離した手の温もり

橘 凛子

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同棲

ep.97

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「ほい、ヨーグルト」
『ありがとう。いただきます…』

まだ寝ぼけたままの私に蒼ちゃんはヨーグルトとフルーツを和えたものを作ってくれた。

彼の手元にはこんがりきつね色に焼かれた食パンとスクランブルエッグが広がっている。

定番の朝食メニューだ。

「美愛」
『ん?』
「口開けて」
『え?口…?』
「いいから」
『うん…?』

私はは蒼ちゃんに言われるがまま、小さく口を開けた。

その瞬間。

彼は私の開いた口にスクランブルエッグを掬ったスプーンが放り込まれた。

バターと砂糖の甘い卵の味が口いっぱいに広がる。

蒼ちゃんが好みそうな味付けだ。

『あま…』
「口に合わなかった?」
『ううん、美味しいよ。
蒼ちゃんって毎朝こんな豪華な朝ごはん食べてるの?』
「豪華ってパンとスクランブルエッグだよ」
『私には豪華だよ。朝からこんな手の込んだ料理…』
「大袈裟」

蒼ちゃんは目を細めて笑った。

彼は出勤日だというのにのんびりとした朝を過ごしている。

私の準備に追われてドダバタとした朝とは大違い。

「美愛は何時に出かけるの?」
『さぁ…
グダグダ準備したら出かける予定だけど』
「戸締りだけよろしくね」
『…ん』

私は蒼ちゃんが用意してくれたヨーグルトを口にしながら頷いた。

少しずつ目が冴えてくる。

フルーツの甘くさっぱりとした味が口いっぱいに広がって美味しい。

「ちょっと準備してくる。好きに寛いでて」
『ぁ、うん…』

朝食を済ませた蒼ちゃんは腰を上げて食器を片付ける。

私はその後に続いて彼の背中を追った。

親鳥を追う雛鳥のように。

「ん?どうした?」
『洗い物やる…』
「…サンキュ。お願いしていい?」
『うん』

昨晩から私は何もしていない。

段々申し訳なくなって、洗い物を申し出た。

蒼ちゃんは優しく微笑んで寝癖頭の私の髪を撫でてから洗面台のある、バスルームへ消えていく。

欠伸を噛み殺しながら私はカチャカチャ、と音を鳴らして食器を洗った。

まだ眠い。

二度寝したい気分だが、今日は父親の会社を来訪する予定だ。

寝るわけにはいかない。

『連絡いれとこ』

洗い物を終えた私は眠気覚ましのコーヒーを勝手に淹れさしてもらいながら、スマホを手に取って父親に一報をいれた。

恐らく、返答はこない。

いつもそう。

お互い必要な時しか連絡しない。

母親に関しても同様だ。

憂鬱ではあるが、会社へは行かねばならない。

出来ることならあの人と顔を合わせずに解約したいが、無理な話だろう。

社員が気を遣って呼んでくるのだから。

その日私は蒼ちゃんの外出を見送った後、のんびりとした休日の朝を過ごしてお昼過ぎにマンションを出た。

日曜日なので人口密度が多い街並みを通り過ぎ、父親の会社のある新橋へ電車で向かう。

この時は思いもしなかった。

あの時の女性とまた出会うとは。

私は彼女の存在など記憶から消しかけていた。
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