稀代の英雄に求婚された少年が、嫌われたくなくて逃げ出すけどすぐ捕まる話

こぶじ

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鋼鉄様の食客4

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「号外なんて言ってるけれど、最近の発行物なんてだいたい似たような話題の繰り返しよ。どこも叙爵式とセバス様のことばっかり」

 馬車に乗り込むと、対面に座った幾分機嫌の良さそうなベルさんが、淡い黄色の扇で口元を隠しながらクスクスと笑った。俺たちの会話が聞こえていたらしい。

「王都だと鋼鉄様って呼ばれてとても人気なんだって聞いて、一度は読んでみたいって思ったんです。今日のにも載ってるといいんですけど」

「きっと載ってるわ。今セバス様の名が書かれてない刷り物を探す方が難しいもの」

 馬車の扉が叩かれ、御者ではなく先程の護衛が半身だけ覗かせて「どうぞ。読売です」と紙束を俺に差し出した。今度はなるたけ丁寧に礼を言ってそれを受け取る。護衛はただ無言で頷き、少しだけ微笑んだように見えたが、すぐさま馬車の扉が閉められてしまったので見間違いだったかもしれない。その後すぐ御者の合図の声が聞こえて、馬車はゆっくりと動き始めた。
 先程差し出されたものは、形状こそ新聞のようだが、たったニ枚の紙から成っていた。この量ではセブさんのことが書かれてないのでは、という不安がよぎったが、ベルさんの言う通り杞憂だった。一番目立つ面に、誰よりも大きく彼の名前が書かれていた。まだ馴染みはないが、彼の名を目にするだけで嬉しくなって、ほわっと胸のあたりが浮き立つ。
 ただ、そんな浮き立った胸は不意打ちで叩き落された。

『鋼鉄の英雄セバスチャン・バルダッローダ公爵家子息が、今回の叙爵式で最も高い爵位を得ることになるのは明白』
『彼の叙爵は周辺国からの関心も高く、叙爵式には他国から賓客が多数訪れると思われる』
『その中には、彼の恋敵である隣国サンロマリナ皇国のジャスティン第一皇子の名も連なっており』
『ベル第一王女を巡っての恋の駆け引きもまた、民衆の目を集めている』
『過去様々な女性と浮名を流しては、冷然とした態度から破局を繰り返してきたセバスチャン卿であるが、ベル王女への恋慕の深さは周囲を驚かせ』
『セバスチャン卿は此度の功績の報奨として、国王陛下に爵位ではなく、王女との婚姻を求めているとの宮中関係者からの垂れ込みもあった』
『仲睦まじいと名高いジャスティン皇子、ベル王女ではあるが、此度のセバスチャン卿の情熱を受けてまさかの婚約解消の可能性もあるのでは、と憶測が飛び交っている』


 セブさんには、恋い慕う女性がいる、らしい。

 そんな些細なことだけで、俺の浮かれきった頭をぶん殴って黙らす威力があった。
 卑しく醜い自分がセブさんの特別になれるわけないって、いつかは彼は別の女性と結婚するんだって、頭では重々わかっていたはずなのに、それを急に目の前に突きつけられて目眩がする。
 すでに他国の皇族と婚約している王女を奪い去ろうだなんて、他の男なら荒唐無稽だと笑って流されてしまうだろう。でも、それがセブさんだと全く冗談で済まされない。彼ならきっと、たいていのものをたいていの人間から奪えてしまえる。それくらいセブさんは素敵な人だ。



「私のことも書いてあるでしょう?」

「……え?」

 一心に考え込んでいた俺は、ベルさんの言葉が耳に入っていなかった。それを察したベルさんは、眉尻を釣り上げて俺の手の中の紙面の一文を指差した。

「これ、私。わかる?」

「これ…?」

 聞いているのか怪しい反応をする俺に、ベルさんはまるで子供に言い聞かせるように「ベル王女」の文字を、トントンと艷やかな桜貝の爪先で叩く。

「セバス様は私には何も言ってくださらないのだけど、彼が私を想っていらっしゃるって騎士団内でも有名なのだそうよ」

 とてもとても嬉しそうな鈴の音の声。
 ベルさんが王女様で、セブさんの想い人なのか。こんな愛らしい人を彼は愛している。その事実は、更に俺を責め立てた。
 爪ひとつとっても、俺とこの人はこんなに違う。自分の、何度も割れて擦り減ったような深爪や、荒れてざらつく指先が恥ずかしくて仕方ない。彼は、俺の手を以前「働いている手」と言ってくれたが、本当はどんなことを思って握ってくれていたのだろう。
 誰も、こんな手を好んで握り締めたりしない。

 ゆっくり紙面から顔を上げた俺は、いかにも愛らしい丸く大きな水色の目を見た。淡紅色の吊り目の今の俺も、彼女とは真逆の印象だろう。この姿を「可愛い」と言ってくれたセブさんの優しさを思うと、自分の身勝手さが際立って居た堪れない。

「ベルさんは、セブさんに結婚を求められたらどうするのですか?」

 扇を閉じてそれを自身の細いおとがいに当てた。濡れたように色付いた唇が弧を描いている。

「もちろん、お受けするわ」

「皇子との婚約はどうするのですか?国同士でやり取りした婚約なんですよね?」

「…エイレジンはね、今回うちの国と一緒にもうひとつの国で同時に魔獣暴走を起こさせるつもりだったの。その国がサンロマリナ皇国よ。皇国はバルダスに、ひいてはセバス様に恩がある。それがどういうことかおわかり?」

 英雄のためにサンロマリナ皇国側が婚約を破棄することも、あり得ない話ではないということか。もしかしたら、セブさんは最初からベルさんとの結婚が目的で武功を上げようとしていたのかもしれない。そのために、治療士の俺が必要だったのだろうか。でも、彼は俺の力無しでそれをやり遂げてしまった。

「ジャスティンはよく尽くしてくれていい人だけど、本当にそれだけでつまらない男なんだもの。セバス様みたいに、特別強く美しいわけでも、不言実行の情熱を秘めてるわけでもないわ」

 オパールのついた金細工の耳飾りを、片手で弄りながら少し軽薄そうに話していたが、不意に両手を扇に添えて姿勢を正したベルさんは「セバス様はね」と声色を整えた。

「私を庇って、左腕に呪いを受けたの」

「え?」

「原因は呪具の暴発だったんだけど、私を真っ先に庇ってくれたのが、近衛でなくセバス様だったの。あの時のセバス様、本当に格好良かったのよ」

 うっとりとした表情で薄氷色を溶かすベルさんと対照的に、俺の顔はさぞ醜く翳っていることだろう。
 痛々しいあの腕は、セブさんにとっては栄誉あるものだったのか。愛する人を守った結果だから、彼はすんなり腕を切り落とす覚悟が出来たのだろうか。
 セブさんの、ベルさんに対する愛情の深さを思い知らされて心が痛む。俺には心痛める資格すらないのに。馬車が石畳を踏むカタカタという細やかな揺れすら、俺を苛んでいるように感じる。

「…ベルさんを、とても大切に想っているのですね」

「普段はとても素っ気ないのだけど、きっと、そうなのね」

 そう言ってかすかに微笑んだベルさんは、絵画のように美しかった。きっと、セブさんの横に並んでも許される人とはこういう人だ。

 俺は、美しくなりたいわけでも、ましてや、女になりたいわけでもない。でも、それがセブさんに愛されるための条件なのだとしたら、俺は彼に何一つ望んではいけなかった。彼に触れたい、彼に触れられたい、そんなことは思ってすらいけなかった。ましてや、彼の心が欲しいだなんて、決して。


「ベルさん、どうかセブさんを幸せにしてください。きっと、あなたにしかできないことでしょうから」

 真っ直ぐ目を見て懇願すると、ベルさんは「当たり前じゃないの」と背を伸ばした。
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