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【第三章】第二節:初めての牧育
第31話 仁義なき戦いの会戦直前
しおりを挟む思わず「ふはっ」と噴き出した。
エレンの大前転、気付かないでまだエレンの腹をモグモグとくすぐっている山羊、涙目のメェ君。
一体何から突っ込んでいいのか、もう分からない。
「なーにしてんだ、エレン」
笑いながらエレンをエサ箱から抱き上げると、擽りから救出されたエレンが頭に藁をつけたまま「ごめんなさーい」と言って笑う。
一応「怪我は?」と尋ねたが、首を横に振りながら「くすぐったかっただけ」というので、おそらく大丈夫だろう。
「今度からは、自分からエサになりに行かないように」
降ろしてやりながらそう言うと、エレンから「はーい」という答えが返ってきた。
メェ君が「めぇぇぇぇぇっ!!」と大歓喜しながら、エレンの体に自分の頬をモフモフと擦りつける。
そんな彼のモフモフの背中を、エレンがあやすようにして、小さな手で撫でていた。
「ここには色んなどうぶつさんがいるね」
エサ槍作業を続けながら、エレンが感心したように口を開いた。
俺も「そうだな」と言って、改めて畜舎の中を見回す。
動物自体は四種類だが、複数の品種を飼っているため、見た目も違うのも多い。
もしかしたらエレンの目には、実際以上に色々な動物がいるように見えているのかもしれない。
「ねぇスレイ。スレイのおうちのわんさんとウォフさんは『いってらっしゃい』と『おかえり』がおしごとで、モォさんは牛乳とのんびりがおしごとでしょ? げんじろうは、おうちを守るのとたまごがおしごとで……ここのどうぶつさんたちは、何がおしごとなの?」
そもそも、だ。
たしかにモォさんからは牛乳を、源次郎からは卵を貰うが、モォさんののんびりはただの性格だし、源次郎に至ってはたしかに以前侵入者をあの神経質さで突き倒して追い出したが、単に気難しい事が功を奏しただけだ、とか。
挨拶しか仕事がないと認識されている残念な犬たちへの認識が、実は一番正しい、とか。
そもそもあの子たちに仕事を与えているつもりはない、とか。
エレンの言葉には突っ込みどころが大いにある。
しかしまぁ、エレンが提示してきた論点はそこではないので、突っ込みは一度横に置くとしよう。
「山羊と牛は牛乳で、羊は羊毛。馬は育てて大人になったら、馬車引き用の馬になる」
「みんな、きょうのおしごとは、もうおわったの?」
「羊は、もう少し羊毛が伸びないと仕事にならない。いい毛並みのまま元気でいる事が、今の仕事のようなものだから、特定の何かはないと思うぞ。馬はちゃんと馬車が引ける力持ちになれるように、毎日外を走って体を作るのが仕事。それは食後に外でやる事になっている。山羊と牛は、ここでは早朝と夕方に搾乳をするから、夕方までは休憩だな」
うちの子たちと牧場の動物たちとの明確な違いは、商売のために動物を飼っているという事だ。
だから当然、ここの子たちには役割がある。
もしそれが成せなくなってしまったら、養う事も難しい。
商売のために育てる以上、金にならない子を養う事は、自分や他の子たちの生活を圧迫する事になる。
牧場仕事は、結構シビアで考える事も気を付けなければならない事も多い。
「……俺たちが今しているのは、ここの子たちがきちんと自分の仕事を全うできるように、環境を整えてやる仕事だ」
「かんきょう?」
いつだったか。
リステンさんが俺に教えてくれた。
『牧場仕事の主役は、動物たち。私たちは動物たちからの恩恵を受け取る代わりに、彼らの雑用をする。臭いし、汚いし、汗だくで、楽な事なんて一つもないけどね。それでも動物たちが元気に育って、いい物を作ってくれて、たまに懐っこくすり寄ってくる。それがこの仕事の楽しいところさ』
そう言ってニカッと笑った彼女の笑顔の眩しさを、俺は忘れた事はない。
「美味しいエサをやって、居心地がいいように部屋を掃除して、動物たちが少しでも快適に、健康に過ごせるようにする。それが今日の俺たちの仕事だ。という事で、食事が終わったこいつらを、いったん外の草原に出します!」
健康のために必要なのは、栄養のある飯を食う事と、よく寝る事。
そして適度な運動だ。
それは人間だけではない。
動物だって同じである。
だから、飯を食わせたら外に出す。
牧場に離して日の光の下で、走ったり遊んだりのんびりさせたりする。
その間に俺たちが畜舎を掃除する……というのが日課なのだが、そのためにはまず動物たちを畜舎の外に出さなければならない。
これが意外と大変だったりする。
エサは体調が悪くない限り、やれば勝手に食べてくれるが、エサを食べて少し眠くなっている状態の動物たちが全員畜舎からすんなり出すのは難しいのだ。
なら動物たちを外に出してからエサをやればいい……と思うかもしれないが、そうすると外にエサが散らばる。
風で飛んで行った場合は正確なエサの摂取量が分からなくなってしまうし、外も掃除が必要になる。
なら外から戻ってきてからエサをやればいい……と思うかもしれないが、それはそれでせっかく掃除をした部屋がエサやフンですぐに汚れてしまう。
そういう諸々で結果的に、やはりエサをやってから掃除するのが一番いいという結論に至ったらしいのだ、リステンさん曰く。
だからもう頑張って、食後の動物たちを外に出すしかないのだ。
つまり。
「これから恒例の、『綱引き』をやります」
畜舎の外に出てほしい人間 VS 畜舎の中でまどろみたい動物。
譲れない両者の、仁義なき戦いが始まる。
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