異世界転生したと思ったら、悪役令嬢(男)だった

カイリ

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#36 アクベダ

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 帝国最高峰――サラリス。そこには太古から竜が棲んでいた。

 まだ帝国がこの大陸を支配する前、小さい部族がこの地を支配していた。サラリスに住まう竜を神と崇め、近辺で取れる鉱物を供物として捧げていた。ある日、供物を捧げていた巫女の一人が竜の血を浴び、会話が出来るようになった。

 アルフレッドの祖先だ。帝国が支配する前までは竜の声を聴く巫女は多くいたそうだが、戦争の影響や原住民の迫害などもあり、すでにその血はほとんどが途絶えてしまった。竜が目覚めるまでアルフレッドの母も、まさか自分がアクベダと呼ばれる巫女の末裔だなんて知らなかったと言っていた。

「竜について記載された少ない書物の中に、アクベタのことが僅かに書かれていた。サラリスに棲む竜と会話が出来る巫女がいる、と。ただ千年以上前に帝国がこの地を支配してから、ヘルムカ族は帝国に組み込まれてアクベタも数を減らしていった。帝国内でも反乱や紛争などが起こった時に書物も多く消失していてな……」

 竜の目覚めも何百年に一回とかそんな周期なのだろう。もしかするとヘルムカ族についての記録もサラリスに棲む竜に焼かれてしまった可能性もある。

「アルフレッドがいるからこそ、騎士団が助かる可能性があるってことですね」

「おそらく、だが」

「きっとアルフレッドにも聞こえていたはずです。竜の嘆きが。決して竜はわたし達に危害をなそうとしているわけではありません」

 先程の咆哮がアルフレッドの母親には嘆きに聞こえたようだ。何も知らない俺達は竜が怒り狂っているようにしか思えなかったが、声が聞けなければみんなもそう思うだろう。そうして討伐隊が組まれたりして、竜が本当に怒り、この一帯を焼き払った。というわけか。

 少しだけホッとしたら力が抜けてその場にへたり込んでしまった。

「シェラード公爵令息!?」

「す、すみません、陛下」

 帰って来てくれる可能性がある。ほとんどなかった可能性だったのに、希望が見えただけでも嬉しくてこの場で泣き出してしまいそうだった。



 竜の棲み家がある山頂付近まで徒歩で一日はかかる。どんなに早くても戻ってくるまでに二日はかかるだろう。家が荒らされた状態なので、アルフレッドの母を屋敷に招待し、俺はようやく一息ついた。

 昨晩からバタバタと動き回っていたせいでどっと疲れが襲ってきた。まだ安心してはいけないけれど、アルフレッドが返ってくる可能性が高くなったのは素直に嬉しい。もう殴ってやろうとか考えていないから、怪我無く戻って来てほしいと祈った。

 あまりに疲れていたせいで気づけば眠ってしまっていた。

「ヴィンセント様!」

 珍しくケイシーがノックもせずに入ってきた。ハッとして起き上がった時に自分が眠ってしまっていたことに気付く。まだ眠たいせいで頭はほとんど働いていない。外はもう薄暗くなってきていて、夕方も過ぎているようだった。

「何か、あったのか?」

 公爵家の使用人であるケイシーに礼儀は叩き込まれている。そんなケイシーが非礼を働くのはよほどの急用だ。嫌な予感に手先が冷たくなるのを感じた。なのに掌はジワリと汗ばんでいる。

「今日の夕方、騎士団の一部が下山しました」

「は……、え」

「アルフレッド様を残してほとんどの騎士団が帰ってきてしまったんですよ」

 アルフレッドが竜と会話が出来ることを知っているのは、あの場にいた人間とおそらく竜の存在を知っていた一部の貴族の当主だけだ。あの竜の咆哮を聞いてさすがの騎士団も怖気づいてしまったのか。人との戦闘なら長けていると言っても、何十年もの間、帝国は他国からの侵攻を受けていない。騎士団と言っても死に直面することなど滅多になかった。

 どんなに自分を奮い立たせたとしても、死をまざまざと見せつけられて逃げ出したくない人間なんて、どこにいるだろうか。

 そして、一人になったとしてもアルフレッドはその場に残っただろう。例え竜と会話ができなかったとしても。

「出来るだけ厚着を用意してくれ」

「ダメです」

「もう待ってるのは嫌なんだ! あいつは一人になったって任務を遂行する。大人数なら助かるかもしれないけど、今は真冬でサラリスにも雪が積もってる」

「でもあなたをそんな危険な場所に行かせるわけにはいきません」

「一時間だけ、俺に時間をくれ。お前は何も知らない、いいな」

 そう言ってケイシーの胸を押して部屋から追い出す。冬の山に狩猟へ行ったりしていたから、登山できるような服は持っているはずだ。衣装ルームへ行き、適当に服を選んで重ね着をしていく。冬山はかなり危険だ。銃とサバイバルナイフ、ランタンやら荷物にならない程度の小道具と食料を鞄に詰め込んで窓から飛び出す。

 ケイシーは俺に情報を与えてしまったことを悔やむだろう。

 結局、このことを知れば、俺はどんな手を使ってでもアルフレッドの所へ向かったはずだ。

 やっぱり大人しく待っていることなんてできない。

「待ってろよ」

 この緊急事態に入り口を警備している兵士は不在だった。薄暗くなった山の入り口は人間の立ち入りを拒むような存在感を放っている。拳を握りしめて中に入る。

 空にはまだ赤い月がぼんやりと浮いていた。
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