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第二章 フィオレンツァは乙女ゲームの世界に迷い込みました!?
01 鉄仮面な商人は〇〇の旦那様
しおりを挟む王宮に来てバーンスタイン夫人の教育を受けるようになり、早三ヵ月が過ぎた。
妃教育も折り返し地点に来ている。いくつかのテストでフィオレンツァは合格点をいただいており、今のところバーンスタイン夫人の後継者としての道は順調だ。ライバルのスーザンは…相変わらずだが、人格面に問題があっても決定的な規則違反を起こしていないという理由で、他の令嬢たちに遠巻きにされながらも王宮に残っている。
フィオレンツァの周囲で変わったことがあるとすれば、専属の侍女が一人増えたことくらいだろうか。貧乏伯爵家の令嬢に二人も侍女をつけてもらうのは分不相応だと言ったのだが、アガタ一人ではさすがに負担が多いからと言われれば断り切れない。というわけで、ヨランダという女性がフィオレンツァ付きの侍女に加わっていた。
最近は基本の礼儀作法や我が国の歴史や文化の授業がひと段落し、少し踏み込んだ経済や国政、外国の言語などの教科も入ってきた。
「今日は物価の見方を勉強します」
バーンスタイン夫人がテーブルの前に立つ。彼女の隣で背の高いブルネットの髪の美丈夫が、そのテーブルにいくつかの商品を示した。石鹸やインク、便せんなどの日用品だけでなく、ガラスでできた精巧な置物などが並んでいる。
「この二つの石鹸は、値段が全く違います。まずは色と形、それから成分…。全体的に見れば数パーセントの違いです。そして原材料の値段だけでいえば、10パーセントほどしか違いがありません。しかし包装やどの顧客へアピールするかで売値は変わっていきます…」
ブルネットの髪の男性は、今回の授業のために特別に呼ばれたケンジット商会の若き頭取アーヴァイン・ケンジットという。ケンジット商会は日用品や雑貨を中心に手堅い商売を代々続けている商会だ。
アーヴァインに代替わりしてからは主に女性向けの雑貨に力を入れ、化粧品なども開発していて、王都でもじわじわと人気が広がってきている。ご令嬢方もケンジット商会の名前は知っていただろうが、今日少し浮ついているのはアーヴァインが絶世の美丈夫だったからだろう。日焼けした肌にたくましい体つき、怜悧な青い瞳はどこかエキゾチックだ。この国の王子たちも美形だが、アーヴァインには成人した男性ならではの色気がある。
ご令嬢たちが色めきだっている一方で、フィオレンツァだけはバーンスタイン夫人やアーヴァイン・ケンジットの話を聞きながら、必死にノートにメモを取っていた。
「物価とは、簡単に言えば『物の価値』のことです。ですがその値はその国の水準や経済状況、季節などさまざまな状況によって推移しします…」
どうも経済は苦手だ。しかし女性が経済を学ぶことはほとんどなく、これでも初歩の初歩。これくらいは頭に入れておかないと、教師の道は程遠いだろう。
刮目せよ、フィオレンツァ。
「はーーーっ!何とか終わったわ」
メモしたノートを見直したフィオレンツァは、乗り切った安堵感に深いため息をついた。
「フィオレンツァ嬢、随分熱心だったわね。…も、もちろん、私だって完璧にノートを取ったけど!」
隣だったロージーは、授業中のフィオレンツァの鬼気迫る様子にちょっと引き気味だった。気が散ったのなら申し訳ない。
「こういった経済関係は苦手で…」
「そうなの?あなたにも苦手な座学があるのね」
「もちろんです!」
力いっぱい肯定すると、ロージーに珍獣でも見るような顔をされた。
解せぬ。
「…ま、まあ、あのお花畑令嬢はいつもの調子だったわね。あんなのが貴族令嬢だなんて、恥ずかしいったら」
「え、スーザン嬢がまた何かやらかしましたか?」
メモに夢中だったので、今日はスーザンにまで気が回らなかった。今度は何したんだ。
「あの綺麗な顔した商人の方に釘付けだったわよ。授業が終わるなり追いかけて行ったじゃない。また誑し込もうって言うんじゃないの?」
「…え、アーヴァイン様にですか?あの人、結婚してますけど」
「アーヴァインって…あなた、あの商人の方を知っているの?」
「知ってます。…といっても、会って話したのは数えるほどですけど」
そんなことを話していると、ロージーの従者の方が「呼ばれてますよ」と入り口の方を指さしている。見れば紺青の髪をした、懐かしい顔がこちらを見つめていた。
「シャノン!!」
「フィオレンツァ」
フィオレンツァはぱっと立ち上がると、彼女の元へ駆け寄った。
抱きしめ合い、ほぼ半年ぶりの再会を喜び合う。
「久しぶり、元気だった?お姉様」
「ええ…。あなたは元気そうね、フィオレンツァ」
「…フィオレンツァ嬢、そちらの方は…もしかして…」
「ええ、ロージー様。一番上の姉シャノンですわ。先ほど授業に参加されていた、アーヴァイン・ケンジット様に嫁いだのです」
そう、先ほどのアーヴァイン・ケンジットは、フィオレンツァの義兄になった男だった。
「昨日、バーンスタイン夫人から、授業にケンジット商会の方を呼ぶと聞いたときは驚いたわ」
ロージーたちが気を利かせてすぐに部屋を出てくれたので、フィオレンツァはシャノンと教室に使った部屋で話し込んでいた。
バーンスタイン夫人が数ある商会の中からケンジット商会を選んだのは、経済の授業で参考にしやすい日用品を中心に扱っているということもあるだろうが、大姪のシャノンの嫁ぎ先ということが大きいだろう。今回王宮に上がったことでケンジット商会のブランド力も上がるし、バーンスタイン夫人の身内ということで信用もされやすい。どこでどんなコネが役立つか分からないものだ。
「私も数日前に突然アーヴァインから知らされたのよ。王宮に行くって」
「義兄上の商会は、最近王都でも人気ですよ。貴族女性向けの高級な石鹸や香りが付いた便せんなどを売り出しているんですってね」
「…ええ、そうね。あの人は堅実に商売をして、色んな人に認められているわ。とうとう王宮に呼ばれるほどになって…どんどん私の手の届かない所に行きそうで…」
再会した時は元気そうに見えたシャノンだが、随分疲れている様子だった。顔色は化粧で分かりにくいが、ドレスから覗く手首は細く、肌色もいいとは言えない。
「シャノン…。何か悩み事でもあるの?義兄上と何かあった?」
「…フィオレンツァ、私…」
すると突然、シャノンは琥珀色の瞳からぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「シャノン、どうしたの?泣かないで」
フィオレンツァにとって、姉のシャノンは父以外では唯一の加護者だった。二番目の姉のベラドンナと三番目の姉のニコールは、地味なフィオレンツァをいつも小馬鹿にしていた。そんな彼女たちを宥め、常に自愛の眼差しでフィオレンツァを見守っていてくれたのは長姉のシャノンだけだった。そのシャノンが悲しんでいる。
アーヴァインのせいなの?
マジで?
許さん。
イケメンでも許さん。
浮気とかだったらさらに許さん。
何が何でも股間に食らわしてやる。
使い物にできなくしてやる。
「姉さん、安心して。潰すから」
「……何を潰すの?」
ナニです。
「私、アーヴァインに飽きられたみたいなの」
「…うん、潰すね」
「結婚していないあなたにこんなこと話すのは何なんだけど…その、夜の営みがここ二ヵ月ほどなくて」
「…うん、潰すね」
「この間、恥を忍んで言ったの。『どうして抱いてくれないの?』って。そうしたら、『今のお前を抱けない』って」
「…うん、潰すね」
「悩んで悩んで…最近すっかり食欲も落ちて、吐き気も止まらなくて、ますます彼に顔をしかめられて…」
「…」
「どうしたらいいの?アーヴァインに捨てられたら生きていけないわ」
「…」
「それに最近気づいたの。あの日が来ないのよ!私、子供まで産めなくなったのかしら…?こんなこと、誰にも相談できなくて」
「…」
そうだ、思い出した。
シャノンは…ポンコツだった。
フィオレンツァは姉を侍女のヨランダに預けると、義兄のアーヴァインを探して西館を歩き回っていた。
周囲に聞けば、スーザンに連れられて上の階に行ったらしいことを教えてもらった。あの謹慎令嬢は何考えてるんだ。勝手に既婚者を連れまわすんじゃねーよ。階段を上りながら内心で毒づいていると、なんとその謹慎令嬢と踊り場ですれ違った。いつも刺激しないようにと必死に視線を逸らすのだが、今回ばかりは家族が絡んでいることもあり、つい睨みつけてしまった。しかし謹慎令嬢…もといスーザンは気を悪くした様子はなく、むしろふんっ、と鼻を鳴らしてにやつきながら通り過ぎる。もー、本当になんなんだ、こいつは。
階段を上り切れば、アーヴァインはすぐに見つかった。スーザンの後に続いて階段を降りるつもりだったのか、フィオレンツァと正面から目が合う。
「義兄上…」
「…」
アーヴァインの目が少し泳いだ。
おい、やましいことしてないだろうな。本気で潰すぞ、こら。
「久しぶりだな、フィオレンツァ。シャノンと話はできたのか?」
「しました」
「…そうか。何か言っていたか?」
「義兄上に捨てられたら、生きていけないそうです」
「…私がシャノンを捨てるわけがない」
「知ってます。ポンコツ同士、お似合いですね」
「…」
黙った。
アーヴァインの顔をじーっくり見る。相変わらずの鉄仮面だが、心なしか…本当に微妙に、眉毛が寄っている気がする。「どういう意味なんだ?」と取ってもよいのだろうか。っていうか、顔動かせないんだったら口を動かせや。
「…義兄上、シャノンとその…夜の営みがないのは、体を慮ってのことですよね?」
「そうだ。最近酷く調子が悪そうだ。何度も医者に診せようとしたんだが、拒否されて…。食事もほとんど取らなくて、私は心配で…」
「医者を拒否していたのはシャノンが悪いですね。義兄上も言葉が足りない気がしますが…まあいいです。シャノンは私が説得しますから」
「シャノンは何の病気なんだ?君は何か知っているのか!?」
「医者の診断なしに断定することはできませんが…まあ、たぶん間違いないかと」
「シャノンは大丈夫なのか?シャノンがいなかったら生きていけないのは私の方だ!教えてくれ、彼女を救う方法を…!」
皆さん、信じられるだろうか。セリフだけ聞くと妻の身を案じ、悲壮感漂わせる美貌の男。その色男の顔は鉄仮面のまま。
表情筋よ、仕事しろ。
「義兄上…。まず間違いなくシャノンは妊娠していると思います。もううざいんで早く医者に診せに行ってください」
「…」
やっぱり表情筋は動かない。
ただのしかばねのようだ。
結論だけ言うと、あの後アーヴァインはものすごい勢いでシャノンを担いで王宮を去っていった。案の定おめでただった(しかもすでに四ヵ月だったらしい。夫婦揃ってどれだけ鈍いんだ)という報告の手紙とともに、お礼のつもりなのか薔薇の香りがする石鹸と、桜の花びらの透かしが入った便せんが山のように送られてきた。フィオレンツァは義兄の脳内が花びらまみれになったと確信する。阿呆め。
石鹸はアガタたち王宮の侍女の皆様に、便せんはスカーレット嬢たちに配り、一部の人間の心に嵐をもたらした迷惑夫婦の訪問はひと段落したのだった。
余談だが、アーヴァインはその後も何回か授業に参加する予定だったらしいのだが、もはや妻にべったりになり、その後の授業は最後まで代理だという年配の副頭取に代わっていた。
あの日あんなにドヤ顔だったスーザンが、「どういうことなの!?あの台詞で好感度が上がったはずなのに!」と吠えていたが…当然フィオレンツァには何のことやらであった。
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