ユイを探そうと決めた時点で、拒絶されるのは覚悟のうえだった。それに、この夜会で会えたのは僥倖だったかもしれない。ここには、あの家族と思しき榛色の髪の親子がいない。ユイにこれまでのことを話して、この1年で家庭を持ったのかを聞く絶好の機会だ。
自分の考えに浸っているうちに、隣で話に花を咲かせていた姉さんたちの会話が終わった。
「──では、クイントス伯爵令息。また今度、貴殿が領地で研究した魔法薬について話を聞かせてくれ」
「はい、是非」
「ユイ、今夜はありがとう。機会があれば、またあなたのピアノを聴かせてちょうだいね」
「もちろんです」
モルゲン前侯爵夫人の言葉に、ユイは口元に笑みを湛えて応えていたが、その瞳はどこか上の空だった。そんなユイを気にする様子もなく、二人はサロンの方へと戻っていった。
「ユイ?あなた大丈夫?顔色が悪いわ。今朝の準備部屋に案内させるから、待ってなさい」
「だっ、大丈夫です!退室をお許しくださるのなら、一人で行けます」
ユイの異変に気付いたナイトレイ侯爵が、老執事に案内役を寄越すよう指示を出したら、彼は慌ててそれを止めた。
「クイントス伯爵令嬢、クイントス伯爵令息。申し訳ございませんが、私はこれで失礼いたします」
俺が声を掛けるより先に、ユイは俯いたまま足早に休憩室を出ていった。俺はすぐにユイの後を追おうとしたら、姉さんが呼び止めた。
「待て、ルクス。もしかしたら彼は──」
「悪い、姉さん。後にしてくれ。今は早くユイと話したいんだ」
後ろから響く「ルクス!話を聞け!」という姉さんの声にも耳を貸さず部屋を出ると、廊下の奥にユイの後ろ姿が見えた。俺は急いでその背中を追って手を伸ばしたら、ユイが曲がり角に差しかかる前に腕を掴むことができた。掴んだ腕は、心なしか1年前より細く感じる。
「ユイ!待って!」
「……いかがなさいましたか?クイントス伯爵令息」
振り向かず淡々とした口調に壁を感じて、俺は胸が締め付けられた。しかし、ユイが今どんな気持ちで俺と対峙しているのかを考えると、それを責めることはできない。
「ねぇユイ、こっちを向いて?」
努めて冷静に、そしてユイに警戒されないように声をかけた。するとユイは、俺の方に身体をゆっくり反転させた。依然俯いたままで視線を合わせようとしないが、休憩室の時より更に近い距離に立つユイを目にして、切なさよりも愛しさの方が勝った。
「…今夜は、奥様はご一緒ではないのですか?」
その言葉に、俺は胸がズンと重くなるのを感じた。ユイの中では、俺はサラと結婚していることになっているんだ。シグルド司祭と手紙のやり取りをしていたそうだが、あの時の真相について、何も聞いていないのか?
「私と一緒にいるところを見られたら、あらぬ誤解をされるかもしれ───」
ユイの言葉を遮るように、俺はユイの腕を引いて思いっきり抱きしめた。もうこれ以上、壁をつくるような口調を聞いていられなかった。聞きたいことも話したいこともたくさんあるのに、うまく言葉が出てこない。ほのかな石鹸の香りの中に混じる甘い香りに、今まで抑えていた劣情が激しく掻き立てられた。だがそれ以上に、自分の欠けた部分が満たされたような心地よさがあった。
「ユイ、あのときは、本当にごめん…。言い訳にしかならないけど、話を聞いてほしい」
抱きしめたまま懇願すると、これまで抵抗しなかったユイが、身体を震わせながら俺を押し返して顔を上げた。
「その必要はありません。どうか、奥様と末永くお幸せに。あなたの幸福を心より願っております」
『僕のことは、…もう好きじゃない?……僕じゃ…ダメだった…?』
ふいに、あの言葉が頭をよぎった。今、目の前にいるユイが、あの時と同じ顔をしていたから。
今にも泣き出しそうな笑みを浮かべるユイを見て、伝えようと思っていた言葉が頭の中から全て消え、真っ白になった。
そして、再び背を向けて去っていくユイの背中を、俺は追いかけることができなかった。
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