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#29 婚約破棄
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婚約破棄に関する手続きは簡潔に行われた。俺が出席したせいか皇女も同席していたが言葉を交わすことはなかった。
淡々と処理が進んでいき、最後に皇帝と父が署名する。
「…………シェラード公爵」
「何でしょう、陛下」
「娘の父として謝罪する。すまなかった」
深く頭を下げる皇帝に、皇女が反応する。
「な、お父様、どうして!」
「お前は黙っていなさい、クラリッサ!」
まだ何か言いたそうにしていたが、皇帝から強く窘められると皇女は渋々口を噤む。自分は悪くない、と言いたいようだが、今回の件に関しては俺には何も非がない。勝手にアルフレッドに言い寄って、俺を邪険にして、学校内での立場を全て奪ったのだ。
今後、皇女は婚約するのに苦戦するだろう。一国の姫だとしても婚約破棄になったという傷が残れば、他国に嫁ぐこともできない。
彼女はそこまで考えていたのだろうか。きっと考えていたらこんなことをしていなかったはずだ。
「ヴィンセント君もすまなかった。君の縁談については悪いようにはしないから安心したまえ」
そう言ってにこりと微笑まれても、当分は婚約者とか婚約とかからは距離を置きたい。どう返答すればいいのかと隣の父を見るとにこりと笑みを浮かべるだけだ。好きに答えて良いと言うことだろう。
「ありがとうございます、皇帝陛下。ですが縁談はもう少し先で……」
「そうかそうか。その気になったら公爵に言うと良い」
「お気遣いに感謝いたします」
ぺこりと頭を下げて顔を上げた時に皇女と目が合った。こちらを恨めしそうに睨んでいるが、全ては自分の身から出た錆だ。俺を恨むのはお門違いだ。震えるほどきつく握りしめた手から血が滲んでいるのを見てしまい、俺はぱっと目を逸らした。
もう彼女は真っ当な判断ができないのかもしれない。恋に落ちるというのは恐ろしいな、と思いながら、アルフレッドとは誕生祭で終わっていて正解だったのかもしれないとようやく思い至った。
「ヴィンス。次の新年祭は陛下への挨拶だけにして、パーティは欠席しなさい」
皇宮からの帰り道、馬車に乗るなり父さんがそう言った。皇帝への新年の挨拶は病気などでない限り、帝国中の貴族が挨拶に行くのは決まりとなっている。だがその後のパーティに関しては任意だ。
「分かりました」
「いくらお前に悪いところがないと言っても、皇女と婚約破棄となればいろいろ噂する人も出てくるだろうしね」
確かに好奇の目で見られるだろう。パーティに参加する気にもなれなかったし、父さんの提案は俺には好都合だった。
「そう言えば新年祭は市場でたくさんの店が開かれると聞いているよ。最近、市場のほうにも顔を出していると聞いたよ」
ぎくりと顔を強張らせてしまう。
「ケイシーを連れて行ってくるといいよ。狩猟や賭け事ばかりするよりいい」
そうやって市井を見て回るのは勉強になるからいい、と言う意味だが、別に俺は庶民の暮らしを知りたくて市場に行っていたわけではない。変わった俺に対して父さんが好感を持っているのは知っている。ここで拒否すれば傷ついてしまうかもしれない。
「わ……、分かりました」
市場はアルフレッドと出くわす可能性がある。ケイシーを連れて行け、と言われた以上、この話は父さんからもケイシーに話をするだろう。アルフレッドのことをケイシーに話せていないし、話すつもりもないなら、行くしかない。
でも会いたくない。
「ヴィン――……」
父さんが俺に声を掛けようとしたとき、馬車が大きく揺れた。
「うわっ!?」
ガダンと大きな音を立てて、馬が「ヒヒーン!」と泣き声を上げる。つんのめった俺は前に転びそうになったところを父さんに助けられ、馭者も「うわ!」と悲鳴を上げた。俺を対面に座らせると父さんは「何事だ?」と馬車のカーテンを開けた。何かを轢いてしまったわけでもなさそうだが、カタカタと小刻みに馬車は揺れている。
地震か? これは。
「何て言うことだ……」
父さんがぼそりと呟く。つられるように窓の外を見ると、青かった空は夕焼けのように真っ赤に染まっている。まだ日中だというのに、一体、何が起こったのだろう。
「ヴィンス。父さんは皇宮に戻るから、お前は早く家に戻りなさい」
「え……、あ、はい」
皇宮から出て間もない。父さんはここから歩いていくつもりなのだろう。ドアの取っ手に手を掛けた父さんに「何が起こったんですか?」と尋ねてみる。答えてくれないかもしれないが、異様なことが起こっているのは空を見ただけで分かった。
「竜だ」
「……え?」
「竜が目覚めた」
父さんはそれだけ言うと馬車のドアを開けて外に出て行ってしまった。窓からは空の色しか見えなかったが、ドアを開けたことでその異様さを認識する。
とぐろを巻いたような黒い雲が皇宮の上空に出現している。正しくは皇宮の後ろにある山、だろうか。
俺はふと、この国の逸話を思い出した。
皇宮の背後に聳える帝国一番の山には、竜が棲んでいる。
あれはただのおとぎ話ではなかった、と言うことか? しかし俺が学んだ歴史では竜が目覚めたなんて聞いたこともなかったのに、父さんは一目見てこれが竜の目覚めだと気付いた。
貴族の中でも一部しか知らない事実なのか? これは国の存亡にも関わる。
震える手を握りしめて、俺はドアを閉めた。
淡々と処理が進んでいき、最後に皇帝と父が署名する。
「…………シェラード公爵」
「何でしょう、陛下」
「娘の父として謝罪する。すまなかった」
深く頭を下げる皇帝に、皇女が反応する。
「な、お父様、どうして!」
「お前は黙っていなさい、クラリッサ!」
まだ何か言いたそうにしていたが、皇帝から強く窘められると皇女は渋々口を噤む。自分は悪くない、と言いたいようだが、今回の件に関しては俺には何も非がない。勝手にアルフレッドに言い寄って、俺を邪険にして、学校内での立場を全て奪ったのだ。
今後、皇女は婚約するのに苦戦するだろう。一国の姫だとしても婚約破棄になったという傷が残れば、他国に嫁ぐこともできない。
彼女はそこまで考えていたのだろうか。きっと考えていたらこんなことをしていなかったはずだ。
「ヴィンセント君もすまなかった。君の縁談については悪いようにはしないから安心したまえ」
そう言ってにこりと微笑まれても、当分は婚約者とか婚約とかからは距離を置きたい。どう返答すればいいのかと隣の父を見るとにこりと笑みを浮かべるだけだ。好きに答えて良いと言うことだろう。
「ありがとうございます、皇帝陛下。ですが縁談はもう少し先で……」
「そうかそうか。その気になったら公爵に言うと良い」
「お気遣いに感謝いたします」
ぺこりと頭を下げて顔を上げた時に皇女と目が合った。こちらを恨めしそうに睨んでいるが、全ては自分の身から出た錆だ。俺を恨むのはお門違いだ。震えるほどきつく握りしめた手から血が滲んでいるのを見てしまい、俺はぱっと目を逸らした。
もう彼女は真っ当な判断ができないのかもしれない。恋に落ちるというのは恐ろしいな、と思いながら、アルフレッドとは誕生祭で終わっていて正解だったのかもしれないとようやく思い至った。
「ヴィンス。次の新年祭は陛下への挨拶だけにして、パーティは欠席しなさい」
皇宮からの帰り道、馬車に乗るなり父さんがそう言った。皇帝への新年の挨拶は病気などでない限り、帝国中の貴族が挨拶に行くのは決まりとなっている。だがその後のパーティに関しては任意だ。
「分かりました」
「いくらお前に悪いところがないと言っても、皇女と婚約破棄となればいろいろ噂する人も出てくるだろうしね」
確かに好奇の目で見られるだろう。パーティに参加する気にもなれなかったし、父さんの提案は俺には好都合だった。
「そう言えば新年祭は市場でたくさんの店が開かれると聞いているよ。最近、市場のほうにも顔を出していると聞いたよ」
ぎくりと顔を強張らせてしまう。
「ケイシーを連れて行ってくるといいよ。狩猟や賭け事ばかりするよりいい」
そうやって市井を見て回るのは勉強になるからいい、と言う意味だが、別に俺は庶民の暮らしを知りたくて市場に行っていたわけではない。変わった俺に対して父さんが好感を持っているのは知っている。ここで拒否すれば傷ついてしまうかもしれない。
「わ……、分かりました」
市場はアルフレッドと出くわす可能性がある。ケイシーを連れて行け、と言われた以上、この話は父さんからもケイシーに話をするだろう。アルフレッドのことをケイシーに話せていないし、話すつもりもないなら、行くしかない。
でも会いたくない。
「ヴィン――……」
父さんが俺に声を掛けようとしたとき、馬車が大きく揺れた。
「うわっ!?」
ガダンと大きな音を立てて、馬が「ヒヒーン!」と泣き声を上げる。つんのめった俺は前に転びそうになったところを父さんに助けられ、馭者も「うわ!」と悲鳴を上げた。俺を対面に座らせると父さんは「何事だ?」と馬車のカーテンを開けた。何かを轢いてしまったわけでもなさそうだが、カタカタと小刻みに馬車は揺れている。
地震か? これは。
「何て言うことだ……」
父さんがぼそりと呟く。つられるように窓の外を見ると、青かった空は夕焼けのように真っ赤に染まっている。まだ日中だというのに、一体、何が起こったのだろう。
「ヴィンス。父さんは皇宮に戻るから、お前は早く家に戻りなさい」
「え……、あ、はい」
皇宮から出て間もない。父さんはここから歩いていくつもりなのだろう。ドアの取っ手に手を掛けた父さんに「何が起こったんですか?」と尋ねてみる。答えてくれないかもしれないが、異様なことが起こっているのは空を見ただけで分かった。
「竜だ」
「……え?」
「竜が目覚めた」
父さんはそれだけ言うと馬車のドアを開けて外に出て行ってしまった。窓からは空の色しか見えなかったが、ドアを開けたことでその異様さを認識する。
とぐろを巻いたような黒い雲が皇宮の上空に出現している。正しくは皇宮の後ろにある山、だろうか。
俺はふと、この国の逸話を思い出した。
皇宮の背後に聳える帝国一番の山には、竜が棲んでいる。
あれはただのおとぎ話ではなかった、と言うことか? しかし俺が学んだ歴史では竜が目覚めたなんて聞いたこともなかったのに、父さんは一目見てこれが竜の目覚めだと気付いた。
貴族の中でも一部しか知らない事実なのか? これは国の存亡にも関わる。
震える手を握りしめて、俺はドアを閉めた。
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