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最終章
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しおりを挟む秋の風が金木犀の香りを運んできて、僕の鼻を優しくくすぐった。
ゆっくり目を開いたら茜色に染まった空が視界に入ってきて、僕は見覚えのあるこの景色が、公邸で使っていた部屋のベッドから見えるものだと分かった。
頬が僅かに濡れていたのは、きっとかつての恋人との刹那的な再会のせいだろう。
「ユ…イ……?」
声のした方へ視線を移すと、溢れそうな涙で潤んだ空色の瞳が、信じられないものを見るかのように見開いていた。今にも泣きそうな顔をしている彼とは対照に、僕の胸は幸せな気持ちで満たされて、自然と笑みがこぼれた。
「……ルーク、ただいま」
苦しいくらいに抱きしめてきたルークの背中をさすりながら、僕は抱きしめ返した。
「よ…よかった……。目…覚まさないから、ずっと…不安で……っ」
「心配かけて、ごめんね。もう、大丈夫だから」
身体を離してルークの顔を覗くと、空色の瞳からぽろぽろと涙が零れていた。拭っても拭ってもあとから溢れてくるそれは、茜色の光を受けてきらきら輝いている。
こんなに泣いてたら、瞳に虹がかかりそうだな。
泣いているせいで、ルークが年齢より幼く見える。彼の頭をなでながら宥めていると、不意にノックが響いてメアリさんが入ってきた。僕が目覚めていることに気づき、目に涙を浮かべながら口元を覆っていた。
「ユイ様…!お目覚めに、なられたんですね…っ。すぐに…主と、医術師を呼んで参ります…!」
メアリさんが足早に部屋を出ていくと、ルークがこれまでの経緯を教えてくれた。
慰霊式が行われたその夜、僕は意識のないまま護衛騎士に抱きかかえられ、転移魔法具で大聖堂に戻ってきていた。急遽参加した追悼祭で<言霊>を発動して、魔力が枯渇する寸前だったらしい。一緒にいたアーロさんが応急処置として自分の魔力を僕に分けてくれたが、魔力は思うように回復せず、医術師に診てもらったところ魔力器官の損傷が激しい状態だった。それで、危機感を覚えたギルバート司教様が、急いで大聖堂へ連れ帰ってきたのだそうだ。
「すぐに医術師に頼んでエリクサーを投与した。損傷部分は回復したけど、意識が戻らない状態が続いて…」
「僕、どれくらい眠ってた?」
「二日近く…。今日は収穫祭三日目…最終日だよ」
それを聞いて、予想していたよりも短いなと思った。しかし、死んだように眠る僕を見て、生きた心地がしなかったと言うルークの様子を見ると、たとえ短い時間でも周りの人に心配をかけてしまったのだと申し訳なさを感じる。
ルークの濡れた頬を寝間着の袖口で拭いながら話を聞いていると、モーリス大司教様と医術師らしき男性がノックの直後に入ってきた。男性は僕のそばに座ると診察を行い、僕に身体に異常がないことを教えてくれた。
「日常生活に戻っても問題ありませんが、意識がない状態が続いたので、あまり無理はしないように」
「ありがとうございました、医術師」
僕がにこやかに言うと、医術師はモーリス大司教様に一礼して、部屋を出ていった。すると次は、モーリス大司教様が僕のそばに座り、深々と頭を下げてきた。
「モ、モーリス大司教様!?」
「ユイ。此度の君の働きに、心から感謝する。そして、君の命を危険に晒してしまい、本当に申し訳なかった」
「元より覚悟のうえで受けたお話です。それよりも、スタンピードは回避できたのでしょうか?」
モーリス大司教様は顔を上げ、事の次第はギルバート司教様から報告を受けていることを教えてくれた。そして、辺境伯領に残ったアーロさんによると、これまで発生していた負の魔力は、儀式を終えた夜以降、徐々に減少しているとのことだ。
「もうしばらくは警戒が必要だが、スタンピードが発生する事態は回避できたと言えるだろう。それとアーロの話だと、フレイマ辺境伯が君の身を案じておったそうだ。追悼祭で自分が無理を強いてしまったことを、心から悔やんでると」
「そんな…。あれは僕の判断で行ったことなので、フレイマ辺境伯を責めることはしません」
何はともあれ、スタンピードを回避できたと聞いて、ようやく肩の荷が下りた。当初の目的を果たすことができて、本当に良かった。
そこで僕は、ふとあることを思い出した。
「そういえば、<最後の救済>はどこに?意識を失う前まで、握っていたのは覚えているんですが…」
「<最後の救済>は、"世界"に還っていったよ」
"世界"に還った?
「アーティファクトはその役目を終えると、所有者の元からどこかに消えるんだ。<世界樹>の一部が含まれていることから、それを『"世界"に還る』っていつしか表現されるようになった。だから、現物を見られるのは本当に稀で、錬金術師の間では幻の魔法具と言われている」
モーリス大司教様の代わりに、ルークが説明してくれた。役目を終えるというのは、<最後の救済>を結晶で満たしたからか、それとも……。
「して、願いは叶ったかね?」
僕が考えに耽っていると、探るような視線でモーリス大司教様が尋ねてきた。僕は彼から視線を外さず、正面から見つめ返して答えた。
「───はい」
「そうか、それは良かった」
モーリス大司教様の様子から、彼もそのことを憂慮していたのが窺えた。命に関わるような依頼をした手前、それに見合うようなものを僕が得られて安堵したんだろう。安心した様子のモーリス大司教様を見て、僕もほっとした。
「モーリス大司教様。身体に異常はないようですし、僕はこれでお暇します」
「さっき目覚めたばかりなのにか?今夜はここで休んでいった方が…」
「お気遣いありがとうございます。でも、随分家を空けてしまいましたし…。それに、せっかく収穫祭最後の夜なので」
僕がそう言うと、モーリス大司教様も了承してくれた。
帰る前に浴室を借りて身体を洗い、マジックバッグの中から取り出した私服に着替えると、ルークが魔法で僕の髪を乾かしてくれた。その間、ルークは終始無言で、鏡越しにずっと不安そうな顔をしていた。
「もうそんな顔しないで?」
僕は振り返るとルークの頬に両手を添えて、鼻先が触れそうになるまで顔を近づけて微笑んだ。
「ほら、ルーク。僕に笑った顔を見せて?」
「…うん」
そこでようやく、ルークは僕に笑顔を見せてくれた。僕の手に頬をすり寄せながら、愛おしそうに微笑む顔を見て、僕は胸が高鳴った。
支度してエントランスホールに降りると、モーリス大司教様とフレッドさん、そしてメアリさんが待っていた。別れ際に、メアリさんが食事の入ったバスケットと、室内を一瞬で清掃してくれるというランプの形をした魔法具を持たせてくれた。魔法具は一回限りしか使えないとのことだが、僕は有難くそれを受け取った。
「後日改めて、今回の褒賞を贈る」
「気長に待っていますね」
冗談半分で言ったその言葉に、モーリス大司教様は少し驚いた表情を見せた。僕が褒賞を断ると予想していたのかもしれない。しかし、その後すぐに笑顔になって「ああ、待っていてくれ」と応えてくれた。
「では、皆さん。大変お世話になりました」
「こちらこそ、本当にありがとう。また大聖堂で会おう」
こうして僕は、ルークの手を取って公邸を後にした。
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