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最終章
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しおりを挟む葛藤を抱えながら、<レジウム大聖堂>の敷地内にある公邸で過ごし始めて、あっという間に8日が経った。
モーリス大司教様はいつも早朝に王宮へ向かい、昼を過ぎた頃に公邸に戻ってくる。そのため、僕の授業は大抵午後で、学習場所は彼の執務室や公邸内庭園のガゼボなど、毎日場所を変えて行われた。
僕はモーリス大司教様が不在の間は公邸にあるピアノを弾いたり、教わった儀式の手順や魔法を復習しながら過ごした。そして何度か、大聖堂からほど近い場所にある教会で葬儀の手伝いをした。手伝いといっても葬儀の開始時や終了時のピアノ演奏、そして献花の際に弾き語りをする程度で、本来の目的は<最後の救済>に結晶を集められるかを試すことにあった。僕のような教会に属していない者は務められない役目だったが、そこは大司教様の計らいで特別に許可してもらった。
スキルの効果は、僕が遺族や参列者にどれだけ共感するかによっても変化があり、それが分かっただけでも試した価値があった。そして、故人を慕っていた人が多い葬儀では結晶はたくさん集まり、参列者の故人への想いが結晶の大きさに表れることも分かった。それらを考慮すると、西方辺境伯領の慰霊式では、相当な量の結晶を集めることができるだろう。
───利己的で、本当に嫌になる……。
そんな風に、自己嫌悪に陥ることが度々あった。
客観的には、僕がやることはスタンピードを防ぐため、そして愛する人を失った人々の心を慰めるためと、『いいこと』をしているように見えるかもしれない。でも、僕は僕自身のためにやっているに過ぎない。
明日はいよいよ西方辺境伯領へ出発する。結局今日まで、ルークから連絡はなかった。一言でもいいから手紙が欲しかったと思うのは、我が儘だろうか。
でも…、連絡をするもしないもルークの自由だし、僕が知りたいこともクイントス伯爵家の機密に関わることだから、仕方ないよね。
彼に頼りすぎたと反省しながら、僕はそれ以上ルークのことを考えないようにした。
フレッドさんやメアリさんの手を借りながら準備を整え、夕食後に執務室でモーリス大司教様と明日の最終確認をすると、実感が湧いて緊張してきた。
「…そういえば、邸の庭園に一夜花があるのは知っているかな?不思議なことに、その花は今夜のような新月の夜にしか咲かない。明日の朝には萎れてしまうから、よければ見に行ってみるといい」
モーリス大司教様が何の脈絡もなく、そんな話をしてきた。僕が緊張しているのに気づいて、気晴らしに提案してくれたのだろう。
一夜花…月下美人のことか?
元いた世界でも、月下美人は新月に咲くという話を聞いたことがある。開花に月の満ち欠けは関係ないらしいけど、この世界の一夜花はそうではないのかもしれない。
「ありがとうございます。今夜見に行ってみますね」
「そうするといい。場所はガゼボ近くの花壇だ。暗いから明りを持っていきなさい」
僕は入浴を終えると寝間着の上からショールを羽織り、フレッドさんにランプを借りて庭園に出た。冷たくなってきた夜風に身体を少し震わせながら、僕はランプを掲げてガゼボ周辺の花壇を見て回った。すると、花壇の一角に仄かな青い光を帯びた、白い大輪の花を見つけた。まるで、暗闇の中で輝く満月のようだ。
うわぁ…、きれい……。
その花に見惚れていると、背後から芝生を踏みしめる足音が聞こえた。月明かりのない中、足音は迷うことなくゆっくりとこちらに近づいてくる。距離が離れているから、目を凝らしても誰なのか分らない。
「ユイ」
その声に、僕の心臓がトクンと跳ねた。あの日以来、何の音沙汰もなかった彼が、西に赴く前夜に現れるなんて思っていなかった。月明かりのない夜で、互いを確認するには心許ないランプの小さな灯りだけだったが、暗闇に目が慣れていたおかげで苦悶に満ちた顔がよく見えた。
「…っ、ルーク。どうして…、ここに?」
僕が声をかけてもルークは何も言わず、少し離れたところで立ち止まってそれ以上近づこうとしない。そのことに、胸が苦しくなった。
「ユイの、叶えたい願いって何?」
ルークは僕の問いに答えず、唐突に尋ねてきた。そのことを聞くということは、領主様から借りた手記にそれに関する事が書かれていたのだろうと察した。
……言えない。それを聞いたら、ルークは誤解してしまうかもしれないから。
僕が答えず黙っていると、ルークは手を握りしめて言葉を続けた。
「それは…、俺には叶えられない?」
「……誰にも、叶えられない。でも、"世界"の一部が含まれているアーティファクトの力なら、もしかしたら……」
「それは、命をかけてでも叶えたいこと?」
ルークの衝撃的な一言に、僕は息を吞んだ。
「手記に書いてあったんだ。その昔、<最後の救済>の所持者だった人は、願いが叶ってしばらくして、この世を去っていた」
それ以上何も言わず、僕とルークの間に沈黙が流れた。
ルークの話を聞いて、<最後の救済>を使うことが怖くなった。しかし、今さら止めようとも思わなかった。願いが叶うということは、相応の代償も必要だろう。それこそ、<最後の救済>を結晶で満たすだけでは足りないような……。それにルークの言い方では、過去の所持者はすぐに命を落としたわけではないみたいだ。
たとえ命を失うことになっても、その時を迎えるまでの猶予があるのなら───。
「それでも僕は、止めるつもりはないよ」
僕が真っ直ぐ見据えてはっきり言うと、ルークは今にも泣きだしそうな表情で手を伸ばして、僕との距離を詰めようとした。でも、その足はその場から離れず、距離は縮まらない。
そうだ。どうして僕から距離を取るのか、ちゃんと聞かないと…。
「……僕にはもう、触れたくない?」
ルークから次に出てくる言葉が怖くて、笑顔をうまくつくれない。そんな僕の表情を見たルークは、さらにその顔を悲し気に歪ませながら反論してきた。
「そんなわけない!俺は──っ!…ユイが、震えていたから…。触れられるのが怖いんじゃないか…って。だから、ユイに少しずつでも受け入れてもらえるように、時間をかけようと……」
尻すぼみするその言葉に、僕は心の底からホッとして涙が滲んだ。
ルークが触れようとしてこなかったのは、あんなことがあった僕を慮ってくれたからだった。彼の性格を考えれば、すぐ分かりそうなことだったのに……。やっぱり僕は、ルークのことになると、どうしても臆病になってしまう。
……言葉にするって、本当に大切なんだな。
「前に言ったでしょ?僕なら大丈夫だよ」
この8日間、事あるごとにルークの温もりが恋しくなって、触れたくてたまらなかった。
だから、お願い──。
「ほら、確かめて?」
今度は僕が、ルークを安心させたい。
僕が手を広げると、ルークは急くように歩み寄り、息が止まりそうなほど力いっぱい抱きしめてきた。身体を包み込んでくる温かさが心地よくて、僕はルークの胸に頬を寄せて抱きしめ返した。
「ねぇ、ルーク。帰ってきたら、伝えたいことがあるんだ」
「…帰ってからじゃ嫌だ。今言って」
ルークの声は少し震えていて、僕を抱きしめる腕に一層力が籠もった。触れている部分から、彼が抱える不安が嫌というほど伝わってくる。でも、その原因が自分の死であることを思うと、不謹慎にも嬉しくなってしまう。
何とか、ルークの不安を紛らわせてあげたいけど…。……そうだ。
僕はルークを抱きしめていた手を緩め、両頬に手を添えてゆっくり唇を重ねた。その口づけには、あの事件によって刻まれた不安や恐怖はなく、愛しい人と触れ合う悦びで心が震えた。
気を紛らわせるには、それ以上の刺激が有効だと思ってやってみたが、どうやら思惑どおりにいったみたいだ。僕からキスをされることを予想していなかったであろうルークは、身体を固まらせて、唇を離した後も驚いた表情を崩さなかった。
「ふふっ…」
彼の驚いた顔が可笑しくて、つい笑い声をこぼしてしまった。
「必ず、ルークのところに帰ってくる。だから、待ってて」
僕の言葉を聞いても、ルークはまだ不安を拭いきれていないようだ。しかし、その不安をぐっと押し殺すかのように表情を歪ませたあと、少しずつ笑みに変えていった。
「わかった。ユイを信じて待ってる。だから、もっとキスしていい?」
「いくらでも…」
僕たちは引き合うように、再び唇を重ねた。触れるだけの口づけは、次第に唇を咥みながら深くなり、咥内の熱を絡ませ合った。純粋に互いを求め合うそれは、頭の中が蕩けるほど気持ちよく、ルークにも伝わるんじゃないかと思うくらい心臓が激しく脈動した。
終わりの見えないキスに、火照った頬を冷ますように再び吹いた夜風が、とても心地よかった。
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