熱い風の果てへ

朝陽ゆりね

文字の大きさ
2 / 42
1 カルトゥーシュの謎

しおりを挟む
 香山かやま沙良さらは片づけを終えてホッと安堵の吐息をついた。

 父の栄治えいじが亡くなり、四十九日の法要を終えてから遺品の整理を始めたのだが、その数が多くて、一週間もかかってしまった。

 高校三年生とはいえ、受験も終えて大学入学までの長い休みに入っている。時間はたっぷりあった。とはいえ、まだ山と積まれた本がある。中国や日本を舞台にした時代物の作家だった栄治は、資料として膨大な書籍を保管していたのだ。

「これから分別か。ま、本は友達だから、時間をかけてゆっくりやるわよ」

 RRRRRR……

 電話だ。リビングに向かい、受話器を取った。ディスプレイには父の友人である佐藤さとう友則とものり名が表示されている。

『もしもし、沙良ちゃん、調子はどうだい?』
「やっと終わった。これから本の整理」

『それが一番大変だろう?』
「そんなことないよ。一番楽しいことだから」

『なぁ、沙良ちゃん、やはりうちに来ないか? 真理まりもそのほうがいいと言ってる。そのマンションを賃貸に出せば沙良ちゃんの収入になるだろう? 春から大学生だし、しっかり貯めたほうがいいよ』

「そうね、寂しくなったら転がり込むわ。それまでは一人でやってみたいの。ありがとう、友則おじさん、感謝してる。ホントにおじさんがいてくれるから安心していられるんだもん」

『沙良ちゃん』
「ゆっくり頼らせて」

 受話器の向こうでフッと微笑む雰囲気がした。

『わかったよ。ゆっくり頼ってくれ。なにかあったら遠慮なく連絡しておいで』
「うん」
『じゃ』

 肺癌だった栄治の容態が悪化してからは慌ただしい毎日だった。そのすべてを手伝って進めてくれたのが佐藤夫妻だ。

 今年五十の佐藤は弁護士で、栄治の古くからの友人だった。癌を知った栄治が、沙良が未成年の間に亡くなった場合に未成年後見人を頼んでいた人物であり、現在は身元引受人の立場にある。

 結局、栄治は沙良が十八になってから亡くなったので、杞憂であったのだが。

 佐藤夫妻は若い時に幼い子どもを事故で亡くしたこともあり、沙良を我が子のように大事にしてくれる。栄治の印税が定期的に入るので経済的な心配はないが、未成年だけに身元後見人は必要になる。複雑な家庭の事情を持つ沙良には、佐藤はなくてはならない大切な存在だった。

 栄治と母の香苗かなえは妊娠による結婚だと聞いている。

 人気絶頂だった時に、香苗が栄治を師と仰いで家に通い始めたことがきっかけで、二人は深い仲へ。

 災いしたのは香苗が現役大学生だったことだ。二十歳年の離れた二人の結婚は、両家の怒りによる断絶と、スキャンダルとしてマスコミに掻き立てられ、当時世間を騒がせたそうだ。

 周辺に住む者たちは二人を敬遠し、特に子ども同士の付き合いに過敏で、子どもたちを沙良から遠ざけた。だから沙良はいつも一人ぼっちだった。

 沙良自身は毎日大好きな本に囲まれ、あまり気にしたことはなかったのだが、罪悪感を抱いた香苗が心を壊した。自分の行いによって我が子が仲間外れにされている姿を見るのは耐えられなかったのだろう。沙良が八歳の時に調子を崩すと、あ、という間もなく他界してしまった。

 早くに母を失った沙良を癒やしてくれたのは本だった。

 栄治が忙しく、また締め切り前は書斎に籠ってしまっても、本があれば寂しくなかった。だから沙良にとって本は友達であり、親であり、師であった。寂しさも、強さも、知識も、本が癒やし、教え、支えてくれたのだ。

 どんな本も愛しむべき存在だった。なにより亡き父が長年にわたって集め、使った大切な遺品でもある。

 RRRRRR……

 また電話だ。今度はスマートフォンだった。

(あ、坂下さかした君)

 クラスメートであり、春から同じ大学に通う微妙な関係の男からの電話だ。

 交際一歩前のような感じ。教室では至って普通だが、二人きりになると際どい会話に至る。つきあっているとは言い難いが、かけられる言葉は誘っているように感じられた。

 だが沙良はどこかこの坂下というクラスメートとの関係はうれしいと言いきれないものがあった。それをうまく言い表すことはできないのだが。

「もしもし」
『あ、香山? 具合のほう、どう?』
「具合? 至って元気」
『そうじゃないって。片づけのこと。終わったんなら、気分転換に映画でもどう?』

 心臓がドキンと跳ねた。

(デートのお誘い? さすがに次は進展する? でも、それ……)

 ドキドキと激しく鼓動を打つ。それを押し止め、沙良はいつも通りの口調で、いいよ、と返した。

「いつ?」
『明後日とか』
「いいけど」
『あ、俺さ、今金欠だから、映画代奢りでお願い』
「はぁ?」
『バイト先が決まったら美味いものゴチるからさぁ』

 沙良は自分の中で膨らんだワクワク感が萎んでいくのを感じた。坂下はいつも金のことを口にする。すぐに奢ってくれと言う。受験が終わってバイトをしたらご馳走してやる、欲しいものをプレゼントしてやると言って。

「わかった」
『じゃ、明後日、十時に渋谷で待ち合わせ』
「うん」

 スマートフォンのオフボタンを押した。

(私が一人っきりで暮らしているからアテにしてるのかな。あんまり考えたくないけど、やっぱり、そうだよね。こういう悪い推測って当たるものだし)

 ふいに佐藤の言葉を脳裏に浮かぶ。

――沙良ちゃん、君は栄治の遺産や印税が入ってくる身だ。近寄ってくる者には十分注意するんだ。

 佐藤の言葉はよく理解している。わかっている。だが、クラスメートの坂下を頭から疑いたくない、という気持ちがあるのも事実だ。

 小さく息を吐き出し、栄治の書斎の本に目を向けた。

(映画か。気分転換にはいいよね。単にお金目当てであっても、私が楽しめてる間までは嫌なことは考えたくない。今はまだ、一人ぼっちよりマシだから)


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

君の左目

便葉
ライト文芸
それは、きっと、運命の歯車が狂っただけ。 純粋な子供の頃から惹かれ合っていた二人は、残酷な運命の波にのまれて、離れ離れになってしまう。 それもまた運命の悪戯… 二十五歳の春、 平凡な日々を一生懸命過ごしている私の目の前に、彼は現れた。 私の勤める区役所の大きな古時計の前で、彼は私を見つけた…

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

「四半世紀の恋に、今夜決着を」

星井 悠里
ライト文芸
赤ちゃんからの幼馴染との初恋が、ずっと、心の端っこにある。 高校三年のある時から離れて、もうすぐ25歳なのに。 そんな時、同窓会の知らせが届いた。 吹っ切らなきゃ。 同窓会は三か月後。 私史上、いちばん綺麗になって、けじめをつけよう。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

俺様御曹司に飼われました

馬村 はくあ
恋愛
新入社員の心海が、与えられた社宅に行くと先住民が!? 「俺に飼われてみる?」 自分の家だと言い張る先住民に出された条件は、カノジョになること。 しぶしぶ受け入れてみるけど、俺様だけど優しいそんな彼にいつしか惹かれていって……

☘ 注意する都度何もない考え過ぎだと言い張る夫、なのに結局薬局疚しさ満杯だったじゃんか~ Bakayarou-

設楽理沙
ライト文芸
☘ 2025.12.18 文字数 70,089 累計ポイント 677,945 pt 夫が同じ社内の女性と度々仕事絡みで一緒に外回りや 出張に行くようになって……あまりいい気はしないから やめてほしいってお願いしたのに、何度も……。❀ 気にし過ぎだと一笑に伏された。 それなのに蓋を開けてみれば、何のことはない 言わんこっちゃないという結果になっていて 私は逃走したよ……。 あぁ~あたし、どうなっちゃうのかしらン? ぜんぜん明るい未来が見えないよ。。・゜・(ノε`)・゜・。    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 初回公開日時 2019.01.25 22:29 初回完結日時 2019.08.16 21:21 再連載 2024.6.26~2024.7.31 完結 ❦イラストは有償画像になります。 2024.7 加筆修正(eb)したものを再掲載

処理中です...