【完結】侯爵令嬢は破滅を前に笑う

黒塔真実

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第三章「忠実な魔法使い」

7、別れの接吻

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 名を呼ばれた瞬間、鼓動がどくっと高鳴り、とたんに心臓が早鐘を打ち始めた。

「……忘れ物でもしたの、カエイン?」

 背中を向けた状態で訊きながら、さっと懐から取り出した短剣を袖口にしのばせ、背後を振り返る。

「いや」

「だったらなぜ、戻って来たの?」

 自然に声が震えて胸に鋭い痛みが走る。

 私とて万が一にも脱獄を失敗しないよう、後々に禍根を残さないためにも、カエインを殺すべきだということは重々分かっていた。
 幼き頃より母に『甘さ』は命取りになると再三に渡って教え込まれてきたのだ。
 それでも短い間とはいえ、カエインに世話になったという意識があり、出来れば命までは奪いたくなかった……。

 だから私は今朝のカエインの行動に賭けていたのだ。

 すんなりと妖精郷へと向かった場合は殺さずに済ませようと――

「なぜって、出かけてすぐに気がついたんだ。
 シア本人が直に妖精の職人に会いドレスの要望を細かく伝えたほうが、理想に近いものができあがるとね」

 近づいてくるカエインが伸ばした手に応じて、上から手を重ねると、ぐっと掴まれて身体を引き寄せられる。

「というのは口実で、本音は数日もシアと離れているのが耐えられなくなったからだ。
 出会ったばかりだというのに我ながら相当シアの魅力に参っているらしい」

 苦笑するカエインの背中に腕を回しながら、私は胸に広がる苦みに、ついする必要のない質問をしてしまう。

「どうして? 私はあなたに好かれることなど一つもしていないわ」

 カエインはふっと笑い。

「若いシアにはとうてい理解できないと思うが、俺みたいに長生きしていると、すべての現象に飽きて無感動になる。
 実際この百年ばかりの俺の人生は、起きていても眠っているような、退屈極まりないものだった。
 そこへ嵐のようにシアが現れて、久しぶりに目が覚めるような思いがした。
 シアの激しさが長く止まっていた俺の心を動かし、共にいるだけで楽しいと感じるようになった。
 特に放っておいて欲しいと言われたこの数日間で、どれほどシアがそばにいないと味気ないかを思い知った。
 頼むから、そんな俺を憐れんで一緒に来て欲しい――」

「でも妖精郷は滅多に人を迎え入れないと聞くわ」

「他ならぬ俺の妻となる女性が拒まれることは無いので、その点は安心していい。
 妖精郷はとても景色の美しいところだ。ドレスが仕上がるまであちこち名所を案内しよう」

「楽しそうね……嬉しいわ、カエイン!
 一緒に行けるなら、ドレスの仕上がりはもう保証されたようなものね!」

 感激したように叫びながら袖から短剣を出し、片手をカエインの首に絡めた私は、爪先立ちになって顔を寄せていく。
 気取られて外したら一環の終わり――確実に一発で仕留めるために油断させなくては――

「……シア……?」

 意外そうに呟くカエインの唇を唇で塞ぎ、自ら誘うように口を開いて舌を迎え入れる。
 ――重ねた唇は初めて会った日と違って熱く、口づけはすぐに深く激しいものになった――

 私は短剣の刃を横に寝かせ、夢中で唇を貪るカエインの背中から狙いすまして、一息で心臓へと突き立てる。

「……!?」

 カエインは一瞬ビクンと身を激しく硬直させたあと、ふうっと脱力するように足下から崩れていった。
 反射的に胴体を両腕で抱き止め、口づけしたままゆっくりと床へと下ろす。
 そして私は腕の中の身体の痙攣が完全に止まるのを待ってから、唇を離して立ち上がり、カッと両瞳を見開いて動かなくなったカエインを見下ろした。

 やはり魔法使いと言っても人間であり、心臓を一突きされれば即死はまぬがれなかったようだ。

 間違いなくこの場で悪魔と呼ばれるべきはカエインではなくこの私。

「さようなら……カエイン。冥府で会った時に謝るわ……」

 ――最後に別れの言葉を告げ――私は虫除け薬を取るのも忘れて、その場から逃げるように塔の部屋を後にした――



 そうしておかしいほど痛む胸を抱え、急いで地下牢獄へ降りて、セドリックのいる牢屋へと駆け込む。

「お待たせ、セドリック!」

「お帰り、シア!」

 立ち上がって私を迎えたセドリックはすでに準備万端で、その手には守護剣『聖王の剣』が握られていた。
 幸い彼の両手首に嵌められていた魔法腕輪はアダマンタイト以外の金属製だったらしく、塔へ向かう前にあらかじめ守護剣で斬って外すことが出来た。 

 と、牢屋の入り口に立つ私の元へ駆け寄った直後、セドリックは、はっ、とした表情になる。

「ひょっとして、シア、泣いているの?」

 手元に引き寄せた『復讐の女神の剣』の柄をしっかりと握り、私は大きくかぶりを振って叫ぶ。

「いいえ、泣いてなどいないわ! ――さあ、急いで逃げるわよ!」
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