熱い風の果てへ

朝陽ゆりね

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15、暗殺

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 沙良は一段豪華な宿の、その一番奥の部屋に通された。

「さぁ」

 水で冷やした甘い果実酒を手渡された。受け取ったものの飲む気になれず、両の手で持って無言でカップを見つめていた。

「どうした? せっかく冷やした果実酒がマズくなるぞ。飲まぬのか?」
「……申し訳ありません。緊張して――喉を通りません」
「そうか」

 ザンナンザは沙良の手からカップを取り上げると、横に置き、床に寝そべった。厚いクッションに片方の腕をつけて体重を預け、半身を起こして寛ぐ。それから優しい視線を沙良に向けた。

「まことに不思議だ。白い肌の人種は見たことがあるが、お前の肌はただ白いだけではないのだな。この髪も歪みがなく、黒曜石のように黒く輝いている。見るほどに魅せられる。お前の身受けを父や兄たちに任せるのは惜しい気がする。このままエジプトに連れていきたいくらいだ」

 沙良の顔が恐怖に染まったことに気づくと、ザンナンザは困ったように微笑んだ。

「冗談だ。安心しなさい。そのようなことはしない。お前は祖国に帰りたいのだろう? 協力すると言ったのだ。約束する。栄えあるヒッタイト帝国の王子が、約束を違えたりはしないさ。それに――先にも言ったが、祖国を離れて異国にて骨を埋める我が身に、少々心が乱れている。その隙間を埋めるような出来事だ。マルドゥクの恵みと思わずにはいられない」

「……マル、ドゥク?」

 ザンナンザは軽く笑った。

「我らの神だ。主神マルドゥク、月神シン、太陽神シャマシュ、金星イシュタル。知らないとはな。カナエは本当に遠い国からきたのだな」

 ザンナンザは右手を伸ばし、手の甲で沙良の頬をそっと撫でた。

「お前の国はどんな神を崇めているのだ?」
「…………」

「どうした?」

「私の国では……特定の神を強く崇めたりしません。多くの神仏がいますし、信仰は自由で……難しい質問です」

「シンブツ? よくわからんな。まぁいい。困るのなら、これ以上聞かない」

(優しい人なんだ、この人は)

 沙良はそう感じた。傾けている瞳の色に労りが感じられる。しかし早くこの状況下から逃げねばならないことに変わりはないし、いかに優しくとも、彼の取った部屋に招かれた意味を取り違えるわけにはいかなかった。

「祖国に勝る存在はないが、ヒッタイトもいい国だぞ」
「…………」

「くれぐれも望みをかなえやってくれと書き記すが、もし兄弟の誰かがお前を気に入って傍に置きたいと言い張っても、私を怨んでくれるなよ」

「もちろんです」

 ザンナンザが優しく微笑む。

「私には兄が三人と弟が現在二人いる。現在とわざわざ言ったのは、もしかしたらまだ増えるかもしれないからだ。とはいえ、父がお前に手を出すとは思えん。さすがに新しい側室を迎えることはないだろう。女のほうから求めぬ限りな。しかし、兄弟たちはなんと言うか想像できん」

 ザンナンザは身を起こして果実酒を注ぎ足した。

「カナエ、今、幾つだ?」

 十八、そう言おうとして口を噤んだ。この世界で十八歳は立派な大人だ。力で女を抱いても、誰も罪悪感など持たないだろう。ここは子どもを演じるしかないと判断した。

「十四です」
「そうか。まだ幼いな。だが、すぐに大人になる」

 酒が回りつつあるようだ。秀麗なザンナンザの顔に赤みが差している。目にも色気が帯びていた。

(マズい。なんとか逃げないと、ホントにマズいよ。だけど、なにもないのに飛び出したら怪しまれるし、隙を見つけるまで待っていては、本当にこの人に抱かれちゃう――なんとかしないと)

 沙良は知らず知らずのうちに握り拳を作っていた。

(それともこの人が満足するまでおとなしく従って、眠ってから逃げ出すか。……最悪の場合は兵士と一緒にヒッタイトに向かって、途中で兵士をまくしかないわよね。だけど、私)

「カナエ」

 名を呼ばれてハッと顔を上げると、ザンナンザが面前に迫っていた。

「あ」
「なにを考えている?」

 頬を撫でられ、沙良は震えた。

「あ、あの」

 言葉が詰まった。躊躇している間にザンナンザの両腕がしっかりと体を抱き締めていた。顔が近づくと、どうすることもできず、目を閉じた。あの時の兵士のように、叫ぶことさえできなかった。

「震えているのか。怖がらなくていい。お前を傷つけるようなことはしない。力を抜いて、カナエ」

 深いキスに沙良は体中の力を抜いた。それは受け入れたのではなく、あきらめだった。


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