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第8章「聖なる森」
第85話「縛ってひんめくって、突っ込むだけ……」
しおりを挟む「あああああっ! もう嫌だ、もう一歩も歩かないぞ、僕は!」
その日、何度か灌木の枝に顔を打ち据えられて、辺境伯ザロ・チェンマは叫びだした。
「うんざりだよ、もう4日も山道ばかりを歩いているじゃないか!」
ザロ伯の前を歩いていた黒マントが、ひひひ、とかすれた笑い声をあげた。
「王都育ちはヤワいようですのう、辺境伯」
「上品だと言えよ。僕はおまえたちみたいに、野宿したり水とパンだけで歩いたりできないんだ!」
ふひひひ、とマントの奥から、もういちど笑い声が上がった。
「……だが、前を行く小さな姫は元気なようですがな」
「トーヴか」
ザロ伯は汗まみれ、泥まみれになった金髪を振り上げて、列の先頭を行く小柄な姿を見た。
「予想外だったな、あいつが最初に泣き出すと思ったのに」
「泣き出すなど、とんでもない。大変にお元気で、ザクザクと歩いておられますな。」
「……ふん」
ザロがいる列の最後尾からは、ぐねぐねとうねる山道の先がよく見えた。
20人ほどの旅列の尖塔にいるのが、小さな姫君、トーヴだ。トーヴはモネイ族と辺境伯が山中を歩きはじめた初日から、動きにくいドレスを捨てて少年の姿のなっている。黄金の髪を小さくまとめ、シャツとズボン姿でサクサクと歩く体力には驚くばかりだ。
ザロの隣にいる黒マントの男はわずかに首をひねった。
「はて、深窓の姫と聞いておりましたが、たいした体力ですぞ」
「おかしいよ、黄雲騎士の僕にだって、多少は、大変な道なのに」
「黄雲騎士……はて、今さら騎士になれますかなあ。
こんな形で姫を拉致したことで、騎士団長の怒りを招いているはず」
ふん、とザロは鼻をならした。
「あとからグダグダいっても遅いさ。どんなことでも、先にやった者の勝ちだ」
「行動は先んじよ……とはいうものの、あの姫を連れて『西の町城』で正式な婚儀をすませるまでは、油断めされるな」
「その『西の町城』へは、いつ着くんだよ? 最初の話じゃ3日で到着って言っただろ!」
「それは、われらモネイ族なら3日ということ。並みの騎士なら4日、並の男なら5日の山越えですわ」
「僕は並み以上の騎士だぞ! もうついてもいいだろうが!」
「並みの騎士……」
黒マントの男はじろり、とザロ伯を見た。
「では騎士らしく歩かれてはいかが? ほれ、あの姫はもう次の登り口にかかっておられる。おいて行かれますぞ」
「あいつは小さいから軽いんだ、それだけだ! おい、ラバか何かに乗せろよ! もう歩かないぞ!」
「そのような足手まといになる生きものは連れてきておりません。
まあ、もっと足手まといな生き物を連れてきてしまったようだが……」
「どういう意味だ? じゃあ、誰かが僕を背負え! 飽きたんだよ、もう」
ザロ伯は、どすっと路傍に座り込んだ。黒マントは呆れた顔をして、空を見上げた。
「やれやれ。これではいつ『西の町城』へ着くか……
それにしても、先ほどからみょうに、鳥が多いですな……」
「そういう日なんだろう」
「……ひわ、とんび、みさご、ちょうげんぼう……それに、カラス」
ザロ伯も顔を上げた。
空は青く澄み渡り、風もかすかだ。初夏のホツェル王国は美しい。だが、ザロ・チェンマは初夏の美しさを王都の館や辺境の城からしか、見たことがない。
路傍で見上げる空はやけに高く、列の先頭に立って嬉々と歩くトーヴ姫のように、ザロをあざ笑うようだ。
ザロ・チェンマは明るい空がきらいだ。
澄み渡った青空も、甘いメタゼの香りがする初夏の風もきらいだ。
清々しい日光は、ザロの濃い色の肌をクッキリと目立たせるから。
毎年、春が終わるころになると、ザロはマントで顔をおおうようにして王都を出発した。辺境の城に引きこもる。
なぜなら、辺境ではめずらしくもない肌の色だからだ。
辺境では、モネイ族やほかの少数民族との婚姻が多く、多様な血が入り混じっている。ザロの浅黒い肌は目立たない。
だが、王都ではダメなのだ。
焼きすぎた土人形のように、ザロの肌は目立つ。
生粋の貴族ではないしるしが華麗な衣装を裏切る。
モネイ族の母のしるしが、くっきりと浮かび上がるのだ。
いないはずの、モネイ族の母。
ザロがあらゆる記録から抹殺した辺境民族の血が顔面に露出する。
この血を王都の貴重な名家の血と融合させるために、ザロは結婚相手に純潔の姫、トーヴを望んだのだ。
……『花のトーヴ』。
にやりとしてザロは立ち上がった。
「おい、昼の休みはどこで取る?」
「まだ朝早いのですが?」
「どこなんだ?」
「そうですな、この速さなら、今日は山頂ちかくで昼を取ることになりますな」
「山頂で天幕を張れ」
「は?」
黒マントが聞き返した。
「天幕を作れ? 昼食に?」
「そうだ。同じことを言わすな」
「なにゆえ? それほど長い時間はとりませんが」
ザロ伯はニヤリとした。
「ああ、こっちも長くはかからない。縛ってひっくり返して、突っ込むだけだ」
ふっと黒マントの男がイヤな顔をした。
ザロ伯は立ち上がると勢いよく歩きはじめた。
「長くはかからん、処女なんかつまらないからな……」
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