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【第三章】 第一節:そろそろ別の仕事をしてみるべく
第28話 天性のもの
しおりを挟むただ俺も、もうエレンと一緒に過ごして一週間。
辺りを見回し……ほら、やっぱり。
すぐに見つけた。
「この町の南にある木の近くに、動物がたくさん寝転ぶいい日向ぼっこ場所があってね」
今正に、そんな冒険者の話を聞いて目をキラキラと輝かせている子どもの小さな後ろ姿を。
「こらエレン。何回言ったら分かるんだ。知らない人に、勝手に話しかけに行っちゃダメだと――」
「エレン、知らない人には話してないもん! 知ってる人だもん!」
「知ってる人?」
エレンの後ろに腕組み仁王立ちしていた俺は、向かい側――エレンの話し相手の人たちの顔を見る。
今まで冒険者に顔見知りはいなかった。
向けられるのはほぼ『非冒険者』に対する嘲りの視線ばかりだったから、今まであまり相手の顔を覚えるつもりなく、ここまで来た。
だから見ても分かるかどうか、まったく自信がなかったのだが。
「あ。前に『大牙《おおきば》イノシシ』の牙をエレンに見せていた人」
分かったのは、意外にも顔を見ていたから……ではなく、前にエレンに見せていたイノシシの牙を、彼が剣飾りとして付けていたからだ。
しかし相手は、どうやら俺の顔を覚えていたらしい。
「非冒け……あ、いや、えっと」
「スレイ! エレンね、サイチェスさんに『とうばつぶい』をおしえてもらったの!」
「スレイさん。もし余計な事だったら申し訳ない」
俺の呼び方を言い直したあたり、おそらく彼に悪意はなかったのだろう。
純粋に、名前が分からなかったのと、いつもの癖が出た感じ。
その辺は、「別に近しい相手に悪く思われなければいい」と今まで交流を持つ努力をしなかった俺の落ち度だし、俺も彼――サイチェスさんたちの名前を知らなかったのだからお互い様だ。
今の謝罪も、非戦闘系依頼しか受けない俺の連れに必要のない、下手をすれば戦闘系依頼を受けてみたいと思わせるかもしれない情報を与えてしまった事を、気にしたのだろう。
そんな事を心配してくれる相手に対して、目くじらを立てる必要もない。
「いえ。きっとエレンが、貴方たちに興味津々で質問したんでしょう。俺は、知識こそあれ手持ちに討伐部位や武器防具はないから、むしろ答えてくれて助かったというか」
ここ一週間エレンと共に過ごして分かった事だが、エレンは楽しい事や未知の物に目がない。
いくら注意しても先程みたいに、気付いたら周りに話しかけに行っているのなど、特にいい例だ。
基本的に、エレンは自分の願いや希望を、ちょっとやそっとでは諦めない。
そんな彼女だ。
自分の気になった事に彼らが答えをくれないとなると、結局は俺が質問攻めにされていただろう。
俺が答えられなければ、どこからか仕入れてきた「魔物は森にいる」という話から、今度は魔物探しの旅に出るかもしれない。
すべて仮定の話だが、そんな危うさが想像できてしまうくらいには、エレンは好奇心も行動力もある。
「とにかくありがとう。エレンに付き合ってくれて」
「え、あ、はい。え?」
それほど知らない相手だとしても、エレンによくしてくれた相手だ。
当然のお礼をしたに過ぎないが、どうやら相手からしたら、想定外の言葉だったらしい。
面食らったような顔をされた。
……まぁいいや。
「エレン、今日の仕事場所は牧場だ」
「ぼくじょう?」
「たくさん動物がいるぞ」
「お友だち、いっせんまんにん!」
あっという間にパーッと目を輝かせたエレンに、俺はスッと手を差し伸べる。
小さな手が、俺の手をギュッと握ってきた。
この感触にも、もう随分と慣れたものである。
「じゃあ、俺たちはそろそろ」
一応挨拶を言い置いて、歩き出した。
メェ君も、エレンと隣にテテテッとついてくる。
その姿にも、もう見慣れてきたなと思っていると。
「い、いってらっしゃい」
後ろから掛けられたその声に、今度驚かされたのは俺の方だった。
「サイチェスさん、またね!」
「めぇめ!」
振り返れば、屈託なく返事をする二人にあの男――サンチェスさんが手を振り返している。
言葉からも表情からも、「果たして言ってよかったのか」という些かのためらいが透けて見えていた。
それは、戸惑いを抱いた俺と少し似ているような気がして。
もしこれがエレンにだけ向けた言葉のつもりだったら、俺はものすごく恥ずかしい勘違い野郎だが、そンな事よりも挨拶を無視する姿をエレンに見せる方が、エレンの保護者として恥ずかしいと思った。
「……いってきます」
礼儀を貫いた俺の返事に、サンチェスさんの表情が少しだけホッとしたようなものに変わったのを見て、俺も少しだけホッとした。
「……そういえば、冒険者からこんなふうに送り出してもらえたのなんて、初めてだったな」
ギルドから出て街中を歩きながら、青い空を見上げてポツリとそう呟く。
この街に来てからの一年、ずっと変わらずにいた、むしろ悪化し続けてきたのかもしれない関係が、今日ほんの少しだけ変化した。
そんな気配にたしかに今日触れた。
「なぁエレン」
それを齎したのは、隣を歩くこの女の子。
まだ小さい体で、無垢な心で、知らない事も多い拙い身で、俺に変化を齎した彼女を見下ろせば、繋いだ手をなぞる様にしてエレンが俺の顔を見上げる。
立ち止まり、エレンの前で中腰になった。
「お前はすごいなぁ。誰にでもできる事じゃない」
目を合わせてまっすぐ、彼女を褒める。
本心からの素直な称賛だ。
現に、俺にはできなかった。
物怖じせずに話しかける事も、彼らに教えを乞う事も。
理由はおそらく、色々とある。
必要な事は知っていたから、教えてもらう必要がなかった。
よそ者だからと、王城でも『スキル研究家なんて、国費を食いつぶして趣味の研究に没頭するだけの奴らだ』と言われ、嘲笑されていたからと。
ギルドで非戦闘系依頼を受ける俺に周りが向けてくる目を見た時に、俺は「あぁまた同じか」と思ったのだ。
どんなに頑張って結果を出しても、王城の奴らは俺たちへの態度を変えなかった。
だから今回も同じだろうと、どんなに頑張っても続く嘲笑なら、真っ向から向き合う理由はないと、そんなふうに思ったのだ。
周りからの目を気にしていないのは、別に強がりでも何でもない。
今更そんな事で傷付かないという自信があるが、それはすべてそういう諦めに基づいたものだったような気がする。
そういう事に、エレンを見ていて気が付いた。
別に必要な知識でなくても、知る事が無駄にはならないし、知っている知識だったとしても、実物や体験談を聞く事には意味がある。
彼らの配慮に口をついて出た、エレンに経験者の話を聞かせてくれたお礼。
そこに正に答えがあった。
おそらく俺は無意識下で、彼らと話す事の意味を知っていた。
それでも行動しなかったのは、きっと臆病だったからだ。
変化は、良くも悪くも『今』を乱す。
安定した、気に入っている生活を、俺はおそらく乱したくなかった。
そこに変化を投じたのがエレンだ。
そして俺は、その変化を嬉しく思っている。
現に今、エレンが齎した小さな変化に俺は、どこかくすぐったいような、ソワソワするような、思わず口角が上がるような感覚になっている。
それこそが、俺の本心の証明だった。
「流石は『友達一千万人』を目標にしているだけある」
そう言って、エレンの頭を撫でる。
天性の、彼女の長所。
それが誰かの助けになる。
おそらくエレンは特に意識するでもなく、今のような事をしたのだろう。
そして、これからもしていくのだろう。
長所と短所は表裏一体だ。
エレンの人懐っこさの裏には、警戒心のなさがある。
世の中の道理も、まだ知らない。
それ故に彼女のこの長所は、気付かず危ないところに首を突っ込む危険性を大いに孕んでいるけれど。
「冒険者ギルド内でなら、まだ俺の目も、周りも目もある。少しなら、俺の手を離れて話しかけに行ってもいい。でも、一つだけ約束してくれ」
せっかくの長所を縛り付けて大人しくさせるのは、きっと勿体ない。
だから彼女らしくいられるように、一つだけ彼女と約束をする。
「もし知らない人に、『美味しいお菓子あげる』とか『いい物をあげる』とか『いいところに連れて行ってあげる』って言われても、絶対について行ったらダメだからな!」
切実に。
本当に切実に。
エレンがいたいだけこの場所に、危ない目に遭わずにいられるように。
そう願って紡いだ約束に、エレンは大きく頷いた。
「わかった! スレイいがいに、ついていかない!」
とても元気のいいお返事だった。
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