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第三章 フィオレンツァの成り上がり物語…完結!?
閑話 ザカリー・ベケットは振り返る(2)
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ザカリーは半年間、ひたすら領地で剣の訓練をしたり、屋敷の使用人や領民と交流したりと慎ましく暮らしていた。
正直、実母の事故死以来、領地には近づくことができなかった。あの事件がきっかけで強制的にとはいえ王都を離れ、領地を自分の肌で感じることができたのは良かったと思っている。それは謹慎が明けても変わらず、ザカリーはこのまま領地で骨をうずめても良いかもしれないと考え始めていた。
騎士としてあるまじき行為をしてしまったザカリーは、長男でありながら嫡子の地位をはく奪されたも同然だった。今まで常に前妻の息子であるザカリーを立て、スペンサーをその補佐として育てていた後妻のワンダは、あの事件以降はザカリーを完全に無視し、スペンサーにベケット家当主としての教育を施しているらしい。あの日のあの激高ぶりを思うに自分の息子可愛さではなく、完全にザカリーの人間性に失望し、見限ったのだろう。
だからザカリーは自分から王都に戻りたいなどと口にするつもりはなかった。スーザンをかばったことは後悔していない。だが省みるに、ロージー相手に剣の柄に手をかけたのが最低の行為だったことは思い知っていた。
同僚だったクィンシー・テッドメインから、結婚式の招待状が届いたのはその年の秋のことだ。
決して親しいとは言えない間柄だったが、招待状に添えられていた「ぜひ来てほしい」「会って話がしたい」という手紙にザカリーは心が揺れた。この機会を逃したら二度と王都に足を踏み入れることはないかもしれない。ロージーに一言でも謝りたかったし、スーザンにあの時のことを問いただしたかった。それに噂にもさっぱり登場しなくなったヘイスティングズ王子のことも気になる。
この三年間、手紙を出しても両親は無視しているのに対し、異母弟のスペンサーだけはやり取りを続けてくれていた。タウンハウスは継母のワンダが管理しているから、もしかしたら近づくのを拒否されるかもしれない。ザカリーはスペンサーに友人の結婚式に出席するために王都に行くこと、タウンハウスではなく現地の宿を利用するつもりであることを手紙にしたためて送ると、荷造りをしてほぼ一年ぶりの王都へと旅立った。
王都に着いたザカリーが予定通り宿に向かうと、受付が伝言を預かっていると言って来たので驚いた。王都に貴族専用の宿はいくつかあるが、その全てにザカリーへの伝言を頼んだらしい。
伝言に従い、ザカリーはティンバーレイク公爵家のタウンハウスへと向かった。
「ザカリー!久しぶりだな」
「デクスター…。いや、ティンバーレイク公爵子息殿」
「やめてくれ、デクスターでいいよ。すまなかったな…、あの時はお前を助けてやれなくて」
「いいえ、私が未熟だったからです。騎士としてあるまじき行為をして、ヘイスティングズ殿下の顔に泥を塗ってしまいました」
ザカリーがロージーたちともめ事を起こした時、ヘイスティングズ王子はザカリーをかばうことはしなかった。
だがザカリーは致し方のないことだったと思っている。ヘイスティングズ王子はユージーン王子と王太子の座を激しく争っていたのだ。勝手に不祥事を起こしたザカリーなど切り捨てるべき存在だろう。
デクスターはザカリーのために、わざわざティンバーレイク公爵家のタウンハウスの一室を貸し与えてくれた。そこでザカリーは、自分がいなくなった後に王都で起こった王子妃の婚約者の座をめぐる事件の顛末を聞いた。ほとんどは噂の通りだったが、騒ぎの中心にスーザンがいたことには仰天した。
「まさかスーザンが…。じゃあ、やはり他の令嬢たちに虐げられていたというのは嘘だったのか」
「その嘘は俺もクィンシーも信じ込みかけたよ。彼女は人の心の隙間に滑り込むのが上手かった。俺は婚約者がいなかったから義姉にムチ…じゃなかった、再教育されるだけで済んだけど、クィンシーは婚約者に三行半を突きつけられかけていたよ。結局許してもらって今回の式にこぎつけたけど、一生尻に敷かれるだろうな」
薄々そうではないかと思っていたが、やはりスーザンが嘘をついていたという事実にザカリーはひどく落ち込んだ。しかもスーザンはヘイスティングズ王子に可愛がられながら、デクスターに贈り物を強請ったりクィンシーに粉をかけたりしていたらしい。そしてデクスターの義姉のスカーレット嬢に冤罪をかけて陥れ、自分がヘイスティングズ王子の妃になろうとしていた。
「ヘイスティングズ王子は表向き病気療養とされているが、実際は幽閉だ。ここだけの話だが、つい先日元側室のヘロイーズ様が亡くなった。…おそらく王妃様の手にかかったんだろうな」
生々しい話だ。後継ぎから外されただけで済んだザカリーがまだ幸運だと思える。
「スーザン嬢は?」
「投獄され、終身刑だそうだ。父子爵が横領の罪で裁かれ、その連座ということになっている。…でも、とばっちりを受けたのは子爵の方だろうな」
「そうか…」
「ああ、そういえば…。お前がロージー嬢たちともめ事を起こした時に割り込んだ令嬢を覚えているか?」
「…!あの青い髪の?」
忘れるはずがない。彼女のおかげでザカリーは今五体満足でいられるとも言える。
「名前は確か…」
「ホワイトリー伯爵家のフィオレンツァ嬢だ。今はバーンスタイン伯爵夫人の後継者として王宮女官になっている」
そうだった、フィオレンツァ嬢だ。ルーズヴェルト王国風の名前でないので珍しいなと思った記憶がある。
「俺やクィンシーの目が覚めたのも彼女のおかげだ。義姉やロージー嬢をはじめ妃候補だったご令嬢たちやその親たちが一目置く存在になっているぞ」
そのままデクスターはフィオレンツァ嬢の話をし続けた。…どうやら彼女に気があるようだ。
確かに美しい娘だった。
三日後、クィンシーの結婚式に彼女が現れることをデクスターとともに期待したが、女官の仕事が忙しいからと会えず終いだった。
その後再び領地に戻っていたザカリーは、今度はデクスターからの手紙を受け取った。
王都では王太子の座を勝ち取ったユージーン王子が、エステル・パルヴィン嬢との結婚式を挙げたばかりだった。
デクスターに指定された場所に向かえば、クィンシーとともにとある墓石の前に立っていた。
王都の中心部から離れた、さびれた墓地。墓石には名前が書いておらず、その墓石も貴族に使う者とは思えないいびつな安物だ。
「まさかこれが…」
「ああ、宰相の父から聞いたから間違いない。ヘイスティングズ殿下の墓だ」
「なんという…」
デクスターから知らされたのは、ヘイスティングズ王子の訃報だった。死因はさすがのデクスターたちでも調べられなかったらしいが、病死などという穏やかなものでないことは容易に想像できた。
さすがの王妃も国王の息子の遺体をその辺に捨て置けとは言えなかったらしい。それでも王家の墓に入れることに難色を示し、宰相の尽力でこの墓地に埋葬が決まった。
「お気の毒に…」
「傲慢が過ぎる部分があったのは確かだが…こんなに若くしてお亡くなりになるとは」
ザカリーたち三人は静かに祈りを捧げ、元主の冥福を祈った。
そのままデクスターの招きで再びティンバーレイク公爵家のタウンハウスに泊まらせてもらう。
公爵家は少し浮ついていた。というのも、公爵の愛娘スカーレットが女公爵位を賜ったからだ。
ティンバーレイク家は養子のデクスターが継ぐ時点で侯爵位以下に落とされるので、公爵家が興るのは王家の信頼が厚い証拠だった。
一方、デクスターは落ち込んでいるようだった。理由を聞くと…。
「フィオレンツァ嬢を覚えているか?」
「ああ、女官になった伯爵令嬢だろう」
「彼女がアレクシス王子の婚約者として先日発表された。…道理でスカーレットに頼んでも間を取り持ってくれないわけだ」
「アレクシス王子?まだ幼いだろう。フィオレンツァ嬢の方が歳が上ではないか?」
「そうだ。だから誰も彼女に注目しなかった。でもアレクシス王子はかなり前からフィオレンツァ嬢を妃にするべく動いていたようだ」
アレクシス王子は16歳になったばかりだが、来月にも成人の儀を行い、公爵位を賜ってフィオレンツァ嬢と結婚するつもりのようだ。
「その王子の成人を祝うパーティーに妹を連れて出るつもりなんだが、知っての通り妹は体が弱い。護衛として来てくれないか?」
「別に構わないが…」
先日、異母弟のスペンサーが正式にベケット家の跡取りということで社交デビューした。
ザカリーは一生領地にいるつもりだったが、いわくつきの長男がずっと領地にいるのも内外のいらぬ憶測を招くだろう。このままデクスターに雇ってもらうのもありかもしれないとザカリーは護衛の件を了承した。
アレクシス王子の成人の儀は教会で厳かに行われた。
ザカリーは教会の外で馬車と共に待たされていたのだが、さらに少し離れた通りに見覚えのある紋章を下げた馬車に気づいた。
「あれはスピネット侯爵家の…」
もしかしてロージーが?いいや、彼女は婚約者と一緒に教会の中で儀式を見守っているはず。
しかしその馬車は明らかに中に人が入っているようだった。言い争いらしき声が聞こえ、周囲を歩く者たちが奇異な目を向けている。
ザカリーは御者に断ると、スピネット家の馬車へと近づいた。馬車の中にも関わらず、男女の言い争う声ははっきりと聞こえた。
「…どうして、どうしてなのですお父様!!アレクシス殿下とお会いしたい!!会わなくてはならないの!」
「お前こそどうしてわからないのだ、クラーラ!アレクシス殿下とお前が会う理由がないだろう!!」
「私はアレクシス殿下の妃になるのよ!」
「アレクシス殿下のお相手はホワイトリー伯爵令嬢だ!!」
「違う、違うわ…!王妃様がおっしゃったのよ?お父様だって知ってるじゃない。私の方が相応しい…」
「いい加減にしろ!!!」
たまりかねた様子の男の声に、女の方は黙った。おそらく男はスピネット侯爵、そして女は侯爵の次女でロージーの妹クラーラだろう。
「お前はベル家の息子と結婚するのだ!!二度とアレクシス殿下のことを口にするな!」
「そんな…酷いわ、酷い…」
ザカリーはもう少し会話を聞きたかったが、馬車から人が降りてくる気配を察してそこから離れた。
そして教会から戻ってきたデクスターに、すぐにその話をする。ちなみにデクスターのパートナーであるティンバーレイク家の次女アデレイドは、体調のことを鑑みて横になれる別の特別な馬車に乗っているので、今この馬車の中には二人きりだ。
「そうか…。噂は本当だったんだな」
「噂?」
「実は王妃様はアレクシス殿下の婚約に納得していないらしいんだ。フィオレンツァ嬢の身分と、年上なことが気に入らないらしい」
「しかしなぜクラーラを?彼女は婿を取って侯爵家を継ぐと聞いたぞ」
「クラーラ嬢は侯爵家を継ぐより、見目のいいアレクシス殿下の妻になって王子妃という身分を手に入れたいんだろう。王妃がアレクシス殿下と身分も年齢も釣り合うのは彼女しかいないとうっかり口にしたことがあったらしいが、それを何年も真に受け続けているそうだ」
「会話の内容を聞く限り、かなり殿下に執着しているようだったな。何もなければいいが…」
「王妃様もただでは引き下がらないかもしれないな。ほかならぬアレクシス殿下が婚約者の周囲に異常に気を使っていると義姉が言っていた」
そんなことがあったので、会場に着いてもザカリーとデクスターは何となくクラーラの様子が気になった。幸いと言っていいのか、アデレイドはガドフリー国王の祝いの言葉が終わってすぐに退席を申し出、護衛の対象もいなくなっていた。
クラーラはスピネット侯爵ががっちり拘束している…が、別に縄で縛りあげているわけではないので、いくらでも逃げ出せそうだ。スピネット侯爵も後継ぎが欠席すれば外聞が悪いと思ったのかもしれないが、病欠でもなんでも理由をつけて屋敷においてくれば良かったのにと思う。まさか侯爵夫人ビヴァリーまでクラーラに同調しているとは思わず、スピネット侯爵がこういった方法しか取れなかったとは夢にも思わないザカリーだ。
それにしても、三年ぶりに会うフィオレンツァはやはり美しかった。アレクシスやデクスターが夢中になるのも無理はないだろう。あの時一瞬見た彼女は貴族令嬢にしては飾り気のない印象だったが、今日の装いは彼女を引き立たせるために選び抜かれたものだった。
白と青のグラデーションに染められたドレスをまとい、首元にはアレクシス王子の瞳の色の宝石が光っている。彼女の髪色に合うようにアレクシス王子が選んだのだろう。
そんなことを考えていると、アレクシス王子に王宮の侍女が何かを耳打ちし、王子は自分の侍女と護衛たちにフィオレンツァを託してその場を離れた。何となく様子を観察し続けていると、実に奇妙なことが起こった。二人いた護衛の一人が侍女に何かを言われてその場を離れ、そして今度は残った最後の護衛を連れて侍女もフィオレンツァの元を離れてしまった。遠目にもフィオレンツァが戸惑っているのが分かる。
「おい、何かおかしいぞ」
「わかっている」
ザカリーとデクスターはフィオレンツァの近くに寄ろうとするが、彼女が一人でいることに気づいた他の貴族たちもじりじりと近づいている。
まずい。何かが起こっている。
…とその時、ザカリーの真横を大股で通り抜けた人物がいた。
「…え?…なっ」
クラーラだ!クラーラが一直線にフィオレンツァに向かって走っている。
「あなた…!」
他の者たちはけん制し合いながらゆっくり近づいていたのに、彼女だけはけん制もへったくれもなかった。しかし感心してもいられない。このままでは、フィオレンツァにいらぬ怪我を負わせるかもしれない。ザカリーは慌てて追いかけて捕まえようとしたが…。
「あなたがアレクシスでん、…かっ!!」
しかしクラーラはフィオレンツァの元へ到達する前に床に転がった。彼女の進行方向に、一足早くデクスターが飛び出したのだ。
クラーラはアレクシス王子にアピールしようとしたのだろう、王子の瞳の色で染められたボリュームたっぷりのドレスをまとっていた。
「ああああああ!」
クラーラは悲鳴を上げながら床を転がっていく。そして転がった先には…。
「おおっと…!」
「ひいぃっ」
立ち上がろうとしたクラーラの頭の上にクィンシー・テッドメインが赤ワインをかけた。
…ちょっとえげつないな。
「なんたることだ!お許しください、レディ!」
大げさな仕草で謝罪するクィンシー。ザカリーがちらりとフィオレンツァの方を確認すると、クィンシーの妻のナオミ夫人が彼女の手を引いて会場の隅に移動するところだった。
もうフィオレンツァは大丈夫だ。クラーラが呆然としているうちに連れ出してしまおう。
「クラーラ!ああ、我が従妹よ!!可哀そうに…どうしてそんなに酷い姿になったんだい?」
「…ざ、ザカリーお兄様?」
「心配いらないよ、クラーラ。さあ!さあ!別室で着替えを用意してもらおう。僕が付き添うから心配いらないよ」
「私もお供します!ご令嬢、ぜひともドレスの弁償をさせてください」
「いえいえ、それは私が!最初に私がぶつかったのが原因なのですから」
「じゃあ行きましょう。そうしましょう」
デクスターたちと協力して三人がかりでクラーラを立たせると、有無を言わせずに会場から連れ出した。当然、ナオミ夫人がフィオレンツァを促したのとは別方向にだ。
途中でフィオレンツァに逃げられたことに気づいたクラーラは暴れたが、怒り狂ったスピネット侯爵にワインまみれのまま回収されていった。
「旦那様、ホワイトリー伯爵令嬢をアレクシス殿下にお預けしてきましたわ」
三人で脱力しているところにナオミ夫人が合流する。金髪に青い瞳の、なかなか色っぽい美女だ。
「ありがとう、ナオミ。殿下は何かおっしゃっていたか?」
「後日改めてお礼をと」
「そうか」
「それにしても、どうしてああもあっさりとフィオレンツァ嬢は取り残されてしまったんだ?」
「クラーラ嬢が何かしたとか?タイミングが良すぎだ」
ザカリーとデクスターのつぶやきに、クィンシーが首を振った。
「いいや、アレクシス殿下の次に離れた護衛は新参のようだったが、最後までいた侍女と護衛は見覚えがある。アレクシス殿下が幼いころから仕えていた者たちだ。いくら相手が侯爵家の令嬢でも、主を簡単に売るとは思えない」
「だが…」
「だがあの古参の二人は、もともと王妃様の部下だった。…おそらく、フィオレンツァ嬢をはめようとしたのは王妃様だろう」
クィンシーの言葉に、全員が息をのむ。
「それじゃあクラーラ嬢は…」
「彼女の行動は本当に偶然だろう。意図せず王妃様の計画を潰したのではないか?」
クィンシーの予想が正しいならば、グラフィーラ王妃はフィオレンツァを一人にしたうえで、おそらくは手の者に命じてどこかの部屋に連れ込ませようとした可能性が高い。そしてやはり用意した者に発見させて騒ぎ立て、フィオレンツァが男を漁るふしだらな女だという噂でも立てようとしたのか。
ザカリーはぞっとした。
グラフィーラ王妃はライバルだったヘロイーズを殺し、ヘイスティングズも死に追いやった。それでもヘロイーズとヘイスティングズはユージーン王子の地位と命を脅かす可能性があったのだからまだ心情的に理解できる。
しかしフィオレンツァはどうか。誰かを陥れたわけでも、命を狙ったわけでもない。アレクシス王子の婚約者になったのも、王子自身に強く望まれたからだ。
なのにこの国の王妃は、気に入らないからという理由だけであっさりと彼女を社会的に抹殺しようとした。
国王はどこまで事実を知っているのだろうか。王妃の息子で、いつか王になるユージーン王太子は?
ザカリーはこの国の未来に不安を覚えずにはいられなかった。
正直、実母の事故死以来、領地には近づくことができなかった。あの事件がきっかけで強制的にとはいえ王都を離れ、領地を自分の肌で感じることができたのは良かったと思っている。それは謹慎が明けても変わらず、ザカリーはこのまま領地で骨をうずめても良いかもしれないと考え始めていた。
騎士としてあるまじき行為をしてしまったザカリーは、長男でありながら嫡子の地位をはく奪されたも同然だった。今まで常に前妻の息子であるザカリーを立て、スペンサーをその補佐として育てていた後妻のワンダは、あの事件以降はザカリーを完全に無視し、スペンサーにベケット家当主としての教育を施しているらしい。あの日のあの激高ぶりを思うに自分の息子可愛さではなく、完全にザカリーの人間性に失望し、見限ったのだろう。
だからザカリーは自分から王都に戻りたいなどと口にするつもりはなかった。スーザンをかばったことは後悔していない。だが省みるに、ロージー相手に剣の柄に手をかけたのが最低の行為だったことは思い知っていた。
同僚だったクィンシー・テッドメインから、結婚式の招待状が届いたのはその年の秋のことだ。
決して親しいとは言えない間柄だったが、招待状に添えられていた「ぜひ来てほしい」「会って話がしたい」という手紙にザカリーは心が揺れた。この機会を逃したら二度と王都に足を踏み入れることはないかもしれない。ロージーに一言でも謝りたかったし、スーザンにあの時のことを問いただしたかった。それに噂にもさっぱり登場しなくなったヘイスティングズ王子のことも気になる。
この三年間、手紙を出しても両親は無視しているのに対し、異母弟のスペンサーだけはやり取りを続けてくれていた。タウンハウスは継母のワンダが管理しているから、もしかしたら近づくのを拒否されるかもしれない。ザカリーはスペンサーに友人の結婚式に出席するために王都に行くこと、タウンハウスではなく現地の宿を利用するつもりであることを手紙にしたためて送ると、荷造りをしてほぼ一年ぶりの王都へと旅立った。
王都に着いたザカリーが予定通り宿に向かうと、受付が伝言を預かっていると言って来たので驚いた。王都に貴族専用の宿はいくつかあるが、その全てにザカリーへの伝言を頼んだらしい。
伝言に従い、ザカリーはティンバーレイク公爵家のタウンハウスへと向かった。
「ザカリー!久しぶりだな」
「デクスター…。いや、ティンバーレイク公爵子息殿」
「やめてくれ、デクスターでいいよ。すまなかったな…、あの時はお前を助けてやれなくて」
「いいえ、私が未熟だったからです。騎士としてあるまじき行為をして、ヘイスティングズ殿下の顔に泥を塗ってしまいました」
ザカリーがロージーたちともめ事を起こした時、ヘイスティングズ王子はザカリーをかばうことはしなかった。
だがザカリーは致し方のないことだったと思っている。ヘイスティングズ王子はユージーン王子と王太子の座を激しく争っていたのだ。勝手に不祥事を起こしたザカリーなど切り捨てるべき存在だろう。
デクスターはザカリーのために、わざわざティンバーレイク公爵家のタウンハウスの一室を貸し与えてくれた。そこでザカリーは、自分がいなくなった後に王都で起こった王子妃の婚約者の座をめぐる事件の顛末を聞いた。ほとんどは噂の通りだったが、騒ぎの中心にスーザンがいたことには仰天した。
「まさかスーザンが…。じゃあ、やはり他の令嬢たちに虐げられていたというのは嘘だったのか」
「その嘘は俺もクィンシーも信じ込みかけたよ。彼女は人の心の隙間に滑り込むのが上手かった。俺は婚約者がいなかったから義姉にムチ…じゃなかった、再教育されるだけで済んだけど、クィンシーは婚約者に三行半を突きつけられかけていたよ。結局許してもらって今回の式にこぎつけたけど、一生尻に敷かれるだろうな」
薄々そうではないかと思っていたが、やはりスーザンが嘘をついていたという事実にザカリーはひどく落ち込んだ。しかもスーザンはヘイスティングズ王子に可愛がられながら、デクスターに贈り物を強請ったりクィンシーに粉をかけたりしていたらしい。そしてデクスターの義姉のスカーレット嬢に冤罪をかけて陥れ、自分がヘイスティングズ王子の妃になろうとしていた。
「ヘイスティングズ王子は表向き病気療養とされているが、実際は幽閉だ。ここだけの話だが、つい先日元側室のヘロイーズ様が亡くなった。…おそらく王妃様の手にかかったんだろうな」
生々しい話だ。後継ぎから外されただけで済んだザカリーがまだ幸運だと思える。
「スーザン嬢は?」
「投獄され、終身刑だそうだ。父子爵が横領の罪で裁かれ、その連座ということになっている。…でも、とばっちりを受けたのは子爵の方だろうな」
「そうか…」
「ああ、そういえば…。お前がロージー嬢たちともめ事を起こした時に割り込んだ令嬢を覚えているか?」
「…!あの青い髪の?」
忘れるはずがない。彼女のおかげでザカリーは今五体満足でいられるとも言える。
「名前は確か…」
「ホワイトリー伯爵家のフィオレンツァ嬢だ。今はバーンスタイン伯爵夫人の後継者として王宮女官になっている」
そうだった、フィオレンツァ嬢だ。ルーズヴェルト王国風の名前でないので珍しいなと思った記憶がある。
「俺やクィンシーの目が覚めたのも彼女のおかげだ。義姉やロージー嬢をはじめ妃候補だったご令嬢たちやその親たちが一目置く存在になっているぞ」
そのままデクスターはフィオレンツァ嬢の話をし続けた。…どうやら彼女に気があるようだ。
確かに美しい娘だった。
三日後、クィンシーの結婚式に彼女が現れることをデクスターとともに期待したが、女官の仕事が忙しいからと会えず終いだった。
その後再び領地に戻っていたザカリーは、今度はデクスターからの手紙を受け取った。
王都では王太子の座を勝ち取ったユージーン王子が、エステル・パルヴィン嬢との結婚式を挙げたばかりだった。
デクスターに指定された場所に向かえば、クィンシーとともにとある墓石の前に立っていた。
王都の中心部から離れた、さびれた墓地。墓石には名前が書いておらず、その墓石も貴族に使う者とは思えないいびつな安物だ。
「まさかこれが…」
「ああ、宰相の父から聞いたから間違いない。ヘイスティングズ殿下の墓だ」
「なんという…」
デクスターから知らされたのは、ヘイスティングズ王子の訃報だった。死因はさすがのデクスターたちでも調べられなかったらしいが、病死などという穏やかなものでないことは容易に想像できた。
さすがの王妃も国王の息子の遺体をその辺に捨て置けとは言えなかったらしい。それでも王家の墓に入れることに難色を示し、宰相の尽力でこの墓地に埋葬が決まった。
「お気の毒に…」
「傲慢が過ぎる部分があったのは確かだが…こんなに若くしてお亡くなりになるとは」
ザカリーたち三人は静かに祈りを捧げ、元主の冥福を祈った。
そのままデクスターの招きで再びティンバーレイク公爵家のタウンハウスに泊まらせてもらう。
公爵家は少し浮ついていた。というのも、公爵の愛娘スカーレットが女公爵位を賜ったからだ。
ティンバーレイク家は養子のデクスターが継ぐ時点で侯爵位以下に落とされるので、公爵家が興るのは王家の信頼が厚い証拠だった。
一方、デクスターは落ち込んでいるようだった。理由を聞くと…。
「フィオレンツァ嬢を覚えているか?」
「ああ、女官になった伯爵令嬢だろう」
「彼女がアレクシス王子の婚約者として先日発表された。…道理でスカーレットに頼んでも間を取り持ってくれないわけだ」
「アレクシス王子?まだ幼いだろう。フィオレンツァ嬢の方が歳が上ではないか?」
「そうだ。だから誰も彼女に注目しなかった。でもアレクシス王子はかなり前からフィオレンツァ嬢を妃にするべく動いていたようだ」
アレクシス王子は16歳になったばかりだが、来月にも成人の儀を行い、公爵位を賜ってフィオレンツァ嬢と結婚するつもりのようだ。
「その王子の成人を祝うパーティーに妹を連れて出るつもりなんだが、知っての通り妹は体が弱い。護衛として来てくれないか?」
「別に構わないが…」
先日、異母弟のスペンサーが正式にベケット家の跡取りということで社交デビューした。
ザカリーは一生領地にいるつもりだったが、いわくつきの長男がずっと領地にいるのも内外のいらぬ憶測を招くだろう。このままデクスターに雇ってもらうのもありかもしれないとザカリーは護衛の件を了承した。
アレクシス王子の成人の儀は教会で厳かに行われた。
ザカリーは教会の外で馬車と共に待たされていたのだが、さらに少し離れた通りに見覚えのある紋章を下げた馬車に気づいた。
「あれはスピネット侯爵家の…」
もしかしてロージーが?いいや、彼女は婚約者と一緒に教会の中で儀式を見守っているはず。
しかしその馬車は明らかに中に人が入っているようだった。言い争いらしき声が聞こえ、周囲を歩く者たちが奇異な目を向けている。
ザカリーは御者に断ると、スピネット家の馬車へと近づいた。馬車の中にも関わらず、男女の言い争う声ははっきりと聞こえた。
「…どうして、どうしてなのですお父様!!アレクシス殿下とお会いしたい!!会わなくてはならないの!」
「お前こそどうしてわからないのだ、クラーラ!アレクシス殿下とお前が会う理由がないだろう!!」
「私はアレクシス殿下の妃になるのよ!」
「アレクシス殿下のお相手はホワイトリー伯爵令嬢だ!!」
「違う、違うわ…!王妃様がおっしゃったのよ?お父様だって知ってるじゃない。私の方が相応しい…」
「いい加減にしろ!!!」
たまりかねた様子の男の声に、女の方は黙った。おそらく男はスピネット侯爵、そして女は侯爵の次女でロージーの妹クラーラだろう。
「お前はベル家の息子と結婚するのだ!!二度とアレクシス殿下のことを口にするな!」
「そんな…酷いわ、酷い…」
ザカリーはもう少し会話を聞きたかったが、馬車から人が降りてくる気配を察してそこから離れた。
そして教会から戻ってきたデクスターに、すぐにその話をする。ちなみにデクスターのパートナーであるティンバーレイク家の次女アデレイドは、体調のことを鑑みて横になれる別の特別な馬車に乗っているので、今この馬車の中には二人きりだ。
「そうか…。噂は本当だったんだな」
「噂?」
「実は王妃様はアレクシス殿下の婚約に納得していないらしいんだ。フィオレンツァ嬢の身分と、年上なことが気に入らないらしい」
「しかしなぜクラーラを?彼女は婿を取って侯爵家を継ぐと聞いたぞ」
「クラーラ嬢は侯爵家を継ぐより、見目のいいアレクシス殿下の妻になって王子妃という身分を手に入れたいんだろう。王妃がアレクシス殿下と身分も年齢も釣り合うのは彼女しかいないとうっかり口にしたことがあったらしいが、それを何年も真に受け続けているそうだ」
「会話の内容を聞く限り、かなり殿下に執着しているようだったな。何もなければいいが…」
「王妃様もただでは引き下がらないかもしれないな。ほかならぬアレクシス殿下が婚約者の周囲に異常に気を使っていると義姉が言っていた」
そんなことがあったので、会場に着いてもザカリーとデクスターは何となくクラーラの様子が気になった。幸いと言っていいのか、アデレイドはガドフリー国王の祝いの言葉が終わってすぐに退席を申し出、護衛の対象もいなくなっていた。
クラーラはスピネット侯爵ががっちり拘束している…が、別に縄で縛りあげているわけではないので、いくらでも逃げ出せそうだ。スピネット侯爵も後継ぎが欠席すれば外聞が悪いと思ったのかもしれないが、病欠でもなんでも理由をつけて屋敷においてくれば良かったのにと思う。まさか侯爵夫人ビヴァリーまでクラーラに同調しているとは思わず、スピネット侯爵がこういった方法しか取れなかったとは夢にも思わないザカリーだ。
それにしても、三年ぶりに会うフィオレンツァはやはり美しかった。アレクシスやデクスターが夢中になるのも無理はないだろう。あの時一瞬見た彼女は貴族令嬢にしては飾り気のない印象だったが、今日の装いは彼女を引き立たせるために選び抜かれたものだった。
白と青のグラデーションに染められたドレスをまとい、首元にはアレクシス王子の瞳の色の宝石が光っている。彼女の髪色に合うようにアレクシス王子が選んだのだろう。
そんなことを考えていると、アレクシス王子に王宮の侍女が何かを耳打ちし、王子は自分の侍女と護衛たちにフィオレンツァを託してその場を離れた。何となく様子を観察し続けていると、実に奇妙なことが起こった。二人いた護衛の一人が侍女に何かを言われてその場を離れ、そして今度は残った最後の護衛を連れて侍女もフィオレンツァの元を離れてしまった。遠目にもフィオレンツァが戸惑っているのが分かる。
「おい、何かおかしいぞ」
「わかっている」
ザカリーとデクスターはフィオレンツァの近くに寄ろうとするが、彼女が一人でいることに気づいた他の貴族たちもじりじりと近づいている。
まずい。何かが起こっている。
…とその時、ザカリーの真横を大股で通り抜けた人物がいた。
「…え?…なっ」
クラーラだ!クラーラが一直線にフィオレンツァに向かって走っている。
「あなた…!」
他の者たちはけん制し合いながらゆっくり近づいていたのに、彼女だけはけん制もへったくれもなかった。しかし感心してもいられない。このままでは、フィオレンツァにいらぬ怪我を負わせるかもしれない。ザカリーは慌てて追いかけて捕まえようとしたが…。
「あなたがアレクシスでん、…かっ!!」
しかしクラーラはフィオレンツァの元へ到達する前に床に転がった。彼女の進行方向に、一足早くデクスターが飛び出したのだ。
クラーラはアレクシス王子にアピールしようとしたのだろう、王子の瞳の色で染められたボリュームたっぷりのドレスをまとっていた。
「ああああああ!」
クラーラは悲鳴を上げながら床を転がっていく。そして転がった先には…。
「おおっと…!」
「ひいぃっ」
立ち上がろうとしたクラーラの頭の上にクィンシー・テッドメインが赤ワインをかけた。
…ちょっとえげつないな。
「なんたることだ!お許しください、レディ!」
大げさな仕草で謝罪するクィンシー。ザカリーがちらりとフィオレンツァの方を確認すると、クィンシーの妻のナオミ夫人が彼女の手を引いて会場の隅に移動するところだった。
もうフィオレンツァは大丈夫だ。クラーラが呆然としているうちに連れ出してしまおう。
「クラーラ!ああ、我が従妹よ!!可哀そうに…どうしてそんなに酷い姿になったんだい?」
「…ざ、ザカリーお兄様?」
「心配いらないよ、クラーラ。さあ!さあ!別室で着替えを用意してもらおう。僕が付き添うから心配いらないよ」
「私もお供します!ご令嬢、ぜひともドレスの弁償をさせてください」
「いえいえ、それは私が!最初に私がぶつかったのが原因なのですから」
「じゃあ行きましょう。そうしましょう」
デクスターたちと協力して三人がかりでクラーラを立たせると、有無を言わせずに会場から連れ出した。当然、ナオミ夫人がフィオレンツァを促したのとは別方向にだ。
途中でフィオレンツァに逃げられたことに気づいたクラーラは暴れたが、怒り狂ったスピネット侯爵にワインまみれのまま回収されていった。
「旦那様、ホワイトリー伯爵令嬢をアレクシス殿下にお預けしてきましたわ」
三人で脱力しているところにナオミ夫人が合流する。金髪に青い瞳の、なかなか色っぽい美女だ。
「ありがとう、ナオミ。殿下は何かおっしゃっていたか?」
「後日改めてお礼をと」
「そうか」
「それにしても、どうしてああもあっさりとフィオレンツァ嬢は取り残されてしまったんだ?」
「クラーラ嬢が何かしたとか?タイミングが良すぎだ」
ザカリーとデクスターのつぶやきに、クィンシーが首を振った。
「いいや、アレクシス殿下の次に離れた護衛は新参のようだったが、最後までいた侍女と護衛は見覚えがある。アレクシス殿下が幼いころから仕えていた者たちだ。いくら相手が侯爵家の令嬢でも、主を簡単に売るとは思えない」
「だが…」
「だがあの古参の二人は、もともと王妃様の部下だった。…おそらく、フィオレンツァ嬢をはめようとしたのは王妃様だろう」
クィンシーの言葉に、全員が息をのむ。
「それじゃあクラーラ嬢は…」
「彼女の行動は本当に偶然だろう。意図せず王妃様の計画を潰したのではないか?」
クィンシーの予想が正しいならば、グラフィーラ王妃はフィオレンツァを一人にしたうえで、おそらくは手の者に命じてどこかの部屋に連れ込ませようとした可能性が高い。そしてやはり用意した者に発見させて騒ぎ立て、フィオレンツァが男を漁るふしだらな女だという噂でも立てようとしたのか。
ザカリーはぞっとした。
グラフィーラ王妃はライバルだったヘロイーズを殺し、ヘイスティングズも死に追いやった。それでもヘロイーズとヘイスティングズはユージーン王子の地位と命を脅かす可能性があったのだからまだ心情的に理解できる。
しかしフィオレンツァはどうか。誰かを陥れたわけでも、命を狙ったわけでもない。アレクシス王子の婚約者になったのも、王子自身に強く望まれたからだ。
なのにこの国の王妃は、気に入らないからという理由だけであっさりと彼女を社会的に抹殺しようとした。
国王はどこまで事実を知っているのだろうか。王妃の息子で、いつか王になるユージーン王太子は?
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