12 / 50
メレニア・メイジ編
9
しおりを挟む「……」
ロザリーがメディチ家に迎えられて家族全員で食事を取る初めての機会だというのに、先の件もあってか、彼らは皆一様に口を一文字に結び、ダイニングには食器が触れあう金属音のみが響いていた。
父は項垂れ、母はツンと顔を澄まし、兄は無表情で、そして義妹は顔を伏せながら黙々と食事を取る──端から見れば、見ているだけでも胃痛に襲われそうな境遇に置かれているというのに、プリシラの心の内は晴れやかだった。
(あー、面白かった)
プリシラは先ほどの、膝を折って自分に許しを乞う父と義妹の姿を思い出して、愉悦に浸っていたのだ。
(まさか、あんなに上手くいくとはねぇ)
プリシラは一口サイズに切り分けた魚を頬張りながら密やかに微笑んだ。
心なしか、いつもより食事が美味しい気がする。
皆が暗い顔をしてのろのろと食事を進める中、プリシラだけが意気揚々とフォークを動かしているのには理由があった。
もともとプリシラは、今回の時間軸でロザリーと対面をした際、彼女に軽い嫌がらせをすることを初めから決めていた。
ロザリーに手を差し出された時、プリシラは怪我なんてしていなかったし、その事実に二人が気付かないのも当然だ。
(だって自分自身で傷をつけたのだから)
……そう。プリシラはロザリーの手を弾く直前、自分の鋭利な親指の先で、自身の手の薄皮を抉ったのだ。
少し痛かったけれど、火で炙られたときの痛みに比べれば、あんな痛み屁でもない。
それに、例え手を弾いたことを責められたとしても、自分の血をロザリーに触れさせたくなかっただの、握られたときの痛みを考えて恐怖心からつい手を弾いてしまったのだの、プリシラはいくらでも言い逃れができると思っていたのだ。
(でも、お母様がでしゃばってくれたのは僥倖だったわね……)
プリシラは口に含んだ白身魚を咀嚼しながら黙々と考える。
プリシラがロザリーの手を弾く前、母と兄に微笑んだのは単なる余興のつもりだった。
プリシラがこれから起こる先の未来に思いを馳せ、頬が上気し、瞳が潤んだその姿を、母と兄がイカれたプリシラの姿だと思われるのもよし、父と義妹から助けを求めるように見られても良いし、見てみぬ振りでも別段何の問題もなかった。
前者の場合、母のロザリーを憎悪する気持ちを利用して、メディチ家にロザリーを迎え入れたくないが故にやったのだと訴えかければ良いし、後者の場合は母と兄から少しでも同情を買えれば良い。見てみぬ振りはいわずもがなだ。
けれど、母は、父と義妹からプリシラが苛めを受けていると勘違いし、その事実に激昂した。
……いや、母は例えプリシラが本当に苛められたとしていても、その事自体にはあまり興味はないだろう。
母がプリシラを庇ったのは、不義の娘を叩ける機会を逃すまいと、単にその流れに乗っただけなのだから……。
(けれど、これで前回に比べて、ロザリーがお母様を取り込むのは難しくなったでしょうね)
そもそも前回の時間軸で、プリシラが自ら進んでロザリーの手をとったのは明暗を分ける一つの分岐点だったように思える。
プリシラは一度目の人生で、ロザリーの手に触れた時、母から強い憤怒の視線を感じていた。
当時は母の実の娘を見るとは到底思えない、殺気を孕んだ視線に酷く戸惑ったのだが、今のプリシラなら母の気持ちを想像することできた。
きっと、母は実の娘に義理の娘の差し出したその手をとって欲しくなかったのだろう。
だが、母の思惑から外れて、プリシラは自ら進んでロザリーのその手を取っ手しまった。
母にとってプリシラのその行動は、自分の味方だと思っていた愛娘に、手酷い裏切りを受けたように感じられたのだろう。
母のプリシラに対する不信感はこの瞬間から始まり、それから幾度となく似たような事案が積み重なって、母は自分の憎悪の対象を不義の娘から実の娘へとすり替えたのだ。
──なんて自分勝手な人なのかしら。
プリシラは小さくため息をつくと、怒りと呆れを半分ずつ含んだ視線を母に送った。
(……でも、まあいいわ)
今回プリシラは、母の思惑通り……いや、それ以上の働きをしてみせた。
母の手綱を握るのは、少々……どころではないほど面倒だが、それを考慮しても母を自分の味方につけておくメリットは大きい。
今のところプリシラが母に虐げられる要素は皆無だし、逆に今回の一件で、母とロザリーの間には深い溝が生まれた。
プリシラはこの事実に……自分の軽い嫌がらせが予想以上の効果を波及したことに、充足感を感じていた。
プリシラが一人悦に浸っていると「あの……」と、躊躇いがちに開かれた声が、ダイニングの静寂を破った。
──ロザリーだ。
プリシラは気を良くしていた拍子に邪魔が入ったことに少し苛立ちを覚えながらも、ロザリーを見つめた。それは彼らも例外ではなく、家族全員の視線がロザリーに集中する。
四人分の視線を一身に浴びたロザリーは少しだけ怯みながらも、顔に笑みを浮かべて口を開いた。
「……さっきお会いした時も思ったんですけど、お義姉様のドレス、とてもお綺麗ですね。本当はもっと早くお伝えしたかったんですけど、言うタイミングを逃してしまって……」
自分の着ているドレスと見比べながら、少し羨ましさを滲ませてロザリーが言う。
プリシラは、初対面で手を叩かれた相手にこうもすぐ話しかけられるのかと、ロザリーの面の皮の厚さに感服し、次にこの殺伐とした雰囲気の中で、よりにもよって自分に話しかけたことに呆れた。
(ロザリーはきっとこの地獄のような雰囲気をなんとかしたかったのだろうけど、それじゃ逆効果よ)
だが、プリシラは自分が呆れ果てているのを噯にも出さず、ロザリーに向かってにっこりと微笑んだ。
なぜならプリシラは、ロザリーがこのドレスに食い付くのを今か今かと待ち望んでいたからだ。
「ありがとう、とっても嬉しいわ。このドレスは私の去年の誕生日に、お父様とお母様が送ってくださったの。ロザリーさんもメディチ家の養女になるのだから、今年のお誕生日に素敵なドレスをお願いするといいわ」
プリシラが目を細めて言い放つと、ロザリーは「……そうですね」と一言だけ返事をして俯いてしまった。
(……笑っちゃだめよ、笑っちゃ)
プリシラは、顔を伏せながらも悔しさが隠しきれていないロザリーのそんな表示を見て、噴き出すのを堪えた……が、絶えきれず、少しだけ肩をひくつかせる。
プリシラがロザリーに会うために気張った格好をしたのには理由がある。
最初はロザリーに自分は両親に愛されているのだと見せつける為に華やかなドレスを身に付けた。
だが、幸運なことに、母はロザリーを疎んでいるのを隠そうともせず、義理の娘を責め、プリシラを庇護し始めた。
そしてプリシラは、この流れを汲んで、ロザリーに両親の愛を見せつけるのではなく、嫌がらせをしようと方向を転換したのだ。
この国──ボナパルト王国では、"夫は外で働き、妻は家庭を守る"ことが美徳とされている。
そのため、貴族の妻は、家の資産を管理をするのが仕事の一つとなっており、公爵夫人であるミレーヌもその例に漏れなかった。
しかも、ダグラスはメディチ家の入り婿ということもあって、財政はほとんどミレーヌが掌握している。
故に、母に嫌われているロザリーが、プリシラが身に付けているドレスのような高価な物を得るのは、現時点ではほとんど不可能に近い。
ロザリーもそのことを分かって、顔に悔しさを滲ませたのだろう。
「……」
再び、ダイニングが険悪な空気に包まれる。
だが、この淀んだ空気はすぐに父によって打破された。
「そ、そういえば、ロザリー。我が家に迎え入れられたというのに、お前にはまだ側仕えがいなかっただろう。お前には相応しい相手を用意してある」
父はそう言うと、近くにいた執事を手招きし、舌打ちすると、何もなかったようにこちらを振り返った。
「まあ! 本当ですか!? お義父様!」
先ほどまでの暗い表情から一変、ロザリーは顔を輝かせて喜んだ。
「……」
プリシラはそんなロザリーの様子を見ても、何事もないように魚を切り分け、口に含む。
その工程をなん十回か繰り返したとき、プリシラは誰かがダイニングに足を踏み入れた気配を察知し、チラリとそちらの方を見た。
(──メレニア・メイジ)
一度目の人生と変わらない、オレンジの髪に、少しだけ吊り上がった若草色の瞳。
プリシラの姿を目に入れるや否や、そのエメラルドの瞳を憎しみに歪めているのも、前回の時間軸のメレニアと寸分の狂いもない。
……だが、彼女がいつもと違うのは、憎悪の炎を滾らせた瞳を、すぐに勝ち誇った瞳瞳に変えた、という点だろうか。
しかし、挑発的な笑みを浮かべたメレニアだが、プリシラもそんな姿の彼女を見て、すうっと目を細めた。
「……」
プリシラの微笑んだ姿を見て、メレニアは怯んだように一瞬だけ体を固まらせた。
前回の時間軸のプリシラは、メレニアの視線に怯えるような姿をしても、このように微笑むことはなかったのだから──。
(……まずは、貴方よ)
プリシラは誰にも分からぬようペロリと舌舐めずりをすると、心の中でメレニアに一方的な宣戦布告をする。
プリシラは時間が逆行したと気づいた時から、復讐する一番最初の相手は彼女──メレニア・メイジと決めていた。
なぜならメレニアは、前回の時間軸でプリシラが周囲から虐げられる切っ掛けとなったある事件を起こした張本人であり、リリーに対し惨い苛めを繰り広げ、公爵(メディチ)家を辞職するに追いやった加害者なのだから──
29
あなたにおすすめの小説
売られたケンカは高く買いましょう《完結》
アーエル
恋愛
オーラシア・ルーブンバッハ。
それが今の私の名前です。
半年後には結婚して、オーラシア・リッツンとなる予定……はありません。
ケンカを売ってきたあなたがたには徹底的に仕返しさせていただくだけです。
他社でも公開中
結構グロいであろう内容があります。
ご注意ください。
☆構成
本章:9話
(うん、性格と口が悪い。けど理由あり)
番外編1:4話
(まあまあ残酷。一部救いあり)
番外編2:5話
(めっちゃ残酷。めっちゃ胸くそ悪い。作者救う気一切なし)
【完結】魔女令嬢はただ静かに生きていたいだけ
⚪︎
恋愛
公爵家の令嬢として傲慢に育った十歳の少女、エマ・ルソーネは、ちょっとした事故により前世の記憶を思い出し、今世が乙女ゲームの世界であることに気付く。しかも自分は、魔女の血を引く最低最悪の悪役令嬢だった。
待っているのはオールデスエンド。回避すべく動くも、何故だが攻略対象たちとの接点は増えるばかりで、あれよあれよという間に物語の筋書き通り、魔法研究機関に入所することになってしまう。
ひたすら静かに過ごすことに努めるエマを、研究所に集った癖のある者たちの脅威が襲う。日々の苦悩に、エマの胃痛はとどまる所を知らない……
断罪するのは天才悪女である私です〜継母に全てを奪われたので、二度目の人生は悪逆令嬢として自由に生きます
紅城えりす☆VTuber
恋愛
*完結済み、ハッピーエンド
「今まで役に立ってくれてありがとう。もう貴方は要らないわ」
人生をかけて尽くしてきた優しい継母。
彼女の正体は『邪魔者は全て排除。常に自分が一番好かれていないと気が済まない』帝国史上、最も邪悪な女であった。
継母によって『魔女』に仕立てあげられ、処刑台へ連れて行かれることになったメアリー。
メアリーが居なくなれば、帝国の行く末はどうなってしまうのか……誰も知らずに。
牢の中で処刑の日を待つ彼女の前に、怪しげな男が現れる。
「俺が力を貸してやろうか?」
男は魔法を使って時間を巻き戻した。
「もう誰にも屈しないわ。私は悪逆令嬢になって、失った幸せを取り戻すの!」
家族を洗脳して手駒にする貴族。
罪なき人々を殺める魔道士。
そして、私を散々利用した挙句捨てたお義母様。
人々を苦しめる悪党は全て、どんな手を使ってでも悪逆令嬢である私が、断罪、断罪、断罪、断罪、断罪するのよ!
って、あれ?
友人からは頼りにされるし、お兄様は急に過保護。公爵様からも求婚されて……。
悪女ムーブしているのに、どうして回帰前より皆様に好かれているのかしら???
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
〇約十一万文字になる予定です。
もし「続きが読みたい!」「スカッとした」「面白い!」と思って頂けたエピソードがありましたら、♥コメントで反応していただけると嬉しいです。
読者様から頂いた反応は、今後の執筆活動にて参考にさせていただきます。
【完結】王都に咲く黒薔薇、断罪は静かに舞う
なみゆき
ファンタジー
名門薬草家の伯爵令嬢エリスは、姉の陰謀により冤罪で断罪され、地獄の収容所へ送られる。 火灼の刑に耐えながらも薬草の知識で生き延び、誇りを失わず再誕を果たす。
3年後、整形と記録抹消を経て“外交商人ロゼ”として王都に舞い戻り、裏では「黒薔薇商会」を設立。
かつて自分を陥れた者たち
――元婚約者、姉、王族、貴族――に、静かに、美しく、冷酷な裁きを下していく。
これは、冤罪や迫害により追い詰められた弱者を守り、誇り高く王都を裂く断罪の物語。
【本編は完結していますが、番外編を投稿していきます(>ω<)】
*お読みくださりありがとうございます。
ブクマや評価くださった方、大変励みになります。ありがとうございますm(_ _)m
【完結】時戻り令嬢は復讐する
やまぐちこはる
恋愛
ソイスト侯爵令嬢ユートリーと想いあう婚約者ナイジェルス王子との結婚を楽しみにしていた。
しかしナイジェルスが長期の視察に出た数日後、ナイジェルス一行が襲撃された事を知って倒れたユートリーにも魔の手が。
自分の身に何が起きたかユートリーが理解した直後、ユートリーの命もその灯火を消した・・・と思ったが、まるで悪夢を見ていたように目が覚める。
夢だったのか、それともまさか時を遡ったのか?
迷いながらもユートリーは動き出す。
サスペンス要素ありの作品です。
設定は緩いです。
6時と18時の一日2回更新予定で、全80話です、よろしくお願い致します。
【完結】メルティは諦めない~立派なレディになったなら
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
レドゼンツ伯爵家の次女メルティは、水面に映る未来を見る(予言)事ができた。ある日、父親が事故に遭う事を知りそれを止めた事によって、聖女となり第二王子と婚約する事になるが、なぜか姉であるクラリサがそれらを手にする事に――。51話で完結です。
悪役令嬢の慟哭
浜柔
ファンタジー
前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。
だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。
※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。
※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。
「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。
「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。
婚約者様への逆襲です。
有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。
理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。
だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。
――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」
すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。
そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。
これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。
断罪は終わりではなく、始まりだった。
“信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる