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7、経始
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その頃、事務所に戻った淳也は事務員が困惑げに駆け寄ってくるのを見て嫌な予感に駆られた。
「どうかしました?」
「それが……お客様なんですが、淳也さんの身内だとおっしゃって……」
「身内?」
「ええ。初めて見るお顔ですし、またおかしなのが来たんじゃないかって」
「名前は名乗った?」
「ええ。中森と」
「中森、知らな――」
そこまで言って息をのんだ。大きく目を見開く。
「淳也さん? ご存じなんですか?」
「――たぶん。今、応接室?」
「ええ」
淳也は早足で応接室に向かい、扉を開いて絶句した。そこにいたのは璃桜から写真で紹介された中森陽子だった。陽子は戸口に立つ淳也を見ると顔をぱっと明るくして立ち上がり、うれしそうに頭を下げた。
「中森です。こんにちは、淳也さん」
初対面なのにいきなりファーストネームを呼ばれ、嫌悪が湧いてくる。だがそれを顔に出してはならないと思って意識して口角を上げた。
「えーっと、中森陽子さんでよろしかったでしょうか、璃桜さんのお母さまの」
「えぇ、えぇ、そうです。はじめまして。璃桜から写真で拝見していましたけど、実際のお姿は凛々しいですね!」
ニコニコと笑っている顔がなんだか次第に不気味に見えてくる。なぜ、今頃、わざわざ会いにきたのか。いや、と思う。華原家から聞いている段取りと違う。そう思うと、再び言い様のない不満や怒りが湧いてきた。
華原璃桜はあくまで華原俊嗣と史乃の娘として嫁ぎ、坂戸家は中森陽子とは一般的な人づきあいはあっても、縁戚の観念からは無関係とする。新居の階下に住む中森陽子は実母ではあるが、旧知の仲として面倒を見ることをお許しをいただきたい――そう言われていた。
(話が違うじゃないか)
淳也はそう言いたい気持ちを押し止め、陽子に座るよう勧めた。
「それで、本日はどうされたんですか?」
「璃桜からいろいろ話を聞いています。結婚式の準備も進んでいて、画像でウエディングドレス姿も見ました。でも、その……私、お式には出られないのです」
「ええ、聞いています」
「どれだけ璃桜にお願いしても、ダメだと言うんです。でも、娘の晴れ姿が見たいの。淳也さんから許してもらえるよう口添えしてもらえないでしょうか」
「――え?」
「お願いします」
淳也はマジマジと陽子の顔を見つめた。
璃桜は父親似なのだろう。陽子と面影は重ならない。だが似ていないと思うのは顔の作りではなかった。璃桜とは雰囲気がまったく違って、真逆だと淳也は思った。
璃桜は物静かで、ほとんど笑わない。大きな声も出さない。それはもちろん淳也を想っていないからだろうが、とにかく暗いのだ。その反面、立ち居振る舞いは洗練されている。
対して面前に座っている陽子は笑顔から明るい性格なのだと思われるが、なんだか下品で地頭が悪そうに見える。
(こいつは俺の嫌いなタイプ、ド真ん中……)
政治家の息子で、物心ついた時からいろいろな人間と接してきた。その多くは腹に一物据えている者たちだ。つまりは曲者。優秀な曲者はある意味で畏敬の念を抱くことがある。優れた頭脳を持つ者、金を集めることに長けた者、肝が据わっている者、彼らはそれだけの価値を有した存在だった。
しかし、そんな連中に交じって本当に見下げ果てるほど性根の腐った者がいる。金と権力の亡者、己の利益しか考えない者、媚びて同情を得ようとする者。陽子はそういう連中の臭いを漂わせている。中でも特に淳也は媚を売って人の情けを乞おうとする者が嫌いだった。最低限の矜持くらい持てと思うのだ。
「璃桜は華原夫妻に気を遣って言えないんです。だから淳也さんのほうから助け船を出してもらえたら、出席を許してくれると思うんです。お願いします」
「……気持ちはわかります。ですが、僕は先方の決められたことに口を出す立場にありません」
やんわり断れば、陽子は眉間にしわを寄せ、わざとらしいほど驚いた顔をした。それが目につく。
「ですが、淳也さんが『ぜひ』って言えば、誰も反対しないでしょう?」
「そうでしょうか? これは家と家の問題なので、むしろ話を拗らせて両家に遺恨を作りかねません。最近の世の中は変わってきたとはいえ、結婚式とか葬式とかはまだうるさいしきたりが残っています」
「えぇ、でも……」
淳也が話すほどに陽子は不服そうに上目遣いに見てくる。目が、でもでもだって、と言っているのが伝わってくる。まるで拗ねた子どもだ。
そこまで考えた時、淳也はふと思い出した。
(この女はアル中の治療を受けてるんだった。あの女も、実母がだらしなくて目が離せないって言っていた)
そもそもおかしな話なのだ。どこの世界に、愛人が本妻と一緒に住むなんてことがあるのだ。どちらも嫌だろう。それが現実に起こっていることに不思議だったが、陽子の様子を見て淳也は悟った。
中森陽子は本妻に対して常識的な判断や感情を持てないほどに緩いのだ。そして華原史乃は、憎いはずなのに璃桜の産みの母である陽子の病的な部分を見過ごすことができず、面倒を見ている。その負い目を璃桜は感じて従順なのだろう。
(そういうことかよ。でも――)
真実や事実を理解することと、感情的に納得することは違う。
(俺はこの女を……受け入れられない)
職業柄どうしても避けて通れない者の中で、淳也がどうにも我慢できないのが下衆く媚びるタイプだ。中森陽子はまさにこれだった。
「それに、失礼ながら中森さんのお立場はデリケートです。華原さんとしてもいろいろ考慮しての決断でしょう。それを僕が口を出すのは身の程と言うか、分別や思慮が足りないというか、先方に愚人と思われてしまいます。申し訳ないですが、それは勘弁してほしいところです」
「そこをなんとかお願いしたくて、今日、伺ったんですけど」
「僕にも立場があります。それに恋愛結婚じゃなく見合い結婚です。なにより礼儀が重視されます。それがわからないってことはないでしょう?」
「…………」
陽子は咎めるようなまなざしを向けてくる。それが淳也には不快極まりなくて、たまらずスマートフォンを取り出した。
『もしもし、璃桜さん? 淳也だけど、今、事務所にお母さまが来られてるんだ』
ストレートに伝えると、電話の向こうで沈黙が起こる。淳也は、なにを黙り込んでいるんだ、とムカついたものの、璃桜が内容を把握できずに固まっているのだと刹那に悟った。
「もしもし、璃桜さん」
『お母さまって……えっと、中森のことを、その、おっしゃっていますか?』
「もちろん」
『――――――』
絶句している様子が如実に伝わってくる。逆にそれは淳也には滑稽だった。
「どうかしました?」
「それが……お客様なんですが、淳也さんの身内だとおっしゃって……」
「身内?」
「ええ。初めて見るお顔ですし、またおかしなのが来たんじゃないかって」
「名前は名乗った?」
「ええ。中森と」
「中森、知らな――」
そこまで言って息をのんだ。大きく目を見開く。
「淳也さん? ご存じなんですか?」
「――たぶん。今、応接室?」
「ええ」
淳也は早足で応接室に向かい、扉を開いて絶句した。そこにいたのは璃桜から写真で紹介された中森陽子だった。陽子は戸口に立つ淳也を見ると顔をぱっと明るくして立ち上がり、うれしそうに頭を下げた。
「中森です。こんにちは、淳也さん」
初対面なのにいきなりファーストネームを呼ばれ、嫌悪が湧いてくる。だがそれを顔に出してはならないと思って意識して口角を上げた。
「えーっと、中森陽子さんでよろしかったでしょうか、璃桜さんのお母さまの」
「えぇ、えぇ、そうです。はじめまして。璃桜から写真で拝見していましたけど、実際のお姿は凛々しいですね!」
ニコニコと笑っている顔がなんだか次第に不気味に見えてくる。なぜ、今頃、わざわざ会いにきたのか。いや、と思う。華原家から聞いている段取りと違う。そう思うと、再び言い様のない不満や怒りが湧いてきた。
華原璃桜はあくまで華原俊嗣と史乃の娘として嫁ぎ、坂戸家は中森陽子とは一般的な人づきあいはあっても、縁戚の観念からは無関係とする。新居の階下に住む中森陽子は実母ではあるが、旧知の仲として面倒を見ることをお許しをいただきたい――そう言われていた。
(話が違うじゃないか)
淳也はそう言いたい気持ちを押し止め、陽子に座るよう勧めた。
「それで、本日はどうされたんですか?」
「璃桜からいろいろ話を聞いています。結婚式の準備も進んでいて、画像でウエディングドレス姿も見ました。でも、その……私、お式には出られないのです」
「ええ、聞いています」
「どれだけ璃桜にお願いしても、ダメだと言うんです。でも、娘の晴れ姿が見たいの。淳也さんから許してもらえるよう口添えしてもらえないでしょうか」
「――え?」
「お願いします」
淳也はマジマジと陽子の顔を見つめた。
璃桜は父親似なのだろう。陽子と面影は重ならない。だが似ていないと思うのは顔の作りではなかった。璃桜とは雰囲気がまったく違って、真逆だと淳也は思った。
璃桜は物静かで、ほとんど笑わない。大きな声も出さない。それはもちろん淳也を想っていないからだろうが、とにかく暗いのだ。その反面、立ち居振る舞いは洗練されている。
対して面前に座っている陽子は笑顔から明るい性格なのだと思われるが、なんだか下品で地頭が悪そうに見える。
(こいつは俺の嫌いなタイプ、ド真ん中……)
政治家の息子で、物心ついた時からいろいろな人間と接してきた。その多くは腹に一物据えている者たちだ。つまりは曲者。優秀な曲者はある意味で畏敬の念を抱くことがある。優れた頭脳を持つ者、金を集めることに長けた者、肝が据わっている者、彼らはそれだけの価値を有した存在だった。
しかし、そんな連中に交じって本当に見下げ果てるほど性根の腐った者がいる。金と権力の亡者、己の利益しか考えない者、媚びて同情を得ようとする者。陽子はそういう連中の臭いを漂わせている。中でも特に淳也は媚を売って人の情けを乞おうとする者が嫌いだった。最低限の矜持くらい持てと思うのだ。
「璃桜は華原夫妻に気を遣って言えないんです。だから淳也さんのほうから助け船を出してもらえたら、出席を許してくれると思うんです。お願いします」
「……気持ちはわかります。ですが、僕は先方の決められたことに口を出す立場にありません」
やんわり断れば、陽子は眉間にしわを寄せ、わざとらしいほど驚いた顔をした。それが目につく。
「ですが、淳也さんが『ぜひ』って言えば、誰も反対しないでしょう?」
「そうでしょうか? これは家と家の問題なので、むしろ話を拗らせて両家に遺恨を作りかねません。最近の世の中は変わってきたとはいえ、結婚式とか葬式とかはまだうるさいしきたりが残っています」
「えぇ、でも……」
淳也が話すほどに陽子は不服そうに上目遣いに見てくる。目が、でもでもだって、と言っているのが伝わってくる。まるで拗ねた子どもだ。
そこまで考えた時、淳也はふと思い出した。
(この女はアル中の治療を受けてるんだった。あの女も、実母がだらしなくて目が離せないって言っていた)
そもそもおかしな話なのだ。どこの世界に、愛人が本妻と一緒に住むなんてことがあるのだ。どちらも嫌だろう。それが現実に起こっていることに不思議だったが、陽子の様子を見て淳也は悟った。
中森陽子は本妻に対して常識的な判断や感情を持てないほどに緩いのだ。そして華原史乃は、憎いはずなのに璃桜の産みの母である陽子の病的な部分を見過ごすことができず、面倒を見ている。その負い目を璃桜は感じて従順なのだろう。
(そういうことかよ。でも――)
真実や事実を理解することと、感情的に納得することは違う。
(俺はこの女を……受け入れられない)
職業柄どうしても避けて通れない者の中で、淳也がどうにも我慢できないのが下衆く媚びるタイプだ。中森陽子はまさにこれだった。
「それに、失礼ながら中森さんのお立場はデリケートです。華原さんとしてもいろいろ考慮しての決断でしょう。それを僕が口を出すのは身の程と言うか、分別や思慮が足りないというか、先方に愚人と思われてしまいます。申し訳ないですが、それは勘弁してほしいところです」
「そこをなんとかお願いしたくて、今日、伺ったんですけど」
「僕にも立場があります。それに恋愛結婚じゃなく見合い結婚です。なにより礼儀が重視されます。それがわからないってことはないでしょう?」
「…………」
陽子は咎めるようなまなざしを向けてくる。それが淳也には不快極まりなくて、たまらずスマートフォンを取り出した。
『もしもし、璃桜さん? 淳也だけど、今、事務所にお母さまが来られてるんだ』
ストレートに伝えると、電話の向こうで沈黙が起こる。淳也は、なにを黙り込んでいるんだ、とムカついたものの、璃桜が内容を把握できずに固まっているのだと刹那に悟った。
「もしもし、璃桜さん」
『お母さまって……えっと、中森のことを、その、おっしゃっていますか?』
「もちろん」
『――――――』
絶句している様子が如実に伝わってくる。逆にそれは淳也には滑稽だった。
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