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第6話 身代わりベータは執着アルファに新婚旅行に連れ去られる
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新は大きな手のひらにゆっくりと髪を撫でられて、意識を浮上させた。
(起きたくない)
(もう少し。もう少しだけこうしていたい)
開きそうな瞼を閉じて、再び眠りに落ちていこうとする。
起きてしまったら、そこに待っているのは厳しい現実だ。自分の結婚相手が他の相手を伴って新婚旅行に行くのを、黙って見送らなくてはならないという、絶望しかない現実。
丁寧に髪を撫でてくれている手の感触は、現実の彼にはない優しさに満ちていて、新はもう少しだけその暖かさを味わっていたかった。
(でも、駄目だ)
(起きないと、彼の、新婚旅行の出発時間に間に合わなくなる)
新婚旅行。
言葉の甘さとは真逆の痛みが心臓を突き刺す。悲しい現実と対峙することを思うだけで、喉の奥からぐうっと嫌なものがこみ上げた。
新は自分と戦いながらゆっくりと目を開いた。
木南直樹はすぐ目の前にいた。アルファらしい威圧感のある顔立ちに、ハッとするほど厳しい表情を浮かべている。初夜の翌朝だというのに、自分に向ける表情の厳しさに、胸が苦しくなった。
(わかってた)
(彼に憎まれていることは、覚悟してたじゃないか)
そう自分に言い聞かせても、じわりと瞳が潤むほどつらかった。
相手は昨日結婚式を挙げて、昨夜初めて体を重ねた配偶者だ。その相手から、初夜の翌朝に冷たい眼差しを向けられるのは苦しい。
何より、木南直樹は新にとって初恋の相手で、ずっとずっと片思いし続けてきた相手だった。
「おはようございます」
かすれた声で挨拶を口にすると、直樹はなにか言いたげな顔をしたが、無言でベッドから下りると、冷え切ったペットボトルの水を取ってきた。その姿に、十年前の姿が重なった。この人は変わってない。憎んでいる相手にも水を取ってきて渡してくれる優しさに、叶うことのない恋心が湧き上がる。その想いを表情に出さないようにして、新は受け取るために体を起こそうとした。その途端、恥ずかしい場所に響いた鈍痛に呻く。
「痛むのか」
「嫌だ!」
反射的に叫んだけれど、無駄だった。ベータの男の抵抗なんて、アルファの男の膂力の前には意味がなかった。
やすやすとうつ伏せに押さえ込まれて下着をおろされた。昨夜、初めて男を受け入れた場所を朝の光の中で検分される。わざわざ指で広げられ、粘膜の内側が切れてないかまで確認される恥ずかしさに、新は涙をにじませた。
「嫌だ、汚いから見ないでくれっ。お願いだからっ」
泣いていることに気づかれただろうか。じたばたともがいたけれど、直樹は肉ひだに血がにじんでないこと、傷がないことを確認し終えるまで容赦しなかった。
ようやく手が離れた。新はハァハァと息を荒くしながら顔をシーツに押しつけて涙を拭い、寝着を整えて、ずりずりと結婚相手から遠ざかった。
あ、と新は目を見開いた。
昨夜、直樹とそういうことをしたときに自分は全裸になったはずだ。それなのに体には汚れもローションもついていない。体を拭いて、寝着を着せてくれたのは目の前にいる彼だろう。
昨日、この人と結婚式を挙げたこと。
式のあと、この部屋で二人きりになったこと。
初めての体には大きすぎる欲望を受け入れて、気を失うほどイかされたこと。
思い出さないようにしていた数多くの出来事が、一気に襲いかかってくる。
「やめだ」と離れていこうとする彼にすがりついて、自分からキスを仕掛けた。「お願い、律だと思って俺の身体を使って。お願い」とねだって抱いてもらった。そうしてこの人に抱かれて何度も達してしまった。
自分は兄の身代わりでしかないのに、なんて浅ましい。最悪じゃないか。
自分の醜さを突きつけられて、目の前が真っ暗になった。
ずっと、彼に恋い焦がれていた。
けれど彼が自分を選ぶことはないとわかっていた。彼はベータの自分には手の届かないアルファだ。それなのに婚約者の兄が駆け落ちしたのをいいことに、身代わりとして彼と結婚した自分は、家の力を利用して好きな人を手に入れた卑怯者だ。
「傷がないか見ただけだ。何が恥ずかしいんだ、さんざんヤっておいて」
嘲弄する声に新は目を伏せ、唇を噛んだ。
「俺はベータです。オメガ男性ならともかく、ベータの男の尻は汚い」
「ああ、そうだな。バース性問わず、男はお前が初めてだが女とは全然違う」
嘲りのまぶされた声に、新は怯んだ。
「兄と婚約していたでしょう。事前に男とできるか試そうと思わなかったのですか」
「結婚相手なら仕方ないが、わざわざ好んで男とセックスなんかできるか。気持ち悪い」
気持ち悪い。
その何気ない言葉は、心の柔らかいところを刺し貫いて、さらにぐりぐりとえぐった。
お前は気持ち悪い存在だ。
あまりにも正直なその言葉に、新は言い返すことなどできなかった。
「気持ち悪い思いをさせてしまって、申し訳ありません」
新は深々と頭を下げた。謝罪するよりほか、どうしようもなかった。せめて兄の代わりに性欲の捌け口ぐらいの役には立てると思っていたのに、それすらできなかったなんて。「俺を飲み込むの、すごい上手だ」なんていう、口先だけの褒め言葉に浮かれた自分が、嫌で嫌で仕方なかった。
(きっと新婚旅行には、綺麗な女性を連れて行くんだろうな)
なんて馬鹿なんだろうと思った。もしかしたら自分と行ってくれるかもしれない。そんなありえない希望にすがって、5日間も有給休暇を取得した。長期の休みを取るために、どれほど頑張って残業してきただろう。
「違う、そういう意味じゃない。それを言うならお前のほうがずっと気持ち悪かっただろう。その、女性経験もないのに男に掘られるなんて」
「いえ、俺は」
最後まで言う前に、ぐううぅぅぅっと空気を読まずに腹が鳴った。新は真っ赤になった。結婚式の前日からだから、丸2日、何も食べていない。思わず顔を上げると、直樹は驚くほど優しく笑った。
「気が利かなくて悪かった。朝食にしよう。ルームサービスを頼んでいいか?」
新は一も二もなく頷いた。直樹がどことなく嬉しそうに注文する。新が空腹すぎて痛むお腹を押さえると、直樹が心配そうに覗き込んできた。
「式の間も昨夜の夕食も食べなかっただろう。新婚旅行先のホテルは食事が美味しいところにしてある。お前はベータの男にしては痩せすぎだ、もっと食べたほうがいい」
新婚旅行。
新は混乱して直樹を凝視した。どういう意味だろう。今の言い方だと、まるで新婚旅行先に自分を連れて行くみたいじゃないか。
「あの。俺と行くんですか?」
途端に直樹の表情は険しいものになった。
「どういう意味だ」
「だって。俺と新婚旅行なんて気持ち悪いでしょう?」
アルファの顔がどんどん険しくなる。圧迫感で酸欠になりそうだ。
「まさか、俺がお前以外の人間を新婚旅行先に連れて行くと、そんなくだらんことを思っていたのか!?」
思っていた、というか思っている。新は笑顔を作って言った。
「大丈夫です、俺、ここをチェックアウトしたあと、自宅のタワーマンションに籠もります。父には知られないようにします」
直樹は眉を上げ、唇を引き結んだ。新は鼻の奥がつんと痛いのをこらえて、さらに言葉を重ねた
「本当に……大丈夫なんです。俺だけ置いていかれることには慣れてますから」
「慣れるなっ、そんなこと!」
怒鳴られて、ずっとずっとこらえてきた感情が決壊した。
(大丈夫だから)
(いつものとおり、母さんと留守番するから)
(パーティーにはみんなで行ってきて)
そうだ。何年も、父が、兄と兄の護衛の拓海だけをパーティーに連れて行くのを見送ってきた。自分はベータだから。中野の家に何も寄与できない存在だから。置いていかれても当然だと。他人に紹介してもらえない存在でも当然だと。
ずっと自分にそう言い聞かせてきた。
「泣くな。泣かないでくれ」
抱きすくめられ、頭を撫でられても、涙は止まらなかった。後から後から、愛されない苦しみと悲しみが溢れ出す。
どうすれば愛してもらえるのかわからなかった。いくら努力したってアルファにもオメガにもなれない。一生、愛されないということを受け入れるしかない。仕方がないんだとわかってても、喉奥からむせび泣きがあふれてとまらない。
「気持ち悪くてごめんなさい、ベータの男と結婚させてしまってごめんなさい。あなたに相手ができたらちゃんと別れますから」
「何を言っている」
新は涙に濡れた顔を上げた。直樹は息を呑んだ。新は泣きながらも痛々しい笑顔を作った。
「だから。いつか、あなたに女性かオメガの恋人ができるまでだけ、仮初の婚姻関係を続けさせてください」
直樹は無言だった。それを了承ととって、新は微かに笑って続けた。
「新婚旅行、楽しんできてくださいね」
「お前も来るんだ!」
新はびっくりしてまじまじと泣き濡れた眼で相手を見つめた。直樹はふうーっと息を吐いた。
「新婚旅行にはお前と行く。これは決定事項だ、抵抗は許さない。昨夜は……すごくよかった。全然気持ち悪くなんかなかった」
どういう意味だろう。新がその言葉の意味を考える前に、涼やかなチャイムが鳴った。直樹が寝室を出ていく。しばらくすると、直樹は戻ってきて、まだベッドの上にいる新を両腕で抱き上げた。思わず降りようともがいたけれど、圧倒的な膂力の差を思い知らされるばかりだった。
「暴れるな。歩けないのはわかってる。……初めてだと知ってたのに、手加減できなかった俺の失態だ」
何を手加減できなかったのかは、聞くまでもなかった。かあっと頬が熱くなっていく。抱き上げられて、連れて行かれたのは続き部屋だった。テーブルに並べられている豪勢な朝食に、新は目をぱちぱちさせた。できたてのオムレツ、こんがりと焼いたベーコンにソーセージ、色とりどりの野菜があしらわれたサラダ、何種類もの焼き立てパンにこれまた何種類ものコンフィチュール。果物もたくさんあって目移りする。
そうっと、椅子に座らされた。
「しっかり食べるんだ。新婚旅行に行くからには、向こうではずっと俺の性処理をしてもらう。空腹でアルファの相手ができると思ってるのか」
向かい合って座る配偶者の顔が、うっすらと赤くなっている。ずっと性処理をするって、まさか昨夜みたいなことを毎日するんだろうか。新は真っ赤になってうつむいた。まさか。いやでもそうだったらどうしよう。ドキドキする。こんなの心臓がもたない。
「あの。それだったら俺、食べられません」
「あぁ?」
相手の声のトーンが下がったのがわかったけれど、言わずにいられなかった。新は顔を上げて懸命に理由を告げた。
「だって。その、食べたら出るものが出るじゃないですか。汚いでしょう。だから俺、式の前日から食べてなくて」
「食べるんだ」
物理的な圧力すら感じられる声だった。新は声が出なくなった。底光りする眼が、新を縛りつける。
「食べないなら、私の膝の上に乗せて、食事を口の中に押し込む」
「そんな。でも」
「何が汚いだ。配偶者の体が汚いわけないだろう。それほど気になるなら、毎回、俺がお前の体を洗ってやる」
どこを洗うつもりかなんて、聞かなくてもわかった。顔が、いや全身が熱い。恥ずかしさで死にそうだ。
「何を言ってるんですか! ベータの男の体ですよ!?」
「ふん。配偶者の性器が汚いわけあるか。そう思ってたらそもそも勃たない」
性器って。駄目だ、恥ずかしさで顔が上げられない。ふと影が落ちた。恐る恐る顔を上げると、直樹は音もなくそばにいた。上体を屈ませ、新の耳元に囁く。
「直腸を洗浄されるのが、そんなに恥ずかしいのか」
当たり前だ、何を言ってるんだこの人は。くっくっと人の悪い笑い声が耳朶に響く。
「いいだろう。……新婚旅行の間に、肛門に指を入れられて、直腸を洗われるのは気持ちいいことだと、この体に教えこんでやる」
熱が上がる。本当にそんな体にされてしまったら、この人に捨てられたあと、どうやって生きていけばいいんだ。新は口早に言った。
「駄目です、やり方を教えてもらったら、全部自分でします。そんな汚いことしなくていい」
「汚くなんかない。恥ずかしいことでもない。性行為の前に、お前の体を、私を受け入れられるように整えるのは、夫の務めだ」
だから俺を受け入れるんだ。
圧倒的なカリスマ性のある美貌が近づいてくる。新は無意識に夫にしがみついて、唇を開いた。巧みな舌が新を追いつめ、狂わせて、快楽で噛み砕く。
新が完全にとろけてしまう前に、直樹は離れた。
「俺と新婚旅行に行くか」
「はい」
まだ快楽に支配された朦朧とした意識の中、新は答えた。
「それなら朝食を食べなさい」
こくんと頷いて、オムレツを切り分ける。とろりとした半熟の中身が食欲をそそった。口に入れると、卵とバターの旨味が広がる。
「美味しい」
呟くと、向かい側に座る配偶者が、包み込むように微笑んだ。じんわりとした暖かい喜びが胸に広がる。
新はふわふわした多幸感に包まれて、昨日結婚したばかりの夫と朝食をともにした。
(起きたくない)
(もう少し。もう少しだけこうしていたい)
開きそうな瞼を閉じて、再び眠りに落ちていこうとする。
起きてしまったら、そこに待っているのは厳しい現実だ。自分の結婚相手が他の相手を伴って新婚旅行に行くのを、黙って見送らなくてはならないという、絶望しかない現実。
丁寧に髪を撫でてくれている手の感触は、現実の彼にはない優しさに満ちていて、新はもう少しだけその暖かさを味わっていたかった。
(でも、駄目だ)
(起きないと、彼の、新婚旅行の出発時間に間に合わなくなる)
新婚旅行。
言葉の甘さとは真逆の痛みが心臓を突き刺す。悲しい現実と対峙することを思うだけで、喉の奥からぐうっと嫌なものがこみ上げた。
新は自分と戦いながらゆっくりと目を開いた。
木南直樹はすぐ目の前にいた。アルファらしい威圧感のある顔立ちに、ハッとするほど厳しい表情を浮かべている。初夜の翌朝だというのに、自分に向ける表情の厳しさに、胸が苦しくなった。
(わかってた)
(彼に憎まれていることは、覚悟してたじゃないか)
そう自分に言い聞かせても、じわりと瞳が潤むほどつらかった。
相手は昨日結婚式を挙げて、昨夜初めて体を重ねた配偶者だ。その相手から、初夜の翌朝に冷たい眼差しを向けられるのは苦しい。
何より、木南直樹は新にとって初恋の相手で、ずっとずっと片思いし続けてきた相手だった。
「おはようございます」
かすれた声で挨拶を口にすると、直樹はなにか言いたげな顔をしたが、無言でベッドから下りると、冷え切ったペットボトルの水を取ってきた。その姿に、十年前の姿が重なった。この人は変わってない。憎んでいる相手にも水を取ってきて渡してくれる優しさに、叶うことのない恋心が湧き上がる。その想いを表情に出さないようにして、新は受け取るために体を起こそうとした。その途端、恥ずかしい場所に響いた鈍痛に呻く。
「痛むのか」
「嫌だ!」
反射的に叫んだけれど、無駄だった。ベータの男の抵抗なんて、アルファの男の膂力の前には意味がなかった。
やすやすとうつ伏せに押さえ込まれて下着をおろされた。昨夜、初めて男を受け入れた場所を朝の光の中で検分される。わざわざ指で広げられ、粘膜の内側が切れてないかまで確認される恥ずかしさに、新は涙をにじませた。
「嫌だ、汚いから見ないでくれっ。お願いだからっ」
泣いていることに気づかれただろうか。じたばたともがいたけれど、直樹は肉ひだに血がにじんでないこと、傷がないことを確認し終えるまで容赦しなかった。
ようやく手が離れた。新はハァハァと息を荒くしながら顔をシーツに押しつけて涙を拭い、寝着を整えて、ずりずりと結婚相手から遠ざかった。
あ、と新は目を見開いた。
昨夜、直樹とそういうことをしたときに自分は全裸になったはずだ。それなのに体には汚れもローションもついていない。体を拭いて、寝着を着せてくれたのは目の前にいる彼だろう。
昨日、この人と結婚式を挙げたこと。
式のあと、この部屋で二人きりになったこと。
初めての体には大きすぎる欲望を受け入れて、気を失うほどイかされたこと。
思い出さないようにしていた数多くの出来事が、一気に襲いかかってくる。
「やめだ」と離れていこうとする彼にすがりついて、自分からキスを仕掛けた。「お願い、律だと思って俺の身体を使って。お願い」とねだって抱いてもらった。そうしてこの人に抱かれて何度も達してしまった。
自分は兄の身代わりでしかないのに、なんて浅ましい。最悪じゃないか。
自分の醜さを突きつけられて、目の前が真っ暗になった。
ずっと、彼に恋い焦がれていた。
けれど彼が自分を選ぶことはないとわかっていた。彼はベータの自分には手の届かないアルファだ。それなのに婚約者の兄が駆け落ちしたのをいいことに、身代わりとして彼と結婚した自分は、家の力を利用して好きな人を手に入れた卑怯者だ。
「傷がないか見ただけだ。何が恥ずかしいんだ、さんざんヤっておいて」
嘲弄する声に新は目を伏せ、唇を噛んだ。
「俺はベータです。オメガ男性ならともかく、ベータの男の尻は汚い」
「ああ、そうだな。バース性問わず、男はお前が初めてだが女とは全然違う」
嘲りのまぶされた声に、新は怯んだ。
「兄と婚約していたでしょう。事前に男とできるか試そうと思わなかったのですか」
「結婚相手なら仕方ないが、わざわざ好んで男とセックスなんかできるか。気持ち悪い」
気持ち悪い。
その何気ない言葉は、心の柔らかいところを刺し貫いて、さらにぐりぐりとえぐった。
お前は気持ち悪い存在だ。
あまりにも正直なその言葉に、新は言い返すことなどできなかった。
「気持ち悪い思いをさせてしまって、申し訳ありません」
新は深々と頭を下げた。謝罪するよりほか、どうしようもなかった。せめて兄の代わりに性欲の捌け口ぐらいの役には立てると思っていたのに、それすらできなかったなんて。「俺を飲み込むの、すごい上手だ」なんていう、口先だけの褒め言葉に浮かれた自分が、嫌で嫌で仕方なかった。
(きっと新婚旅行には、綺麗な女性を連れて行くんだろうな)
なんて馬鹿なんだろうと思った。もしかしたら自分と行ってくれるかもしれない。そんなありえない希望にすがって、5日間も有給休暇を取得した。長期の休みを取るために、どれほど頑張って残業してきただろう。
「違う、そういう意味じゃない。それを言うならお前のほうがずっと気持ち悪かっただろう。その、女性経験もないのに男に掘られるなんて」
「いえ、俺は」
最後まで言う前に、ぐううぅぅぅっと空気を読まずに腹が鳴った。新は真っ赤になった。結婚式の前日からだから、丸2日、何も食べていない。思わず顔を上げると、直樹は驚くほど優しく笑った。
「気が利かなくて悪かった。朝食にしよう。ルームサービスを頼んでいいか?」
新は一も二もなく頷いた。直樹がどことなく嬉しそうに注文する。新が空腹すぎて痛むお腹を押さえると、直樹が心配そうに覗き込んできた。
「式の間も昨夜の夕食も食べなかっただろう。新婚旅行先のホテルは食事が美味しいところにしてある。お前はベータの男にしては痩せすぎだ、もっと食べたほうがいい」
新婚旅行。
新は混乱して直樹を凝視した。どういう意味だろう。今の言い方だと、まるで新婚旅行先に自分を連れて行くみたいじゃないか。
「あの。俺と行くんですか?」
途端に直樹の表情は険しいものになった。
「どういう意味だ」
「だって。俺と新婚旅行なんて気持ち悪いでしょう?」
アルファの顔がどんどん険しくなる。圧迫感で酸欠になりそうだ。
「まさか、俺がお前以外の人間を新婚旅行先に連れて行くと、そんなくだらんことを思っていたのか!?」
思っていた、というか思っている。新は笑顔を作って言った。
「大丈夫です、俺、ここをチェックアウトしたあと、自宅のタワーマンションに籠もります。父には知られないようにします」
直樹は眉を上げ、唇を引き結んだ。新は鼻の奥がつんと痛いのをこらえて、さらに言葉を重ねた
「本当に……大丈夫なんです。俺だけ置いていかれることには慣れてますから」
「慣れるなっ、そんなこと!」
怒鳴られて、ずっとずっとこらえてきた感情が決壊した。
(大丈夫だから)
(いつものとおり、母さんと留守番するから)
(パーティーにはみんなで行ってきて)
そうだ。何年も、父が、兄と兄の護衛の拓海だけをパーティーに連れて行くのを見送ってきた。自分はベータだから。中野の家に何も寄与できない存在だから。置いていかれても当然だと。他人に紹介してもらえない存在でも当然だと。
ずっと自分にそう言い聞かせてきた。
「泣くな。泣かないでくれ」
抱きすくめられ、頭を撫でられても、涙は止まらなかった。後から後から、愛されない苦しみと悲しみが溢れ出す。
どうすれば愛してもらえるのかわからなかった。いくら努力したってアルファにもオメガにもなれない。一生、愛されないということを受け入れるしかない。仕方がないんだとわかってても、喉奥からむせび泣きがあふれてとまらない。
「気持ち悪くてごめんなさい、ベータの男と結婚させてしまってごめんなさい。あなたに相手ができたらちゃんと別れますから」
「何を言っている」
新は涙に濡れた顔を上げた。直樹は息を呑んだ。新は泣きながらも痛々しい笑顔を作った。
「だから。いつか、あなたに女性かオメガの恋人ができるまでだけ、仮初の婚姻関係を続けさせてください」
直樹は無言だった。それを了承ととって、新は微かに笑って続けた。
「新婚旅行、楽しんできてくださいね」
「お前も来るんだ!」
新はびっくりしてまじまじと泣き濡れた眼で相手を見つめた。直樹はふうーっと息を吐いた。
「新婚旅行にはお前と行く。これは決定事項だ、抵抗は許さない。昨夜は……すごくよかった。全然気持ち悪くなんかなかった」
どういう意味だろう。新がその言葉の意味を考える前に、涼やかなチャイムが鳴った。直樹が寝室を出ていく。しばらくすると、直樹は戻ってきて、まだベッドの上にいる新を両腕で抱き上げた。思わず降りようともがいたけれど、圧倒的な膂力の差を思い知らされるばかりだった。
「暴れるな。歩けないのはわかってる。……初めてだと知ってたのに、手加減できなかった俺の失態だ」
何を手加減できなかったのかは、聞くまでもなかった。かあっと頬が熱くなっていく。抱き上げられて、連れて行かれたのは続き部屋だった。テーブルに並べられている豪勢な朝食に、新は目をぱちぱちさせた。できたてのオムレツ、こんがりと焼いたベーコンにソーセージ、色とりどりの野菜があしらわれたサラダ、何種類もの焼き立てパンにこれまた何種類ものコンフィチュール。果物もたくさんあって目移りする。
そうっと、椅子に座らされた。
「しっかり食べるんだ。新婚旅行に行くからには、向こうではずっと俺の性処理をしてもらう。空腹でアルファの相手ができると思ってるのか」
向かい合って座る配偶者の顔が、うっすらと赤くなっている。ずっと性処理をするって、まさか昨夜みたいなことを毎日するんだろうか。新は真っ赤になってうつむいた。まさか。いやでもそうだったらどうしよう。ドキドキする。こんなの心臓がもたない。
「あの。それだったら俺、食べられません」
「あぁ?」
相手の声のトーンが下がったのがわかったけれど、言わずにいられなかった。新は顔を上げて懸命に理由を告げた。
「だって。その、食べたら出るものが出るじゃないですか。汚いでしょう。だから俺、式の前日から食べてなくて」
「食べるんだ」
物理的な圧力すら感じられる声だった。新は声が出なくなった。底光りする眼が、新を縛りつける。
「食べないなら、私の膝の上に乗せて、食事を口の中に押し込む」
「そんな。でも」
「何が汚いだ。配偶者の体が汚いわけないだろう。それほど気になるなら、毎回、俺がお前の体を洗ってやる」
どこを洗うつもりかなんて、聞かなくてもわかった。顔が、いや全身が熱い。恥ずかしさで死にそうだ。
「何を言ってるんですか! ベータの男の体ですよ!?」
「ふん。配偶者の性器が汚いわけあるか。そう思ってたらそもそも勃たない」
性器って。駄目だ、恥ずかしさで顔が上げられない。ふと影が落ちた。恐る恐る顔を上げると、直樹は音もなくそばにいた。上体を屈ませ、新の耳元に囁く。
「直腸を洗浄されるのが、そんなに恥ずかしいのか」
当たり前だ、何を言ってるんだこの人は。くっくっと人の悪い笑い声が耳朶に響く。
「いいだろう。……新婚旅行の間に、肛門に指を入れられて、直腸を洗われるのは気持ちいいことだと、この体に教えこんでやる」
熱が上がる。本当にそんな体にされてしまったら、この人に捨てられたあと、どうやって生きていけばいいんだ。新は口早に言った。
「駄目です、やり方を教えてもらったら、全部自分でします。そんな汚いことしなくていい」
「汚くなんかない。恥ずかしいことでもない。性行為の前に、お前の体を、私を受け入れられるように整えるのは、夫の務めだ」
だから俺を受け入れるんだ。
圧倒的なカリスマ性のある美貌が近づいてくる。新は無意識に夫にしがみついて、唇を開いた。巧みな舌が新を追いつめ、狂わせて、快楽で噛み砕く。
新が完全にとろけてしまう前に、直樹は離れた。
「俺と新婚旅行に行くか」
「はい」
まだ快楽に支配された朦朧とした意識の中、新は答えた。
「それなら朝食を食べなさい」
こくんと頷いて、オムレツを切り分ける。とろりとした半熟の中身が食欲をそそった。口に入れると、卵とバターの旨味が広がる。
「美味しい」
呟くと、向かい側に座る配偶者が、包み込むように微笑んだ。じんわりとした暖かい喜びが胸に広がる。
新はふわふわした多幸感に包まれて、昨日結婚したばかりの夫と朝食をともにした。
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隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
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